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霊障物件取り扱い不動産売買仲介業を営んでおります

 ダラスマス聖王国の王都ダラセスは、切り立った岸壁と連なるデーバ大山脈に接する深い神聖の森を背後にして建てられた巨大な大聖堂と隣接する王城を最奥に、扇状地地形に沿って扇型に造られた、古から今日まで続く大都市である。奥は貴族街、深い堀を挟んでこちら側は庶民街であるが、奥に行くほど裕福な人々が住まうようになる、典型的な配置をしている。貴族街はそれぞれの敷地に森を抱くほどの広大な土地持ちが多いため緑も豊富だ。そのため、果ての城門から入って街を見上げると、深い森の一部に屋根が見えるのが貴族街、と説明ができる。

 王城から南端にある果ての城門までは大通りが一直線に伸びて、そのまま国の大街道に続いている。有事の際には国軍の進撃道となるため、この大通りが狭められることはない。その大通り沿いには大商店や高級宿、役所などの公的施設に各種組合本部が軒を連ねている。

 その大通りから脇に道をそれていくと、商店街に職人街、住宅街という大まかな順番で街が造られていた。東と西にも南門よりも規模は小さめながら門が造られており、こちらからも王城に向かって通りが延びている。街の形成も大通りの事情と大体同じだ。

 こんな自然発生ながら整理された街ではあるが、スラムもまた存在している。門と門の間の、城壁沿いに掘っ建て小屋が並び、スラムを形成しているわけだ。


 そんな古都ダラセスの中央地区東12番通り南31番地に、小さな店がひっそりと置かれている。同業界隈ではある意味有名だが、店構えは大して栄えているように見えないその店は、店先の看板から不動産屋であることが伺える他は特徴のない事務所であった。店の名は、アイマール不動産、という。

 店内には、人影がない。開けっ放しの扉からは誰でも入れる不用心さで、店内入り口脇の受付台に置かれたクッション詰めの籐カゴに白猫が1匹寝ているだけである。左寄りの入り口扉から入ってすぐ左が受付台、右側には低いテーブルと数人掛けのソファが向かい合わせで置かれた応接、奥には紙束が大量に納められた戸棚と、事務机が1台。その奥にはバックヤードに続くドアが1枚と、ドアに『トイレ』と書かれたプレートが貼ってあるドアが1枚。狭い事務所である。椅子の数から察するに、片手で数えられる人数で経営しているらしい様子が窺える。

 応接のテーブルには、飲みかけのカップと何枚かの紙が散らばっており、どうやら接客中であるようだ。散らかされた紙はそれぞれに賃貸物件の案内が記されていた。手書きらしいそれは、いくぶん丸っこい筆跡の文字と定規で正確に描かれた間取り図で構成されていて、価格帯はその間取りにしては少し高めだろうか。室内にトイレが配置されていることと、大きめの炊事場が用意されていることから、値段相応に高級向けの間取りであることも読みとれる。一部には何と珍しく風呂付きだ。


「短期契約となると契約金が3割増しになりますし、長期契約のつもりで借りて途中解約の方がお得ですよ。短期で良いんですか?」

「まぁ、仕事柄手放す手続きが簡単に済むことの方が重要なんで。それで頼みます」

「承知しました。では、確認した内容で契約手続きに入りますね。書類を用意しますのでおかけになってお待ちください」


 話をしながら店内に入ってきた2人の男たちは、一方が客で一方が店員の様子だ。椅子を示して座るように促し飲みかけのカップを持って奥へ行く店員と、促されるままに座ってテーブルに残されていた資料を手に取る客に行動が分かれた。

 淹れなおした紅茶を客に提供し、自分は事務机に戻っていった細い縁の丸眼鏡をかけた店員らしい男は、挟み込み型に一旦入れた紙にいくつかのハンコを捺してそこになにやら記入していく。挟み込み型は定形サイズの紙いっぱいの大きさで、大小様々な枠が刻み込まれたハンコのようだ。小さい方は一般的なハンコと同じく文字が刻まれている。契約書の定形フォーマットをハンコで実現しているわけだ。そこに必要事項を記載し、不動産屋の屋号印を赤いインクで捺していく。

