第3章 内政編 第21話 塩
「よし、決めた!」
俺は、そう宣言すると、笑顔のセリスと不服そうなモルトを振り返った。俺はこの地を拠点にブラックベリー、そしてアウル領の復興に向けて一歩を踏み出すつもりである。
正直、アウル領の開発に関しては、灌漑設備を拡充して農地を広げるのが定石かも知れない。しかし、俺が危惧しているのは、無理に農地を広げた結果、後に手痛いしっぺ返しを食らうかもしれないという不安である。
俺はかつて、祖父の蔵書の中でこんな事例を目にしたことがあるのだ。何でも、砂漠地帯に流れ込む河の流れを変えて、農業用地を造ろうとしたところ、水源であった豊かで大きな湖が干上がってしまったという話である。
これは、祖父のいた異世界のどこかの国で起こった出来事らしいが、このような悲惨なリスクは取りたくない。無理に農業用地を広げるより、この地に合った産業を興すつもりだ。
王国の領内では、塩と砂糖そして一部の香辛料は専売制度が敷かれている。王国の国民がこれ等の品を手に入れるには、王国と結びついた御用商人から卸された品を買うしかない決まりだ。
ここにも、かつては月に一度、王国からキャラバンが派遣されていたという。
しかし俺は、すでに王国から専売制度からの除外を認めてもらっている。なら、この塩湖から塩を作ることが出来れば我が国の特産になるのではないか。そう思って調査を続けてきたのだった。何しろウチは、王国の目を気にすることなく、自由に生産活動が出来るのだから。
―――
「ここに、大規模な塩田を造るぞ!」
「お兄様、さすがです!」
「マジっすか~! 塩はともかく、これ以上こき使われるのは勘弁っす~!」
カルア海産の塩づくりに向けて、俺は力強く宣言。約一名ブーイングを飛ばす輩もいるが、セリスが拍手して喜んでくれているので良しとしよう。
将来は、山エルフたちを呼んで、この地を開発してもらうつもりである。ブラックベリーからも歩いて数時間なのだから、開発もスムーズに進むだろう。
◆
その後は、俺たちは毎日三人でこの地に泊まり込んでの連日の作業。山エルフの職人やコックも交代で通ってもらうことにした。
日中は気温が急に上がるため、早朝、まだ暗いうちから仕事に取り掛かる。毎日塩水をくみ上げては、乾燥させて塩を造る工程を繰り返していた。もっとも主に力仕事を頑張ってくれているのはセリスなのだが。
「レオン様、もう無理っす」
「お兄様、もっと運んできましょうか♪」
情けなくも、尻尾をだらりと垂らして棄権しようとするモルトを尻目に、我が妹は、どこまでもパワフルである。
「ありがとうセリス。でも今は、試作の段階だからこのくらいでいいよ。それより、次はもう少し奥の方の水を汲んできてくれないか」
「はい。お兄様♡」
俺の指示の元、大量の水を湖からくみ上げて運んでくれるセリス。我が妹ながら本当に心強い。普通の人族の成人男性が、数人がかりでようやく運べそうな大樽も片手で軽々。
ちなみに、毎日作業序盤で音を上げているモルトは、仕方が無いので味見係になってもらった。
モルトは、狐人族として人間の数十倍の嗅覚と、残念なことに俺の数分の一の味覚を持ち合わせているのだからうってつけだろう。試作品が出来次第、モルトに味見をしてもらっている。
「よ~し、今度こそ、成功したんじゃないかな」
「本当っすか~?」
「とにかく、舐めてみてくれ」
「……」
「え?」
「うへっ! 何か苦いっす」
「じゃあ、これは?」
「……ぺっぺっ! 砂が入っているっす!」
「……」
そんなこんなで、あっという間に半月が経過。そしてついに……。
「レオン様、これなんかどおっすか?」
「……」
「どおっすか? かなりいけてるっしょ!」
モルトの前には、これまでの試作品の塩がずらり。その中でもさっき出来上がったばかりのものを、強く推しているようだ。嬉しそうにもふもふ尻尾を振りながらすすめてくるので、俺も口にしたのだが、何だかイマイチの様な気がする。
「セリスはどう思う?」
「正直、王国産の岩塩の方がましかと思います」
「ええっ~。マジっすか……。レオン様~。もう諦めましょうよ~」
「お前、ここまでやりながら、それはないだろう」
「ブラックベリーの街が心配っす!」
「あっちは、ドランブイやカールトンに任せておけば大丈夫だ」
「そうですよモルト。何しろお兄様は、剣術の稽古を返上してまで塩づくりに取り組まれておられるのですよ!」
セリスの言う通り、俺は最近剣術の修行そっちのけで塩づくりに没頭中。気温が上がれば外での作業を中断して、文献を読んだり、試作品を検討したりして過ごしている。
◆
ちなみに俺たちが行っている塩づくりは、次のようなステップを踏んでいる。以下の手順は、全て祖父の書斎に在った塩づくりの資料を参考にして、塩の試作品を作っていった。
一、水を汲む
きれいな湖面で水を汲んだら、布でこしながら鍋に注ぎ込みます。セリスお願い~。
二、濃縮する
鍋に海水を入れて、普通は五分の一くらいになるまで煮詰めます。ここでは、二~三日放置するだけで、塩が結晶の形で現れます。おお~。ちなみに、キールの所から仕入れた沢山の薄手の鍋を使用しております。
三、ろ過する
濃縮した海水が白くにごってきます。布でろ過します。
四、にがりを分離する
布でろ過して塩を取り出します。布に残った真っ白いものが塩で、ろ過した溶液が異世界にあるという『豆腐』という食べ物を固めるときに使う「にがり」なんだとか。
五、乾燥する
塩を薄く広げて更にもう一日放置すると、余計な水分をとばされて、美味しい塩のできあがり〜♪
◆
「ふう……ようやくできたんじゃないか?」
「お兄様、綺麗な塩ですね」
「きらきらしてるっす!」
作業と試食に明け暮れること一か月。試行錯誤を繰り返し、俺たちはようやく納得できるものを作ることが出来た。急いでブラックベリーから駆けつけてくれたドランブイも、白く輝く塩に目を輝かせて喜んでくれた。
「大陸で流通している岩塩より、うま味がありますな。しかもこの純度。これを大量生産出来れば、我が領の特産品になりますぞ!」
その後、水車で水をくみ上げる大規模な施設を山エルフたちに作ってもらい、カルア海の塩『ドラゴンソルト』の大量生産が始まったのだった。




