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揺蕩いの魔女が死ぬとき  作者: 麻川要
10/10

-夏休み最終日-

 いつしか頬を撫でる風にも冷たさを孕むようになった。

 すっかり着信が途絶えてもはや時間だけを知る機械になり果てた携帯電話でその機能通り時間を見るとまだ五時過ぎだった。夕方の五時ではない。朝の五時だ。そんな時間に起きてもすることがない……のだが紫音がどうしてもここを発つ前に行っておきたい場所があると言うので亮は彼女に付き合うことにした、

 まだ日は登っていないため薄い青白い光だけが世界を包んでいた。その中を亮と紫音は歩いた。

 「そういえばこの道、初めて会ったころ通ったよね」

 「そうだっけ」

 「そうだよ」

 他愛のない会話をするこの道も、出会った当初は会話の一つもなかった。

 二人が出会ってから既に何日経っただろうか。それも亮のズボンのポケットに忍ばせてある高機能電話付き時計にかかれば分かるのだが、それをするのは無粋なことである。だから亮は空いている手を携帯ではなく紫音の手を取った。紫音はその求めに否定することなく握り返すことで応えた。その際二人は言葉を発しなかったがそれは信頼によるものでありあの頃とは違う。

 亮は紫音から行き先を告げられていなかった。思えばこんなことが前にもあったが、それでも今は不思議と不安な気持ちは無かった。もう今日でここを去るからだろうか。必要のない恐怖を感じることがないと分かれば何も怖くはなかった。それは紫音も同じようで隣でニコニコと微笑んでいた。その笑みが見れるだけで亮は嬉しかった。あの無表情の一点張りだったころがまるで嘘のようだ。

 亮と紫音は今日、雨崎村を発つ。当てのない逃避行に出るのだ。二人の荷物はこれから新天地で一から始めるというのに少なかった。亮はこの村に来た時のままの荷物と、紫音はまるで旅行に行くような内容の荷物を詰め込んだ響のおさがりのキャリーバッグしかない。

 それは当然だった。彼らには何もないのだから。それでも二人にはそれに対して何も思わない。隣に「その人」がいればいいのだ。そうであれば、荷物すらも必要ではない。

 

 朝焼けの中を二人で歩くこと数十分。秋の予感を感じさせる微かな冷たさを二人の繋いだ手の温かさで打ち消していく。そして目的地が見えてきた。……なるほど。ここに来るのは必然だったのかもしれない。

 薄暗い中不気味にそびえたつ鳥居。鬱蒼とする木々。雨崎村の神社だった。紫音が災禍に苛まれる原因となった忌々しい伝承が記されている、あの場所。

 亮はどうしてここに来たのかと紫音に訊いた。それに紫音はなんとなくと答えた。それは表面上の理由でありその実は他にあると思うのだが訊かないことにした。答えを訊くことは無粋な事なのかもしれない。紫音の中にだけその答えがあればいいのだと亮は隣で意味深気に神社を望む紫音を見て思った。

 二人がこの村で無邪気さを振りまいていた頃に互いの身長を刻んだ鳥居がそんな二人を見下ろす。あまりに不気味で、それでいてどこか懐かしさを感じさせる。そしてその奥には人気が無く妖気さが漂う拝殿……。

 亮はもうここには足を踏み入れないものだと思っていた。自分もそうだが紫音は尚更そうだろう。

 しかし紫音はそんな亮の思惑をよそに鳥居を潜り神社の方へと歩を進めた。玉砂利をかき分ける音が明け方の空に響く。

 亮はその紫音の行動に目を見張った。何故行くのか?ここは君にとっては一番苦い場所のはず……。そう問いたかったがその間もないほどに紫音は奥へと進んでいく。亮は急いでその背を追って彼もまた玉砂利を踏みしめる。

 「紫音どうして……」

 「……もう、ここに来ることは無いから」

 そう言って紫音は両手を合わせて祈りを雨崎村の魔女に捧げた。亮は忘れていたがここは神社なのだ。前にテレビか何かでエラい人は神社は自分の願いをただ聞かせるだけではだめだといっていた。確か……神を敬う気持ちがなければそれは成就しないらしい。けれど隣の少女の祈りぐらいは聞いてやってもいいはずだと亮は思う。この神社に祀られるおとぎ話が原因で紫音は苦しみを味わったのだから。

 紫音は長い時間祈りを捧げていた。亮は何をお願いしていたのか気になったのでそれとなく訊いてみても

 「内緒」

 と紫音は小さく舌を出して答えるばかりだ。その顔を見て亮は思う。やはりそんなことを訊くのも無粋な事なのだと。いつか……それが現実となって自分の目の前に結実すると考えれば楽しみにしておくのも一興だろう。

