寒空の下の道のりですわ!
帰途の馬車に、白雪をまとった突風が一陣吹き付ける。
頑丈につくられた車体を揺らすことはなかったが、美麗な銀世界を映していた窓は白く塗り潰された。
穏やかな森のパノラマが、突如ホワイトモザイクに歪む光景は、まるで今日の心象風景のようで。
私は車窓の遥か遠く、なんとはなしに一点を見つめながら、独り頭を抱える思いでいた。
◇◇◇
あれから私達は、限られた時間を最大限語り尽くすことに使った。
どちらからともなく、無意識に空気を切り替えようとしていたのだと思う。
私の意図するところがわからず、リアムはただ頷き、同意するより他になかったというのもあるだろう。
だがそれも、今日までどのように過ごしたのか。そんな他愛もない話題だけで終わってしまった。
色々な出来事、気持ちを共有するのには、あの後の時間も、私達の気力も。到底足りてはいなかったのだ。
楽しく過ごしたはずでも、実のある会話は結局できなかった。
指輪のお礼はできたものの、ペンダントに加工した経緯や、取り外ししながら使い分けて活用していること。それらの話題に触れることなく終わったと、気が付いたのは彼と別れたあとだった。
……よくよく考えれば、リアムの視界にも首元に咲く紅薔薇は映っていたはずなのに。
だいぶ先まで読み進められた「海の王女さま」について、感想を語り合おうと考えていたことすら忘れていた。
来訪前はそればかり楽しみにしていたというのに、馬車に乗り込んでから随分あとに思い出すとは。
そう言えば、リアムを存分に可愛がることもできなかった。
やはり、互いに気もそぞろ。
目の前の相手だけに集中しているつもりでいて、二人ともどこか内心は、もうそこにはいない方のことに占められてしまっていたのだ。
やがて落ち合った父様からは、あれこれと今日の出来事を訊かれたけれど、楽しかったことだけしか話してはいない。
見破られることはなく、父様も目を細めて聴いてくれていた。
領民の皆にコンセプト指導をしていくうち、私にも演技力が着実に身についてきているのかもしれない。
「今後音楽の授業をヴィオラ一色にしてほしい」と、お願い事だけはしれっと口をついて出るあたり、なかなか私の神経は図太いと改めて実感した。
父は快諾してくれた上、音楽の先生にもあらかじめ伝えておいてくれると言う。
そのため私は今、生まれて初めて音楽の授業が楽しみに感じている。
ヴィオラを絶対「自分の楽器」にしてみせる。その決意は変わらなかった。
……いつの日か上達できたなら。ディー様はキラキラと美しいあの笑顔を、また見せてくださるかな。
そのうち父様は疲れが身体に来たのか、すやすやと寝息を立て始めた。
自然と私も口を閉ざして、車内は静寂に包まれた。
音の消えた車内で頭に浮かぶのは、メルヴィル・ハートランド。
彼のこと。そしてディー様の……あの悲しそうなお顔と、私には計り知れないお心の内。
メルヴィルがディアナ王女を遠ざけ、とても主君の姉とは思えないような扱いをするのは。
ーーミーシャ・エバンス。
ヒロインである、彼女がそばにいてこそだと思っていた。
しかし、あのお顔を見る限り。現時点ですでに、関係は最悪なのだと証明されたようなものじゃないか……。
いったいなぜ?
それから前世の記憶を辿ってみても、決して解決しない、語られなかった疑問。
……どうして彼はアーロン王子にだけ仕え、片割れのディアナ王女を主君と見なしてはいないのか?
疑問符だけが渦巻いて巡る。
いや、本当は薄々気付いているのかもしれない。
世界を隔てるほどに以前から、思い込んでいたこと。
その思い込みこそ、疑惑こそ真相だと。
「ルシア」の思いが、真実を曇らせてしまっているのだとーーーー。
辻褄が合う事実から、私はただ目を逸らしているだけなのかもしれない……それはわかっている。
でも、それでも。私はディアナ様を信じたい……!
