第5章 争乱編 第35話 独立
新たな援軍を得て、ブラックベリーを包囲する帝国軍は、四十万を上回っているにもかかわらず、物見の報告では、朝夕の炊事の煙が目に見えて減っているという。
それが、昨日の大幅な陣替えに加え、今朝は早朝からいつになく盛大に煙が上がっている。
帝国軍の総攻撃は近いとみて間違いないだろう。
◆
その頃、東トーチ砦では司令長官マダルが、本陣からの使者を前に人知れず油汗を流していた。
「マダル様、本陣から召集です。いくら何でもそろそろ応じられませんと……」
「うむ……」
「マダル様!」
「承知した。すぐに駆けつけると答えよ」
「はっ」
この日、東トーチ砦では、全力を挙げて岩や土砂の撤去を試みたが、全く及ばず。依然復旧の見込みが立たずにいた。
そして、本陣から派遣された使者を体よく返したマダルは、大広間に主だった者を集めたのだった。
――――――
「皆、今までよくやってくれた」
「マダル様……」
マダルの前に控えるは、生え抜きの部隊長たち。
部下というより、今まで苦楽を共にして来た戦友とでもいう方が似つかわしい。
いや、苦楽というより、苦しい思いの方がはるかにさせてきたか……。
何しろ、東トーチ砦を攻めた際は、多くの仲間を死なせてしまったのだから。
「皆聞いてくれ。―――――俺は今から帝国を離れようと思う」
「マダル様!」
「かといって、俺も今まで帝国軍人として仕えてきた身。今すぐ敵に降り、帝国と戦うのは忍びない。ほとぼりが冷めるまで、王都のどこかに身を隠そうと思っている」
「そ、そんな……」
「奥の部屋には、砦に残った軍資金を置いている。それぞれの隊ごとに分けているから、皆に分けてやって欲しい」
「ま、マダル様!」
あっけにとられる幹部たちを尻目に、マダルはひとり砦を出た。
マダルの背中を茫然と見送った部隊長たちはマダルの言葉どおり、それぞれの隊の将兵に軍資金を配った。そして持てるだけの食料を持って、マダルの後を追うように砦を後にした。
そして、将兵たちも部隊長にならう者が続き、数日後には、東トーチ砦は無人となったのである。
◆
東トーチ砦への輸送が落石により不可能になったという知らせを受け、王国宮廷は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
「食料の輸送が出来なくてはどうするのだ!」
「何とかして補給せねば帝国ににらまれるのではないか」
「それどころか、帝国軍はブラックベリーで立ち枯れてしまうぞ!」
「まさか、帝国が敗れるとでも?」
「誰もそこまで言っておらぬわ!」
「しかし、カルア海で敗れたというではないか」
「我らは一体どうすればよいのだ!」
何しろ少し前までは、東トーチ砦の陥落からインスぺリアル領の完全掌握と、帝国軍の飛ぶ鳥を落とす快進撃が伝えられていたのである。
どうみても不条理なことではあるが、名目上帝国は王国領であるアウル地方の反乱鎮圧とイザベル救出のために出兵している。今の王国の国力では、そんな帝国の横暴にも指をくわえて我慢するしかないのである。
「皆、聞いて欲しい」
数刻が過ぎ、大貴族たちの口数が少なくなった頃を見計らい、公爵がようやく口を開いた。
「もはや、アウルを切り離すしかあるまい」
「し、しかし……」
この日、王国は東トーチ砦の復旧に全力をあげるとともに、アウル地方の所有権を放棄するという方針を固めた。
これは、事実上アウル領の独立を意味するものであった。
◆
王都の外れ。通称『裏ギルド』とも呼ばれるウーゾの店には、この度の輸送部隊に参加した亜人たちをはじめ、多くの求職者が集まっていた。
「今、まさに今! レオン様たちは正念場を迎えているっす! 王国も公爵様も表立ってレオン様の味方は出来ない以上、ここはひとつ、皆の力を貸して欲しいっす!」
もふもふ尻尾をぶんぶん振りつつ、熱弁するモルト。隣ではウーゾが腕組みしながら頷いている。
「アウル領は独立も間近っす。応募者には、この戦が終わり次第、希望の職を斡旋するっす!」
「おい! ブラックベリーは四十万以上の帝国軍に包囲されて、落城寸前だそうじゃねえか。誰がそんな危険な所に行くってんだ」
「どう考えても負け戦だろうが!」
「そうだ、そうだ」
「みんな、ちょっといいか」
モルトの旗色が悪くなったのをみて、ウーゾが素早く援護に入った。
「窮地にあるのは、帝国軍の方だ。何しろ食料の補給が出来ないからな。あと数日ブラックベリーが持ちこたえれば、帝国は根を上げるだろうぜ」
「ウーゾさん、それは本当ですかい!」
「あの帝国が敗けるって?」
「ならば、辺境伯に付くのもアリか」
「そもそも、クラーチ家には世話んなったし」
ウーゾの一言に、場の雰囲気は一転。多くの亜人たちが協力を申し出た。
ここには元々帝国のことを良く思っておらず、出来ればレオンたちの力になりたいという思いを持っていた者が多いのだ。
「ウーゾ、恩に着るっすー!」
「俺もこれ以上王都に留まるのも危ないしな。アウル領も独立することだし、俺はこの店をたたんで、レオン様の所に厄介になりたいんだが、いいか?」
「もちろんっすー!」
「公爵家には筋を通してある。この分じゃまだまだ希望者は増えそうだな」
「楽しみっす~♪」
「おい、俺はまた尻拭いかよ」
「バド、申し訳ないっす!」
「店と裏ギルドを畳むまでの店番位ならしてやるさ」
「恩に着るっす」
「落ち着いたら、美味いエールを奢れよな!」
翌日、モルトとウーゾは店と裏ギルドをバドに任せて、百名近い人数を率いて王都を出発したのであった。




