私の明日
音がした。
何かが手に当たった。
別にこれといった珍しい音じゃなかったけど、ふいに興味も持ち――それをつかんだ。
がさがさと棚の中の物にぶつかり引っ掛かり、音を立てる。それでも手を止めることはなく、ついにそれを取り出すことに成功した。
――鮮やかでカラフルな物体。
箱状にビニールで包まれた、重量感のある物体。でかでかと書かれた文字に見覚えのある売り文句。そして、極めつけはおいしそうな写真。
「……ラーメンだ」
インスタントラーメンのパッケージを一人抱え、そうこぼした。
手の中でビニール袋ががさ、と音を立てた。
ラーメン。インスタントラーメン。醤油ラーメン。
ここ数年、ラーメンという単語すら聞いたことがなかった気がする。とある民家の中、扉が中途半端に開いた収納棚の前、私は尻餅をついた状態でなんどもその単語を反復した。やった……喜びを心の中でかみしめながら、ふと思い至ってあたりを見渡した。
台所のカウンターから見えるリビング。大人三人は優に座れる大きさのソファ、木で作られたかわいらしいテーブル。左に視線を向ければ……三人家族だったのか、ダイニングテーブルの周りには三脚の椅子があった。
空き家、にしては生活感が残る家。
生活している途中、急に住人がいなくなったような、奇妙さが家にあった。
異様なほどに静まり返った家内。割れた窓ガラス。窓から差し込む太陽光だけが部屋を照らしている。至って普通の捨てられた一軒家――なはずなのに、それでいてどことなく非日常感が漂う。薄暗く、静かで、気味が悪い。
それもそうだ。
この家……いや。
この世界は、とっくに死んでいたのだから。
◇◇◇
今から、十数年ほどさかのぼる。
とある夏、突如として感染症が流行りだした。
のちに分かるだけど、それはいわゆる「ゾンビ」になる感染症だった。
体が腐敗し、脳みそは溶け、人間を見かけるなり駆け出して食らう化け物。
そんな化け物になる感染症だ。
あまりにも突然すぎた。
平和ボケしていた私たちは、それについていけなかった。
典型的なゾンビにかまれて感染する経口感染で、人口密度の高い東京を中心に爆発的に広がっていった。
そして現在、日本の首都として発展を遂げた東京は――自然に覆われ、滅びようとしていた。
自然の色が、人類が生み出した無機物の塊を覆い歌舞してしまうように、あたりには緑が溢れていた。
今に至るまでに、ゾンビに対抗しようといくつもの組織と団体組織が生まれた。
駆除しようとする組織、隔離された空間で生きることを望む団体、共存を求める組織――そして、どの組織にも属さず、一人で生き残ろうとした者。
私は一人で行動していた物の一人だ。その為、組織の最後とか何が原因で滅んだのか細かいところは知らない。
……けどまあ、結果としては全部壊滅した。感染した人間が一人でも組織内にいれば、いくら気を付けようが隔離されようが、内側から感染して滅ぶ。単純だけど、誰もそれを防げなかったのだ。それは所属する人数が多ければ多いほど被害は広がりやすい。
自分が感染しているとて、誰だって生きようとするもの。だから感染している事実を隠して組織に入り、壊滅させていく。
そうやって大きな組織から順番に壊滅していった。生き残った人はみな、一人で行動していた者たちだろう。それも、かなりの少人数なはずだ。
……なんで、こんな事になったのかな。
――「政府が開発した新種のウイルスでは?」
当時流行ったネット記事が、妙に印象に残っている。
確かに、そうかもしれない。
現に、政府が売り出した対ウイルスの薬はものすごく売れた。
政府にとって利益がありすぎる……信憑性は確かにあった。けど、そんなことは今となってはどうでもいい。どっちにしろ、そんなことを企んだ人物は、こんな世界になってからじゃ活躍できないだろうから。
こんな静かな世界で生きていると――考えてしまう。もう、自分しか生き残ってないのでは?
