第1章 王都追放編 第1話 追放貴族
カラカラカラ……
俺は、王都から任地へ向かう馬車の中で、うとうとしていた。
外はのどかに晴れ渡り、小鳥のさえずりが遠くに聞こえる昼下がりである。俺は、馬車が奏でるリズミカルな揺れの中で、久々にまったりと過ごしていた。
ガタッ……、ガタタッ……
「痛っ!」
気持ちよくうたた寝していたのに、馬車が急に揺れた。胸に突き刺さるような鋭い痛み。
「痛たたた……」
おかげで俺は、すっかり目が覚めてしまった。
さっきから馬車の揺れが大きくなってきたようだ。王都のコロシアムで行われた試合で痛めた傷は、だいぶ良くなってきてはいるものの、まだ完治はしていない。
王都の中心から放射状に延びる国道は、石畳で舗装されており、馬車の乗り心地も申し分ない。しかし、ここから国内の各都市や他国に延びる街道は半舗装。
この辺りの道は、地面の上に、直接、砂利や小石を敷いて踏み固めただけのものだから、乗り心地も悪くなるというものだ。
この揺れ方からすると、そろそろ街道に差し掛かったのだろう。ここから先は、呑気に昼寝なんてできなさそうだ。
◆
俺の名は、レオン=クラーチ。
新興の伯爵家を継いだばかりであるにもかかわらず、妹と執事のたった3人で、辺境伯として新たに拝領した領地に向けて、ひっそりと『都落ち』しているのである。
「お兄様……」
隣でそっと涙を湛えた瞳を瞬かせているのは、妹のセリス。両の拳を固く握りしめている。
深緑の瞳には、涙が湛えられ、怒りからか朱を帯びた真っ白な肌には、こめかみのあたりに薄く血管が浮いている。
俺の事を守るとかいって、ドレスではなく軍服に身を固めているセリス。間違いなく可愛い妹なのだが、兄としては嬉しい反面、本人の幸せを考えると少々心配だ。
「いくら何でも、今回のことはひどすぎます」
「そ、そうかな……」
「だって、あそこは、王国領とは名ばかりの僻地。本当に王国領かどうか疑わしいという者までいるくらいです。それに……何十年も実際に赴任した者などいないそうではないですか!」
「やっぱり、セリスも、王都の生活が恋しいのか?」
「いいえ!」
セリスは小さく首を振ると、“キッ”と俺の目を見つめて声を震わせた。
「お兄様に対する処遇に、納得がいかないだけです」
「ま、まあ、落ち着けって」
「だって、王都からの追放だなんて……」
悔しそうに唇をかみしめ、綺麗な瞳に涙を湛えているセリスとは対照的に、俺にはそれほどの悲壮感はない。むしろ解放感の方が大きいくらいである。
「そう追放、追放と言うなよ。案外、住めば都かもしれないぞ」
なだめる俺の言葉に耳も貸さず、セリスはふくれっ面をして、ぷいと横を向いてしまった。
俺が元々、口下手なせいもあるのかもしれないが、今だに、この血のつながっていない妹との距離感がうまくつかめていない。そんな気がする。
俺たちを乗せた馬車は、少しずつ舗装が荒くなっていく街道を、相変わらずのどかに進む。
執事のモルトなんて、さっきから俺の横で気持ちよさそうにいびきをかいている。俺は、さっきから狐人特有のもふもふ尻尾を触って和んでいるのだが、こいつは起きる気配もない。せっかくなので、遠慮なくクッション代わりにさせてもらうことにした。
◆
俺が、王都の貴族からはもとより、街の住民からも『都落ち』などと噂されるのには理由がある。
クラーチ家を継いで伯爵家の当主となった俺は、順当なら王都でどこかの閑職でももらって過ごすのが分相応だったのだろう。なにしろウチは所領を持たない所謂法衣貴族。国からもらうわずかな手当だけでは心もとない懐事情もある。
それがこの度の叙任の儀で、俺は新たに伯爵から辺境伯に任じられた。確かに大出世ではあるのだが、問題はその領地。
そこは、一面が不毛の大地で覆われた砂漠地帯だったのだ。アウル砂漠の名をとって『アウル地方』または『アウル領』などと呼ばれているこの場所は、面積こそ一国に匹敵するくらい広大だが、作物もほとんど育たず人口も少ない。
税金をかけても、徴収できる額より王都まで運ぶ輸送費の方が高くつくため、王国としても徴税の義務すら課していないような最果ての辺境なのである。
そして、他の辺境伯と違い、このアウル辺境伯だけは名誉職のような位置づけをされてきた。
これまで、アウル辺境伯として叙任された貴族たちは、自分は王都で生活する傍ら、家の者を代理で現地に派遣することが慣例として認められてきた。
しかし、今回の叙任に関しては領主自ら赴任して領地を治めなければ許されないという。
誰が見ても、出世したというより、王都から追放されたと思うのは当然だろう。
ただし、俺は自ら現地に赴いて領地経営する代わりに、これまで認めてもらっていた徴税だけでなく、王国への出仕や徴兵、更には専売制などといった辺境伯の義務を全てを免除してもらった。
要するに自分の領地を、事実上の独立国のような形にしてもらったのである。
内心、こんなことを要求すれば、王国に対する謀反と捉えられかねないと危惧していたのだが、あっさりと認められた。何だか肩透かしをくらったようで少し寂しい気がするが、要するにクラーチ家など、王国からすれば警戒する必要すらない、吹けば飛ぶような存在だということなのだろう。
まあ、その辺のことも含めて、俺にとっては都合が良かったとも言える。
こんな調子で気持ちよく寛いでいたのだが……。
ガタッ
「い、いてっ!」
もふもふ尻尾を大切そうに抱きながら、涙目で俺を睨むモルト。
「自分の尻尾は、クッションでも枕でもないっす!」
「いいじゃないか。減るものでもあるまいし……」
「いいえ! レオン様は、もっと人の気持ちを考えて行動して欲しいっす!」
怒るモルトに、セリスまで加担してきた。
「そうです。お兄様はもっと私のことも思いやるべきです!」
セリスの援護をもらい、してやったりというような顔のモルト。
「レオン様、これ以上わがままいっちゃダメっすよ」
「そうです、私の話もよく聞いてください」
「好き勝手されると、困るのはこっちなんすからね」
「好きな人なんて、勝手に作られては困ります」
「大体、パーティーに出れば出るほど評判を落としてどうするんすか」
「次からは、私もパーティーに連れて行ってください」
「こんな、主人に仕える執事の身にもなって欲しいっす」
「いつもお守りしている私のことも忘れないでください」
「……」
うららかな春の日差しが差し込む馬車の中。俺はこんな調子で、ここぞとばかり二人から責められているのだった。