 あっという間にできあがった契約書を持って戻ってきた店員に、紙とペンとインクに針台を渡されて、客はその内容に目を通して指定された場所に自分のサインを記入。目の前で【清浄(クリーン)】をかけて差し出された針で人差し指に傷を付け、血判を捺して完成となった。


「これにて契約のお手続きは完了となります。今日からご使用いただけますが、どうされますか? 引っ越しが必要であれば業者の紹介も可能ですよ」

「いや、持ち物は無いから大丈夫です。今日からお世話になります」

「では、こちらが鍵です。マスターキーは当店で管理しておりますので、何か非常の際はご連絡ください」


 双方立ち上がり、入り口へ向かう。先に歩く客の後に従う店員の図である。簡単に別れの挨拶をして、去っていく客を見送り店員は下げていた頭を上げた。


 その店員こそが、アイマール不動産唯一の店員であり店主であるその人である。名をイスト・セーリャという。先祖代々の不動産業を受け継いで経営している零細企業の社長で、未だ独身の25歳。細工と料理が趣味であり、10代の頃は冒険者であったという変わった経歴の持ち主だ。最近この王都の不動産業界に広まった案内書と契約書の定形フォーマット発信源でもある。

 それまではごく一般的な契約書と同様に都度紙に手書きで契約内容を書き記していたのだが、何しろ不動産業の契約など誰と交わそうと内容はほぼ同じ、住所と間取りと契約金が違うだけなのだ。そして、不動産業は何をするにも契約ありきであり、契約書の作成頻度は他業種の比にならない。あらかじめ決めた形の書類に必要事項だけ埋めれば完成する契約書は業界内で大変喜ばれた。

 定形フォーマットを作り出した本人は、これでパソコンにプリンターがあればもっと楽なのにね、と謎の言葉をぼやいていたという。


 本日の客人が雑踏に紛れて見えなくなって、イストは店に戻るべく後ろを振り返った。その腰に、ドン、と衝撃がきた。

 それは、小さな子どもの体当たりだった。赤毛のボサボサ髪をボサボサのまま2つに分けて縛って、スネ丈で継ぎ接ぎのエプロンドレスを身に着けた女の子だ。それがイストの腰に抱きついて、必死の形相で見上げていた。


「イスト兄ちゃん! 助けて!」


 どうやら、問題発生のようである。


 赤毛の少女は、3軒斜向かいの花屋の娘で、カーラという。今年8歳になる3人兄弟の末っ子だ。普段ならこの時間は近所の同年代の子どもたちと同様に児童学校で勉強の最中のはずの子である。

 その少女が必死の形相ということで、ただならぬ事態を感じたイストは、腰に少女をくっつけたまま店に顔を出し、店内に話しかけた。


「ミルク。状況はわからないけど何かあったみたい。行く?」

「なーん」


 昼寝していたカゴから飛び降りて器用にイストの服をよじ登り、そこが定位置であるように肩に腰を据えた猫を連れて、イストは店の扉を閉めて札を裏返して『閉店中』にすると、カーラの手を引いて彼女の自宅へと向かった。


 東12番通りは、通りの奥に生鮮市場があるおかげで人通りが多い。そこそこ大きな店構えの建物もそれに比例して多い。そのため、3軒隣であってもその玄関先で起こっていることが伝わってこない場合がある。

 この立地もそれだった。少し進んで見れば、3軒隣と斜向かいあたりはちょっとした人だかりになっていた。カーラを連れて花屋に向かえば、店先のおかみさんが少し安心したような表情になった。


「あぁ、イスト。来てくれたんだね。良かった」

「今頃学校にいるはずのカーラが迎えに来たから何事かと思って。どうかしました?」


 尋ねながら、人だかりの方に意識を向けてみた。そうしてみれば、人だかりの注目の先は花屋の向かいである錬金薬局であることが分かる。人々はそれぞれに近くにいる人と噂話に余念がなく、話題の中心はやはりこの錬金薬局の噂話だ。何か前提があるようだが、その話題はとうに過ぎ去ったようで話題には上ってこない。

 ならば、それを知っている様子の花屋のおかみさんに聞くのが筋である。


「カーラは用心のために今日は学校を休ませたのよ。お向かいの店の中で今朝、小間使いのエリックが倒れているのが見つかってね。亡くなっていたのだけど、原因不明だそうなのよ。それで、店主のダーチェスさんを探していたのだけど、少し前から店の奥からドタバタ音がしてて」

