第1章 王都追放編 第13話 あ奴
このトーナメントに優勝して、特別試合で確実に自分の対戦者になるであろう、若き伯爵家の跡取り。こ奴は、伯爵家とはいえ、名ばかりで領地も役職もなければ宮廷における権力すらない一貴族の跡取りである。したがって、政治的には別に怖くはない。
しかし……。
試合を見るに、ひとりの剣士としてはまことに恐ろしい存在である。これまでの試合を見た以上、確実に言える。さすがはあ奴の孫だ。
自分は一度こ奴の祖父と立ち会い一撃のもとに斬り伏せられたことがある。戦場ではなく、地方の小さな大会だったことが不幸中の幸いだった。
正直、自分は木刀を持って現れたあ奴をなめていたと思う。今となっては何とも恥ずかしいことではあるが。
あ奴らの流儀はこの世界のどれとも違う。とにかく最初の一振りに全身全霊をかけているのだ。思い出すだけで背筋が凍りそうだ。
そしてあ奴は確か、酒の席でこんなことを言っていたように思う。
『一の太刀を疑わず』。そして『二の太刀要らず』。
相手より髪の毛一本でも早く打ち下ろすという先手必勝の鋭い斬撃こそあ奴らの神髄。もちろんそんな流儀はこの大陸中探しても他にはない。そしてこの精神は孫にも脈々と伝えられているようだ。
かつて、自分は互いに酒を酌み交わしたことを思い出していた。
◆
当時、王国の騎士団長をしていたあ奴の部屋。団長室というにはあまりにも粗末なものだった。
自分はそこであ奴と酒を酌み交わしていた。いい感じに場が和んだころ、自分はずっと疑問に思っていたことを、あ奴に聞いてみた。
「そなたの剣は、凄まじいよな」
「うん……」
そう言うと、あ奴は、少し嬉しそうに、顔を上げた。
「しかし……ところで、お主……」
「何だ」
「かわされた時は、どうするのだ?」
……。
「考えぬな」
あ奴はそう言いつつ平静を装ってるように見えた。少しは動揺するかとも思ったが顔色をひとつも変えることなく淡々と応えたのである。
「と、とはいえ、かわされることもあるのでは?」
心なしか少し上ずったような自分の問いかけにも、あ奴は平常心を保ったままのように見える。
「……」
「……一体、そこの所は、どうなっておるのだ」
恐らく今まで幾度も聞かれ、自分でも自問自答してきたのであろう。あ奴は静かに首を振ったのみだった。
「え……。ま、まさか……」
何と、あ奴が言うには防御のための技は一切無いらしい。
◆
かつて、ある格闘技の世界王者が、試合前にインタビューされたときの逸話が残っている。
「もし、これで、負けるなんてことがあれば、勝負は時の運なんて言えないのではないのでしょうか」
この少々失礼ともとれるインタビュアーに対して、チャンピオンはこう言ったのだ。
「はじめから、負けること考えている奴なんかいるかよ!」
こ奴らの剣はまさにそれだ。はなから負けること、いや初太刀という最初の一撃を躱されることなんて一切考えていない。
◆
これから行われる決勝戦が迫っているにもかかわらず、シークは全身の皮膚が粟立つ感じも、ひりつくような寒気もまだ収まらない。
とにかく初太刀は外す。あ奴らと相対したときにはそれしか勝ち目はない……。
試合場では、あっという間にトーナメントの決勝戦が終わった。自分の予想通りである。当然の結果だ。
確かに王子には、自分が一から剣を指南した。彼には才能や気質が備わっており、若い貴族連中の中では、抜きんでた逸材。間違いなく優秀だ。
しかし……。剣技を、紳士のたしなみのひとつとして、身に付けている者と、ひたすらに武として練り上げてきた者とが立ち会えば、勝敗は火を見るよりも明らかである。
仮に実力は同じでも、いや例え力量が劣っていたとしても後者の方が強い。そしてこ奴は、これまでの試合を見る限り、祖父の血をそのまま濃く受け継いでいるようだ。
見たところ技量は祖父よりまだ低い。今ならまだ紙一重で勝てるかもしれない。
会場は騒めいているが自分はそれどころではない。この後に予定されている特別試合までの間、少しでも心を鎮めることにしよう。
そしてこの勝負に限っては手段は選ばない。もう覚悟は決めている。もしこの試合に無事勝てたら次からは演武のみの出場ということにしてもらうつもりである。
…………。
「時間です」
シークは両の掌で小さく口元を抑えると、ゆっくりと会場に向かっていったのだった。




