第2章 山エルフ編 第19話 エルフ
カラベル船は、小さい割に揺れが少なく乗り心地がいい。河がゆったりと流れているせいもあるのかも知れないが。何でも祖父の記録によれば、カルア海に流れ込む三本の大河は、その昔運河だったということだ。今では当時の面影もなく、大自然が一から作り上げたもののように見える。
そして、ここは、完全に山エルフの領域(縄張り)の中。ゆったりとした流れに身を任せつつ、俺たちは安心して、彼女たちに身をゆだねることにした。
船内を忙しく動き回る山エルフたち。小麦色に日焼けした健康的な肌。皆一様に白い布を体に巻いているのは、日焼け対策だろうか。
さすがに館のメイドたちのようなミニスカではなく、かなり短い短パン姿。そして皆一様に、腰に三日月型のシミターを付けて武装している。
じっとしていれば、可愛い女の子にしか見えない彼女たちなのだが、船上での動きを見るや、その運動能力に驚かされる。マスト登りもあっという間。戦闘能力もかなり高いに違いない。
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「私が、船長のネグローニです。よろしくお願いします。辺境伯様」
そう言って、恭しく頭を下げるネグローニ。日焼けした肌に長い銀髪を、後ろでくくっている。大きめの瞳に長いまつげ。全体的に引き締まってしなやかな体躯。背は俺より少し低いが、山エルフの中では長身の部類だと思う。
船上で指示を出す姿は、きりっとして凛々しく姉御肌のように見える。男の俺から見ても、文句なくかっこいい。ネグローニを見ていると、子どもの頃に見た、ガレオン船でのキールを思い出すから不思議だ。
そんな彼女なのだが、今、何だかとっても恥ずかしそう。
「この度、アウル領の辺境伯に任じられましたレオンです。ですが、辺境伯じゃなく、レオンと呼んで欲しい」
「はい、レオン様」
顔を少し赤らめて、ほほ笑むネグローニ。俺が右手を差し出すと、慌てて自分の右手を腰に巻いた白布でごしごしこすり、おずおずと握手してくれた。
「これから、よろしく頼むな」
「は、はい、レオン様……」
いくら外見が美人でも、きっとごつごつした掌なのだろうと思っていたのだが、ネグローニの手は、柔らかく、ぷにぷにしていて驚いた。
……ん? あ、あれ? ち、ちょっと……ネグローニさん……。いい加減、放してほしいのですが……。
「レオン様……」
そう言いながら俺の右手を両手で包み、目を閉じてうっとりする船長。そのまま、俺の方に近づいて来る。よく見れば引き締まった中にも、ふくよかなお胸。蜂蜜みたいな、いい匂いもします。柔らかいもの、あたっていますから。
い、いや、ちょっと……。いくら何でもネグローニさん、近いって。
「お兄様!」
セリスがすんごい勢いで突っ込んできた。そのまま俺を、強引にネグローニから引き離す。何て力だ。
セリス。俺が美人の手を握っているんじゃなくて、俺はあくまで、握られていただけだからね! そこの所は、分かってくれるよね。
「もう、お兄様! いい加減、はっきりとなさってください」
「え、え? ……」
「お兄様が、あやふやで、頼りない態度をなさるせいで、いつもつけ込まれるのです」
「は、はい……」
仁王立ちのセリス。どうして俺は怒られているのだろう。俺は別に悪くないと思うのだが……。
「も、申し訳ありませんでした。つ、つい……」
ようやく我に返ったかのように、ペコペコ謝るネグローニ。セリスは、そんなネグローニを一瞥し、俺に向かってこんなことまで言い放つ始末だ。
「お兄様の側でお仕えするのは、男性か、女性ならせめて人族でないと安心できません!」
セリスよ! 決めつけは良くないぞ! しかもそれって、俺は、人間の女性から、全くモテないことが、前提だね。それはそれで悲しくなってきた! 第一、お前だって……。
「いいえ! これは偏見なんかじゃありません! お兄様は子どもの頃からずっとそうでした。今まで私がどれだけお守りしてきたことか!」
「……す、すみません。レオン様、セリス様」
「ふん!」
消え入るような声で申し訳なさそうに謝罪を繰り返すネグローニを一瞥し、セリスはどこかに行ってしまった。
「モルト、何とかしてくれ」
「無理っす。どうせ自分はモテませんから」
こいつは、まだ、あの猫耳の美少女との一件をばらされたことを根に持っているらしい。
「とにかく、ネグローニも頭を上げてくれ。セリスは色々と気難しい所があるが、これから仲良くしてくれればうれしい」
「お兄様! 聞こえてますよ!」
げっ! セリスがマストの陰からこちらを睨んでいた。
相変わらず、縮みこまっているネグローニは、どう見ても二十代前半にしか見えないのだが、この道ウン十年のベテラン船乗りらしい。正確な年齢は俺も知らないし、聞こうとも思わないが。
エルフ族の寿命は、一般的な人族より少し長いにすぎないが、総じて見た目が若い。
何と、八十~九十歳くらいまでは、人間で言うところの二十代後半から三十代前半のような外見。その後、急激に老いて、百歳前後の天寿を全うするのだとか。
それはともかく、セリスには早く機嫌を直してもらいたいものである。
「レオン様、少しよろしいでしょうか……」
ひとり頭を抱える俺に、ドランブイが手を差し伸べてくれたのだった。