「エリックの死因不明が分かってるってことは憲兵さんが来てるんじゃ?」

「それがねぇ。突入していった憲兵さんが逃げ出して行っちゃって、今誰も調べてないのよ。憲兵さんも逃げるくらいじゃ、あたしら一般庶民には何もできないし。今はまだ外まで来てないから良いけど、何が起こるか分からないでしょう?」


 それで、元冒険者の頼れる若い男手というイストに助けを求めてきたという流れだそうだ。何が起こっているのか分からないが人死を起こした事態であることに変わりなく、カーラは怖がって母親のスカートに隠れている。

 ふむ、と頷くような悩むような反応をしたイストは、掛けていた丸眼鏡を下にずらして、フレームの上から覗くようにしてその問題の錬金薬局を見やった。そうして、眼鏡を外しながら深くため息をひとつ。外した眼鏡は胸ポケットに突っ込んだ。


「じゃあ、ちょっと行ってきます」

「呼んどいて何だけど、無理するんじゃないよ?」

「大丈夫ですよ。むしろ俺の専門分野です。任せておいてください」


 ちょっと通してくださいな、と声をかけつつ、人だかりをかき分けてイストが問題の建物に向かっていく。その背中を花屋のおかみさんは不安そうに見送っていた。


 さて、専門分野とはいえ、荒事はできるだけ避けたい性分だ。何しろ、後始末が面倒くさい。こちらの都合など構ってくれないことの多い事情ではあるが、偽らざる本音である。

 まぁ、結果的に荒っぽい事態になっても、フォローしてくれる人材にはいくらか心当たりもあるわけだが。ご近所なので、なるべく穏便にすませたい。

 そういうわけで、商売人を始めてから身に着けた低姿勢で、閉まったままの扉を軽く叩いた。


「ダーチェスさん、セーリャです。入りますよ」


 日の光を嫌う商品を扱っているおかげもあってカーテンの掛かった小さなドアである入り口は、『閉店中』の札のままだが鍵も掛かっていなかった。ノブを回してそっと中を窺い、慎重に侵入していく。

 店内は薬をたっぷり容れた小瓶が棚いっぱいに並べられている、薄暗い空間だった。荒れた様子もなく、いつも通りの姿だ。

 その奥に歩を進めていくと、バックヤードの向こうからドカンバタンと何かが暴れるような大きな音が聞こえてきた。音がしてはしばらく止んで、という頻度のようで、また静寂が戻ってくる。


「ダーチェスさん、いますか?」


 声を掛けながら、奥につながるドアを開ける。

 その向こうは、普段通りの店内とは一変して、荒れ放題だった。


「わお。ポルターガイスト。超久しぶりに見た」

「ぽるたーがいすと? 知ってる現象かにゃ?」

「いわゆる霊障のひとつだね。強力な悪霊が周囲に起こすもので、まぁ、見ての通り。そこにある物を動かす、っていうか投げる、だね」


 平然と会話が成立しているが、イストの会話の相手はその肩に乗った猫だった。うにゃうにゃと口を動かしながら、人語を話している。つまり、この猫はふつうの猫ではなく、精霊か魔物に属するものだった。飼い猫に甘んじているようなので、イストとの信頼関係は疑うべくもない。


 さて、今現在は物が空中に無い様子なので、イストはその先へ進んでいくことにしたようだ。階段を見つけて、向かう先は迷いなくその階上へ。つまり、イストには行くべき先が分かっているのだろう。足音をなるべく立てないように、抜き足差し足上っていった。

 2階が生活空間なのはイストが暮らす店舗兼自宅と同じだ。息子が独立して家を出たため、夫婦とその母親の3人暮らしのはずである。だが、人気がない。

 念のためノックをしてドアを開けてみるが、ベッドの上ももぬけの殻。部屋を確認しながら、奥へと進んでいって、イストはふと顔を上げた。


「あっちか」


 それは、この建物でも通りに面した一番奥の部屋を示していた。眼鏡という壁の無いその目に写る存在の数は何故か5つ。うち3つはこの家の住人だろう。そして、残りの2つがおそらくは事態の原因。