人知れず、大きくかぶりを振った。考えてはいけない疑念を物理的に振り払う。
やめよう。とにかくまず今は、私にできることをしなければ。
普段は意識に留めない車輪の回る音が、やけに虚しく耳についた……。
◇◇◇
その日は意外と早く訪れた。
実にわずか一週間、十二月十二日の今日。
月に二度の外出。それは今世に生を受けてから初めてのことになる。
しかし今の私は……自分でも信じられないけれど、面倒さなど微塵も感じてはいない。
無言のうちに滾る意欲と使命感に、独り高揚していた。
リアムには、どこか近日中に予定を開けられる日を見つけてほしいとだけお願いしていた。
数日「過去の記憶ノート」を熟読しつつ、新たに甦った情報を付け足し。記憶情報の再確認を行っていたのだが……。
完全フリーだという日がすぐに見つかり、トントン拍子で予定が決まってしまった。
しかもその手紙をくれた時には、すでに当日に護衛をしてくれる軍部の方まで見つけ、確約を取ってくれてもいた。
それからはもう、大慌てで準備に取り掛かった。
当日送迎をしてくれる御者を捜すので精一杯。
たまたまシフトが空いていたヒューゴが快く引き受けてくれたので助かったが、事前に作戦を立てている余裕は一刻もなかった。
本当はリアムに情報を共有してもらうためにも、しっかり計画を練りたかったところだけど……それは今更言っても仕方がない。
多忙なリアムの予定をせっかく空けてもらえたのだから、この機をぜひとも有効活用していきたい。
その後、とある日。
シモンズのご主人とヒューゴとの間で、私の送迎を巡って。掴み合いのマジ喧嘩が起こったのは、また別の話である…………。
「てめえだきゃあ捨て置けねぇ! お嬢様は領民みんなのお嬢様だべや! なあ!? なしておめえだけよ!」
「ハッ! ざまあ見れや! お嬢様がお願いしてきたのはなぁ、馬車ば操縦できるってだけのヤツじゃねえ……オレに! このオレにお願いしてこられたんだよ!!」
……ここまでは聞き取れたんだよな、確か。
あとは訛りの強い言葉による超絶舌禍。早口の応酬で、何がなにやら聞こえなかった。
いや、私が悪かったんだ。
どうやらその日、馬車係であるシモンズのご主人もシフトが入ってはいなかったらしく。
「ヒューゴだけに可愛くお願い」(※シモンズさんの幻想)してきたことにカッとなってしまったそう。
最初から立候補制で有志を募れば良かったのだ。
……たかが私の送り迎え如きの話で、まさかこんな事態になるとは思ってもみなかったから……!
そんなことでもめるなよ! もう!
いつの間に私は領地の共通財産になったんだよ!
私の話で目を血走らせるな! 虎視眈々と相手の隙を狙うな! ラップバトルみたいなディスり合いに発展するな!
もう……そんななんか…………もう!!
誰かが機転を利かせて彼らの奥さんたちを呼んできたところ、嘘のように一瞬で矛を収めやがっ……いつもの優しい二人に戻ってくれた。
私も含め、必死で止めようとしていた領民一同、同時にその場にずっこけたのだった。
「ヒューちゃん! めっ!」だけで大人しくなるとわかっていたなら、もっと早く呼びに行ったのに!
完全に拍子抜けしてから数日経った今は、逆に一周回って面白くもなってきた。
「ああ……すいやせん、アイツらは昔からケンカ友達みてえなもんで……」
「キツく言っておきやすんで、もうくれぐれもこったらことねえようにいたしやすんで……!」
と後日ジェームスとバートから平謝りされたのも今となっては笑い話だ。
多分後年になっても、時折ふと思い返すような領地の思い出話になるに違いない。
◇◇◇
ーーそんなこんなで、今私はヒューちゃん……もとい、ヒューゴの操縦する馬車に揺られている。
胸に確かな決意を秘めて。ディー様の愛らしい笑顔を心に映して。
「ユーリー夫妻は互いを『ヒューちゃん』『レミィ』と呼び合っている」という完全に余計な情報は、一旦忘れようと思う。
何度も何度も書き加え、見直したこのノート。
知らず知らずのうちに、気付けば自然と視線を落として文字列を追っていた。
……リアムを交えでもしない限り、私一人で再び読み直したとしても。何も新たに得られることはないとわかっていながら。
神話に名を遺す名門貴族、ハートランド公爵家の跡継ぎ。
一人息子。これは乙女ゲームの説明書に書かれていたはずだから間違いない。
一人称は「僕」。優美な物腰で中性的。
上流階級、貴族令息を地で行く紳士。
誠実と忠誠がモットー。
大地に尽くすために可憐な花を散らす、通称「紫寮」こと、ベロニカ寮の所属。
代々監督生を務めてきた家柄らしく、入学時点でいずれ監督生として寮を背負うことを期待されている。
推論だが、エレーネ王族が必ずローレル寮に入ることが定められているように。ハートランド公爵家がベロニカ寮に入寮するのも、決められていることなのではないか。
アーロン王子の忠実な腹心であり、親友の彼のことだ。
監督生を目されるほどに、ベロニカ寮に最も相応しい人物とされるのも、考えてみれば当然のことなのかもしれない。
白茶色のゆるく波打つ髪。薄紅梅色の大きな瞳。
メルヴィル・ハートランド。
ディアナ様にあのような顔をさせる要因は、果たして彼のもとにあるのだろうか?
そして。彼がディアナ様に向けている想いとは、いったい…………?




