第2章 山エルフ編 第16話 領民0
俺たちが、キールの館に滞在することになって三日。例の商人についての連絡が来た。流石はキール。仕事が早い。
「初めまして。ドランブイと申します」
俺の元に、小太りでちょび髭をはやした、身なりの良さそうな中年の紳士が訪ねてきた。
人の好さそうな笑顔を見せるドランブイ。何でも、若い頃から大陸南部で手広く商売をしてきたのだそうだ。
笑顔の裏には、商人として、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた一面もあるのだろう。人の良さそうな笑顔こそ見せているドランブイだが、今のところ、その瞳の奥はどうなっているのかまではわからない。
「どうぞ、こちらへ」
山エルフの美少女メイドたちから案内され、俺たちは、館の応接室でアウル領の現状を聞くことになった。
◆
「ところで、実際の所、どうなっているのだ」
俺の問いかけに、申し訳なさそうな顔をして汗をぬぐうドランブイ。
「はい、辺境伯様。まず、ブラックベリーの街なのですが、今は住民がひとりもおりません」
「やはりか……」
「実は数年前までは、千人以上いた街なのですが、病が流行りだしまして」
「病だと」
「はい。それが、手足がしびれて、歩けなくなる病です。昔からある病だったと聞いておりますが、それが近年、急に増えだしまして」
「ふむ」
「住民は、この土地のせいだろうということで、皆、街を捨てた様子です。親類縁者を頼ったり、他国に流れた者もいると聞きました。何しろ、先の辺境伯様の家臣団の方々が出ていかれてからは、誰も来て下さらず、王国からは半ば見捨てられたような街だったのです」
「アウル領には、他に街はないのか」
「はい。ごく小さな集落はあるかも知れませんが、街となると……」
「と、いうことは、領民は、事実上、誰もいないっていうことっすね」
「お兄様……」
だから言わんこっちゃない。と、でも言いたそうな、ジト目のモルトとセリス。俺は、領主として領地を経営するというより、開拓者にでもなった気分である。
「明日にもブラックベリーに向かう。とにかく、少しでも早く現地を見ておきたいんだ。すまないが、ドランブイも同行して欲しいけど、差し支えないかな」
「はい。辺境伯様」
「仕事の方は、大丈夫なのか」
「今は、半ば引退して、息子たちに任せております。辺境伯様は、キール様の大切なお人と聞きました。よろしければ、しばらく、ご一緒させてください」
「ありがとう。いろいろ迷惑かけるだろうが、よろしく頼むな」
「ところで、俺のことは、辺境伯じゃなくて、レオンと呼んでほしい」
領主というより開拓者になりそうなのだ。辺境伯なんていう名前は勘弁していただきたい。領民がいないのに辺境伯なんて、名乗るの恥ずかしすぎるって!
「はい。レオン様」
そう言いながら、ドランブイは声を殺して泣いている。あれ? 何で? 俺、何かしたか?
「最近、涙もろくなっているものでして、つい……」
ドランブイは、ズボンのポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出して涙を拭きながら、こう言った。
「今まで、私ごとき卑しき商人に、お心遣いをかけてくださる王国の貴族の方はおられませんでした」
「そうなのか?」
「このドランブイ、今でこそ少しは名の知れた商人ですが、子どもの頃は、さる大貴族の奴隷だったことがあるのです」
「で?」
「は?」
「いや……俺は少しも卑しいなんて思わないが」
変なことを言う奴だと、首をひねる俺に、ドランブイは、いきなり土下座してきた。
「レオン様! 私は、私は……。もし、許されるのでしたら、この老いぼれ、レオン様にお仕えしとうございます」
そう言い放ち、なおも泣き続けるドランブイ。涙で濡れたハンカチで、洟をかみ出す始末である。
「実は、キール様より、内々にレオン様に力添えして欲しいと頼まれていたのです。申し訳ありません。正直、迷惑な話だと思っていました。私は、断る理由を見つけるために、今日、ここに来たのです」
「ですが、実際にレオン様にお会いしてその人柄に惚れました。私も大陸南部では、少しは名の知れた商人。人を見る目もあると自負しております。そんな私から見て、レオン様ほどのお仕えしがいのあるお方は、おりませなんだ」
「いや、俺はそんなすごい奴じゃないぞ」
「これは、御謙遜を。ですが、私がお仕えしたくなったのは、レオン様のお人柄だけでは、ございません。商人には『利の道』というものがございます」
「利の道?」
「はい。私どもは、一時の感情だけでは動きません。つまり、儲けにつながることしかしないということです」
……。
「ここまで、言い切れるなんて、逆にすがすがしいっすね」
「お兄様、このドランブイは、信用できると思います」
「この老いぼれ。生涯最後の大商いを、レオン様と成し遂げたく思います」
俺の方も、びっくりなのだが、本当にいいのか? 繰り返すが、辺境伯というより開拓民みたいな俺なのですが。
やり手の商人であるドランブイのこと。どこかに勝算を見出したのだろうが、それにつけても……。
あくまで利害関係と言うドランブイだが、言葉とは裏腹に、恭しく俺の前で片膝を付いて臣下の礼をとっている。こんなことをされたのは、初めてのことだ。
モルトにセリスよ。このドランブイの姿、己が手本として、よくよく目に焼き付けるがよいわ!
……い、いや、参考にしてね。
ドランブイにも、畏まらずに自然に接するように伝えることにした。
◆
「アウル領について、お前の知っていることを詳しく教えてくれないか」
「何からお話ししましょうか……ただ、辺境伯様がお治めになるアウル領には、砂漠と湖しかありませんが……」
「じゃあ、まず、アウル砂漠について教えてくれないか」
ドランブイによると、このアウル砂漠は、日中は灼熱の陽光が降り注ぎ、夜は外に出した水桶に氷が張る。おまけに砂嵐が度々発生し、例えうまくやり過ごしたとしても、すっかり地形が変わっていることがしばしばだという。
極め付けが、この砂漠に生息する危険生物である。ソフトシェルと呼ばれる赤サソリや、ハードシェルと呼ばれる巨大な青サソリ。これらの危険生物が、数多く生息しているとのことだ。
「ならば、このアウル砂漠を渡ることは……」
ドランブイは、軽く顔を左右に振って、短く答えた。
「難しいです。土地の者でも、砂漠を越えようなんていう物好きなど、昔からひとりもおりませんので」
「ひとりもか……」
「その通りでございます」
「……」
我が領の大部分を占めるアウル砂漠は、俺たちが想像していた以上に、過酷な場所のようだ。
ドランブイの言葉に、俺たち三人は、顔を見合わせるしかないのだった。




