第5章 争乱編 第7話 インスぺリアルへ
ブラックベリーは、俺たちハウスホールド軍の包囲が完了し、いつでも総攻撃ができる体制が整えられた。各陣営からは、ほとんど物音がせず、わずかに馬の息遣いが聞こえるのみ。
祖父の書庫で見つけた古い書物にあった「静かなること林の如く……」とは、まさにこのようなことを言うのだろう。
強い軍とは、決して荒くれ者の集団ではない。
統一された指揮系統の下、進むときは進み、退くときは退く。待てと言われればいつまでも待ち、無駄口はたたかない。
俺はかつて王国軍や帝国軍も見たことはあるのだが、ここまで高い錬度の兵は見たことが無い。
「さすがハウスホールド第一騎士団。見事というほかないな」
「いえいえ。全てはシーク様の調練のおかげでございます」
実際に動かすのは第一騎士団の団長であるパンデレッタなのだが、形の上では俺が総司令官である以上、上官という立場になる。
何だかパンデレッタの敬語はこそばゆいような気がするが、真剣さの証なのだろう。軍服を着て謙遜する姿は、かつての騒々しいイメージとはかけ離れたものがある。
俺はパンデレッタと一通り見回った後、指揮所に皆を集めて今後の方針を協議することにした。
「レオン様、城内にはわずか千余りの兵しかおりません。全てお任せ下されば、一気に制圧してご覧にいれます。先鋒はぜひ虎人族にお任せください」
「その申し出は嬉しいんだが、このまま街を包囲して使者を送ろう」
「お言葉ですが、初戦では華々しい戦果を出して士気を高めるのが戦の常道かと」
パンデレッタは、早く武功を上げたいと逸っているようだ。その気持ちはありがたいのだが、俺は住民の命を優先したい。
「中には、アウル領の領民もいるんだ。力攻めは絶対に避けてくれ」
「……」
「何も相手を倒すことだけが武功じゃないぞ。リューク王には、俺の方からよく言ってやるから」
「はい……」
しぶしぶ了承するパンデレッタを見て、もふもふ尻尾が横から割り込んできた。
「ちっちゃいくせに随分、偉そうな奴っすね~」
「な、なんなの~! 君こそ失礼だな! ボクの方が少しだけ背が高いんだからね!」
「おいモルト、いい加減にしろ!」
「だって、こいつ生意気なんす!」
「ボクは第一騎士団を任されているんだぞ!」
「自分だって、クラーチ家の筆頭執事っす~!」
“シャーッ!“
お互い毛を逆立てて、相手を威嚇し合う二人。
生意気なのは、モルトも大概だと思うのだが……。
そして、モルトよ。お前は下手に強気に出ない方がいいと思うぞ。
いくら見た目は似たもの同士でも、パンデレッタは武闘大会の優勝者にして、ハウスホールド第一騎士団の団長。こう見えて俺より強いんだからな!
「レオン様、ブラックベリーはひとまず包囲したまま、インスぺリアルに向かわれるべきかと」
「それがいいですな。どうも戦況はしばらく膠着しそうですし」
「お兄様は私がお守りします」
「ニーナも連れて行ってくださいまし~」
「カールとドランブイはここに残り、パンデレッタと共に包囲を続けてくれ」
「自分はレオン様の側がいいっす~!」
こいつは、俺に守ってもらいたいだけのように思えるのは、気のせいだろうか。
ともかく俺は、モルト、セリス、ニーナを連れ、キールの元に向かうべく、山エルフの船に乗り込んだのだった。
◆
カサティーク帝国では皇帝自らが本軍を率いて出陣していた。
全軍四十万という大軍は、大陸の歴史上初めてのことである。公称五十万と国内外に喧伝され、華々しく帝国を出発。
グレンゴイン王国との国境付近で演習を重ねた後、王国領内を我が物顔で通過した。
ちなみに先鋒の十万は、すでにインスぺリアル領の手前にまで迫っているとのことである。
婚姻政策で固い同盟を結んだ王国が、帝国の要求に対して援軍を出さなかったことは、誤算だが、その代わり王国から現王自身を帝国領内で預かることが出来た。
大陸南部の諸国の兵力は、総ざらいしても二十万にも満たない。王国に対するこの度の出兵要請は、王国の帝国に対する忠誠を試すものに過ぎなかったから、たとえ一人も兵を出さなかったとしても、帝国としては、戦力的に別に痛くはない。
王国が自らの王を差し出すとは、戦わずして降ったようなものである。帝国本軍の陣内では、すっかり気を良くした皇帝が、並み居る高官たちの前で、ワインを片手にご満悦だった。
「もはや、王国は帝国の庭のようなもの。先駆けするよう申し伝えたインスぺリアルからの返事はまだか」
「はっ、これに……」
「うむ……」
恭しく差し出されたキールからの返書を、上機嫌で広げた皇帝だったのだが、一瞥するや、顔を真っ赤にして、文を真っ二つに引き裂いた。
「こ、これほどまでに、無礼な文は初めてじゃ! 先鋒に伝えよ、準備が出来次第、総攻撃じゃ。山エルフどもを一匹残らず生かすでないとな!」
「はは~っ!」
「キールめ、我をここまで愚弄するとはいい度胸じゃ! 八つ裂きにしてくれるわ!」
皇帝の一喝を受け、帝国本軍はインスぺリアルに向かって本格的に侵略を開始したのであった。




