第1章 王都追放編 第4話 幼少期
今にして思えば、俺の幼少期は決定的に多忙だったと思う。それは座学だけでなく、剣術が課せられていたからである。
剣術の稽古は基本的には一人で行うものだった。俺は毎日『型』と『立木打』に明け暮れていた。
型はひたすらに、祖父から教えられた通りに一連の木刀の素振りで型を繰り返す。ひとしきり汗を流した後、次に行うのが立木打である。
これは、堅い木を土中に埋めておき、少し離れたところから走り寄って掛け声と共に左右に打ち込むもの。一見簡単そうに見えるが問題はその回数。
子供の頃は、この立木打を、毎朝起床後朝食までに千回、昼食までに二千回、夕食までに三千回のノルマが定められていた。合計一日六千回。毎回できるまで食事はお預けとなるので俺も必死だった。
ウチの家の恐ろしい所は、本当にお預けにされることである。俺もそのせいで、何度か飢餓体験を味わったものだ。とんでもない話である。
十歳くらいになると、今まで大変だった立木打が少し楽に出来るように感じていた。ただし、自分が人に比べて強いだとか凄いだとか思ったことはない。
そういえばこの頃、モルトからこんなことを言われたのを覚えている。
「レオン様、剣術を安易に人に見せちゃダメっすよ」
「何で?」
「はっきり言って、やばいっす」
「え? 俺なんかが強いわけないだろう」
「何、謙遜してるんすか」
「え?」
「いいっすか。むやみに使ったら怪我じゃ済まないことになるっすよ」
いくら俺でも、人を木刀で殴れば大けがすることくらいわかる。このときは、変なことを言うやつだと思ったものだ。
何しろ、俺は祖父から一度も褒められたことはない。立ち会えばいつも軽くあしらわれていたし、その実力差がどれだけ大きいかはさすがにわかる。
当然、自分が強いだなんて生まれてから一度も思ったことなんてなかった。大体、当時の俺の自由時間は、一日あたり一時間もあればいいところ。余計なことなんて考える余裕すらなかったこともある。
まだドレスを着ていた頃のセリスは、しょっちゅう俺が剣術の稽古をしている様子を見に来ていた。そしてセリスからも、こんなことを言われたことがある。
「お兄様はすごいです。強いです」
やや顔を上気させ、胸の前でぎゅっと両手の拳を握りしめるセリス。
「俺なんかが、強いわけないだろう」
「いいえ! 強いし、すごいし、そ、それに……素敵です」
「ありがとう。セリス」
「はい。お兄様」
可愛らしく小首を傾げるセリス。今にして思えば、この頃のセリスは身なりも仕草もかなり女の子らしかったと思う。
セリスがあまりにも褒めるので、俺は一度だけ、冗談交じりに自分のことをどう思っているのか聞いてみたことがある。
「セリスは、俺のことをどう思う?」
すると、セリスは俺の言葉を聞くなり、スカートの端を掴んで恥ずかしそうに顔を覆ってしまった。
おい、こっちの方が恥ずかしいって! いくら何でもそんなことをしたら、可愛いいリボンの入った白の布地が丸見えですよ! というかおへそまで見えてるぞ!
赤面しつつ顔を背ける俺に、セリスはこんなことを言ってくれた。
「お、お兄様は素敵です。だ、誰にも取られたくないです……」
消え入るような声のセリス。
「ありがとう。うれしいよ」
「わ、私も強くなって、お兄様のことをお守りしたいです」
「だけど、セリス。お前のその恰好……」
…………。
セリスは、ようやく自分がどんな状態か理解したようだ。しかし、みるみる顔を赤らめたセリスは何故だか逆切れ。
「お、お兄様のばか! おじい様に言いつけてやるんだから!」
そんなことを口にしながら、走っていく妹。当時から口下手だった俺は、どうすることもできなかった。
第一、この状況で何を言いつけるつもりなのだろう。
この後、俺は祖父に呼ばれて何やら諭されたのだが、上手く言い訳することもできなかったように思う。全く悪くないのに理不尽な話である。
この頃は、まさかセリスが本当に騎士官学校へ進むだなんて想像すらしていなかった。
◆
俺は、外で友だちと遊ぶ暇さえなかった上、身近にいた子供といえば妹のセリスと執事の息子のモルトくらい。当然、自分の境遇についても疑問すら抱いていなかった。
十五歳の誕生日を迎えてしばらくすると、祖父による『義務教育』なるものが終了し、強制的に座学を課せられることもなくなった。
時間が出来た俺は、何とはなしに剣術にのめり込み、立木打を朝食までに三千回、午後から就寝までに必ず八千回打つようになった。
最初はこれだけで七時間くらいかかったのだが、一年もすると六時間もかからないようになった。しかし、それでも一日の四分の一近くは、打ち込みに費やされてしまう。
こんな生活を続けてきたせいで、今では、もはや剣術は俺の生活の一部。好きとか嫌いとかいうより、無心に木刀を振ることが当たり前になってしまっている。
ひょっとしたら、自分も少しは成長したのかも。なんて思ったのは、ある日、俺が撃ち込んだ一撃で、立木から煙が出たときくらいである。
剣を振う以外の空いた時間は祖父の書庫に入って、異世界やこの世界で集めたという珍しい本を読み更けるようになった。
この読書習慣は、そのまま今に至るまで続いている。おそらく数万冊以上はあるだろうクラーチ家の蔵書は、いくら読んでも読み尽くせないほどあるのだ。
最近読んでいるのは、『悪役令嬢』と呼ばれる人たちを描いた本のシリーズ。創作物なのだが、モデルとなる人物やエピソードもあったらしい。何だかこの国の貴族社会が描かれているみたいで、なかなか興味深い。
こうして、俺はすくすくと異世界の知識と剣術を身に付けていった。しかし、それに反比例するかのように、この世界の貴族社会の常識からはどんどん疎くなっていったのである。




