第5章 争乱編 第8話 砦の女王
王国との国境付近にある東トーチ砦は、インスぺリアルにとって、国境を守る唯一の要塞にして関所でもある。
今ここには、約五千の武装した山エルフたちが詰めていた。インスぺリアルの総兵力は約一万。そのおよそ半分の兵力をこの地に集結させていることになる。
「ふむ。後はレオン殿だけじゃな」
謁見の間では、キールが大陸南部の地図を広げ、ひとり満足げに頷いていた。
「キール様、砦の補修並びに兵の配置、全て完了いたしました」
「ご苦労。……ところであの返書はちゃんと渡ったかの」
「はっ」
「ふふふ……今頃、皇帝の奴、どんな顔をしておるのやら」
「……それにしてもレオン殿はまだかのぉ。せっかく用意したのじゃが……先に空けてしまおうかの」
そう言ってとっておきの復刻版『近衛騎士団』の瓶に手を伸ばすキールだったのだが……。
「キール様!」
「なんじゃ、これから楽しもうと思うているときに……」
「ただいま、レオン辺境伯様が御着きになられました」
「おお、レオン殿か! 待ちわびたぞ!」
キールはそう言うと、いそいそとウイスキーを奥にしまうと、満面の笑みでレオン一行を迎えたのだった。
◆
「いや~、ようやく着いたったっすね~」
「ああ。ここの関所もしばらく見ないうちに随分物々しくなったよな」
「お兄様、十分にお気を付けを」
セリスはここのところ、ずっと俺の上着の裾を掴んで周囲を警戒し続けている。
インスペリア領に入ってからというもの、山エルフの女性比率が増えるに比例して、セリスの拘束が強くなっていると思うのだが。
急な石段を登ると、その先に聳えるのは、現在キールが指揮を執る東トーチ砦が見えてきた。両側が切り立った崖になっているため、帝国軍はここを落とさねば、インスぺリアル領には入れない。
ここはもともと、古い砦を関所としていたらしいのだが、今回の戦では、かなり手が加えられた様子。キールの居館以上の要塞仕様になっている。
「どうやらかなりの大改修だったみたいっすね」
「ニーナはここに来るの初めてですの~」
「お兄様、戦時とはいえ、お気を付けを」
そして、俺たちは砦に到着するや否や、せかされる様にキールの元に案内されたのだった。
◆
「キール様、お久しぶりです」
「戦時ゆえ、このような格好ですまんの」
目の前に現れたキールはいつもの正装とは違い、青い金属片らしきものが輝く軽革鎧に、サーベルとダガー。
武装はしているものの、たわわに熟した美しさは、むしろ強調されている。
「それからニーナは、レオン様のお役に立てたかの」
「レオン様のお食事は大丈夫でしたの~」
い、いや俺は大丈夫じゃなかったのだが……。
「それはそうとレオン殿。この戦が終われば、わらわと一緒になるというのはどうかの?」
「へ?」
わがままボディーを「たぷんたぷん」させながら妖艶に微笑むキールに、思わず間抜けな返事をしてしまった。
「お兄様!」
「ニーナのものを取らないでくださいまし!」
「男のチラ見は女のガン見っす~!」
お、おい! お前たち、ここは戦の最前線だぞ!
「さっきのは半分冗談じゃ。そんなことより、いい酒が手に入っての。今日は飲もうぞ」
「このようなときに、いいのでしょうか」
「なあに、帝国の動きなぞ筒抜けじゃ。心配せずとも今日明日は動かぬわ」
「ならば、是非」
「さすがは、レオン殿じゃ」
キールはそう言うと、大事そうに『近衛騎士団』の瓶を取り出したのだった。
◆
「ところで、リュークはなんぞ言っとらんかったかの」
「実は……」
…………。
「成る程の……。公爵家の姫はあいつの娘じゃったか」
「はい」
「イザベルと申したか。儂も見知っておるが、あれほどの娘は滅多におるまいて」
確かに、色んな意味で滅多にいないと思うのだが、キールのイザベルに対する高評価は意外だった。
「何もそんなに驚くことは無いぞ。わしは、人を見抜く目には自信があるのじゃ。ほれ、レオン殿もまんざらではあるまいに」
「お兄様!」
「ひどいですの~」
「リュークも望んでおるのじゃろう。このような良縁、滅多にないでな」
「お、お兄様!」
「ひっ、ひどいのですの~!」
い、いやさっきから俺は一言もしゃべってないのだが。なんで俺はこんなに責められているんだ?
「とにかくキール様、縁談のことは置いておいて、これからの方針をお聞かせください」
「なんじゃつまらん。こちらの準備は万端整えておるから大丈夫じゃ」
舌なめずりをして不敵に笑うキール。
いくら戦闘民族と言われる山エルフとはいえ、戦力は一万そこそこ。ハウスホールドをはじめ、大陸南部の諸国の兵力は、総ざらいしても二十万にも満たない。果たして勝算なんてあるのだろうか。
「ところでレオン殿、ブラックベリーはどうなっておる」
「ブラックベリーは力攻めを禁じております。今は包囲して降伏を促す使者を送り、毎晩鬨の声をあげさせているだけです」
「さすがはレオン殿じゃ。あそこは無傷で手に入れねばの」
「何かいい案はありますか」
「うむ……こちらからも、揺さぶりをかけてやるかの」
そう言って、杯をあおるキール。
「キール様は、この戦、どのような作戦を立てておられるのですか?」
「その前に、レオン殿の考えを聞きたいものじゃ」
「恐れながら、こうするしかないかと……」
「……お、お兄様……」
「いくら何でも、それは難しいっす~!」
「いや! さすがはレオン殿じゃ、儂の考えとほぼ同じじゃぞ」
「インスぺリアルには申し訳ないことになりますが」
「気にするでない。それより戦に勝つことが何よりも肝要。共に帝国を倒してみせようぞ」
こうして俺は、キールと固い握手を交わしたのだった。




