第5章 争乱編 第27話 日常
「ああっ! レオン様~!」
ハウスホールドの王宮の一室。リューク王の私室より広くて豪奢な一室では、イザベルがいつものようにクマの『レオン君』を抱きしめながら身をよじらせていた。
「失礼します。イザベル様。お茶が入りました」
「ち、ちょっと待って! 今いいとこ……じゃなくて、ちょっとお待ち~~~!」
――――――
「本日はイザベル様お気に入りのブルームーン産のフルーツを使ったケーキとタルトです」
「まあっ! ありがとう。でもレオン様は今頃、戦場におられるの。なのに私だけこのようなスイーツは……」
「……決めました! 戦場のレオン様の事を思い、私は今日からケーキの数をひとつ減らします!」
「イザベル様、そのようなご決断、本当によろしいのでしょうか……」
「戦地のレオン様のことを思えば、これくらい平気ですわ」
そして、イザベルは、紅茶に軽く口を付けた後、ケーキの皿から小さなかけらを一口、口に入れたのだが……。
「あら、おいしい!」
やっぱり明日からにしようかしら……。
落ちそうなほっぺたを両手で押さえ、モグモグが止まらないイザベルなのであった。
◆
「レオン様、お茶が入りました。早く召し上がってくださいまし~♪」
「お兄様、私も手伝ったんですよ♪」
「わかった、今行く!」
俺は読みかけの資料に付箋をはさみ、キッチンへ。
ちなみに今日は三日に一度の非番の日。この日は、帝国の攻撃など何事も無ければ、ブラックベリーの最高責任者をカールに任せているのだ。
むろん帝国軍に動きがないことが前提なので、本当の意味での完全な休日とまではいかないが、それでもいい息抜きになっている。
「お兄様、お味はどうですか?」
「ニーナとセリスちゃんの新作ですの~♪」
――――――
「う、うん……やっぱ少し甘いかな……って……ゴハッ! み、水! 水をくれ!」
“ゴクゴクゴク……プハーッ!”
「何でケーキの中に辛いのが入ってんだ!」
「…………」
「え、あ、いや、ごめん!」
「……」
「ほ、ほら、完食したぞ! 少し辛かったけど、美味かった!」
どうやら、甘いものが苦手な俺の口に合うように、二人で何度も試行錯誤してくれたようだ。
今にも涙がこぼれそうな二人に謝りながら、必死で完食した俺の目にも涙がこぼれそうなのだが。
あ、あの……二人ともお願いですから、俺に食べさせる前に一度は自分たちで試食してください。
特に、ニーナは自分で作ったのをいきなり俺に食わせようとするの、子どもの頃からずっとなんですが……。
そして、ブラックベリーの街では、毎日店がオープンし、領主館広場では足湯や露天風呂も造られた。
特に温泉施設は、たちまち山エルフの職人や騎士団員たちの憩いの場となっている。
所々、カップルらしき者たちや、それをひやかす友人たちなどもちらほらみられるようになったのだ。
後は、皆から愛される新たな名物が出来たらな。
日課の素振りを終えた俺は、膨大な備蓄倉庫に眠る穀物の新たな使い道を考えている。
何かもう少しで、いいアイディアが降りてきそうなんだが……なんだかもどかしい。
三十五万近くの帝国軍に包囲されながらも、ブラックベリーの領主館ではいつもの日常が流れていたのだった。
◆
ブラックベリーを包囲している帝国軍も、総攻撃後は大きな動きが見えない。
しかし本陣では、次の作戦に向けての準備が着々と進められていた。
皇帝は、体調が思わしくないようで、最近はめっきり伏せりがちである。
本陣に詰める側近たちには、この度の皇帝親征に込められた皇帝の想いを理解していた。
なぜ、皇帝が老齢を押して出陣しているのか。全ては幼き次期皇帝のためである。
高齢になって初めて男の子に恵まれた皇帝は、何としても自分が目の色が黒いうちに、大陸を安定させ、幼き我が子に後を継がせたいとの思いに駆られているのだ。
「おい、何か今日は一段と少なくないか」
「ああ、そうだな」
「味は最初から期待してないんだが、せめて量くらいは満足させて欲しいものだぜ」
硬い黒パンに、しょっぱいだけのスープ。
それでもパンは、昨日までは一人当たり、握りこぶし大のモノが三個支給されていたのだが、突然今日から二個に。ただでさえスープの具が最近少なくなっていたところにこれだ。
滞陣が長引くにあたり、帝国本陣は、食事量を減らすことを決定。味に関しては元々無頓着な上、量までも減らされたことで、将兵のなかには不満が徐々に広がっていったのだった。
そして今日も帝国軍本陣では、誰も座っていない玉座の前で、今後の作戦が練られていた。
「山エルフどもが遺棄した船は全てブラックベリーの港に集め終わりました。総勢二十五万の兵を一度に運べます」
「ハウスホールドへ兵を送るには、第三軍の到着など、待つ必要が無いのではないか」
「いやいや、膠着状態にある今こそ、準備を周到に行うべきだ」
「準備もいいが、兵糧のこともある。ハウスホールド入りは早いに越したことは無いぞ」
「とにかく、次は失敗できんぞ」
そして、使者団を送ってから一か月後、帝国はようやく重い腰を上げることになるのであった。




