第3章 内政編 第16話 ヒイ
モルトの悲鳴を聞いた俺たちは、一斉に走り出した。どうやら甲板からだと思われる。慌てて船に駆け上がる俺たち。
ど、どうか、間に合ってくれー!
「モルト~、大丈夫か!」
「れ、レオン様~!」
涙目のモルトの目の前にいるのは、大型のドラゴン。あまりの恐怖に、わなわなと体を震わせるモルトを見据え、そいつは長い首を揺らしながら、ゆっくりと俺たちのいるガレオン船に向かって近づいてきた。
「ひいいっ~っ!」
「大丈夫だ、モルト。ライリュウはこちらから攻撃しない限り、何もしないよ」
ふう~う。どうやら、間に合ったようだ。というより、最初から危険なことなんて無かったような気がする。
事前に大森林に生息するドラゴンたちの生態を調べ尽くしていた俺からすれば、いくら巨大なドラゴンと言えども、この種はそれほど危険では無いことは知っている。このことは、祖父の文献で何度も読みこんできた。何でも大森林に生息するドラゴン中でも、もっとも大人しく人になつく種族らしい。ドランブイもそのことを知っているのか、落ち着いた様子。
セリスは最初こそレイピアを抜き放って身構えていたが、すぐに鞘に納めている。どうやら、ライリュウに敵意が無いのがわかったらしい。
信じられないことだが、これだけの巨体にもかかわらず、首に斑点のような模様があるので、まだ子供だということがわかる。ちなみにこの斑点は、成体になるときれいに消えるらしい。ライリュウが持つ、有名な特徴なんだとか。
おそらく、このライリュウは遊びに来ただけだろう。その大きな瞳からは、敵意も警戒も感じられず、純粋な好奇心に輝いているように見える。
ライリュウは、甲板にいる俺たちに向かって、物珍し気に顔をゆっくりと近づけてきた。
「きゅるる~い」
巨体に見合わぬ少し高めな鳴き声。そして鼻息なのだろうか。風圧も凄い。これでいていたずらっ子なのかも。体長は20メートルはあるだろうか。
祖父の文献によれば、ライリュウは成体になると30メートルを超すものもいるという。目の前の巨大なドラゴンが、まだ子供で、しかもまだ成長期の最中にいるとは、全くもって恐れ入る。
「レオン様、怖すぎるっす~」
最初は俺の方に近づいてきたのだが、ライリュウは、俺の後ろで尻餅をついたままのモルトに興味を持ったのか、そちらの方へ……。
「ひいいいっ~!」
「よかったなモルト。こいつはお前のことを気に入ったみたいだぞ」
「よくないっす~。生暖かい鼻息がお尻にかかって、怖すぎるっす~!」
「そんなに怖がらなくても、大丈夫だって。……って、あれ?」
モルトはさっきから、頭を抱えて甲板にうずくまっているのだが、よく見ると、ライリュウはモルト本人より、ゆっくり揺れているもふもふ尻尾に興味がある様子。
ゆっくり顔を尻尾に近づけて、もふもふ成分を自分の顔一面にこすりつけるライリュウ。
「ひいいいっ~!」
何とライリュウも、もふるのか! そうなのか! もふもふ~♪ って、マジなの~! 俺たちは今、ライリュウの新たな生態を発見したのかも!
「大丈夫! こいつはお前と仲良くしたいだけみたいだぞ」
「本当っすか~」
最初は怖がっていたモルトだったが、そのうち襲われないことを理解したのか、今では立ち上がって、おそるおそる、おっかなびっくりというような風に、ライリュウの頭を撫でている。
「モルト、お前にそんなになついているんだから、名前でも付けてやったらどうだ」
「何言ってるんすか。これでも恐いのを我慢してるんすよ。しかも自分の尻尾はべとべとっす~!」
そうは言いながらもまんざらでもないような顔をしているモルト。そんなモルトをちらりと見遣って笑顔のセリス。どうやらいい考えがあるようだ。
「お兄様、モルトは「ひいひい」と言ってましたので“ヒイ”がいいかと思います」
「なるほど、それはいい名前ですな」
ドランブイも笑顔である。この案には俺も大賛成。祖父の書斎には、そんな物語もあったしな。俺も子どもの頃、よく読んだもんだ。
「何適当なこと言ってんすか。最初は死ぬかと思ったんすよ~!」
「良かったな、ヒイ」
「きゅるる~ん」
モルトが何を言おうが、このライリュウの子どもの名前が決定したのだった。
「ひいいぃ~!」
ヒイは嬉しそうモルトの尻尾にもう一度、顔をこすりつけると、ゆっくりと船から遠ざかっていったのだった。
「お、おい、あれ……」
俺の指さす先に居たのは、体長40メートルを超すかと思われる巨大なライリュウの姿。首元を確認すると、流石に成体のよう。
「きゅるる~ん」
ヒイは、その巨大ライリュウを見つけるや、嬉しそうに鼻を鳴らして近づいていった。
「きゅるる~ん」
「きゅるる~い」
二匹のライリュウは、しばらくお互いに首を絡ませながら鳴きあった後、連れ添う様に大森林の奥地に消えていったのだった。
◆
「ラプトルの仕掛けは、明日もう一度見にこよう。今晩は、船に泊まるぞ」
ラプトルは別に夜行性という訳でないが、獲物が油断したときを狙って襲う習性があるらしく、夜間の方が比較的動きが活発になるそうだ。睡眠は昼夜関係なく、食後にとるとされている。
俺たちが仕掛けた罠に、無事かかってくれるだろうか。
「おそらく、大丈夫でしょうな」
ドランブイが言うには、ラプトルは、船の中にいる俺たちに必ず気付くという。
「夜陰に紛れて、多くのラプトルが近づいてくるはずです。明日は大漁かも知れませんぞ」
俺たちは、ラプトルをおびき寄せる餌か? ドランブイの話を聞いて俺の上着の裾をつかむモルト。もふもふ尻尾が、垂れ下がっている。何やら涙目だし。
「レオン様~」
「船の中に居りゃ大丈夫だって!」
「恐いものは、恐いっす~!」
この後、俺は散々ドランブイと一緒に寝るように伝えたのだが、モルトは「どうみてもこの船の中で一番強いレオン様の所が一番安全っす~!」と、俺の側を離れようとはしなかった。
「ど、ドラゴンに襲われるくらいなら、レオン様の方がマシっす!」
「お兄様!」
こら! 紛らわしい発言は控えるように! セリスも変な想像すんじゃねえ!
◆
「あのなあ、モルト……」
俺はいいかげんうんざりしつつ、俺の寝巻の裾を離さないモルトに話しかける。
「いくら恐いからっていって、いいかげんにしろ。子供じゃあるまいし」
「……」
結局、モルトは、俺のベッドにもぐりこんで、離れようとしないため、朝まで一緒に寝ることになってしまった。全く! ビビるのにも程があるぞ!
「あのなあ。何で俺は人生初の添い寝を男としなきゃならんのだ」
「……」
「おい、聞いてるか、モルト。あ、あれ……」
「Z Z Z ……」
「全く……」
俺は、隣で体を丸めるようにして寝入ってしまったモルトに、毛布をもう一枚かけてやったのだった。




