第5章 争乱編 第34話 決戦前
「しかし、まさかここまで思い切ったことをするとはの。さすがの儂も驚いたぞ」
インスぺリアル艦隊旗艦『イザベル』の艦橋では、キールがあきれ顔でため息をついていた。ハウスホールドを出発し、そろそろ岸が見えなくなってきた頃である。
「だって、おば……いや、お姉さまなら、きっと私のわがままを聞いてくれると思いましたもの」
キールの顔を覗き込んで、にっこりほほ笑むイザベル。
「あのときは、儂も面食らったわ。まさかそなたが城を抜け出し、直談判に来るとはの。王姫からの領主に対する頼みなら断っておったぞ」
「……」
「だがの。ひとりの女として、あそこまで頭を下げられたなら話は別じゃ」
「あのときは、夢中で……このチャンスを逃したら一生後悔すると思いましたの」
「もし、リュークの奴にばれたらどうするつもりだったのじゃ」
「船にさえ乗り込んでしまえれば、こちらのものですわ。カルア海でインスぺリアルに勝るものなどありませんもの」
「くっ……。ふはははは! 本当に仕方のない奴よの」
イザベルの答えが気に入ったのか、豪快に笑い飛ばすキール。
「まあよいわ。そちの母の名を冠したこの船は、戦場で最も安全な場所に違いないからの。それに、そちの恋敵たちは、レオン共の側で戦っておるのだ。ひとりカヤの外ではそれこそ不公平じゃろう。最終決戦も近い。レオン殿の戦いぶりをここから見るがよいわ」
キールはそう言ってイザベルの髪を優しくなでたのだった。
◆
「お兄様、今回使う矢の準備が整いました。各隊に配備も完了しています」
「レオン様、みんなの戦時食の用意もできましたの~」
「食料及び、武器や弾薬の備品の確認も終わりましたぞ」
「よし! カール、皆を集めてくれ」
既にブラックベリーでは、万全の備えが整えられていた。
間近に迫った帝国軍の総攻撃を前に、俺は領主館の大広間に第一騎士団の隊長をはじめとする主だった者を集めることにしたのだった。
◆
領主館の大広間にはテーブルが置かれ、様々な調味料や薬味、タレなどが所狭しと並べられている。
訝しがりながらも、全員が席に座ると、ニーナを先頭にメイドたちがそれぞれ器に入った白い麺料理を次々と配膳していった。
「お兄様、これはパスタのようなものでしょうか?」
「私も長らく大陸で商売しておりますが、初めて目にしますぞ」
ドランブイが訝しがるのも無理はない。俺が用意したのは、倉庫に大量に積まれた小麦を使った異世界料理。
祖父の蔵書にたまに出てくるこの麺料理。その名を「ウドン」という。
料理が好きだった祖父も、これに合う好みのスープが難しいということで、クラーチ家でもほとんど食卓にのぼらなかったはずだ。セリスが知らないのも無理はない。
確か『カケウドン』が上手く再現できなかったなどと言っていたように思う。
「試しに作ってみたら、麺だけなら案外簡単だったぞ。ここに色々な薬味やスープを入れて食べてみてくれ」
「……おおっ、これは!」
「こっちのも、なかなか」
「卵を上に乗せるのもいけるぞ!」
「野菜の細切れを散らすのもいいな」
各々それぞれ、好みでアレンジしてくれている。
普段あまり交流の無い第一騎士団の隊長たちも「ウドン」を気に入ってくれて何よりだ。
ブラックベリーの食糧庫には、異世界で「コムギ」と呼ばれるものによく似た穀物が山とある。しかも湯量豊富な源泉のおかげで、ゆでるための燃料も必要ない。
ブラックベリーの看板商品『ドラゴンソルト』と、ほのかに薫る温泉水でつくった麺は我ながら絶品。
よくよく考えてみれば、これほど我が領にピッタリな食べ物もないだろう。
「ところで、レオン様。帝国軍の総攻撃が迫る中、我らを集められたのは何か他に大事があるの~? で、でしょうかっ!」
三人前をぺろりと平らげた、パンデレッタが口を開く。
モルトと違って俺の前では、多少くい気味ながら、頑張って敬語を使おうとしてくれている様だ。
「うん。今回の戦いについて皆に説明しておきたい。いらぬ憶測や噂が流れるのを防ぎたいしな。食べながらでもいいから、聞いて欲しい」
俺は、この度の戦役の作戦を掻い摘んで話したのだった。
――――――
まず、東トーチ砦にて、インスペリア軍五千が帝国軍の先鋒を防ぎ。
その間、残りのインスぺリアル軍で、領内におけるめぼしい物資をハウスホールドへ全て運び込む。
そしてブラックベリーは、帝国軍がどれだけ大軍で攻めてこようが持ちこたえる。
焦れた帝国がハウスホールドに向けて出撃すると、インスぺリアル艦隊がこれを叩き、ブラックベリーの港を封鎖。
その後、東トーチ砦の北側の岩山を崩して封鎖し、帝国軍の補給路断つというもの。
そして、今やこの作戦の成否は、ブラックベリーが陥落せず、持ちこたえられるかにかかっていた。
腹をすかせた帝国軍は、蟻が蜜に群がるように、砂漠の中の食糧庫とも言えるブラックベリーに押し寄せてくるに違いない。
もし、ここでブラッベリーが陥落すれば、帝国はこの度の戦いでインスぺリアル領と、アウル領を得ることになる。
そしてやがては王国も自らの胎内に取り込み、大陸は帝国による統一に向けて一気に動き出すことだろう。
――――――
「我らの命だけでなく、ハウスホールド、そして大陸の未来は、皆の奮戦にかかっている。総攻撃が何度繰り返されようが、このブラックベリーを守り抜いてもらいたい」
「お兄様、まかせてください!」
「レオン様、ニーナがついてますの~♪」
「ボクも頑張るもんねー!」
おそらく帝国の食料はあと十日も持たないだろう。
さて、帝国軍の判断はどう出るか。
帝国軍は、東トーチ砦方面を目指して撤退、もしくはアウル砂漠を突っ切ろうとする手もあるはずだが、さて……。
「申し上げます! 帝国軍の陣に動きがあります!」
どうやら帝国は、撤退ではなくあくまでブラックベリーを屠ることに決めたようだ。
最終決戦は目前に迫っていた。