「この家自体には何もいなかったはずだから、どこからか呼び込んだんだろうけど」

「トラブルでもあったのかにゃあ?」

「ダーチェスさん一家を呪うとかきっかけがさっぱりだけど。偶然呪いの籠もった何かを手に入れちゃった説を推したいね」

「ありえるにゃ」


 どちらにせよ、推測の域にすらない。場所が判明したので途中は飛ばして、イストはそのまま奥へ向かった。今までと同じようにノックをして室内に声を掛ける。


「ダーチェスさん。失礼しますよ」


 声をかけてから、返事を待たずにドアを開けた。手前に引いて開けるドアをゆっくり開いて、中を覗きこむ。

 あったのは、折り重なって倒れる3人の男女の死体だった。そして、見えたのは自分の身体に寄り添ってふるえる家族3人だった。それと、彼ら家族を挟んで左右にそれぞれ仁王立ちする、男女の霊。一方は貴族らしく着飾った若い男で、もう一方は襟刳りが胸元まで大胆に開いた妖艶な雰囲気のドレス姿の女性である。

 その5人に、イストは一斉に注目を浴びた。


『何者だ!』

『あら、どなたかしら?』


 異口異音だが内容は同じな誰何の声と、イストの名を呼ぶ3人の顔見知り。注目を浴びたイストは軽く肩をすくめた。


「ダーチェスさん、間に合わなくてすみません。こちらで責任もってお弔いさせていただきますので安心されてください」

『いや、それは、うん。任せるよ。それは良いんだが』

「こちらのお二方ですね。どなたです?」

『分からん。そっちの男が昨夜突然現れて家捜しを始めてな。我々はここまで追い詰められてこのザマだ』


 死んでもなお恐怖から逃れられずここに留まって震えているしかない3人家族の認識は、これで全部のようだ。しかし、そのダーチェス家主人の言葉から、霊であるはずの見知らぬ男が生きているうちのダーチェス家の人々にも見えていたことが窺えた。

 説明を聞いて、イストはまずその説明に挙がった男の霊に目を向けた。


「どちら様でしょう?」

『貴様こそ何者だ!』


 戻ってきたのは繰り返しの誰何で、どちらも解決にはほど遠い膠着状態を生み出しかけていた。ふむ、と少し考えて、イストは姿勢を正し軽く腰を折る。


「霊障物件取り扱い不動産売買仲介業を営んでおります、アイマール不動産店主でございます」

『不動産屋に用はない。引っ込め』

「そうは参りません。どうやらこちらの物件にて霊障をもたらしているご様子。悪霊化されているのであれば力づくでお引き取りいただきますが?」


 脅してみたような台詞だが、イスト本人の飄々とした姿からはそうは見えず、男の霊は憮然とした様子だ。そのまま黙り込まれてしまったので、イストは軽く肩をすくめて首を振った。諦めて、ダーチェス家一家を挟んで反対側の女性を振り返る。


「こちらのご婦人はどちら様でしょうか?」

『通りすがりの娼婦よ?』

「いえ、さすがにこんな強力な他人の霊域を通りすがらないと思います。こちらの殿方のお知り合いですかね」

『そうね、生前のお得意さまね。身請けを申し出ていただいてお断りしていた程度の間柄よ』

「単純によくある話にしてしまえば、痴情のもつれですか」

『間違いじゃ無いわねぇ』


 おっとりと素直に受け答えしてくれる彼女は、けれど、正解でもないわねぇと苦笑する。


『今回の件で言えば、私は巻き込まれただけなのだけれど。そこにドレッサーがあるでしょう? あれが私の依り代。生前のお気に入りだった家具なのよ。何かのご縁でこちらに引き取られて使ってもらえていたのよね。だから、今の持ち主を殺されてしまって、そこの男には私も怒っているのだけど』

「何故ダーチェスさんご一家が巻き込まれる羽目になったかは、ご存じで?」

『私を捜して家捜ししながら大暴れしていた弾み、かしら』

「とばっちりを受ける身になって欲しいですね」

『全くよねぇ。昔から思いこみが激しいのよ、男爵様。だから身請けのお話もお断りしていたのだけど』


 なるほど、付喪神(つくもがみ)ですか、とイストが小さく呟いた。それに、男の霊の生前の身分も明らかになったようだ。貴族と判明してイストは面倒くさそうになったが。


「それで、男爵様のご要望はどのような?」

『要望などではない。それ(・・)は我が妻となる女だ。分かったらこちらに引き渡せ』

「それはできません。納得して愛用の家具に取り憑き守護なさっているこの女性は、精霊へと昇華をなされる運命を自ら引き寄せられた徳の高い方です。悪霊に片足突っ込んだあなた様がどうこうできる身分ではありません。どうぞ、逝くべき道へお引き取りを」

