第4章 遠征編 第29話 恋文
「イザベル様。ここはやはり、予定通り真っ直ぐブラックベリーに向かうべきではありませんか」
「予定なんてどうでもいいわ。私はどうしてもレオン様にお会いしたくなったのですもの」
そう言って顔を赤らめるイザベル。両手で顔を覆いながら身をよじっている。
(こうなったらこれに賭けるしかないわね。どうか……)
主のいじらしい姿に、マリーはすがる思いで一通の手紙を差し出した。それは先程モルトの使いの者からこっそりと渡された封筒。中身に何が書かれているかも承知済みである。どうせすぐに渡さないといけないものなのだ。逆効果の可能性もあるが、どうか上手くいって欲しい。
「イザベル様……」
「どうしたの?」
いつも以上に可愛らしく小首をかしげるイザベル。キラキラした大きな瞳を心もち潤ませ、ぷっくりとした唇に軽く指をあてている。こんな仕草をするときは、人の話を全く聞く気のないときである。今までの経験上、マリーには分かる。
「レオン様は、ユバーラに急用とのことで既にお立ちになっておられるそうです」
「まあ。では私もすぐに行かないと」
「イザベル様には、ブラックベリーの領主館に向かうようにとお手紙が、ここに……」
「ま、まあっ!」
イザベルはそう言うやいなや、マリーから手紙をひったくるようにして、読みふけったのだった……。
◇◇◇◇
親愛なるイザベル様
あなたとお別れしたその日から、一日としてあなたの天使のような微笑みと、薔薇の香りを忘れたことはございません。
あのときは、人に言えない事情もあり、図らずもあのようなご無礼をいたしましたこと、返す返すも申し訳なく謝罪の仕様もございません。
ああ。これでもう自分はイザベル様へのお目通りなど一生適わないのか。そう考えておりました。
それがまさか、はるばるハウスホールドにまで来てくださったとは。
コロシアムの観覧席で微笑まれるイザベル様。ひと目みた私の心は、一体何に例えたらいいのでしょう。心臓は早鐘を打ち、息も苦しくなりました。
そのときの私の気持ちを例えるなら、今王都で再上演されている歌劇『サラマンダー』における最後のひと幕のようだと言えば少しは伝わるでしょうか。
サラがドラゴンスクエア=ガーデンの主とまで言われていた巨大ディラノ『ブルーノ』の首を愛刀『フェンリル』でへし折った後、最愛の夫となるハープンと再会する場面です。
返す返すも今回のイザベル様のご訪問ににもかかわらず、お出迎え出来ず申し訳ありません。しかもこの大会では、イザベル様に優勝を捧げることが出来なかったこと、ただただ残念です。さぞかし自分は、お見苦しい姿をさらしたものと恥じ入るばかりです。
自分はユバーラに急用が出来たため、今すぐ発たねばならなりません。イザベル様にひと目お会いしたい想いも引き裂かれました。何という運命のいたずら。こんな自分をどうかお許しください。
ブラックベリーにてイザベル様と再会できる日を、ただただ心待ちにして生きていきたいと思います。
イザベル様へ 愛をこめて
レオン=クラーチ
◇◇◇◇◇◇
「……何でイザベルにこんな歯の浮いた手紙を書かなきゃならんのだ」
「この程度は、貴族の間じゃ普通っす。むしろ素っ気ないくらいっす!」
「そうですね。至極妥当な文面かと」
「しかしだな……」
俺の手に握られているのは、モルトが下書きし、カールが清書してくれた手紙の草稿。俺がこれを書くなんて、恥ずかしさが過ぎるのだが!
「これ、このまま渡すのはダメか?」
「何言ってんすか! それカールの字っすよ。自分で書かなきゃ意味ないっす!」
「サインなら似せることはできますが、流石に手紙となりますと。もし露見したときのこともお考えなさいませ」
「それもそうなんだが……」
俺は、この大会中、何だか文字ばかり書かされている。何が悲しくてこんなことばかりしなくちゃならんのだ。こんな主のことを、もう少し思いやって欲しいぞ。
「ふぅ……」
「レオン様、何言ってんすか! そもそもこの大会は、優勝してダクリューク王に気に入られるのが目的だったんすよ。それを途中棄権の失格負けだなんて在り得ないっす!」
小さくため息をつく俺に、もふもふ尻尾を逆立てるモルト。俺の心中などお構いなしのようだ。
「初太刀を外された以上、俺の負けだ」
「それは、レオン様の流派だけの話っす。あそこは審判に従って欲しかったっす! 自分から勝手に負けを認めて引き下がるなんて、ホント勘弁して欲しかったっす!」
「俺としては、納得のいく試合をさせてもらったと思ってるぞ」
「自分としては、全く納得がいかない試合のおかげで、計画が台無しっす!」
モルトの計画はさて置き、勝負と試合は別物とする考え方もあったのかも知れない。まあ、今となってはどうしようもないことだが。
「とにかく、今イザベル様にお会いになられたら、どんな不測の事態が起こるやも知れません。かと言って、無言で立ち去るのもどうかと思われます。ここはひとつ、イザベル様宛てに直筆のお手紙をしたためくださいませ」
「ユバーラに向かう手筈は整えてますので、後はマリーたちが上手くやってくれるはずっす」
「どうかご安心の程を」
「分かった。ひとまずユバーラで、ドランブイたちとも相談してみることにしよう」
モルトはともかく、カールが言うなら少しは安心だ。俺は、二人に言われるまま手紙の書きあげると、急いでコロシアムを離れたのだった。




