第5章 争乱編 第29話 カルアの海賊
「こりゃ、帝国の圧勝だな」
「しかもこの第三軍は、噂じゃあ、二十五万の大軍だそうだ」
「南部の諸国は気の毒に」
「帝国に逆らうからこうなるんだ。自業自得さ」
このところ、王都は帝国の噂で持ち切り。
帝国側の情報統制を含めた宣伝活動もあってか、街の人は帝国の圧倒的優位と見る人がほとんどである。
何しろ、東トーチ砦の陥落後、瞬く間にインスぺリアル領を制覇した帝国軍は、大軍を持ってブラックベリーを包囲中。
そしてこの度、次の作戦に向け、新たに編成された第三軍が王都に入城。
沿道の人たちの拍手と紙吹雪が舞う中、堂々とした姿を見せたばかりである。
「帝国の大陸統一も近いな」
「でもよ。もしそうなりゃ王国は一体どうなるんだ」
「そりゃあ……帝国に飲み込まれるしかないだろうぜ」
「やっぱりか」
「ああ。残念だけど仕方ないさ」
「……」
同盟国の活躍に沸く王都ではあったが、この戦いの果てに待つ未来を思い、王国の人々は心から喜べないでいたのだった。
そして王国では、帝国の要請を受け、食料を中心とした大規模な輸送隊が急遽編成された。
しかし、王国は人的資源が底をついている。
今の状況ではやむなしと判断した宮廷からの具申もあり、グレン公爵は国王代理の名の下に、人員の大半を裏ギルドに依頼する文書に署名したのであった。
◆
その頃、東トーチ砦には、帝国軍が続々と入城していた。本陣からの命である二十万を上回る総勢二十二万の兵である。
その隊列の長さは、最初の兵が来てから二日後になってようやく殿の部隊が到着するといったものだった。
ここまで隊列が延びたのは、訓練の一環としてのことだそうだ。
第三軍は到着順に次々と回送されてくる船に乗り込み、ブラックベリーへ向かう。
さらにその後には長い武器や資材の荷駄がこれまた延々と続いている。
最後に到着するのは、食料を中心とした輸送部隊。
この隊は、王国に依頼して急遽、出してもらったものだが、東トーチ砦には何日か遅れて到着することとなっている。
何しろこの度の戦で王都も人手不足。編成に手間取って遅れた分、王国は追加の食糧を供出するということで話が付いている。
そして、ブラックベリーの街を包囲中の帝国軍は、二十五万の大部隊の乗船がはじまった。ハウスホールド目指して出撃する体勢が着々と整えられつつあったのである。
◆
「用意は出来たか」
「はい、キール様。砲弾に弾薬の積み込みも終わり、全艦いつでも出航できます」
「うむ」
ハウスホールドの港にはキールが率いてきたインスぺリアル軍が集結。ぞくぞくと戦艦に乗り込んでいた。
これまでキールの艦隊は、カルア海において、ハウスホールド沿岸から中心部にかけて演習を積み、来るべきときに備えていた。
そしてついに、キールたちインスぺリアルの集大成が試されるときが刻一刻と迫っていた。
「申し上げます! ブラックベリーの港にて大きな動きあり。帝国軍は、ハウスホールドに向けて出港した模様です!」
「ほう、ようやく来おったの」
伝令の報告を聞き、ニヤリと笑みを浮かべるキール。
「海の状態はどうじゃ」
「本日、天気晴朗なれど、波高し」
「おお! これは、またとない戦日和。天は我らに加護をくれたぞ!」
物見が報告した「天気晴朗」というのは、帝国軍が乗る船より巨大なインスぺリアル艦隊からは、敵をいち早く見つけることを意味する。
そして「波高し」というのは、中小の小舟が多い帝国軍には、まるで外洋を行くがごとく、転覆の可能性をはらんだ危険な波であるということである。
普段は鏡のように凪いだカルア海だが、今日のように時折、荒らぶる一面を見せることがある。それがよりによって今日だとは。
普段神などを信じないキールも、思わず天を仰いで感謝したほどである。
「よし、帆をあげろ! 我ら山エルフの戦いぶり、帝国の奴らに見せつけてやろうぞ!」
「おおおぉぉぉーっ!」
青サソリの甲羅があしらわれた軽甲冑に身を包んだキールは旗艦『イザベル』の艦橋に立ち、シミターをすらりと抜いた。
その姿は『カルアの海賊』そのものである。
「インスぺリアルの興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ!」
キールの言葉を合図に、旗艦にはインスぺリアル領の旗が掲げられた。
するすると掲揚された旗は、カルア海の風を受け、誇らしげにはためいている。
「うううっ、キール様っ!」
「うえ~~ん!」
「インスぺリアル、バンザーイ!」
艦隊に乗り組む山エルフたちの中には、インスぺリアルの国旗を目にして感極まって泣き出す者も多数。多くの者が声に出さないまでも、目を赤く腫らしている。
「海に乗り出してからこれまでの長き間。我らインスぺリアルの山エルフが、代々磨きに磨いてきた腕の見せどころじゃ! カルアの海賊の名を大陸中に響き渡らすのは、今ぞ!」
(数にものを言わし、小さきものをねじ伏せようとする帝国め。そなたらの行い、仮令天が許そうが、儂は決して許しはせぬ!)
こうして、帝国軍二十五万に、山エルフたちは万感の思いを胸に挑みかかっていったのだった。




