第6章 独立編 第19話 メインイベント
遡ること数日前。
ハウスホールドの王宮には、怪しげな二つの影があった。
ただ衛兵たちが、平気な顔で見送っているくらいだから、危険な人物ではないのだろう。
二人とも共も連れずお忍びのようである。
◆
「イザベル様、お客様です」
「まあ。ひょっとして、あの方たちかしら」
飲みかけのティーカップを置き、微笑むイザベル。今日のイザベルは、心なしか華やいでいるように見える。
特にここ最近レオンからの便りが減ったせいか、元気のないイザベル。
灯りを落とした室内で、ぬいぐるみを抱きしめたまま、身じろぎもしない姿を目にしたこともある。
表面上は朗らかに振る舞っているだけに、そんなイザベルの姿がマリーには一層痛々しく感じられていた。
「マリー、お二人をすぐにこちらにご案内してくれるかしら」
弾んだような笑顔をみせるイザベルの部屋に現れたのは、侍女に扮したセリスとニーナ。
「イザベル様、お気を付けを」
「何も心配することは無くてよ。何しろあの二人は私に初めてできた親友ですもの」
「いやでも、イザベル様……」
「心配しなくても大丈夫だから」
「は、はい……」
『レオン』くんを抱きしめながら、天真爛漫にほほ笑むイザベルを見て、マリーも毒気を抜かれた思いである。
「それから甘いお菓子と『例のお酒』を持ってきてくれないかしら」
「『例のお酒』と言われますと……『近衛騎士団』は中々手に入りにくく、城にあるのはキール様がキープされているボトルだけだと伺っておりますが」
「キール《おかあさま》には、マリーからよしなに。何かあれば助けてあげるから」
「わ、私から、よしなにですか……」
「いいこと、マリー」
「は、はいっ!」
このような無茶ぶりはハウスホールドに来てから初めて。そんな久しぶりのわがままに、マリーは困りながらも笑顔を浮かべて部屋を出て行ったのだった。
◆
「始め!」
審判の鋭い掛け声とともに、俺とセリスは互いに前にすすんだのだが、互いに相手の間合いには入らず、剣を構えたまま動かない。
いつもは手数で押すタイプのセリスも珍しく動きを止めている。
「お兄様」
「遠慮することはないぞ」
「生憎、その手には乗りません」
「……」
セリスは愛用のレイピアを正眼に構えている。
細身でありながら鋭い刃があり、突きだけでなく斬ることもできる特注品である。見た目は細身の女性仕様であるが、その重さたるやバトルアックス並み。
それを軽々と使いこなすのだから、かつて騎士団士官学校時代、歴代最強とうたわれていたのも頷ける。
“ふん!”
セリスが動かないのを見て俺から仕掛けてみる。
もっとも、上段に構えた木刀は動かさず、殺気を飛ばすのみだが。
しかし、セリスは俺の殺気を涼しい顔で受け流す。
大抵の者なら気配が揺らぐのだが。
さすがだ。
会場中央で、構えたまま動かない二人にかたずをのむ観客。
そして、俺が静かに息を吐いた瞬間、俺の呼吸の隙をつくようにセリスが不意に動いた。
急に距離を詰められ、上段から振り下ろされたレイピアを木刀で受ける。
セリスは後ろに飛びのきざま、レイピアを横に薙ぎ払って距離を取ったかと思いきや、その場に踏みとどまっていた。
「せいっ!」
そこから両足を踏みしめての渾身の突き。殺気をまとった剣圧が迫る。
俺はわずかに顔を横にそらして躱すと、頬から血が一筋流れた。一歩間違えば即死だ。
セリスはなおも、体勢の崩れた俺の懐に飛び込み、攻撃を仕掛けようとしてくる。
俺は逆にセリスに体を密着させ、セリスの鳩尾に木刀のつかをたたき込んだ。
「きゃっ!」
セリスがケガしないように、手でガードしたつもりだったが、痛かったか?!
「お兄様!」
そんな心配も杞憂だったようだ。
身体をひねって俺の攻撃を躱したセリスは、ほっとした俺の気のゆるみをつくように、今度はレイピアを捨てて両腕を伸ばしてきた。
俺に抱きつき、下から突き上げるように体重をかけると同時に俺の軸足に足を絡める。
素手での戦いとなると、膂力に勝るセリスが有利。しかも、ぼっちの俺とは違い、騎士官学校で訓練も積んできたことだろう。
咄嗟のことで体勢が崩れる。
ヤバい。
セリスの柔らかな髪が揺れ、花の香りに包まれた気がしたときにはもう押し倒されていた。
俺は上から覆いかぶさるセリスに負けを認めて、タップしたのだった。
「勝負、そこまで! 勝者、セリス=クラーチ!」
…………。
ところがセリスは俺の上になったまま動かない。
「お兄様」
「俺の敗けだよ。強くなったな」
「……」
「えっ?!」
上から覆い被さったまま、一向に退こうとしないセリス。いつの間にか俺の両手両足とも、完全にロックされている。
「ん……」
事情を呑み込めない俺にセリスがすっと唇を合わせてきた。
熱い吐息と唇の感触。動転する俺の前で目を閉じるセリス。
「きゃ~っ! レオン様~っ!」
「嫌~!」
「うおおおおお!」
試合が決するや、歓声と悲鳴、祝福とやっかみが入り混じった会場は、スタンピードの渦と化したのだった。




