希望の中の霹靂
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「殿下、こちらへどうぞ。足元にお気を付けください」
お立ちになったままのディアナ様にそう声をかけ、手を差し出すメルヴィル。
少し緊張したような声色ながら、東屋へと優しく誘導している。
彼の表情から推測する、その緊張は。
きっと悪い意味ではなく、学んだ通りの正しい所作をきちんとできているか、すわ殿下をつまずかせ、お怪我を負わせはしまいか――そうしたディアナ様を気遣うからこその、紳士の卵としての種類であるように感じられた。
それに対し、ディアナ様は……あの屈託のない、裏表のない輝いた微笑みで。「ありがとう」とお礼を述べ、メルヴィルの手を取っていた。
「あなたもいらして? 気を遣わなくてよろしくてよ」
メルヴィルは先程まで彼がいた東屋の腰かけ部分を、別に汚れてもいないだろうに、取り出したハンカチで拭っている。もう一枚別のハンカチを敷き、そこにディアナ様だけを座らせた。
自分は立ち退いたまま、外に立っていようとしている様子だ。
それにお気付きになったらしい。ディアナ様は自らの横に手招きし、隣へ座るよう指し示す。
そして、それを受けたメルヴィルの表情は……綻んだように見えた。
会釈の後に足を踏み入れ、少し浅く、並んで座り直すメルヴィル。
耳を澄ますうち、やがて二人の会話は再開された。
「お父様がおっしゃっていましたのよ。『この時期は公爵邸に帰る際、息子を探すのが一苦労だ――と、よくシルドゥユがこぼすのだ』って。近頃……いいえ、毎年聖月になると、あなたを見かけないとわたくしも思っていましたわ。庭園にいらっしゃいましたのね?」
「そうだったのですね。陛下には申し訳ないことをしていたみたいです。今日からはもう少し、夕刻時には父上の目につきやすい場所にいることにします」
「ふふ。そうですわね、それが良いですわ。令息付女中や従僕の一人も付けずに、寒空の裏庭の東屋にいるだなんて、きっと公爵も思いもしてませんもの。もしよろしければ、こちらにお城の使用人を常駐させましてよ?」
「いいえ。ありがとうございます。でもいいんです。ここは僕一人のための場所だと、勝手に考えておりましたから。……この場所、まるで空間が切り取られたように静かで、我が主祖が帰られた神々の世界のようで……。それなのに誰も来ないものですから、僕のお気に入りなんです」
「それに。この場所の噴水……祝節になると、水流の仕掛けが変わるでしょう? この聖月の、この場所の噴水が、一等好きなのです。水が飛び交うさまは、我が開祖が主祖たちから受けた祝福のよう。湛えられた水は、水面に輝く赤き太陽の光を、夜の静寂の蒼き月の光に変えてしまう。水の中の夜を照らす、揺らめく陽月は……ディアナ殿下の麗しさ、そのもののようです」
◇◇◇
……ふ、ふおお……!
なんて優雅で高貴で、詩的で叙情的で……あと麗しくも可愛らしい会話なんだろうか……!
視線の先で繰り広げられる詩劇のような光景に、私の語彙が追い付かない。
態度がゲーム内の記憶と違いすぎるだとか、不仲の原因がどうだとかいう次元を一切超越していた。
記憶と現実との剥離が激しすぎる。あれ誰? 私は今、何のために誰を観察してるんだったっけ?
