決意の旋律と戦慄の記憶
□最新話、お待たせいたしました!
「……ディ、アナ……ちゃん。き……来てたんだね、いらっしゃい! そっか、ルシアちゃんに何か演奏を聴かせてあげてたの? ディアナちゃん、楽器はなんでも得意だもんね。あは……は……。で、でも、あんまりルシアちゃんをひとりじめしたらダメだよ! ルシアちゃんはボクのお客様なんだからね!」
リアムは咄嗟に声を張っていた。努めて明るく、無邪気に。
何も知らない人が聞いたのならば、それはごく自然な発言に聞こえたかもしれない。
しかし、彼を抱きしめている私には。怯えからか、わずかに震える振動を。そして、途切れ途切れの息継ぎを、我が身を伝って感じ取っていた。
ディー様、と声をかけようとした時には。
彼女はリアムの何気ない問いや言葉からは、どこかずれた返答をしていた。
先程見せてくださっていた、愛らしく輝かしい笑顔とはまるで別物。「にっこり」という擬音が聞こえてさえきそうな、不自然な笑みを浮かべて。
「リアム、勝手にお邪魔していてごめんなさいね。……政経学の……授業を受けていたんですのね」
心ここにあらず。
その表現が相応しかった。
その理由も、何かかけるべき言葉も、見つかったわけではない。
ただ、このままどこかに消えてしまいそうな目の前の御方に、胸騒ぎを感じた。
声にならない空気を出して、片手を伸ばして制止しようとする私の姿も、おそらく見えていない様子。
「ルシアには、私のわがままに付き合っていただいていたんですのよ。リアムが来るまでの間、ちょっとだけね。すぐおいとましますわ……」
「ディアナちゃん」とリアムが呟く声と、私の「ディー様」と呟く声とが重なった。
つい先程まで、この一室は綺麗な音色で満たされていたはず。
なのに、今はちょっとした息遣いでさえも鬱陶しく、余計なものに聞こえた。
「今日は楽しかったですわ。ご機嫌よう」
きっと。きっとその言葉は、ディー様の本心であったと思う。
しかし気丈に振舞っているからこそ、ようやく絞り出せた言葉だということも、私にはなんとなくわかっていた。
私もです、とかけた声は、果たして届いていたのか。
気が付いた時にはもう、軽い……あまりに軽い、フラフラと覚束ない足取りで、足早に。
ディアナ殿下はこちらに振り向くことも忘れ、退室してしまっていた。
渡り廊下に鳴る不規則な踵の拍子が、いやに甲高く耳に響いた…………。
◇◇◇
応接間のソファに、向かい合わせで腰掛ける私とリアム。
普段ならば私の膝の上をめがけて座ってくるだろう彼が、無意識に選んだのは対角線上だった。
「………………」
リアムの表情は、暗く重い。
やってしまった、と顔に書いていた。
久々の再会で華やぐはずだった宮は、重苦しい空気が包み込む。
白い肌を青白く染めたリアムは、やがてその重い口を開き、少しずつ聞かせてくれた。
ディアナ王女とアーロン王子は、見目がよく似た一卵性の双子だということ。
しかし、どうやら仲が険悪な様子。リアムは一度も双りが仲良く話していたり、一緒に過ごしているところを見たことがない、と。
公務の時でも、同じ空間にいようとも。
アーロンくんにディアナちゃんの話をすれば、とても悲しそうな顔をする。
逆に、ディアナちゃんにアーロンくんの話をしようものなら。さっきのような、普段からは考えられない冷たい顔になってしまうんだ、と語った。
そしてそれは、アーロンくんだけではなく……ボクがさっき話そうとした、もう一人の子の話でも同じことなんだよ、とも。
理由はわからないけれど、きっとあれは。
ディアナちゃんが静かに、とってもとっても怒ってる顔なんだ。
あの顔だけはさせたくなかったのに。どうしよう…………。
そこまで話したあと、俯きがちだった顔を完全に沈めてしまったリアム。
私の知っている情報もあったが、余計に話の腰を折ることになるため、口を挟まずにいた。
恐怖と困惑と、後悔とがそこにあった。
……あの感情を失くしたような、無機質な表情。
彼女には決して似つかわしくない顔だ。
しかし、私は知っていた。
「ううん。……あれは、怒っていらっしゃるんじゃないわ」
「ディアナ様……とてもとても、悲しそうなお顔をしてた」
「……え? 悲しそうな……?」
疑問が残るリアムの言葉に、しっかりと頷き返す。
ーーそう、あの表情を私は見たことがあった。
乙女ゲームの中でたびたび、彼女……ディアナ王女の立ち絵として。
主人公もあの表情を、自分のせいで怒らせてしまったもの、また静かに怒っているものと誤解し、当惑する場面があった。
でも、違う。
あれは彼女が、懸命に悲しさを押し殺し、気丈に立とうとしている時の顔なのだ。
主人公だけに視線を向け、自分には見向きもしない片想いの君を遠目に見つめる、……その時に。
一人の少女ではなく、一人の王女として。
常に気高く在ろうとする、とても強く、同時に脆い……彼女らしい表情。
ただ、アーロン王子に対してもあの表情をするということは、今初めて知ったけれど。
何しろ、プレイヤーの多数が双子だという設定の意味が本当にあるのか疑問に思うくらいには、彼らは一切物語上で交わる気配がないのだ。
だがそれはつまり、学園に入学する年齢になる頃には。
双子の片割れであるはずのアーロン王子とは、すでに関係が断絶してしまっているという、……あまりに哀しい証左だったのかもしれない。
「やっぱりルシアちゃんはすごいね」
私が感情の機微を読み取ったものと思ったらしく、リアムは少々見当違いに目を輝かせて褒めてくれた。
その正体は「前世の記憶」というちょっと小ずるいものであるので、曖昧に笑っておく。
リアムには見せない内側で、今の私は……思い出したとある記憶が、強い衝撃をもって脳内を渦巻いていた。
だって、おかしい。
どうしてディー様が悲しむ理由があるのだろう?