だって、かれこれ数年、人影を見かけていないのだ。ありもしな希望を抱いて生き続けるのは、苦しすぎる。
とはいえ、死ぬのは怖い。生きたいとは思わないけど、死にたいとも思えない。
そんな、生と死の境目のような日常を送るしかなかった。
けど、そんな日常もついに限界を迎えた。
食料が尽きたのだ。
◇◇◇
ラーメン。別に、知らなかったわけではない。
むしろ、自分だって好んで食べていた。
保存食としては申し分ない、が、それ故に初期の初期に食べつくしてしまったのだ。
コンビニやスーパーマーケットなど、食料調達の時になんども往復したが、カップ麺を代表に――インスタント類は根こそぎ持っていかれていった。
幸い、乾パンといったものは多少は残っていたので、それで食いつないできていたけど……。
最後の乾パンが、昨日尽きた。
しばらく悩んだ末に……今までやりたくないと避けていた奥の手に、今日、手を出した。
それが民家だ。
民家に残っている荷物や食料に手を出すのだ。
つまり、泥棒。
私の中にまだ残っていた人の心がそれを強く拒絶していた――が生存本能には逆らえない。
なくなく、いま近くにあった家のドアを破壊し、戸棚をあさっていた。
初めて数十分、すぐに成果が出た。
二件目の家の戸棚に、インスタントラーメンがあったのだ。
正直、スーパーマーケットとかコンビニを転々として探すよりも効率がいい。
少しだけ罪悪感が残るものの、生き延びるには仕方のないことだと自分を正当化して喜びを優先した。
賞味期限は……当たり前に切れている。けど、食べれなくはないと思う。賞味期限だし。お腹がすいているのもそうだけど、なによりパッケージを見たことによって数年振りのラーメンを食べたくなってしまった。
調理方法はお湯と、お好みで具材か……野菜はあいにく持ってない。栽培はしてるけど収穫できる時期でもないし……まあ、具なしでも十分美味しいか。
この後ありつけることになるであろう食事を思い浮かべ、意気揚々と戦利品を抱え立ち上がる。ふと、子供のころ、ラーメンの中にトウモロコシを入れて喜んでいたことを思い出した。今思えば、あれはどれだけ贅沢だったか。一つの食品にトッピングと称していくつもの具材を入れること自体が、今となってはかなりの贅沢だ。味も保証できないような保存食でいまは生きている。食料に余裕はない。毎日腹いっぱいに食べることすら許されない。……昔に帰りたいとつくづく思う。
それをどれだけ願ったか。
どれだけ叶わなかったか。
……………………。
思い立った私は、さっそく行動に移すことにした。
まずは、お湯を沸かす。ガスも電気も何もないから、直接つけるしかない。ずいぶん前に調達しておいたマッチで火をつける。
燃やすものは何でもある。
……気が引けるけど、このテーブル借ります。
ここに住んでいたであろう人物に向けて謝罪する。そして、テーブルの脚を綺麗に折り、そこに火をつけた。台部分は燃えやすいように細かく切って火にくべる。
そうして、焚火の完成だ。
数年もこんな生活を続けているせいか、だいぶ慣れてしまった。
愛用の薬缶に水を入れ、火にくべた。
説明書通りにラーメンをゆで、スープを作り中に入れる。
次第に辺りには、食欲をそそられる香ばしいにおいが漂っていた。
ぐーと、数年ぶりのラーメンを欲して声を上げる。
もう食べちゃおうか、そうゆでた麺に手を伸ばし――いやいや、自分が今食べたいのはラーメンだ、ただの麺じゃないとどうにか踏みとどまる。
茹で上がった麺を作ったスープの中に入れたら、ラーメンの完成だ。
湯気が立つその食事に手を伸ばす。
木の切れ端で作った箸を突き刺す。箸を使うのが数ヶ月ぶりで、まともに食べれるか少し不安だったけど……恐る恐る、麺を口に含んだ。
瞬間、私の思考は吹き飛んだ。
何かを考える隙もなく、ただ只管に麺を啜る。
胃袋の中に、まともな食事が落ちていくのがわかる。
温かい。
そもそも、温もりをもった食事というもの自体が久しぶりだった。
視界が滲む。
気がつけば私は、ラーメンを完食し終え、しばらく放心状態になっていた。
――生きてる心地がした。
◇◇◇
私は今後、このまま生き続けるだろう。
何かを作るわけでも、人を助けるわけでもなく、ただ一人世界でひっそりと。
明日、こうやって生きてる保証はない。
この後、食料が必ず手に入るわけでもない。
いつかは死ぬ。けど、自分で命を絶つ勇気はない。
……日が沈んだ町は、ゾンビの呻き声と腐った血肉のにおいで覆いつくされる。
あちこちで物が割れる音、たたく音が聞こえてくる。
今日入った民家は、扉を開けっぱなしにしたから荒らされるだろう。人が動いた形跡があるんだ、餌を求めてわらわらと群がるはず。
それを囮に隣町へ逃げる。
この町はもう無理だ。それなりに発展していたせいか、ゾンビの量が多い。昼間はともかく、夜十分な睡眠がとれない。
少量の荷物をまとめる。
食料がなくなった今、荷物は少しだけとなっていた。
……さよなら。お世話になりました。
数か月過ごした街にぺこり、と頭を下げる。
前を向く。振り返ることはない。戻ってくることは一生、金輪際ないのだ。
進むしかない。もう戻ってこれないところまできた。
……ああ、明日が来なければいいのに。
そう願った沈みかけの太陽は、ツンと目の奥を刺した
◇あとがき
お久しぶりです。
テストやら行事やら色々あって、更新が遅れました。
手抜きです。やはり食レポは難しかった。
小説は更新が遅れますが、活動報告の方はちょくちょく書いていこうかなーと思ってます。
そちらも見てくれると嬉しいです。
見てくれていることを願って。
また九月、会いましょう。