 「えい」

 亮がしみじみとそんなことを考えていて目を離していた間に紫音がなにかしている。はて、何をしているのだろう?亮は彼女の行動を追ってみると……時すでに遅し。

 紫音は地面に転がっていた玉砂利を一つ手に取って拝殿の奥へと投げ込んでいた。ズドンという鈍い衝撃が石の着弾と共に聞こえてくる。結構な衝撃の度合いであることが察せられる

 「紫音、どうしたの?」

 「一発やってみたかったんだよね」

 そう言った紫音の表情はこれ以上ないくらいに笑顔で輝いていた。これこそが宗宮紫音であると自己紹介代わりになるほどの笑顔だった。それを見て亮は彼女の行動を思わず許してしまいそうになる。

 ……確かに罰当たりなことかもしれないけど、これくらいの報いは受けてくれよなと亮は紫音と共にその場を離れた。

 今が早朝で良かったと思ったが、紫音はこれを見越して……?

 それもまた、触れないでおくのが良いことなのだろう。

 

 「魔女……こんな朝早くから逢引きかい?」

 老人の朝は早い。それは雨崎村も例外ではなく高坂家へ向かう最中に一人の老婆と出会った。萎びた顔面に返ってこないと分かっている反撃に思わず笑みを浮かべる醜い老婆。その醜怪からいつかと同じように言葉の刃が紫音に降りかかる。

 が、そんなことはもうどうでもいいのだ。人はその事象が既に自分に関係がないと悟れば多少の無茶ができてしまう。

 「うっせーババア。早く死ね!」

 「……なっ!?」

 「聞こえなかったんですか?早く死ねって言ってんです!!!」

 紫音はしてやったりと言わんばかりの悪戯な笑顔で亮を、そして老婆を見た。老婆はうろたえているのが丸わかりで紫音の反撃に言葉を返せないでいる。そこに紫音はズケズケと老婆が可愛そうなほどに言葉のパンチを叩き込む。

 本当に……たくましい子になって。妙に亮は紫音を娘のように思うがストップストップと彼女を制した。

 「紫音……駄目だろう?人にいきなり悪口を言っちゃ」

 「……あぁ、そうでした。すいませんでした。クソババア」

 そして二人は未だに言葉が出ないまま立ち尽くす老婆を後にした。反撃が返ってこないと踏んで上から見る人間は少しの衝撃を加えると案外脆く崩れ去る。『アレ』がいい例だ。人にものを言うならばそれ相応の覚悟をしなければならない。

 紫音に降りかかった災禍は生易しいものではない。両親を殺され自身はいわれのない言葉に傷ついたのだから。果たしてこの村の人間は紫音に対して覚悟を持って痛みを与えていたのだろうか。恐らくそんなことはなかっただろう。そんな奴らは……

 「死ねクズ野郎!!!!」

 紫音が代弁してくれた。それは亮が言うよりもはるかに説得力があるので彼は何も言わずにニコニコと前を行く紫音を追った。

 これで……この村と本当に決別をしたのだと二人は思う。

 あと一つ。どうしても避けられない別れを除いては。

 2

 海津の町に着くころは完全に夜は明けて世界は朝陽に包まれていた。それでもまだ早朝と呼べる時間帯であり駅のロータリーには人は疎らだった。それ故に響はセリカを堂々と駅舎の近くに停めた。利用客が多い時間帯ではとてもできない真似である。

 「忘れ物はない?」

 響はギアをニュートラルに入れ、パーキングブレーキを引いて亮と紫音にそう訊いた。

 「大丈夫です」

 「はい」

 亮は雨崎村に来た時と同じ鞄を、紫音は響から渡されたキャリーバッグを手にしてそう答えた。日帰り旅行にでも行くのかと訊かれてしまう程にやはり二人の荷物は少なかった。

 「そっか」

 響は飲みかけの缶コーヒーを少し飲んだ。甘味が強いブレンドだ。しかし響にはどうしても苦みの方が強く感じて仕方がなかった。ブラックと間違って買ってしまったのかと疑う程に。

 その苦みの原因は分かっている。最愛の妹が自分から離れてしまうからだ。あの夏の夜に別れを覚悟したがそれでも割り切れなかった。そして遂に本当に別れの日を迎えた。まるで実感がわかない。これから亮と旅行に行って明日あたりに帰ってきそうだ。迎えはいつがいい?なんて訊いてしまいそうになる。冗談でいいからそれを言おうと思ったけど、そんなことしてしまった二人の決めたことに茶々を入れることになる。そんなことはできない。

 バンとセリカの思いドアを閉めて響も早朝の海津駅に降り立つ。秋の足音が聞こえてくる微かな冷たさがさみしい。まるで夏休みがもうすぐ終わりそうな、あの感じだ。その夏の終わりを離さないように響は亮と紫音の二人の肩を掴んで自分に寄せた。

