第1章 王都追放編 第3話 クラーチ家
俺の祖父は、誰が見ても、自分のやりたいことをやりたいようにし尽した、実にうらやましい人生を送ったと思う。これは、俺だけじゃなくて、祖父を知る全ての方々の共通の思いなので、間違ってはいないだろう。
たった一度きりの人生。しがらみなんか、くそくらえ! 誰にも縛られず、自分のやりたいようにのびのびと好きに生きたい。
俺も、やりたいように自由にやってやる~!
◆
「レオン様、レオン様……」
「ん……」
「レオン様、何言ってんすか!」
「えっ?」
不覚にも、いつの間にか眠りこけてしまったようだ。そういえば、道が舗装されているのか揺れが少ない。御者の腕もさることながら、道の整備状況が大幅に向上している。いつの間にやら街道を抜けていたらしい。
「レオン様。いくら寝言でも言っていいことと、よくないことがあるっす」
何やらよくわからないが、モルトの奴、怒っているようだ。腕組みをしながら、もふもふ尻尾が小さく揺れている。事情が今一よく把握できていない俺は、少し間抜けた返事。
「俺……何か言ってたか?」
「言ってたも何も。何すかあれ!」
「い、いや、そ、それは……」
「やりたいように、自由にやってやるって言ってたっす!」
動揺する俺を見て、あきれたように肩をすくめるモルト。
「いいっすか。レオン様。気ままに生きるなんて、貴族家の当主として、一番在り得ないことっす!」
モルトによれば、一度貴族の当主として生を受けた以上、人生は耐え忍んでなんぼ。その双肩に、家臣をはじめ、多くの人の命運が託されているのだ。俺の祖父はあくまで例外だと言う。
「いい加減、今度ばかりはよくお聞きくださいよ!」
…………。
「ですから、レオン様。くれぐれも変なことをお考えにならないでください。いいっすね」
「…………」
「後で尻拭いするのは、自分らなんすっから!」
「そ、そうか、そうだよな」
「全く。いつまでたっても、世話が焼けるっすよね。いい加減しっかりしてくださいよ」
「す、すまんな」
「お願いしますよ。レオン様、もう、いい歳されてるんすから」
何か偉そうなモルトに、少しいらっときたが、正論なので仕方がない。セリスも背筋を伸ばしてぴしっとした姿勢を保ちつつ、こんなモルトの言葉にうなずいている。
俺は、少し開きかけた口をゆっくり閉じることにしたのだった。
◆
何でも祖父は、異世界の自宅で執筆中に、書斎ごと、この世界に転移してきたという。
俺が思うに、普通の人ならパニックになったり、元の世界に帰る手段を血眼になって探すと思うのだが、祖父は違っていた。
何でも元の世界で、「民俗学」なる学問にどっぷり浸かっていたせいか、自分の異世界転移を小躍りして喜んだらしい。
そして、民俗学の研究と趣味の剣術に没頭する傍ら、俺に自ら教育を施したのである。
俺は、他の貴族のように学校に通うことはなかった。祖父から異世界の本を教科書として、異世界の進んだ知識や技術、加えて制度や考え方、そして剣術を叩き込まれたのだ。
祖父から、あまりにも多くのことを課せられ過ぎていたせいで、学校に行かなかったというより、行けなかったという言い方の方が正しい。祖父は、俺が貴族の学校に通うことを禁じてはいなかったからだ。
何しろ俺は、産まれてすぐ、夜泣きしたときには、異世界の物語を子守歌として聞かされていたというし、おむつが取れる頃には、異世界仕込みの教育が始まっていたという。
五歳になるころには、本格的な異世界語の習得が始まった。
今にして思えば、何故、世の中で使われもしない異世界の言語を学ばされているのかと、疑問に思うだろう。しかし、その当時は、そんな余裕なんてなかった。それどころか、漠然とそんなものだろうと思っていたくらいである。
来る日も来る日も読み書き暗唱。カタカナ、ひらがな、漢字、ローマ字、九九……。この中で、この世界で役に立っているのは、九九くらいかも知れない。
言語の習得がある程度進むと、次に本格的な教科の学習が始まった。しかも、異世界の教科をである。
祖父が不在のときは、家庭教師による個人授業。これはさすがにこの世界で普通に学ばれる勉強だったように思う。
祖父が徹底していたのは、俺の周囲の世界、すなわちクラーチ家の全てを、出来うる限り、異世界に近づけようとした点である。
それは、家の間取りや料理のメニューや味付けなど表面的なことだけでなく、執事やメイドなどの従業員を含めたものの考え方さえも、異世界風にしようとしたのだ。
例えば、この世界では仕える使用人が、領主の一族の者から対等に扱われるなんて在り得ない。
そこには、「身分」などというものが、存在するからだ。
ところが、クラーチ家には、「身分」なるものが最初から無い。というか、そんな概念すら無い。ここでは、領主も使用人も、ひとりの人間として互いに対等なのである。
我がクラーチ家にあるのは、雇用者と被雇用者、あるいは、資本家と労働者という関係だけ。
忠誠だとか、御恩と奉公などといった、湿っぽいものは一切ない。そこにあるのは、ドライな雇用関係のみである。
にもかかわらず、王国のどの貴族家より、我がクラーチ家は、皆の一体感が強いと思う。
祖父も、メイドや使用人一人ひとりに対して、敬意を払って接しており、そのせいもあってか、家臣からの尊敬や信頼を一身に集めていた。
俺は、こんなクラーチ家の中でどっぷり浸かって大きくなったのだ。
そりゃ、この世界の、特に貴族社会なんて馴染めないのも当然だろう。