「アーロン王子をいじめている」。その疑惑が正しいとすれば、彼が悲しい顔をするのはわかる。
彼女が悲しむのは、あの顔をするのは。
あの人が主人公ばかりを見て、ご自分を蛇蝎の如く嫌うからであって。
そうだとすれば、それは自業自得。
主人公にとっては素敵な女性で、しかし片割れにとっては最悪の姉で。
純粋に慕う主人公が気付かずとも、片割れ王子の腹心が見向きもしないのは当然のこと。
……そう思っていた。前世の自分は、何も知らず……無責任に。
でも、主人公などまだいないのに。
その名前を聞いただけで。
公務の時でさえも一緒にいない? まだこんなにも幼く、あの方はあんなにも優しく愛らしいのに?
おかしい。
それではまるで、むしろ…………。
……あの方のために。
お優しく愛らしい、私を友人だと言ってくださった、あの方のために。
大切な友人に、もうあんな悲しい顔をさせないために。
私にはいったい何ができる…………?
「……ねえ、リアム」
テーブルの上のティーカップを、ぼんやり虚ろに見つめた私の問いかけに、リアムは顔を上げてこちらを見たのが視界の端に映った。
「私、今月のうちにもう一回……王宮に来られる機会をつくるわ」
「ホント?」
ぱあっと顔色が明るくなった。やっと彼のいつもの可愛い顔が見られた気がした。
一瞬無邪気にはしゃいだものの、それ以上言葉を継ぐことはなく、私の言葉の続きを待っていた。
実際のところ、私の来訪は父様の出仕に合わせたもの。父様の予定がないのに、特に馬車を出す理由はない。
ただでさえ、今領地はお客様が徐々に増え始めており、嬉しい悲鳴だ。
みすみすと出歩いている余裕は皆無に等しい。
馬車係の皆も接客係の皆も手いっぱいなのに、当日私を乗せて運転してくれる御者が見つかるかどうかも……。
しかし、なんとしても機会をつくるしかないのだ。
「できない」でも「できるかわからない」でもなく、「できるようにしてみせる」。
私がやりたいこと。それは……。
「リアム。あなたと一緒に、お城を見て回りたいの」
私の真意は、おそらくさっぱりだろう。
けれどリアムは、目を丸くしたあと、少し期待を感じさせながら笑って頷いてくれた。
リアムがいてくれなければ、意味がないのだから。
彼が来る日時、いるだろう居場所、どうしたら観察できるのか。
私独りでうろつくことが許されない場所であっても、そばにリアムがいてくれるだけで違うだろう。
あの方に、ディー様に。
もうあのようなお顔をさせたくはない。
必ず調べ上げ、できれば私が晴らして差し上げたい。
「お願い。絶対に機会をつくってみせるから。……私と一緒に、お城を探検しましょう」
決して彼には言わずにいたけれど、思い出した記憶に頭が割れそうだった。
先程リアムが呟きかけた名前に、私は心当たりがある。
リアムとアーロン王子、二人と講義を共にしていても。彼ならば当然だろう。
『そしたらね、そしたらね! ルシアちゃん!
メルヴィ…………』
その先に続く名前とは。
ーーメルヴィル・ハートランド。
『学園シンデレラ ー真理の国の姫ー』の第一攻略対象にして、アーロン王子の親友である公爵令息。
ディアナ王女の決して叶うことのない、永遠の想い人でもある。
そして……現実のこの世界に生きる者として、知り得ているもう一つの事実。
なぜ今まで、このことに気付かずにいたのか、記憶が共鳴せずにいられたのかわからない。
かつてこの地を統べた、王神ロイに選ばれし者。
「貴族のうちで最も貴い者」。
世界の基盤づくりを行った偉人。
子を友にし続けることで、遠きいつの日か、尊き方との永遠の友情を誓った人物。
アーロン王子が「メル」と呼ぶ近き友は、ディアナ様が想う遠き者。
ハートランド公爵家。
初代ハートランド公爵こと、マルヴォロ・ハートランド。
メルヴィルは、その身に受け継ぐ血が、友情の神話を証明する……彼の者の子孫だ。
■点と点が繋がり合う、前世の記憶と神話の史実……!
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