第2章 山エルフ編 第14話 夜這い
「……お兄様、お気を付けを」
声を殺しながらそう言って、辺りの気配に気を配るセリス。
俺たちは今、キールが用意してくれた寝室にいるにもかかわらず、セリスからは戦場の最前線にいるかのようなピリピリとした緊張感が漂っていた。
「キール様は油断も隙もありません。それに、ここのメイドたちをはじめ、使用人に至るまで、隙あらばと……。お兄様、気付かれましたか?」
「え? い、いや……」
「もう、しっかりしてください。お兄様も少しは危機感を持っていただかないと!」
「…………」
俺たちは、この日の晩、キールからそれぞれ個室を与えられていたのだが、セリスは頑として自分の部屋に行こうとしない。何でも嫌な予感がするそうだ。
「くれぐれもご油断ありませんよう。私には、この館に立ち込める下心に満ちた気配が、ひしひしと伝わって来るのです」
「あ、ああ……。き、気を付けるよ……」
セリスが言うには、今夜にも俺の元に夜這いをかけてくる女がいるかも知れないとのこと。俺からすれば、現実味が無さ過ぎて、とても信じられないことなのだが。
どうも、セリスは、心配しすぎのような気がする。
「そんなことより、セリスも自分の部屋でゆっくり休んだ方がいいんじゃないか」
「いいえ。お兄様をお守りすることが、私の仕事です。もし間違いでもあれば、どうされるおつもりですか!」
俺としては、どうもこうもないというか、第一そんなこと、あるはずないし。
「なあ、セリス。そんなに心配なら、モルトを呼んでこようか」
「……正直、護衛としては頼りないです」
目を伏せて静かに首を振るセリス。た、確かに……。その点だけは俺も同意する。
結局、セリスは、俺のベッドの側で、愛刀のレイピア代わりにモップを懐に抱いて仮眠することになったのだった。
◆
そして、夜も更け、屋敷のほとんどの者が寝静まった頃……。
「ちっ」
レオンの部屋の前で、鍵穴から、室内をのぞき込んで、小さく舌打ちするキール。部屋の外でいかにも忌々しそうな表情を浮かべている。
そして、部屋の中では、何者かの気配を感じて、片目を薄く開けるセリス。薄くこめかみに血管を浮き上がらせている。
そんな室内の状況を確認し、やむなく、自室に戻ろうとするキールだったが、長い廊下の向こう側に、小さな人影を確認した。
「そこにおるのは、ニーナかの」
「お、お母様!」
思わぬ所で娘に見つかったキール。一瞬、ばつの悪そうな顔をしたものの、すぐに平静を装う。そこは百戦錬磨の山エルフの女王。見事な役者ぶりである。
キールは、一瞬の動揺を隠し、すぐに平常心を取り戻した様子で悠然と娘に問いかけた。
「なんじゃ、ニーナか。どうしたのじゃ、こんな夜更けに……。それにその恰好は……」
キールの目の前にいるニーナは、ブルーのネグリジェを着ているのはともかく、鍋を頭にかぶり、箒を両手で握りしめている。呼吸も荒い。
真剣な目で、真っ直ぐにキールを見据えていた。緊張からか、両腕には過剰に力が入っているようだ。
プルプルプル……。震える両手で箒を握りしめつつ、まなじりをあげて母親を見据え、しっかりと言い放つニーナ。
「ニーナは、ニーナは……。れ、レオン様をお守りしに来ましたの」
真剣な眼差しのニーナを前にしても、相変わらず余裕な態度を変えないキール。
「それなら大丈夫じゃ。レオン殿には、立派な護衛がついておるでの。そなたは安心して休むがよいぞ」
「な、なら……まず、お母様が、お休みになってくださいまし」
「何を言うのじゃ」
冗談言うなとばかりに、悠然と微笑むキール。
「お母様が、先に休んでいただかないとニーナは安心できませんの」
「ぷっ。何を言いだすのかと思えば……」
ニーナの言葉と受けとめつつも、なおも、悠然と微笑むキール。そんなキールに対して、依然として強いまなざしを放ち続けるニーナ。
「一体何なのじゃ」
「お母様、そのお姿は、どういうおつもりですの?」
ようやく、状況を理解して、急に慌てだすキール。
「え、え、え……」
うろたえる母親に、怒り心頭の表情で詰め寄る娘。そんな、ニーナの視線の先にある、キールの恰好といえば……。
薄いベビードールから透ける黒のマイクロビキニ。しかも、おそろいの上下はシースルー。ちなみに下はTバック……。
「あ、あ……い、いや、こ、これは、関係ないぞ」
「一体、何と何が、どう、関係ないのですの!」
「良い子は知らなくともいいことじゃ……」
「お母様、ニーナのものを取ろうとしないでくださいまし!」
◆
翌朝、俺の横で、静かに食事をしているセリスは、さっきらずっとキールのことを物凄い目で睨んでいる。
「せ、セリス殿。これは、今朝とれたばかりの新鮮な卵を使ったものじゃ。どうぞ、ご賞味してくれ」
俺が訳を聞いても話してくれないだろうし、キール自身も、なにかやましいことでもあるのだろうか。さっきからやけにセリスに気を遣っているように感じる。
「これはの、遥か南方より取り寄せた茶葉を使っておるのじゃ。味だけでなく、香りも楽しんでもらえればうれしいの」
「お母様……」
キールに、何やら意味深に目くばせをするニーナ。流石に今朝は、メイド服で給仕することもなく、ドレス姿で席についている。
「ま、まあ、色々あるでの。せっかくの爽やかな朝なのじゃ。皆、楽しくいこうぞ」
……こうして、朝食を取る間中、食堂の中には、何だか微妙な空気が流れ続けていたのであった。
◆
「こ、コホン」
朝食後、場所を応接室に移して、改めてキールは、昨日の使者の一件を話してくれた。
ちなみに、我が家の重大事項に関わることなので、モルトにも同席してもらっている。
「……と、いうことなのじゃ」
王国の余りの仕打ちに、言葉を失う俺たち。そして、そんな俺たちを目の前にして、さっきから、キールはしきりと首をひねっている。
「はて……。どうも妙なのじゃ」
「妙とは、どういうことでしょうか?」
「確かに、あの書簡には、王家の印こそ入っておったが、あれは、国の意思かどうかは分からぬぞ」
「どういう事なのでしょうか」
「うむ……ひょっとして、レオン殿は、どこかで恨みでも買ったかの?」
ジト目のセリスとモルト。
「お兄様……」
「だから、言わんこっちゃないっす」
そういや、コロシアムでの試合、公爵家の舞踏会、春の叙任前のパーティー……。よくよく考えれば、俺は王国の貴族たちから恨みを買うようなことばかりしていたのだった。
くっ、これが、異世界の言葉で、『自業自得』というやつなのか……。
「ただ、少々、気になることがあっての……」
「気になることですか」
「うむ」
キールは俺を見据えて小さくうなずくと、言葉を続けたのだった……。




