第3章 内政編 第19話 メイド
「何だか懐かしいっす」
「ああ。ほっとするな」
俺の方を振り返り、モルトは何だか嬉しそう。もふもふ尻尾を満足げに揺らしている。
「いかにも。随分久しぶりに感じますな」
ドランブイが言うように、俺もそこはかとない郷愁を感じていたところだ。
特に、領主館のそばから湧き出る温泉の煙を見ると、何だか故郷に帰って来たかのような気がする。それにこの独特の臭いにもすっかり慣れてしまった。むしろ懐かしい、いい匂いのように思えてきた。
「セリス、いい加減に機嫌を直したらどうだ」
「知りません」
プイっと横を向く、ご機嫌斜めなセリスに腕を掴まれながら、俺は久々に領主館(我が家)に向かっていったのだった。
◆
「レオン殿、もっとゆっくりしてくれてもいいんじゃぞ」
二日前―――。
インペアル領の領主館では、用件を済ませ、帰ろうとする俺を引き留めようとするキール。いつの間にか、山エルフ王家の正装に着替えてくれている。なぜだ!
「実はこんなこともあろうかとの。とっておきの酒を開けずにとっておいたのじゃ」
「え……。ごくり……」
「お兄様!」
「あ、ありがとうございます。ですが、領内のこともありますので」
「まあ、今回の礼もあることじゃし、せめて湯あみだけでもなされてはいかがじゃ……」
「い、いや、キール様……」
「兄もそう言っておりますので、これにて失礼いたしますっ!」
「れ、レオン殿~!」
名残惜しそうなキールには少し悪いような気もするが、微妙な笑顔で挨拶する妹に引きずられるようにして、俺は館を後にしたのだった。
せ、セリス……。あくまで表面上は笑顔をつくりつつ、腕を組みながら俺をつねりあげるのは許して欲しい。それから、いくら何でも大恩人のキールに対して失礼なように思うのだが。
「痛っ。いくら何でも、愛想が無さすぎなんじゃないか……。痛っ!」
「お兄様! そんなことですから、女の人からつけ込まれるのです」
「レオン様~。男のチラ見は、女のガン見っすよ。いつも言ってるじゃないっすか」
はい。わかりました。……わ、わかりましたから、つねるこの手を放してください。
それからモルトよ。偉そうにため息なんかついていないで、セリスを何とかして欲しく思うぞ。お前の主人として!
そんなこんなでキールの元を後にした俺たちは、久しぶりにブラックベリーの街に帰って来たのだった。
◆
我が領主館の前には、俺を今か今かと待ち構えてくれた獣人の女の子の姿。
「レオン様。心配してたんですの~!」
そう言って俺の胸に飛び込んで目を潤ませるニーナ。今日は彼女のお気に入りのメイド服姿である。俺には相変わらず、少しのトラウマがあるのだが……。
「お料理の準備もできております。湯あみされた後、召し上がってくださいまし」
「ありがとうニーナ」
「今日は、ニーナがレオン様のお背中を流したく思いますの」
「結構です!」
セリスは俺の腕を掴んで、強引にニーナから引き離すや、何故か俺をひと睨み。
「これからお兄様は、ず~っと、お一人で入浴していただきます」
え……。ま、まさか……。
俺の視線に気付いて、慌てて目を逸らすモルト。
「まさかお前!」
何で横を向いて、吹けない口笛なんか吹こうとしているんだ!
「そ、そんなことより、レオン様、前を見て欲しいっす!」
「……え?」
「レオン様! お疲れ様でした」
何と領主館の玄関前には、館のクラーチ家のメイドや使用人たちが整列し、全員で俺たちを迎えてくれた。いやいや、カールトン! そこまでしてくれなくてもいいって!
俺たちの不在の間は、街やクラーチ家に関することは、カールトンに一任していたのだから、どうこう言う筋合いでもないのだが。しかも数がずいぶん増えている様だ。
祖父のいた異世界では、お客に対してこんなことをする温泉宿もあるらしいが、忙しい皆のことを思うと、申し訳ない気持ちで一杯の俺。
しかし、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、俺の真横でドヤ顔のこ奴! 得意気に、もふもふ尻尾をゆらしてやがる。
「カールトン、ご苦労様っす!」
何でお前はそんなに偉そうなんだ! しかも、何だか、上手く誤魔化されたような感じがするぞ!
「出迎えありがとう。でも、今は忙しいんだろうから、総お出迎えなんていいよ。持ち場で仕事してもらってもいいからな」
「いや、でもしかし……」
「レオン様、カールトンの言う通りっすよ。新入りに加えて今後イザベル様もお迎えすることですし、辺境伯様らしい威厳も欲しい所っす」
「まあ、そうは言ってもな……」
このとき、少し照れて頭をかく俺の視線の先に、メイドたちに交じってマリーが跪いていることなど知る由もなかったのである。
◆
遡ること、数か月前。
王都にある公爵邸には、荷支度をするマリーの姿。
「マリー、マリーはどこなの!」
「はい、お嬢様、すぐに参ります」
「……で、準備は整っているのよね」
「はい。抜かりなく」
今回、マリーが立てた、イザベルの遊学計画はこうだ。
本来なら、娘を溺愛している公爵が、イザベルのことを王都から手放すはずはないのだが、そこは、遠く離れた南部の母親の実家に挨拶に行くという事で了承を得た。
旅程は、王都からインスぺリアル領を通って、アウル領へ。そこからは、インスぺリアルの客船を仕立ててもらい、アウル海からさらに南へ大河を下っていく。あくまで、王国領と友好国の領地を通り、あとは、山エルフが誇る最新の大型船を貸しきっての船旅。
いくら国外へ行くからと言って、国内旅行とさして変わらないくらい安全な旅となるだろう。
そして、アウル領内でトラブルがあったとしてしばらく居座り、里帰りの後も帰路でトラブルがあったことにして、またもやアウル領に居座るという作戦。
実質、里帰りというより、大陸南部地方の遊学である。しかも、イザベルの安全を考え身分は公には明かさない。クラーチ家滞在中は、あくまでメイド長として居座る計画である。
公爵様には二か月間というお許しを貰ったが、「思わぬトラブル」で、三か月は王都を離れたい。出来るだけ母の実家での滞在を減らしつつ、レオンの近くに居座りたいイザベル。
「私の持ち物が馬車に載りきらないそうです。すぐにもう一台仕立てて欲しいの」
「は、はい……」
「それから、ブラックベリーにあるという、私のお部屋はどうなっているのかしら。贅沢を言う気はないのですけれど……」
「……」
「マリー! 」
「はいっ! すぐに現地へ行って、お部屋を整えて参ります」
こうして、マリーはクラーチ家へメイドとしてやってきたのだった。




