第1章 王都追放編 第7話 公爵令嬢の片思い
「レオン様……」
公爵令嬢イザベル=クロウは、小さくため息をついていた。
豪華な調度品にあふれた自室の窓から美しく整えられた庭に目をやり、今日もいつもの言葉を小さくつぶやくのだった。
「レオン様……」
王国一との呼び声が高い、自他ともに認める美貌。何でもそんなイザベルを一目見た外国の王子は、一瞬にして彼女のとりこになってしまったとか。
公爵家の血筋と両親の権勢。周りの取り巻きは、自分のことをいつ、いかなるときでもほめそやす。産まれてからずっと、イザベルはそんな環境で、自分を何も疑うことなく育ってきた。
イザベルが、ほんの少しでも不快に思い眉を顰めたら……。その先にあるものは、きっと容赦なく処理されているのだろう。
そんな些細なことなど、よくは知らない彼女。
イザベルは、自分を中心に世界がまわっていることを何の疑いもなく受け入れてきた。それがごく自然で当たり前のこと。
そう。あの方に出会うまでは。
◆
私は最近、この世の全てが上の空。想いと時間を持て余している私は、今日も部屋でひとり、金色の毛先を指でもて遊んでいる。
「レオン様……」
さっきから、何度もつぶやいている独り言である。
後ろに控えた二人のメイドが、互いに目を見合わせて小さな笑顔を作ったことさえも気付いていない。
「次のドレスの用意が整いました」
イザベルは、メイドたちに声をかけられ、はっと正気に戻った。
そういえば、今は衣装合わせの真っ最中。今度のパーティーに着るドレスやアクセサリーを選んでいるのだが、なかなか決まらないのだ。
ドレスの候補は何点か絞れたものの、今度は、それらに合わせるアクセサリーに迷ってしまう。
「レオン様……」
あの日、コロシアムまで御前試合を見に行ってからというもの、イザベルは毎日うわごとを言うまでにひとりの男性に夢中になってしまったのだ。
お見合い候補が多数出場するからと、半ば強引に連れてこられたあの大会で、イザベルはただただ一方的にひとりの男に運命を感じてしまっていたのだった。
◆
その日、王都のコロシアムは異様な熱気に包まれていた。
プロの戦士たちによるいつもの興行とは違い、その日はアマチュアの武術大会にもかかわらず立ち見まで出るほどの満員の大観衆。
何故なら、いくらアマとはいえ年に1度開催されるこの大会は、出場者の顔ぶれと目的がいつもの興行とは大きくかけ離れたものだったからだ。
出場資格は、騎士爵以上の爵位を持った貴族の子弟のみ。しかも独身男子限定。
下級貴族の次男三男を持て余している家などは、ここで活躍してあわよくば結婚や就職にこぎつけようと、一族を挙げて応援に来ている。
この大会は、今年がレゴリウス歴92年なのにちなんで『格闘技オリンピア92』などと銘打たれてはいるものの、要するに貴族の子弟たちの腕試し以上に婚活や就活まで絡み合った一大採用イベントなのだ。
特に今回は、王子もご出場ということで話題性も抜群。しかも息子の晴れ姿を観たいという国王と王妃の要望で、急きょ御前試合となった。当然、王子が優勝候補である。
しかも、優勝者には大陸最強との呼び声も高い王国師範と試合が出来るという名誉まで添えられていた。
◆
立ち見まで出るほどの満員に膨れ上がった観客席を尻目に、イザベルは両親と共に特別にしつらえてもらった観覧席に優雅に座っていた。
コロシアムは、庶民の娯楽のためのものだから、多くの民衆が観戦に詰めかけているのは仕方ないが、正直、平民や亜人たちと別の席で良かった。
あの人たちは、あんな狭い席にぎゅうぎゅう詰めで嫌じゃないのだろうか。所詮、あの子たちの感覚は理解不能だけれど。
特に今日は、うっとうしいことに貴族の殿方目当ての若い女性の比率が高い。キャーキャーうるさいったら、ありゃしない。
まあ、あなたたちがいくら騒ごうが、お目当ての貴族の男性と結婚できることなんて在り得ませんけれど。
そんな当たり前の現実すら、ご存じ無いのだろうか。
こんなことすら、あなたたちのおつむでは、考えることさえ至らないでしょうけれども。
それはともかく、この大会に出場する殿方たちに、黄色い声援を送る女どもは、まるで獣みたい。
“クスッ”そういえば、本当に獣みたいな耳や尻尾を持った人たちも、今日は大勢詰めかけているわね。
正直、目障りだから亜人なんて王都には立ち入り禁止にして欲しいのだが、王国の融和政策とやらのせいで増える一方。少々不愉快だが仕方ない。
◆
コロシアムの試合場では大会に参加する選手たちが出てきて、思い思いに体をほぐしたり、観客席に向かって手を振ったりしている。もうすぐ開会式なのだそうだ。
そんな中、何故か私は、人間の女の子たちからほとんど応援されていない一人の剣士が気になった。
黒目黒髪のこの人は、何事もないように自然に振る舞っている。自分やひいては一族の将来を左右しかねない大一番を前にしているにもかかわらず……。
他の出場者が緊張感を漂わせているのとは対照的に、この場において、不自然なまでに自然体なのだ。
ただ、人間の女の子たちからは見向きもされていないが、エルフや獣人の女の子たちからは、かなりの人気を集めている。
まあ、亜人である彼女たちは、男性の瞳や髪の色の濃さに惹かれるらしいから、あんな見るからに下級貴族の男の人でもいいのでしょうね。
“クスッ”お似合いだわ。
イザベルは、お気に入りの扇子で口元を隠して小さく笑ったのだった。