『何を訳の分からないことを。我が妻を連れ戻して何が悪い』

「いえ、ですから、まだ奥様ではないでしょう? 断られたのだから男らしくきっぱり諦めなさいな」

『えぇい、喧しい! 御託はどうでも良いのだ、それ(・・)を寄越せ!』


 元々説得する気など皆無な台詞を遠慮なく紡いでいたイストに、肩に乗ったまま成り行きを眺めていた白猫が呆れた表情で飼い主を見ていたが。

 激昂しだした男の霊の感情に合わせて室内の軽い物品が色々宙に浮き上がるのを見て、飼い主の肩から足を宙へ踏み出した。そのまま空中に数歩駆け、前足で中空を猫パンチ。


「喧しいのはそっちにゃ!」


 パンチしたその場所から瞬間で広がった虹色の透明な幕のこちら側で、宙に浮いた物たちが下に落ちる。つまりは、それは男の霊障から身を守るバリアのようなものだったようだ。

 その飼い猫の横にそっと進み出て、イストはポリポリと後ろ頭を軽く引っかいた。


「やっぱり、聞く耳持たないタイプですよね。知ってました」

「説得する気も皆無だったにゃ。イストの言える台詞じゃ無いにゃ」

「まぁ、どうせ人殺しだし、力業であの世へ叩き出した方がすっきりするじゃない。それに、説得とか苦手なんです。言葉下手なので」

「知ってるにゃ」


 虹色の幕の向こうで暴れ回る家具類と影のない人の錯乱する姿と、こちらの呑気さは実に対照的だ。慌てる様子も全くなく、それどころか、さっさと片づければ良いものを無為に先延ばししているようにすら見える。

 が、その理由はすぐに判明した。イストが入ってきてから開けっ放しだった部屋のドアから、何人かの憲兵が踏み込んできたのだ。彼らを待っていたらしい。

 重なり合った3名の死体と魔法的な虹色の幕、その向こうでは物が勝手に飛び回る超常現象。踏み込んだ途端、憲兵たちは唖然とした顔をして室内を見回している。それから、確実に生きた男であるイストと宙に浮く猫に、説明を求めるように縋るような表情を見せた。

 その憲兵たちの後ろからゆっくり現れた、憲兵たちの上司にあたるらしい少し良い身なりをした大柄の男がやってきてイストを発見、ほっと息を吐く。


「なんだ、イストがもう来ていたか。なら、解決だな」

「いやいや、クリスさん。何があったとか、不法侵入だとか、職務に忠実な台詞をまず口にしませんか」

「そんなもん、時間の無駄だろ。あとで事情聴取な。目撃する第三者を担ってやるから、さっさと片付けろ」


 しっしっと追い払うように手を振るその憲兵の上官に、ほんのりと苦笑を浮かべて小さく頷いて。

 改めて、相変わらず暴れている悪霊じみた男に向き直る。


「命を失ってなお他者の命を尊ぶこともできない魂に救済などもったいない。あの世の牢獄にて悔い改めなさい。【神々の裁定(ジャッジメント)】」


 身振りも手振りも何もなければ、詠唱も陣も介さない。ただ発動の声明のみで、高位神官に許された上級神聖魔法を行使する。

 それがどんな異常な事態かは、おそらく神殿の関係者ほどしみじみ理解しているのであろうが、ここに揃ったのは庶民と公僕のみであって、誰もが違和感を感じることもできずにいた。

 ただ、行使された神聖魔法の効果は絶大で、真っ白に輝く光が一瞬にして室内に満ち溢れ、次の一瞬には暴れていた悪霊の姿を消した以外はそのままの情景に戻された。宙に舞っていた大小様々な家具や物品がバラバラと床に落ちていく。