無心で観察すればするほど、目的をどんどん忘れてゆく。そのたび何度も大きく首を横に振ってそれを打ち消していた。
まるで小説の一節が上映されているような、物語の一幕を垣間見ているような、素敵な言の葉のやり取り。
これが私と同い年の少年少女から出る言葉……? というか私、前世分を鑑みた精神年齢では、よほど彼らより上のはずなのに。う、嘘でしょ……。
ディアナ様のお声は、素でソプラノを歌っているように高い。ゲームでのボイスも他の女性キャラクターより高かった。現時点での年齢も相まって、それは「甲高い」との表現が正しく思える。
メルヴィルのボイスはわりと低音だったはずだが、記憶の中のそれとは、外見と共に面影を感じさせない。つまりはかなり高い子供の声をしている。彼より二歳下のリアムよりも確実に高音だ。
「まあ! ふふ、ありがとう。メルヴィルもぜひわたくしのサロンにいらっしゃい? あなたがいらしたなら、シャーロット嬢もメグニット嬢もとてもお喜びになりますわよ」
「殿下……僕はこれでも男ですよ」
「あら、わかっておりましてよ? 知識人の招待枠としていらっしゃれば良いのですわ!」
だからこそ、まだ耳でわかる。
こんないかにも高貴な会話でさえ、まさに二人が話している言葉なのだと……。
これで二人とももう少し声が大人びていたならば、誰しも絶対に子供の会話だとは思わないはずだ。
そっか、確かサロンとかいうものは、その集まりで最も身分の高い女性が開催するものなんだっけ。
マナーの授業の一環で習った気がする。私には一ミリも関係のない話だと思っていたけれど、こうして知識を再確認する機会もあるんだな……。
そして確か、招待されるのも貴族夫人や令嬢が中心。女主人たる方が開催するのだから当然かもしれない。貴族のほか、教養ある高級女官や上級使用人、知識階級層の方々を交えて交流、意見交換がなされる場……だったはず。
また、本格的な討論が行われるテーマだったり、そうした機会を求める方が開催する会ではない場合、招かれる男性はそう多くはない……確か、そうも学んだはずだ。
ディアナ様のご嗜好や、今の話の前後から推測するに、歳の近い諸侯貴族のご令嬢を中心にご招待している、文学サロンか何かだろうか?
きっとディアナ様は文学的才能を真に評価し、また本心から彼に参加してほしいと、数少ない男性の枠でお誘いしたのだろうけれど、メルヴィルは自分が女の子として誘われていると思ったのだろう。
少々拗ねたように口を尖らせる様子からそれが窺える。
……何にせよ、とにかく高貴な会話だ。そして可愛らしい。「尊い」という言葉がこれほど相応しい状況もそうそうない。
心の身分の違いというか、教養の決定的格差をまざまざと見せつけられたような心持ちだった。
それにしても……。
「なんだか恋人同士の会話みたいね。ね? リアム」
「うん。そうだね、そうなんだよね……最初は……。ねえルシアちゃん? ルシアちゃんにああいうこと言ってくる男のコには、近付いたりお話ししたらダメだよ?」
「? わかったわ」
わざわざ私の方に向き直り、しっかと両手を握り締めたリアムから、真剣な面持ちで謎の注意を受けてしまった。
同意し了承すると、安心した表情で微笑んでくれたため、なんだかよくわからないが良しとしよう。あまりにも真剣な様子に気圧されてしまった。
……今のリアムの感じ、既視感があると思ったら領地でだ。
これもよくわからないことに、父様を筆頭に、ジルたち男性使用人一同、ジェームスたち側近一同にも似たような表情、注意をされることがあるのだ。わからないなりに同意すると、一様に安心し破顔してくれることも一緒。
なんなんだろう、本当に。高貴な会話にはどうせついていけないだろうし、恥をかくだけだから黙っておけということなのだろうか? それとも引きこもり令嬢すぎて、男の子とは話ができないほど人見知りだと思われている?
今一度しっかり説明してほしいものだ。皆過保護すぎやしないだろうか?
