幕間 祖父と修行者
王都のコロシアムで開催される興行などとは違い、地元住民の腕試しのような色合いの強い小さな田舎の武術大会。そこで自分は、初めてあ奴に出会った。
試合が始まると、自分はあ奴の木刀で一撃のもとに吹き飛ばされた。一瞬のことだった。
そして試合後、自分はあ奴と親交を結び、それから間もなく二人で何度も飲み明かす仲になったのだった。
◆
夏のある日、自分は当時騎士団の団長を務めていた、あ奴の宿舎に顔を出していた。何でも、何度も試行錯誤をこらして『ショウチュウ』なる酒が出来たという。
当時の自分は一介の修行者にすぎず、王国の騎士団長を務めるあ奴とは、天と地ほどの身分の違いがあった。しかし、あ奴にとってそんな世間の認識はどうでもよいことのようだった。
「よく来てくれた。まあ、入ってくれ」
歴代の騎士団長たちは、代々もっと豪勢な部屋を自室にしていたそうだが、あ奴は最近この部屋に引っ越したという。
何でも騎士団の増員に伴って宿舎が手狭になったせいで、一番広くて便利な騎士団長室を譲り、自分は手狭な物置部屋を使っているのだとか。
狭い離れの一室。あ奴は、翳りのない笑顔で自分を出迎えてくれた。あ奴にとっては、酒と剣があれば、そこにわだかまりなんてないらしい。自分もあ奴に影響され後に同じような考え方をするようになったことはちと悔しいが。
「余計なお世話かも知れないが、騎士団長がこれでは部下に示しがつくまい。何より、こんな場所では何かと不便だろう」
あ奴は、そういう自分に気遣いをしてくれた礼を述べた後、信じられないことを言った。
「何分、騎士団の指揮や運営は、副長以下に全て任せているからな」
「何?」
「だから、儂がどこに居ようが騎士団は何も困らない」
「……」
一体、何を言っているのだろうか。しばらく真意を捕らえかね、言葉を詰まらせる自分に、あ奴は更に信じがたいことを告げた。
「副長以下には、好きにしてもらっている」
「何と……」
「何かあれば、責任は儂が取る」
それでは、騎士団長としての責任だけを負っているとでもいうのか。お人よしにも程があるだろう。
「自分より、適したものがいればそいつに任せる方がいい」
「それで、不安はないのか」
「いざとなれば自分から職を辞するさ」
あ奴は、そう言って柔らかに微笑みながら、胸元から辞表を出して見せた。
「いつも肌身離さず持っておる」
「まさか……」
「ただし、王国がこの首を差し出せと言われたら思う存分戦う覚悟じゃ。まだまだやりたいこともあるからの」
あ奴は、日々覚悟を決めて生きていた。何かあれば責任を取る覚悟。そして、いざとなれば国を相手にしてでも戦う覚悟を。
「そなたの首を取るには、王国の一個師団でも難しいかも知れぬな」
そんなあ奴に、自分は呆れて言葉も出なかったものだ。そしてその後、自分たちは思う存分酒を酌み交わしたのだった。
◆
つまみはなぜか豆の青いものを茹でた後に、更に炒めたもの。軽く塩が振ってある。
自分は、あ奴と同様、口数は多い方ではないのだが、この見たことのないもてなしに自然と口が軽くなる。
「何だこれは? 皮すらむいてないのか。お主らしいといえば、らしいな」
「まあ、黙って食べてみろ」
そんな自分に対して、微笑みながら皿をすすめてくる。よほど自信があるようだ。
そしてあ奴は自分にすすめつつも、いつの間にか房入りの豆を美味そうにつまんでいる。
自分も真似して食べてみた。口に入れると、ぷりっとした感覚と歯触り。後を追って、香りが広がる。
「これは止まらん」
「まだまだある。好きなだけ食ってくれ」
あ奴は、そう言って、ざる一杯に茹で上げた青豆を見せてくれた。
「美味い!」
自分は最初、皮をむくのを面倒に思ったのだが、どうやら皮付きで食べるのが正しい食べ方のようだ。確かに皮に付いた塩加減が絶妙。何でも、異世界で好きだった“ツマミ”だそうだ。
肝心の酒は、自家製の『ショウチュウ』をよく冷やした泡水で割ったもの。果物がスライスして入れられているためか、さわやかになっている。こいつに例のつまみが合う。
エールよりいけそうだ。俺たちは二人でひとしきり飲み食いした。
流派は違えど、剣を修める者が二人酒を飲むのだから、話は当然、剣に関する話題に流れていくことになる。ある程度満足したところで、自分はおもむろに口を開いた。
「ところで……お主は毎日、どんな練習しているのだ?」
「ん? 練習? ……ああ、稽古のことか……」
「良かったら、少し見てみるか」
「是非!」
酒が入っているにもかかわらず、自分たちは物置き、いや騎士団長室を出て目の前にある演習場に向かった。
あ奴が言うには、何時如何なる場面においても戦えるように自分に課しているという。あえて普段着で稽古することもあるそうだ。多少の酒など問題ない。というか、問題にしてはいけないらしい。
ここに来るときも気になっていたのだが、この演習場の端には、ぐるりと周囲を覆うかのように木が埋められている。
「ひょっとして、お主の稽古とやらは、あれを使うのか」
「うむ」
あ奴のいう“稽古”とは、木の枝を適当な長さに切り、時間をかけて充分乾燥させた、“木刀”と呼ばれる木の剣を用いて行われる。そしてそれを、立木に向かって気合と共に左右激しく斬撃することをひたすら反復するそうだ。
あ奴は、木刀を手に取ると少し離れたところから走り寄って、掛け声と共に左右に打ち込みだした。これを繰り返すことで、間合い、手の内のしまり、腰の据わり、迅速な進退等を身につけるのだという。
「キィエーイ!」
激しい掛け声と共に、あ奴が木刀を立木に打ち下ろすと煙が出た。毎朝起床後、朝食までに三千回、午後から就寝までに八千回、必ず打ち込むらしい。
◆
そして、この流儀が独特なのは、これだけでは無い。何と『剣を握れば礼を交わさず』と言われているらしく、稽古中の欠礼も許されているそうだ。
一旦刀を握れば、敵に対するのと同じ心境になることを求めるためらしい。これは、コロシアムなどで行われる観衆を入れた大会でも同様だそうだ。
基本的には、最初の一撃に特化された体系であり、稽古も立木相手にひたすら打ち込むことが中心。
単純な内容に思われがちだが、細やかな動作はひとつひとつが、思う以上に複雑に体系化されており、習得は容易ではないという。
あ奴は世にも珍しい『転移者』だそうだが、あ奴が元いた世界でも、歴史上何度もこの流派の使い手に対しては「初太刀を外せ」と言われてきたそうだ。
「つまりお主の剣とは、如何なるものなのか」
尋ねる俺に、あ奴は何事も無げに答えてくれたた。
「自分が大切にしている刀をよく研ぎ、よく刃を付けておき、人に無礼をせず、一生、刀を抜かぬものである」
武に優れた人物であればこそ、刀を抜かずに済ませられる。刀を抜かないために、強くなれという意味らしい。だからこそ、稽古に於いては手を抜かず、何千回も打ち込みをするのだとか。
何とも恐るべき流儀である。自分は、柔和な笑みを浮かべるあ奴の前で、密かに戦慄していたのだった。
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