第4章 遠征編 第20話 王国師範
「相変わらずだな」
シークはもう一度呟くと割れたグラスをテーブルに置いた。
シーク=モンドは、グレンゴイン王国を辞する際「王国師範」の名を返上している。ハウスホールドにおける新たな役目は、若い騎士たちへの剣の指導と王の話し相手。バカ高い報酬に比べて何とも楽な仕事だ。いわば名誉職のようなものだと言っていい。
もうかつてのような、全身がひりつくような緊張感を経験するのはこりごりだ。「大陸最強」の称号に包まれながら、人前ではせいぜい演武を披露するくらいに留めておく。
もう若くはない。体の節々が痛い。それなりに剣を極めた者の責務として、後進の指導をしなければいけない。貴族たちとの付き合いが忙しい。等々、言い訳は掃いて捨てるほどある。
剣士としての事実上の引退は自分自身で決めたことなのに、なぜこんなことを。
◆
あの日、たまたま居合わせた王宮で、奴の孫が公爵家からの招待選手として出場するという話を聞くやいなや、大会の優勝者との特別試合をリューク王に申し出ていた。
「流石は、大陸一の強者といわれるだけありますな」
「それでこそシーク様」
「王国師範の剣、是非見てみたいものですな」
「どうでしょう陛下。わがハウスホールドにて、シーク殿を改めて王国師範として、爵位をお与えになるというのは」
思わぬ奏上に王宮はざわめき、エルフ王も無言で顔をほころばせて快諾し、話はその場でまとまった。しかし、こんな行動に一番驚いているのはシーク自身である。
◆
「全く……バカな話だ」
自分でもなぜ、あんなことをしたのか分からない。
そして気付いたときには断酒し、節制と訓練に明け暮れる日々を送っていたのだった。
コンディションは王都での最後の試合のときよりずいぶんいい。今回は前と同じ手は通用するまいが、万全の準備を整えたつもりだ。
奴の孫……レオン=クラーチは当然あの時より強くなっているだろうが、自分もあの時のままではない。衰えたとはいえ、全盛時に近い瞬発力とパワーは取り戻せたはず。そして経験に至っては、全盛時よりはるかに積んできている。
今の自分は、王都で奴と立ち会ったときよりも確実に強い。むしろ、レオンの祖父と剣を交えたときの自分を越えている。
これまで一回戦七試合を見せてもらったが、脅威は感じなかった。確かに恐るべき手練れが揃っているのだが、自分は恐怖を感じない。
しかし、自分にもう一度出場を決意させたこいつだけは……。
―――― 。
「勝者、レオン=クラーチ!」
高々とコールされる、若き剣士の姿を横目で見やりながら、シークはいつぞやと同じ冷や汗をにじませていた。
二回戦では、またしてもレオンが一撃のもと、対戦相手を吹っ飛ばしていた。派手な試合の結末に興奮して総立ちの観客とは対照的に、ぐっと押し黙るシーク。
あれは恐ろしく地味に磨き上げられた剣。愚直に毎日打ち込んだ者だけが習得できるものだろう。まるで、自分の所作一つひとつを極限まで磨き上げられている。かつて王都で立ち会った時に比べ、一段と腕を上げていると見て間違いない。
「くっ……」
この寒気で全身の肌が泡立つ感触。あのとき以来の感覚である。
そうか……。
自分が求めていたのは、この感覚だったのか。
損得なら、こんなリスクしかない「仕事」に自分から首を突っ込んでいるなんて馬鹿げている。最強の座で寛ぐのが最良のだということくらいは、理解している。
しかし、意識の及ばぬところで、俺はこの感覚を求めていたようだ。幼き日より剣一本で生きてきたが故の本能のなせる業かも知れない。
そして、仕事としてではなく、今回の試合を心から楽しんでいる自分がいる。
どうやら、相変わらずなのは、レオンの太刀筋ではなく自分自身のようだ。
全く
「ふぅ~……」
少し乱れた呼吸を整え、シークは大会終了後に予定されている特別試合までの間、しばし瞑想することにしたのだった。
◆
「お疲れ様です。お見事でした」
「さすがレオン様っす~! なんか今回の相手はとんだ見掛け倒しだったっすね」
「いや、なかなか手ごわかったぞ。お前たちホントに俺の試合ちゃんと見てたのか」
「あ、当たり前じゃないっすか~」
二回戦の相手は、大柄な狼人族の剣士。一回戦に続き初めてみる顔だった。カールによれば白狼族の次期頭領で、狼人族の中では敵う者無しと言われる猛者だとか。
逞しい筋肉をみなぎらせ、諸刃剣を大上段に構えた姿からは、この試合に一切の容赦は無いというような気迫を感じた。恐らくこの試合でどちらかが命を落とすことがあろうが、腹をくくっている様だ。
そして、この剣士のように、戦いにおいては「腹をくくる」という気持ちの持ちようが、軽く技量を凌駕する。
祖父からは「捨て身でくる相手はゆめゆめ侮るな。それがたとえ、自分より数段劣る相手だとしてもだ」なんてよく言われてきたものだ。
そして俺は、いつものごとく相手との距離を詰めると、愛用の木刀を振り下ろした。相手も俺の剣に合わせて気合ごと剣を振り下ろしてきたのだが、ガードごとぶっ飛ばした。これだけ見ると楽な試合にも見えるだろうが、モルトの言うように見掛け倒しなんてとんでもない。それが証拠に俺の両手は肩まで痺れているのである。流石に腹をくくった相手のことだけはある。
「おい、見たかあいつ」
「ああ。俺には終始目をつぶっているように見えたんだが」
「いや、いくら何でもまさかな」
客席の一部からのそんな声を聞きながら、俺は一礼して引き揚げてきたのだった。