そんなに心配することないのに。
いくら面倒とは言えど、少し外面よく、楽しくお話するくらい大丈夫なのに…………。
◇◇◇
ここからではよく見えないが、改めて噴水を注視すれば、先程メルヴィルが言っていたことがわかった。
中央部の女神エレーネと王神ロイの彫刻像こそ固定されている。
しかし周囲にいくつかある噴射口は固定されておらず、おそらく一つひとつ、手動で着脱が可能な仕組みであるようだ。
彼の言うように、ここは祝節の度に噴射口を付け替えることで、水流の向きや勢いを変える工夫がなされているのだろう。実に風流な仕掛けだ。
「神秘的な青色の水……。僕はずっと、殿下の祝福によるものだと。殿下の祈りによって、聖月の水が蒼く染められるのだと……そう思っておりました」
「あら、素敵な考え方ですのね! あながち間違いではありませんわ? わたくしはただお願いしているだけですけれど……毎年、家令のセバスに指示を出しておりますの。わたくしの祈りを、庭師や雑役下男の皆さんが魔法に変えて、それを叶えてくれているんですわ」
祈りによって蒼く染まる聖月の水、か……。
これまた素敵な表現。教養に富んだ発想だ。
ここからでは飛び交う水しか視認できないけれど、たびたび話題にのぼるように、きっと貯水槽に湛えられた水は幻想的な青に染まっているのだろう。あとで時間があれば確認してみたい。
「ここの噴水には、月長石をしきつめておりますのよ。水の中を……静かな月の夜に変えてくれますの。北のノーマンド王家から、聖月のお祝いに贈られる品ですのよ」
ーー白い石のそばにある水は青い。そんな前世の科学の知識がふと過ぎった。
全ての光の色が混じり合っているため、普通水は透明に見える。
しかし白は赤の光や緑の光を吸収するために、白い物体が近くにある水は青の光だけが残り、結果青く色付いているように見えるのだと。
白い石で造られたプールの水が青色をしているのも、白いバスタブのお風呂に張った湯は、日中には青く見えるのも。白い岩で覆われた洞窟が「青の洞窟」と呼ばれることがあるのも、この作用によるものだ。……確か。
きっとディアナ様がおっしゃった月長石とは、白色をしている石なのだろう。蒼くたたずむ水、工夫の凝らされた水流。精巧な彫刻だけではなく、しきつめられた綺麗な石を眺めるのもまた楽しそうだ。
「僕は今年の夏頃、初めてそのことを聞き及んだのです。驚きました。ずっと神聖な御力によるものだと思っておりましたから。やはり殿下は博識でいらっしゃいますね」
私が考えつくような単純な言い方ではなかったけれど、ここで一人で過ごすのが好きだと、この場所が一番のお気に入りだと言ったメルヴィルの気持ちが、私にもよくわか…………
「そんなことはなくってよ。わたくしの知っていることは、どなたかからの聞きかじりか、本の受け売りでしかありませんわ。あなたには決して敵いませんわ? それに……こうした色々な知識をたくさん持っているのは、あの子の方ですもの」
「…………っ⁉︎」
え? え、な……なになに? 急にメルヴィルの顔色が変わった……!
辺りに漂う空気がどこか不穏なものに変化した。なぜだか、そう肌が感じた。
「そうそう、このドレスもあの子とおそろいですのよ! わたくしのドレスを縫っているうちに、同じ意匠のバニヤンを考えついたそうですの。寝食を忘れて作り上げたとお針子たちが言っていましたわ。これと似たバニヤンを着ているあの子を、あなたもそのうちご覧になるはずですわ……」
お召しのドレスに目を遣っていたためか、当初ディアナ様はそれに気付いてはいない様子だった。
先ほどまでと変わらず、楽しそうに言葉を紡ぐ。
やがて気の利いた返答はおろか、まともな相槌すらないことを不思議に思われたのか。気配を消したかのようなすぐそばの彼に視線を向け……その愛らしいお顔が凍りついた。
そこで気が付かれたのだ。彼が纏う異様な空気に。何かに焦り、何かに怯えるようなその顔つきに……。
い……いったい何が起こったの?
突如として、空気が、顔色が。旗色が変わった。
「あの! ……僕、アル殿下より、我が主君より申し付けられていたのです! 夕刻前にピオニー宮へ顔を出すようにと……!」
「あ、あら……そうでしたのね。呼び止めていてしまってごめんなさい。きっとあの子もあなたを待ちかねていますわ……」
……ディアナ様は何かを察したのか、それとも何か思いあたる節があったのか。一瞬顔を強張らせながらも、気丈に振舞おうとされていた。まるで何事もなかったように。まるで、つい先ほどまでの和やかな会話が、まだ続いているかのように。
「メルヴィル。わたくし、今日はあなたとーー」
「ーー失礼しますっ!!」
ーー今日はあなたとお話しできて、とても嬉しかったですわ。
……おそらくそう続けようとしたのだろう。だが、もはや彼の耳に、そのお声は届いてはいないようだった。
先刻の時間が、全て幻だったかのように、残酷な嘘だったかのように。
メルヴィルはそれに返事をすることもなく、ディアナ様に一瞥たりとてくれず。
王宮の内部へと、足早に駆けて行ってしまったーー……




