第3章 内政編 第1話 廃墟
「レオン様、着いたようっすね」
「お兄様、お気を付けを」
「……」
モルトと、セリスの言葉に無言で頷く俺。船から見えるブラックベリーの港はこじんまりしてるが、それなりに整備されているようだ。もちろん、俺たちの他には船影は無い。
港から望むと、存外近くに街の城壁が見える。ここから見た感じでは、ひとけが全くないことを除けば、辺境によくある小さな街と変わらないようだ。
それにしても静かだ。風の音と動く雲以外は、何も動かない風景。何かここだけ時間が切り取られたかのようである。
「それにしても、寂しい所っすね~」
甲板から辺りをきょろきょろ見回すモルトとセリス。
セリスは、せっかくの私服から軍服に着替えてしまっている。レイピアも腰に差し臨戦態勢。一体、この無人の街で誰と戦う気なんだろう。
「お兄様だけは、ご油断なく。どこにエルフやケモ耳の女がいるとも限りません」
いや、いないって! お前はいつも、一体何の心配をしているんだ。緊張している俺は、思わず転びそうになったぞ。
「痛いっす~」
というか、モルトはすでに転んでいるし。大方、かっこよく船から飛び降りようとして、足でも引っかけたのだろう。俺は主人として何だか恥ずかしいぞ。静寂の世界の中で、やけに騒がしい二人である。
「さあ、レオン様、参りましょう。おそらく危険はないかと思います」
ドランブイがいてくれて誠に心強い。彼には、俺たちにはない重みを感じる。
複雑な表情を浮かべて手を振るネグローニたちを船に残し、俺たちは、気を取り直してブラックベリーの街に向かったのだった。
◆
ぐるりと張り巡らされた高い城壁。城門に刻まれた王家の紋章が、ここが王国領だということを物語っている。
開きっぱなしの城門をくぐると、そこには、かつて千人以上の人々が暮らしていたという街並みが広がっていた。
祖父の書庫から持ってきたこの街の地図を広げてみる。少し古いが、祖父の手によって異世界語で色々とメモが記されている。実際に訪れたときの様子を記録したのだろう。
メモによると、この街は直径が約一キロほどの規模。中央の広場から放射線状に道が伸びている。ごくごく一般的な街のようだ。
そしてこの街の名物は、中央広場にある噴水だとか。ちなみにこの噴水、とにかく独特らしい。詳しくは記されていないが、見ればわかるということなのだろう。
城門から中央広場に向かって石畳の大通りが延びている。俺たちは、静かな街並みを眺めながら、無人の街をゆっくりと歩いていった。
道の両側に立ち並ぶのは、ほとんどが石造りの建物。見たところ、街は無事のように見える。城壁も石畳の道路も傷みは少ない。
しかし、元の家屋や商店らしき建物の中をのぞいてみると、内部の損傷はかなりのものだった。
「……うわあ~。ひどいもんっすね」
「お兄様……」
「うん」
街の見た目は、かつての姿をそのまま留めているように思うが、建物の中は、どこもかしこも中身はボロボロ。いくつか覗いてみたのだが、どれもこれも似たような傷み具合だった。外観が綺麗なだけに余計に残念な感じがする。
ところが、ドランブイは、俺たちとは別の感想を持ったようだ。
「ほうほう。いやいや。これはこれは……。レオン様、この街は私が一か月前に訪れたときと、ほぼ同じ状態ですぞ」
「そうなのか」
「はい。消毒と内装工事だけで、元通り住めそうです」
ドランブイによると、砂漠特有の乾燥した気候のためか、それとも他に別の理由があるせいか、建物の室内の傷みはそれほどでもないのだとか。この街は、経年劣化のスピードがやけにゆるやかだという。
やがて、俺たちは街の中心近くまでやってきた。街の様子は、およそ祖父が遺した記録通りである。目の前のあの噴水がある場所が中央広場なのだろう。
「お兄様……」
「れ、レオン様……な、何か、やばくないっすか」
