第4章 遠征編 第13話 レグサス
『温泉まつり』に向かう皆を、俺はカールと二人で見送った。木造建築の多いハウスホールドは、柔らかに森の香りがするのだが「温泉」と聞いてブラックベリーの噴水の匂いを思い出してしまった。
「お兄様~!」
「ニーナのこと忘れないでくださいまし~」
「二人とも、心置きなく楽しんできてくれよ!」
「勿論っす~♪」
「……」
何で割り込むかな、このもふもふ尻尾は。全く、厚かましい奴だ。
「レオン様、ユバーラは、我がアウル領にとって大陸南部の交易の要となることでしょう。かの地の市場調査は、このドランブイにお任せを」
「皆のことに加えて調査まですまんな。頼んだぞドランブイ」
「はい。必ずや」
「ちょっとレオン様! 自分のことも忘れないで欲しいっす~!」
「……」
「な、何で無視なんすか~! 自分、筆頭執事っすよ~!」
「……」
すっと顔をそむける俺を見て、尻尾を逆立てるもふもふ執事。いや、お前自業自得だからね! もふもふ尻尾を、ぶんぶんふりふりアピールしているが、少し反省していただきたいものだ。
「と、とにかく、それではレオン様、行ってくるっす~♪」
「ドランブイ、セリスとニーナをよろしく頼む」
「はい」
「ひどいっす~」
「……では、レオン様参りましょうか」
「ああ。よろしく頼む」
そして俺はカールに案内され、試合に向けて特別に用意してもらった稽古場に向かったのだった。
◆
“ビッ、ビッ、ビッ……”
ここ、ハウスホールドの王宮の地下に設けられた闘技場では、ひとりの剣士が無心に剣を振っていた。辺りには、鋭い音が響いている。
「……はっ、……はっ、……はっ、……」
静まり返った空間には、剣が空気を切り裂く音にまじって、男の息遣いしか聞こえない。そして……。
“ガシャン……”
「くっ……」
もう、何回目だろうか。極限まで素振りを繰り返した挙句、剣士は思わず両手剣を落としてしまった。両掌は血が滲み、刺すような痛みにわずかに顔がゆがむ。もう肉体的には限界なのだろう。全身が悲鳴を上げているのだけは確かだ。
「失礼します、レグサス様」
「……誰だ」
「ご無沙汰しております。ジル=オンスです」
「で、それで俺に何の用だ」
「ククク……。分かっておられることでしょうが、老婆心ながら……」
ジル=オンスと名乗ったその胡散臭げな小男は、レグサスに音もなく近寄ると、そっと耳打ちしてきた。
「今度の大会のことなのですが……」
「……」
「レグサス様は、順当に行けば、どこかでレオン辺境伯と対戦なさるはず。そしてレオン様との試合は、侯爵様をはじめ公爵殿下、さらには国王陛下までもご関心がおありとのことです。くれぐれもご油断なさりませぬように」
「また、お前が裏で動いたか」
「これは、レグサス様も人聞きが悪いことを。実は、侯爵様からも言伝を預かっております」
「で、父上は何と」
「お見事、レオン辺境伯を打ち倒したあかつきには、これまでのことを水に流すばかりか、お帰りなら即座に御当主をレグサス様にお譲りすると」
「侯爵家など、今の俺には何の関心も無い」
「この件は公爵様からのお願いだとか。国王陛下もご承知のことですから、よもや身勝手なことは許されますまい」
「公爵様か……」
「ククク……。確かにお伝えいたしましたよ。では、失礼いたします」
「ふん」
レグサスは、静かに剣を拾い上げると、今度は痛みに顔をゆがめることなく、静かな顔で剣を振り続けたのだった。
◆
あの日……。
あいつに初めて会ったのは、忘れもしない王都のコロシアムだった。
そこで俺はレオン=クラーチとかいう伯爵家の跡継ぎ相手に醜態をさらした。しかも満員の大観衆の面前で。
レオンは、こんな大きな大会にもかかわらず、ろくな装備も持たず、手にはそこらの棒きれのようなものを持っているのみ。オークションで競り落としたばかりの最高級の鎧をまとった俺のことをバカにしているかのようだった。
そして試合が始まると、レオンはゆっくりと俺に近づいて来た。こいつも一応、貴族としてせめて礼だけでも尽くそうと思っているのか。仕方ない。何分貧乏そうな伯爵ではあるが、握手でもしてやるか。そんなふうに思っていたのだが……。
「きえええい!」
レオンの気合と共に、俺は訳も分からないまま、場外まで吹っ飛ばされていた。
そしてそのまま担架で医務室まで運ばれていった……。
国王陛下御臨席の上、並み居る貴族家たちが揃った舞台で何たる屈辱! そして奴は大会で優勝し、当時王国師範で大陸一との呼び声が高いシーク=モンドと互角の名勝負をしたのだとか。この日を境にレオンは王国で二番目に強いなどと言われるようになったようだ。
侯爵家の嫡男として生まれ、今の今まで自分の思うがままに生きてきた。望んで叶わぬことなどなかったこの俺が、まさかこんな醜態をさらされるなど!
