第5章 争乱編 第16話 南へ
「負傷者をはやく」
「毒の治療はこちらです!」
「水をどうぞ」
帝国本軍の救護班は、前線から次々と移送されてくる傷病者の対応に追われていた。何しろここ数日で運ばれてくる負傷者は数万にのぼり、まだまだ増え続ける気配である。
急遽王国からも救護班を出してもらい、かつ重傷者は後方へ搬送するなど、目の回るような忙しさである。
「全く……帝国は大軍に胡坐をかいてる場合じゃねえよな」
バドも今日から大勢の獣人を引き連れて、傷病者の運搬業務についていた。
搬送要員として、ギルドからも多数の冒険者たちが駆り出されたのだが、それでも足らず、公爵家を通じて裏ギルドにも仕事が舞い込んできていたのだ。
バドの見るところ、この戦争は、帝国の優位は動かないとはいえ、これまでの帝国の戦い方のように、平地を大人数で力攻めするようなやり方は危なっかしいように見える。
イザベルの保護の件より、裏ギルドは公爵家から非公式ながら保護を受けている立場上、今は帝国に手を貸しているのだが、心情的には今もクラーチ家を応援している気持ちは変わらない。
「三十万の帝国本軍が動いてからが本番っすよ……レオン様」
いつの間にか、親友の口調でひとり言を呟くバドなのであった。
◆
「申し上げます! 先鋒部隊、全軍退却してくる模様」
「先鋒部隊の背後より、多数のドラゴンが迫っております!」
帝国軍の本陣では先鋒の相次ぐ敗戦報告を受け、混乱といらだちの最中にあった。
「よ、よ、よくも! 十万もの大軍を擁しながら、あのバカは何をやっておるのだ!」
不愉快極まる報告に、皇帝の怒りが収まらない。
にも関わらず、戦時の習いとして、皇帝が臨席する本陣には、更なる苦々しい報告が次々と入って来る。
「申し上げます! 前線より援軍要請が来ております」
「ドラゴンに強襲され、本軍前線は壊滅、敗走中であります」
「ええい、うるさいわ! トカゲごとき、早う叩き潰さんか!」
皇帝は立ち上がるや、怒りで震える手でワインの入ったグラスを握りつぶした。流れる血など気にせず、玉座から立ち上がるや、大声で一喝。
「直ちにマルコの首をはねよ! 兄弟して腰抜けめが!」
皇帝はそう言うと、その後はお前たちで何とかせよとでも言うがごとく、寝所にさがった。
すでに帝国本陣には、暗部からの知らせで、ブラックベリー陥落の知らせがもたらされていたのである。
残された皇帝の側近たちは、喧喧囂囂。帝国本陣は、たちまち慌ただしさに包まれたのだった。
「まずは、マルコの兄弟だ! あいつ等を早く捕らえねば」
「いや、二人とも行方をくらましているというぞ」
「何と逃げ足の速い!」
「では、前線のドラゴンはどうする?」
「あと一万ぐらい投入すれば何とかなるだろう」
「死傷者は、王国に面倒を見てもらおう」
「軍を先にすすめねば、今度は我らの首が危ういぞ」
皇帝が腹立たし気にさがった本陣では、残された側近たちが皇帝の気持ちを忖度しつつ、ああでもないこうでもないと、頭を悩ませていたのだった。
◆
一晩明け、翌日になっても帝国本陣では議論が尽きない。
本陣に迫って来た五十頭以上のドラゴンは大兵力で包囲し、全て打ち取ることが出来たものの、多大な死傷者を出した。
ただでさえ、先鋒軍の壊滅によりおびただしい死傷者を出しているにもかかわらず、今は陣を払って南進するのもままならない状況である。
「申し上げます! 負傷者の数が増えております」
「すぐに収用せよ。いや、王国にでも面倒を見てもらえ!」
「なら、王都に早馬を」
「ええい、もたもたするな、まず軍の再編をするのが先じゃ……」
「いや、しばし待たれよ」
「そうじゃまずは状況把握が先決なのでは」
「とにかく南へ! 先鋒軍がいた付近にまで全軍を動かそう」
夕刻になって、ようやく帝国本軍は東トーチ砦目指して移動を開始したのだった。
そして、先鋒軍の司令長官のマルコは、義弟と同じく、どこへともなくひとりで落ち延びていったのだった。
◆
一方、砦では、帝国軍の先鋒を蹴散らしたキールたち山エルフが、勝利の宴に酔いしれていた。
「我らの犠牲は、転んで頭をぶつけた子が何人かいるくらいなのです」
「おめでとうございます!」
「さすがはキール様です!」
「まあの……それほどでもあるかの!」
「それにしても、キール様の読みは、ばっちりでしたよね」
「今回の作戦は、儂とレオン殿の二人で考えたものじゃからの」
大森林からしきりに輸入してきたラプトルは、百頭近く生かしておき、この砦でいざというときのために隠しておいたのである。
「帝国領にはドラゴンなんぞおらんからの。奴らもラプトルをみて驚いたはずじゃ」
「食べるのを我慢して、本当に良かったです!」
「美味しい~い♪」
そう言いながら、ラプトルの骨付き肉にかぶりつく山エルフたち。
砦では今日の戦で使われたラプトルたちが、バーベキューとして振る舞われていたのだった。
「皆、今日はたらふく飲み食いしてくれ。明日は皆で南に向かうぞ!」
「えっ、我らは無傷。先鋒十万を打ち破った以上、帝国本軍三十万など、十分に食い止められるのでは?」
「その意気やよし! じゃがの。相手は敗走した先鋒を含め三十五万近くにまでなっておる。いくら何でも分が悪いわ」
「…………」
「……皆、すまぬ」
「い、いえ、キール様! 我々はどこに住もうが、インスぺリアルの誇りは、捨てませぬゆえ」
「そうですとも! どこに移住しようが平気です!」
「お、お前たち……」
「え~ん! キール様ぁ~!」
「寂しいです~!」
「お前たち、どうか許しておくれ」
「いつか戻って来れますよね」
「ああ。その為にも我らは帝国に勝たねばの」
東トーチ砦の戦いで完勝したインスぺリアルも、この度の戦役は無傷では済まない。
翌日、山エルフたちは、一人残らず砦を後にしたのだった。