「はい、こちらはおしまいです。ダーチェスさんたちは天の楽園へお送りしましょう」

『おかしいわねぇ。イストくんっていつ神官様にジョブチェンジしていたのかしら』

「昔少し無茶をしていた名残ですよ。一応本物の神官ですから、安心してお任せください。心残りはありますか?」

『心残りは色々あるが、後のことは生き残った者に任せるよ。やってくれ』


 不思議そうな若奥さんと潔い返答をする店主に、向き合ったイストが少し寂しそうに眉を下げ、その表情を隠すように頭を垂れた。胸元で聖印を切り、両手を合わせて指を絡める祈りの姿勢で数秒停止。それから、顔を上げて晴れ晴れと笑った。送る側は笑って見送るものだ、という聖教の宗教観に則った姿だった。


「はい。では、参ります。【神々の祝福(ブレッシング)】」


 こちらも変わらず、詠唱も陣も無く、なんなら葬儀の形式すら無い。儀式は埋葬の時に参列する人々とともに行うのだから、ここでは簡単に見送るだけで良いのだ。またもや部屋を満たした光は、今度はとても暖かなものだった。

 3人の犠牲者を見送って周りを見回せば、霊の言葉は分からずともイストの言葉と行動で何をしたかは理解したらしく、憲兵たちが祈りの姿勢で追随していた。それに、ドレッサーの付喪神である元娼婦の霊も。


「じゃ、詳しく聞かせてもらうぞ、イスト」

「はい。ダーチェスさんたちのご遺体はお任せしても?」

「おう。事件現場の検証はこっちの仕事だ。後は任せてもらう。埋葬の儀はイストに頼むか?」

「いえ、いつも通り聖教会にお願いしてください。片づけの終わったこちらの物件の売買取り扱いはお任せいただければ、きちんと浄化して次の持ち主になられる方へ適切にお引き渡ししますよ」

「まぁ、イストはそっちが本業だわな。事故物件にされちゃ、この犠牲者も浮かばれないだろ。まぁ、何にしろご遺体と一緒に事情聴取する必要もあるまい。詰め所で聞こうか」

「むしろまるで私が犯罪者ですよねぇ」

「そこは首突っ込んだツケだな。諦めろ」


 さぁ移動するぞ、と部下たちを連れて部屋を出ていく上官、クリスの後ろ姿を見送って、イストは残った当事者の最後の1人である元娼婦の霊を見やり、軽く微笑んでみせた。


「片付けは引き取りを担当する不動産業者が代行する事になりますから、またお会いすることになるでしょう。今後の身の振り方はその時にご相談しましょうか」

『それで、よろしいのかしら? 私も加害者の側でもあると言える立場なのは自覚があるわ』

「加害者は全面的に先ほど地獄送りした男爵様おひとりですよ。ところで、何故このような一見関係のない家で鉢合わせに?」

『それがね。先日この店から買った薬がよく効いて命拾いしたとおっしゃる貴族様から、お礼の品として店を飾るようにと小さな絵画が送られてきたのだけど、どうもそれに憑いていたようなのよね、男爵様』

「それはつまり、子孫の命を救った錬金術師の命を先祖が奪ったという、何とも恩知らずな結末ということで?」

『その命を救われた貴族様が血縁なら、そうなるわね』

「そっちの貴族様のフォローも必要ですね。貴重な情報ありがとうございます」


 なんという救われない事情か。むしろ後始末の方が頭の痛くなりそうな事実に、さすがのイストも深いため息を禁じ得ない。

 端で聞いていた白猫は、人間では無いからかどこか他人事の様相でイストの肩によじ登り、くわっと大欠伸をかました。


 なお、問題の絵画は店の入り口脇に無造作に転がっていた。近くには今朝最初に発見されたエリックの愛用していた鞄も落ちていて、ここにその絵画を持ち込んだのがクリスだったことが分かった。本人の霊はすでにここにいないようなのだが、迷わず成仏できていれば良いのだが。



   ※



 数日後、ダーチェス一家と小間使いのエリックの埋葬の儀が一緒に執り行われた。

 ダーチェス氏の息子たちはそれぞれ独立して他の街に暮らしており、埋葬には間に合わないという。代わって喪主を務めたのは、問題の大元である絵画を寄贈した男爵自身だった。マーニャという娼婦に入れあげて跡継ぎを用意しないままこの世を去った先代男爵の甥にあたる現男爵は、自分が贈った美術品が元で命の恩人を死に追いやったという今回の顛末には非常に心を痛めており、できる限りのサポートは惜しまない、とのことだ。

