雪月花の咲く楽園ですわ!
12月初旬。
私は今――――ハロルドの運転する馬車に乗り込み、王宮のリアムの許へと向かっている。
前回から間を置かずの訪問だが、もう随分と会っていないように感じるほど、到着が待ち遠しく思える。
話したいことがたくさんある。
父様が年末になる前に王都で片付けておきたい仕事があるらしく、その出仕に合わせて一緒に連れて行ってもらう形だ。
手提げ鞄には、今日の贈り物を。胸元には野薔薇のペンダントを携えて。
色とりどりのトネリコの葉は、銀露の衣を纏って、淡い日の光に一層輝く。
馬車の窓は霜に覆われ、外気の冷たさが視覚だけで想起される。
馬蹄の軽やかな音と共に、眼下を駆け抜けてゆく……凍てつく外界の景色とは裏腹に。
私の胸は期待にか、ほんのりと暖かささえ感じていた。
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ある朝。お隣のブルストロード辺境伯領を象徴する小山が、雪帽子をかぶって冬支度をしているのが瞳に映った。
やがて日が経つと、エルトの森にも霜が下り、黒緑に輝く木々は純白の外套に身を包んで。
森の領地は、朝日を見送り……月夜を迎えるごとに、白銀の幻想美に彩られ始めていた。
時の流れは早いもので、もう季節は冬。
貴族にとって、大切な社交シーズンの時期だ。
……当然のことながら。私達アシュリー男爵家にも、御方々からの招待状は舞い込んだ。
その数、実に三人揃って思わずその場に膝をつき。
時折「空が……崩れてくる」「世界って暗くて黒いのね……」という、精神が完全に暗黒面に行ってしまった呟きが口をついて出て、使用人の皆に泣いて心配されたほど。
そんな絶望の淵から立ち直り、全てにお断りの返信を書き終えるまで、実に数日を要したのだった。
以前ドートリシュ侯爵様から”社交の場に出ないことを評価されている”と聞いた時は、狐につままれつつ、同時に狸に化かされた気分だったが……実際お手紙の文面を拝見する限り、どうもそれは真実であるらしかった。
「領民のため」「領地の新事業のため」。
相手方の家柄や格式を問わず、何の集まりにも一切参加しない。
それを貫き通していることも噂となり、貴族として評されるべきらしいこの名目が、一層信憑性を増しているようなのだ。
事実、「娘の婚約者にできそうな、同じ年頃の令息が出席する会にしか行かない」とか、「こっちには出席するが、こっちの家は断る」だとか。
そうした選り好みをしているわけでは全くない。
本当に、平等かつ公正に。
…………どれもこれも行きたくないのだ。
外出し、身柄を拘束されることで。
ひたすらゴロゴロするという、何にも変えがたい至福の時間が必然的に消滅してしまうのが、身を削られるように辛い。
幸いにも、「残念ですが次の機会を楽しみにしています」「いつか新事業のお話を聞かせてください」といった、人格が窺える紳士的なお返事こそ多々いただいたものの、それ以上追求して誘ってこられることはなかった。
今の私達は、初めての冬の訪れを経た森の美しさに感嘆し、情緒を楽しむ余裕さえ持ちながら。
屋敷に引きこもりきりで、毎日を心穏やかに過ごしていたのだった。
しかし、それはあくまでアシュリー家だけの限られた事情。
大多数の貴族様方は、楽しい季節の訪れに胸をふくらませ、あるいはたとえ面倒であったとしても、ある種の慣習として。
とうに領主邸を発ち、王都邸へと出払っている時期だ。
シルクハットのうず高い影、ドレスが映すふんわりラインの影…………。
貴族たちの姿がない今、リゾート領地から人影は消え。
しんしんと降り積もる雪が、森のざわめきさえかき消して。
沼の水打つ音がただ響く、ひっそりと森にたたずむ物寂しい土地へと、その姿を回帰させている――――……………
………………わけがない!
アシュリー男爵領は、現在前月を超える盛況を迎えていた!
冬が来れば貴族のお客様がぱったり来なくなるのは、当然想定済みのこと。
――――仮に。もし私達が、生まれついての貴族だったとしたら。
「秋のうちに取れる利益を取っておこう」などと考え、高利の値段設定や特定のお客様の優待、冬前の値上げ等に踏み切り、平民階層の需要を無視した結果……全てのお客様を失うという、まさに”厳冬”の季節を迎えていたかもしれない。
……だが成り上がり貴族の私達には、平民目線からの視野があった。
労働者側にとって冬とは、「出稼ぎの収入」が手元にある季節なのだ!
