第1章 王都追放編 第5話 転移者
「いいか、レオン。人から何と言われようが、自分が正しいと思ったことがあるなら、お前はその信念を曲げちゃいかんぞ」
そう言って、優しく頭をなでてくれた祖父。分厚い掌に、節くれだった指。なんだかんだ言って、不満もあったが、基本的に俺はこんな祖父のことが大好きだった。
祖父は『二ホン』と呼ばれる異世界で『民俗学』という学問の先生だったという。俺はいまいちよくわからないのだが、何でも『大学院』など呼ばれる異世界の最高学府で教鞭をとっていたんだと。
普段は無口で、どちらかというと人見知りだった祖父。何でも『転移者』といわれる、この大陸の歴史からみてもかなり珍しい部類に入る者なのだそうだ。
異世界からいきなりこの世界にやって来た人は、普通、元の世界に帰りたいと思うのだが、俺の祖父は違っていた。
何しろ、祖父が研究している民俗学とは、ある程度文化の進んだ国や民族について、一般の人々がつくりあげてきた文化の発展の模様を研究するものだそうだ。
祖父からすれば、異世界転移によって、元の世界に居ては得ることのできない多くの体験ができるとのこと。そんな祖父にとって、この世界はまさに天国だったらしい。俺からすれば、ほんとによくわからないことなのだが……。
何しろ、民俗学の学徒として、逆にこの世界に居付きたいとさえ願っていたというから驚きだ。詳しくは、正直よくわからないが、おそらく俺以上の変わり者だったのだろう。間違いない。
結果的に祖父の願いは成就したようで、死ぬまで民俗学の研究と趣味で極めていた剣術の稽古、そして俺への教育を思う存分しつくしての大往生だった。
今でもはっきり覚えていることなのだが、祖父は俺の前ではいつも意識的に異世界の言葉を使っていた。それに加えて屋敷で働く者にも異世界語が奨励されており、希望者には祖父がわざわざ時間を取って、手取り足取りそれはもう丁寧に教えていた。
そして、そんな片言でも異世界語が話せる者は、特に俺の前では、なるべく異世界語を使おうとしてくれていた。
このようにして、俺は異世界でいうところのバイリンガルとして、クラーチ家の中ですくすくと育てられたのである。
そして、そんな風に俺を育てた祖父は、こちらの世界で今までどのような振る舞いをしてきたのかというと……。
祖父は、かつて行われた大森林への遠征において目覚ましい武功を上げ、一介の騎士団長から伯爵まで取り上げられた凄まじいまでの武人である。何でもその活躍は、王国騎士団の中では伝説になっているのだとか。
しかし、伯爵などという上級貴族にもかかわらず、王国主催のパーティーや国際会議にさえ、気が向かないとなると平気で欠席することもあったという。
あくまで本人曰く、決して気まぐれなどではなく、のっぴきならない事態が起こったせいだったらしいのだが……。
後を継いだ俺からすれば、これだけなら許せる。問題ない。
しかしあきれたことに、祖父は、あちこちから借金までしていたのだ。
両親を早く亡くしていた俺は、祖父の死後、すぐにクラーチ家を継ぐこととなった。そのとき、モルトから我が家の財政状態を聞かされたときは、そりゃあ驚いたものだ。
家を継ぐこととは相続することである。そして相続とは資産だけでなく、負債も引き継ぐものなのである。
…………。
「おい、モルト!」
「何すか?」
「全く……これじゃあ、ウチは一文無し同然じゃないか!」
「そおっすよ。今更何言ってんすか」
「どうすんだ、これ」
「どうもこうもないっすよ。屋敷の調度品の内、歴史的に価値のあるものを除いて、売れるものは売り払いましょう。雇っている者には、正直に事情を話して、辞めてもらうしかないっすね」
俺は、モルトの助言に従い、高価そうな調度品を片っ端から売り払った。
そして使用人たちに泣く泣く暇を告げて借金を清算し、僅かばかりの現金を手に入れたのだった。
◆
王都を離れることが決まってからというもの、俺はモルトに連れられ、お世話になった人や出入り業者へのあいさつ回りにいそしんだ。中には俺とは直接面識のない人もいたが、祖父を懐かしがって涙を流してくれる人も多かった。
俺も、今まで自分が知らなかった祖父の一面を知れて、誇らしく思えたのは事実である。
正直、相続後一時はかなり恨みましたがね!
物心ついたときからずっとボッチだった俺だが、さすがは伯爵家だけのことはある。俺が辺境伯として王都を離れることは、それなりの話題として街の人たちに広く知られているようだ。
そして、アウル領へ向かう俺たちの馬車が王都の中心街から離れ、庶民が多く暮らすエリアに差しかかったとき……。
馬車は、沿道を埋め尽くすエルフや獣人、ドワーフやホビットの皆さんに囲まれた。慌てて馬車を停め外に出ると、中にはウチの屋敷で雇っていた者もいる。
「レオン様~!」
「お体にお気をつけください」
「落ち着かれたら、ご連絡ください」
「連れて行ってくだせえ」
「必ず、後から追いかけます」
「私のこと、忘れないでくださいね」
「ずっと、お慕いしておりました」
「好きです」
「いや、私の方が、もっと好きでした」
……。
「お兄様、あまりお浮かれになりませんように」
振り返ると、静かにレイピアの柄に手をかけるセリス。
俺は、慌てて女の子たちの輪から抜け出し、何とか馬車に戻ったのだった。