第3章 内政編 第8話 モルト
ここは、王都の公爵邸。
公爵家に仕えてはや十年。今や、公爵令嬢の御付きにまで出世したマリーは、今日もイザベルの部屋を訪れていた。
ようやく有力なクラーチ家の情報を手に入れることができた。今も公爵家の者を張り付かせており、何か動きがあればすぐに連絡が来るようにしている。我ながら盤石の体制だ。
「マリー様……」
「しーっ!」
おいでおいでと、手招きするメイドたちの元へ、足音を忍ばせて近寄るマリー。
部屋の前では、お付きのメイドたちがドアに耳を当てている。
やむなくマリーも、メイドたちにならって、耳を当ててみたのだが、そこから聞こえてきたのは……。
…………。
◆
「レオン様~……」
部屋の中では、レオンに恋い焦がれるイザベルが、今日も悶々と妄想を全開にして突っ走っていた。
「レオン様、ああっ、そ、そんな、いけませんわ……」
そして、本当に手を止めてしまったレオンを想像したイザベルは、慌てて言葉を添える。
「もう、本当に止めるだなんて。レオン様は、女心が分かっておられません!」
ぬいぐるみを前にして身をよじるイザベル。
「い、いいえ……。レオン様がどうしてもとおっしゃるなら、私は、私は……!」
イザベルは、最近になってようやく、完全に人払いをしてから目視確認し、十二分に安全を確認してからコトに及ぶようになった。
そんな安心からか、今日の妄想はますますエスカレートしているようだ。
「あ、あの……。レオン様、驚かないでくださいましね」
そう言うと、イザベルはクマのぬいぐるみの『レオン』の前で、改めて恥ずかしげに身をよじった。
「レオン様……。イザベルは、小さな命を授かりましたの……」
……。
「きゃ~!」
そう言って、クマのぬいぐるみ『レオン』君に抱きつき、大きなベッドの上を転がるイザベル。
「お、お嬢様……」
部屋の外では、耳をダンボにして聞き耳を立てながら、ドン引きしているマリー。お付きのメイドたちはいつものことなのだろうか、平然としている。
そんな彼女たちの存在に、全く気付いていないイザベルなのであった。
…………。
しばらくして、ようやく室内が落ち着いた様子。
メイドたちも目くばせして小さく頷いているので、そろそろ入ってもよさそうだ。
「お嬢様……」
ここでようやくマリーは部屋をノックしたのだった。
◆
「で、マリー。何か手掛かりは掴めて?」
すました表情のイザベルに対して、きまりが悪そうなマリー。
「はい、お嬢様。あれは間違いなく、クラーチ家の執事でした。何やら、元の使用人たちに接触している様子です」
「そうですか……」
「おそらく、レオン様は、アウル領での領地経営を本格的に始められているのだと思われます」
「では、一体、どうすれば……」
「執事をこちらに抱き込むのです」
「そんなことが出来るのかしら」
「レオン様のコロシアムでの試合から、パーティーの出席まで、全てあの執事が手掛けたものだとか……」
「分かりました。お金はいくら使っても構いませんわ。頼みましたよ、マリー」
◆
王都の外れ。通称獣人街と呼ばれるこの地域。
治安の悪さから騎士団もろくに入ってこない、いわば治外法権の地である。複雑に入り組んだ路地裏の一画にその店はあった。
カランカラン……。
「よう、兄弟」
「久しぶりっす」
「……」
「あれがモルトか……。何だ、随分小っちぇな……」
そんな声を聞き流しつつモルトはカウンターへ。
夏の残暑が残る街。さすがに外よりは涼しいとはいえ、店内にもまったりとした暑さがこもっていた。無言のバーテンダーにも、モルトは慣れた様子である。
「モヒート」
自分と同じ狐人が考案したという、ハーブの効いた冷たいカクテルを注文する。
季節がらよく出るからなのだろうか。すぐに出されたモヒートに口を付けてから、モルトが口を開いた。
「ところで、マスターの姿が見当たらないっすが……」
「奥で、『お仕事』中さ」
相変わらず無言のバーテンダーに代わって、背後から声をかけられた。
振り向くと、そこにはひとりの狐人の姿。ニッと笑顔を浮かべ、赤みかかったもふもふ尻尾をゆったりと揺らしている。
「バドっすか! 久しぶりっす! 元気そうで何よりっす」
「ああ、王都の景気が悪いからな。おかげで俺たちは忙しいのさ。マスターの様子を見てきてやるよ」
バドは、モルトの幼馴染。今やマスターの右腕なのだとか。バドの姿が奥に引っ込むと、入り口付近にいた痩せた犬族の男が、入れ替わるようにカウンターへゆらりと近づいてきた。
「あんたがモルトかい。こっちは散々な目に遭っているんだ。おまけに俺たちの後ろ盾だったクラーチ家が王都から追放。それもこれも、執事のあんたがしっかりしていなかったせいじゃないのかい」
男は、ぎょろりと睨む。どうやらモルトに自分が抱える個人的な不満をぶつけたいようだ。
「……確かに、自分の力不足っす」
「何?」
尻尾をしゅんと垂らし、素直に自分の非を認めたモルトに、男は驚いている様子。
「じゃあ、仕事を無くして、こんな所に来ている俺に、どう詫びてくれるんだよ」
「アウル領は、今、入植者を募集中っす!」
「入植者?」
「早い者勝ちで、家と農地を与えるっす。しかも、収穫までは、生活費をクラーチ家が面倒みる気っす」
「いくら何でも、そんなうまい話なんてあるかよ」
からかわれたと思った男は、モルトの胸倉をつかんだのだが……。
「あのね。いくらいきがっても、そんなやせぎすじゃ、話にならないっす」
「あん、何だと!」
「自分に手を出すと、王国で二番目に強いレオン様が黙っていないっすよ。覚悟はいいんすか」
「……」
「まあ、レオン様の前に、セリス様が黙っちゃいないと思うっすけど……」
「せ、セリスだと……」
モルトがその名前を口にすると、それまでがやがやしていた店内が、一瞬にして、水を打ったかのように静まり返った。
そして、次の瞬間、男は、逃げるように店を出て行ってしまったのだった……。