血と汗の結晶である一年の収入。
出稼ぎから無事に家主が帰還したあと、家族の生活費やもしもの蓄えを確保したら、余剰金として遣えるお金がある程度発生するお家は、意外と数多くある。
とは言え、前世で私が暮らしていた地球ほど、各人の趣味や娯楽が幅広く存在するわけではないため……大抵の場合、そのお金は食費か貯蓄かに回されて終わってしまうのだが。
秋にプレオープンの日を設定したのは実に大正解だった。
領主や出稼ぎ先の貴族たちからの口コミが、目論見通り冬までに平民階層へと広まってくれたのだった。
貴族さながらの暮らしを味わえるコンセプトも、費用対効果抜群の衣食住の保証も、そして良心的な価格設定も。
一生のうちに体験できないはずのことが、一定額を支払うだけで我が身に起こる。
貴族には「第二領地」という、およそ現実的でない夢物語を。
あるいは、本当は決して手に入らないはずの「領主」という地位を。
平民に対しては、この世の栄華を。
この領地が提供するのは、たかが数日の胡蝶の夢かもしれない。
しかし……私達はアトランディアに、『レジャー費』そして『頑張った自分へのご褒美』という、全く新しい概念を持ち込んだことになる。
……そう!
今この領地は有難いことにも、信頼する貴族様から評判を聞き付け、その評判がさらなる噂を呼び……一年身体に鞭打って懸命に働いた、平民のお客様たちで大変賑わっている状況にあるのだ。
ここ、貴族ぐらしの里は――――皆の夢を実現する領地として、今まさに大陸に機能し始めていた。
中には、すでに再訪してくれたお客様もいる。
「馬車ガチャ」を楽しく魅せることや、情報を全員で把握し接客する「お客様カルテ」の充実・活用、個人の「専属使用人」をつくる…………等々。
領地全員で意見を出し合い、より良いサービスの向上を図ろうと決意表明会をしたのが先日のこと。
資金に余裕のある貴族階層だけでなく、平民階層にもこれほど再訪が起こるとは、嬉しい想定外だった。
ともすれば、これから春以降にかけて超再訪客化や、いずれは固定客化も望めるだろう。
こうした領地の様々な話は、リアムにも手紙で聴いてもらっている。
領地運営のやりがい、観光業はどんな仕事なのか、出会った「今日のお客さん」の話…………。
私の語るリゾート領地のあれこれが、面白くて仕方がない様子。日々の何気ない手紙を、とても楽しみにしてくれているようだ。
大臣格の貴族としか接する機会がなく、王宮の奥深くで暮らすリアムにとって――――私が過ごす日常は。
まるで冒険活劇や異国の訪問記のような、ちょっとした物語のように感じられるのかもしれない。
初めましてのお客様が増えていき、再び出会うお客様も増えてゆく。
そんな毎日を送る中。彼に話して聴かせたいことも、車窓を彩るこの白雪のように積もっていった。
「ルシアちゃんとまた早く会いたいな」
……そんな手紙を交わしたのは、つい5日前のことだっただろうか。
あの時はまだお互い、こんなに早く機会が訪れるとは思ってもみなかった。
返信で父様の出仕の予定を伝えると、文面からでも読み取れるほど喜んでいたっけ。
今日のお土産は、こんがり焼き上げたトライフル。
今世に転生してからというもの、頻繁に口にする機会のあったお菓子。
地球にも文字と発音、綴りは全く異なるものの、同じような焼き菓子が存在していたはずだ。
しかし……大陸各地で修行を積んだ経験がある我が家の料理人さんたちが言うには、これはエレーネ王国でしか作られない、非常に珍しいお菓子なんだとか。
てっきり庶民菓子だとばかり思っていたが、エレーネは双子神信仰の聖地でもあるため……観光にやって来た他国の貴族さえがぜひにと望む、幻の一品として扱われているらしいのだ。
つい先日何かの話の折に聞き、心から驚いたのだった。
衝撃の事実ではあったが、とっくに私のレパートリーであるのもまた事実。
あまり皆の手を借りることもなく、相当の自信作が仕上がったのだった。
きっとあの子も、喜んで食べてくれるはずだ。
リアムの顔が目に浮かんで、思わず笑みが零れる。
――――私も、リアムに早く会いたいわ。
手紙だけじゃ語り尽くせないことがいっぱいあるのよ。
馬車の心地よい振動に身を預けながら。
随分と遠く感じる故郷への道の歩みを、微睡みと共に待つことにした…………。
―――――――――――――――――――
――――ところが。
「大変申し訳ありません……! リアム殿下は、まだ講義からお戻りでいらっしゃいません」
「…………え?」
……はやる気持ちを抑えつつ、ガーベラ宮に足を踏み入れた時。
宮の主の姿は、そこになかった。
□エレーネ王国の役割や立ち位置はヴァチカン市国モチーフ、規模や国風はスイスとイギリス両国をモチーフにしております。
■貴族社会については、大陸全土まとめて大英帝国風のイメージです。あくまでイメージ、あくまでモチーフです……!