「くっ、くそ!」
しかも、あいつとの因縁はそれだけではない。
公爵家の姫君、王国一とも言われる美貌のイザベル様のパーティーでは、レオンは俺を一瞥した後、完全に無視しやがった。しかもレオンは誰ともしゃべらず、周囲を見下しているかのような態度。そしてあいつが言葉を交わし、踊ったのはイザベル様のみ。自分には、まるで他の者など眼中にない様子に見えた。しかも……!
最後のダンスでイザベル様のパートナーを務めたにもかかわらず、そのまま帰ったのだと!
自分はずっと、イザベル様をお慕いしていたのに。他にもイザベル様に憧れる貴族は多数いるのに。
そんなイザベル様を、イザベル様を……、あいつは、まるで紙くずを捨てるみたいに振りやがった!
レオン=クラーチという男は、どれだけ思いあがった高慢な奴なんだろう。まるで自分以外の全てを見下しているかのような奴。
「許せん……。俺は一生お前を許せんぞ!」
その後、程なくして、俺が無理して大枚をはたいて手に入れたあの鎧はあいつの祖父のものだと知った。
重ね重ねの屈辱にまみれた俺は、鎧を売り払うと侯爵家を出奔し、旅をしながら一心にただ剣を振った。そして流れ着いたバーのカウンターで、あいつが辺境伯になったことを知ったのだった。
あいつは、クラーチ家は……。一体王国にどれほどの貢献をしたというのだろうか。あの若さでの辺境伯への抜擢は前代未聞のことだというのに。しかも、イザベル様が今だにあいつにご執心だという噂まで聞いた。
その日。自分は不覚にもバーのカウンターで酔いつぶれてしまったのだった。
◆
そんな俺に今回の大会の情報とハウスホールドとの橋渡しをしてくれたのがジルだった。なぜこいつが俺のことを詳しく知っているのか知らないが、おかげでこうして試合会場を練習場として、自由に使わせてもらっている。しかもジルは、俺にこの剣まで与えてくれた。
「これは、古来より王国に伝わる宝剣です。魔力を流せば全てのものを一刀両断にすると言われております」
「魔道具か」
「いかにも」
「そのような物を、なぜ俺に?」
「それは、私がレグサス様のお覚悟に胸を打たれたからでございます。無理を言って王国から少しの間、お借りしてきたのです」
その剣は、細身ながら、美しい波紋があしらわれた片刃剣。何でも異世界からもたらされた物だと伝えられているそうだ。
「この剣は、ドラゴンの固いうろこも両断すると言われています。さすがの辺境伯もひとたまりもありますまい」
「俺は、復讐はしたいのだが、人殺しはごめんだ」
「何をおっしゃいますか。そのような気弱なお考えでは、勝てる試合も勝てませぬ」
「素人風情が何を言う!」
「これは、失礼いたしました。しかし……。少なくともこの大陸では、公式の試合が行われた場合、結果がどうなろうと合法は合法。辺境伯がどうなろうと問題はありますまい」
「……」
「どうぞ、この剣で研鑽を積まれ、試合でもお使いください。さすれば勝利はレグサス様のものとなるでしょう」
「……分かった」
「御武運を」
◆
「ああ。そうそう。ひとつ言い忘れていました。この会場の使用期限は今日までですので、早々にお立ち退きください」
「……」
ジルは、レグサスにそう告げると、音もなく会場を後にしたのだった。