無人の街に噴水だけが生きている。何やら異様な光景なのだが、問題はそこではない。
噴水からは煙が立ち上り、かすかに異臭もする。しかも、噴出口付近はかなりの高温のようだ。近づいてみると、煙が凄まじい勢いで立ち上っている……。
「大丈夫です。この泉は、ブラックベリーの名物でして、そのまま飲めますよ」
そういって、泉のお湯を手ですくって飲むドランブイ。この泉のお湯は、飲料水から生活用水まで、この街の人々の暮らしをずっと支えてくれたものだという。
「これが、病の原因なんじゃないっすか?」
せわしなく尻尾を振りながら、モルトは心配顔をしているが、この泉はブラックベリーの街が出来る前からあったという。
そもそもブラックベリーは、この泉を中心にして出来た街なのだそうだ。いくら何でもこの泉が体に害なんてないだろう。
俺も一口飲んでみたが、やや塩気がある温泉だった。この街を襲った病の原因は、恐らく別のものに違いない。
その後、俺たちは噴水広場と目と鼻の先にある、旧辺境伯邸を訪れた。
一見したところ、古びたようにも見えるが、中々立派な建物である。風格を帯びた重厚な石造りの二階建て。門をくぐると玄関には重そうな扉が見える。
「レオン様、鍵がかかっているっすね」
そう言って、がちゃがちゃ鳴らすモルト。両開きの玄関の入り口の鎖には、大きな錠前がかけられてある。
「どれどれ」
俺も見てみたが、鍵や鎖は錆びてはいるものの、太い鎖が何重にも巻き付けられており、到底人力では開けられそうにない。そしてこの錠前。古びてはいるが模様や象嵌が多くあしらわれ、複雑な装飾がなされている。相当な年代物だろう。
ここは後回しにして先に街を見てみよう。領主館に関しては、後でキールに相談して職人を寄越してもらおうかな。
俺はそんなことを考えていたのだが……。
「大丈夫っすよ、レオン様」
モルトはそう言って、首からぶら下げた大ぶりの鍵を得意そうに取り出した。
持っているなら、もったいぶらずに初めからさっさと出しておいて欲しいぞ!
「こっちに来る前に王国から頂いたっす。屋敷の管理は執事の仕事っすから」
モルトはそう言って鍵を錠前に差し込むが、中が錆びついているのだろうか、うまくまわらない。俺もかわって試してみたのだが、こいつは無理だ。そもそもこの鍵、合っているのか?
「レオン様なら、この程度の鎖など……」
ドランブイが何か言いかけたのだが、セリスが後ろからやって来た。
「お兄様、お任せを」
セリスはそう言ってレイピアを鎖の隙間に差し込み、力を込めた。
……バキッ! ブチブチブチ……。
乾いた音がして、何重にもまかれた頑丈そうな鎖が吹き飛んだ。
「えへへ。お兄様。やりました」
あっけにとられる俺たちをよそに、セリスは何だか嬉しそう。普段はきりりとしている顔をふやかせて、おねだりしてくる。どうやら、俺に褒めて欲しいらしい。
それにしても、何て力だ。セリスが力持ちなことは知ってたけど、これほどだったのか……。
「よ、よくやった。えらいぞセリス」
若干引き気味な俺は、ぎこちない表情を浮かべつつも、よしよしと頭をなでてやる。嬉しそうに笑顔を浮かべるセリス。こんなところは小さい頃と変わらないんだよな。
「じゃあ、開けるぞ」
「ああっ、お兄様、もっと褒めてください」
「こんな場所じゃ、これ以上褒めずらいって……」
「は、はい……」
少しむくれて口をとがらせていたセリスだったが、納得してくれたようだ。俺はセリスの笑顔を確認してから、扉に手をかけた。
我ながら、妹相手にどれだけ気を遣っているんだか……。
ギギギーッ
重い両開きの扉を開けると、そこはあたかも過去にタイムスリップしたかのような、ノスタルジックな世界。
古き良き貴族文化を、そのまま閉じ込めたような空間が広がっていたのだった。