 ダーチェス錬金薬局はそのまま店をしまい、物件はアイマール不動産に全面的に委ねられた。問題となった絵画は男爵家に引き取られ、マーニャが憑いたドレッサーはそのまま家具として残されている。適切な処理をして次の持ち主に引き継ぐように、とのことだった。


 片づけのため、事件の日以来となる元ダーチェス家にやってきたイストは、約束通りマーニャ本人に希望する身の振り方を尋ねた。戻ってきた回答は、少し意外なものだった。


『やっぱり、私も責任を取らないといけないと思うの』

「そうですか?」

『えぇ。だって、ここに私がいなかったらこの家のみなさんも亡くなる事もなかったはずでしょう? このまま許されても、心が残るわ』


 誰もいなくなった家でひとり、悩んでいたのだろうか。哀しそうな表情で、自分が取り憑いたドレッサーを撫でる。一緒にいられなくなるのは残念だけど、と呟いた。


「私は正式な神官ではないので、悪霊と化した明らかな除霊対象でない霊体に対して賞罰の判断を下す権限は無いんです」

『まぁ。そうなの?』

「えぇ。お役に立てそうもなくて申し訳ないですが。ですので、自力で成仏してみませんか?」

『……じょうぶつ?』

「おっと、失礼。異国の言葉です。死者の魂が神の御許に向かうことを指します。その依り代も一緒に持って行かれたら良いと思いますよ。お手伝いします」

『手伝ってくださるのは助かるけれど、どうやって?』

「お焚上げでもしてみましょうか」


 神に借りた火で燃やして炎とともに天に昇ればそのまま神の国に迎えられるだろう、とイストは思惑を口にする。失敗すればマーニャは依り代を失って浮遊霊化が待っているが、そこは本人次第だ。そのため、イストの言い分も「自力で」となる。


『やってみる価値はありそうね。このドレッサーと一緒に天へ向かうのなら、心残りも無いわ』

「では、善は急げということで」


 細身の身体に意外な膂力で、どっしりしたドレッサーを持ち上げ、イストがサクサクと移動していく。早い展開に驚いてきょとんとしていたマーニャは、はっと我に返って慌てて追いかけていった。


 果たして、思惑は無事果たされたようだ。

 紙と虫眼鏡で太陽光から火を熾し、薪を焼べて炎にまで火力を上げて、持ってきたドレッサーに炎を移す。木製のドレッサーは簡単に燃え上がり、ガラスの鏡だけがそこに残るまでに燃え尽きた。それは、確かに乾いた木製の家具なので違和感は無いものの、燃え上がる時間の早さに跡形もなく燃え尽きた残骸も、神懸かっていたと言っても良いだろう。

 マーニャは無事に天に召されたようで、燃え滓を片付ける頃にはイストの目に映る彼女はいなかった。


「見送りもいないにゃんて少し気の毒にゃ。火の心配なんてしてないで見送ってあげれば良かったにゃ」

「良いんだよ。お手伝いさんはお手伝いに徹すれば。てか、ミルクさん。お留守番はどうしたの」

「所詮3軒隣くらい妾の縄張り範疇にゃん。心配しなくてもちゃんと見張ってるにゃ」


 連れてきていなかったはずの白猫の言い分に、溶けて残ったガラス塊を魔法で冷やして燃え滓と一緒に木箱に詰めた後で、イストは苦笑を向けた。本格的な後片付けは、専門の業者を入れて後日実施予定なので、今日の作業は以上終了。


「新しい住人さんには長く幸せに過ごしてもらえるように、お祓いでもしておこうかな」

「悪いモノにゃんか何もいないのにゃ?」

「まぁ、気休めでも、やった事実をご近所さんに周知しないとね」


 人の死を孕んだ事件の後だ。神霊的事実として不要でも、世間体から悪い噂が残っては次の住人に迷惑だろう。不動産屋的アフターフォローというところか。


「さ、帰るよ」

「帰るにゃ」

「歩くのは俺だけだけどね」

「頑張れご主人様、にゃ」


 まったくやる気のない応援に、イストは蓋を閉めた木箱を抱えて笑いながら歩き出した。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

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