 「紫音……そして二木君。これからアンタ達の歩む道は険しいよ。二人とも社会から見捨てられてしまった人間だからね。それでも……人は生きる上でどうしても社会から逃げ出すことはできない。だから私は頑張れだなんて言わない。それは当然の事だから」

 「……はい」

 「だけど、ここで二人を最後まで見届けることはできる」

 「はい」

 響がここまで車を飛ばしても二人が乗る予定の電車の発車時間まではギリギリだった。あと数分もすれば高坂家の関係も終わる。それがたまらなく三人は悲しくて仕方なかった。

 「響さんも……」

 紫音が言いかけた言葉を響は制する。

 「それはダメ。私はここに残ってやるべきことがあるからね。それを置いて私はここを離れるわけにはいかないの。それが私と社会との繋がりだから」

 「……すいません」

 「いいんだよ。……私もできることなら二人のそばに居たい。けどそれはできないんだ。悲しいことにね。だからさ、電話でも手紙でも頂戴よ。私は……あの村にいるからさ」

 ジリリリと電車の発着を知らせる音が駅舎の方から木霊した。その後に聞こえてきたアナウンスによると二人が乗る予定の電車が間もなくホームに来るとのことだった。

 「ほら急いで」

 響は二人を急かした。まるでそれは子供の門出に立ち会う母親のようである。そして子供たちは母親を見て思う。

 「ありがとうございました」

 「ありがとう……」

 二人は揃って響に感謝の言葉をかけた。響も瞳に涙を潤ませる。だけどそれを流してしまったら二人の姿がぼやけて見えない。だから……ここで流すわけにはいかない。流すのは車の中で……。

 「響さん!私……響さんと一緒に暮らせて本当に良かった!本当だよ!だから……だからぁ……」

 改札を抜け、ホームで既に二人を待ち構える電車に乗る直前になっても紫音は改札の向こう側で見送る響に声をかける。疎らにいる人も気にせず紫音は思い思いの言葉を話した。

 「ここでお別れなんて嫌!だけど……また、会えるよね?」

 響も改札口ギリギリまで身を置いて紫音の言葉に返す。

 「当たり前だよ。また……会えるさ」

 だって私たちは姉妹なんだから。その言葉だけは口にはしなかったが、二人の心の中では同じことを思っていた。それだけで十分だった。言葉にする必要もないのだから。

 そして電車の扉が閉められる。なんとも呆気なかった。映画や漫画では偶然が重なり発車時刻が遅れることがあるが現実は無情だ。そしてそのまま電車は加速を始めレールの上を走り始めた。響と紫音を隔てた扉の向こうが流れる景色となって二人の視線に映る。最初の数秒こそは響の姿を映していたが、ほんの少し経てばすでに海津の寂れた街並みへと変わっていた。その街並みも見知らぬ世界であり、二人は見果てぬ現実へと足を踏み入れたことを知る。

 隣で顔を俯かせる紫音に亮は肩に手を添えて言った。

 「紫音、俺と一緒にいるのが嫌かい?」

 紫音は首を横に振った。それを見た亮は再び言葉を紡ぐ。

 「これから……俺たちの先には見知らぬ世界が広がっている。それは響さんも言った通り暗い、暗い世界だろう。けど……俺は君がいるならどこへだって行けると思う」

 「……うん」

 「それに俺は君を幸せにしなくちゃならない。そう、響さんと約束したからね。だから……俺は君を離さないよ」

 「……うん」

 「それに……君がそんな顔をしていると俺は悲しい。だから君には……」

 スッと紫音が掌を亮の眼前に差し出した。それはまるで自分の顔を見られないようにしているようだった。そしてその掌をどけたとき、紫音がした仕草の意味が氷解する。

 「こんな感じ?」

 掌の向こうにいた紫音は笑顔だった。それもこの夏で見た笑顔のどれよりも明るくて眩しい……そう、あの頃のような笑顔だ。

 「私も……貴方に幸せになってほしい。私は亮君の人生を巻き込んでしまったのだから、その責任がある」

 「紫音……」

 「だから、そんな心配そうな顔はしないで。私たちはこれから一緒に生きていくのだから。そんな顔は……今日のような日には似合わないでしょ」

 「……そうだな」 

 亮は空いている方の手で紫音の手を優しく握った。それに対して紫音も柔らかな力で握り返した。人と人とがつながり合う確かな絆だ。その強固さは誰にも破れない。これからも……ずっと。

 「覚悟してよね。だって私は――」

 一呼吸おいて紫音は言った。その言葉は呪いとなり、亮を後の人生の果てまで苦しめる言葉になろうとはこのとき思いもしなかった。

 

 「私は魔女なんだから。絶対にあなたを幸せにしてみせる」


 少年少女の夏は終わり、季節の移ろいを共に過ごしていく。一度は隔てられた道だが、こうして手を取り合い再び歩き始めた二人の道はどこまでも続いていく。

 どこまでも――。

 

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