双方衝撃の事実、ですわ!
おそらく以前は、もし検分された時のために書いていなかった。よって少し砕けた表現なのだろう、という推測はついたのだが、その意味は未だわからないまま。
念のため彼からもらったヴァーノン語辞典を引いてみたけれど、やはり記載はなく。ヴァーノン特有の表現というわけでもないらしい。
そう言えば今日、それを聞いてみるつもりだったんだ。
ディアナ王女殿下との出会い、まさかの意気投合という不測の事態が相次いで、すっかり忘れていたけれど…………。
今度会えた時に聞いてみよう。
次回は何を持ってこようかな。何もお菓子にこだわらなくても良いかしらね。かと言って装飾品類もあまり好まないみたいだし。
そうだ、そして今日くれた「約束のしるし」の中身はなんだろう……。
「…………ルシア」
独りまだ遠いその日に思いを馳せていたところ、小声で私を呼ぶ声がする。
お二人の御仁には気取られぬよう、低く小さく呟かれたその声。
父様が私を呼んでいるようだった。
隣に立つ父に目を遣ろうとしたところ、視線は私を見ず、正面を見据えたままだということに気付いて。
疑問符を浮かべたまま顔を上げると。……ヴィリアンズ様とマシュー様は、揃って眩い微笑みで私を見つめていた。
どうやら用があったのは父ではなかったらしい。
と言うより、私の返答待ち。何か話しかけてきていたのを、私がまるで聞いていなかったようだ。
や……ヤバい…………!
「は……はい!」と生返事だけを返しておく。
下手なことを言うよりマシだと思ったからだ。
すると、聞いていなかったと理解してくださったのか、あるいは聞き方が難しかったのかと判断してくださったのか。
私と目を合わせるべく、少し屈んだ状態のマシュー様が、「レディ、リアム殿下とはつづかなくお過ごしでしょうか?」とおそらくは再度。丁寧に聞き返してくれた。
20代後半に差し掛かった年格好、目の毒になるほどの整った容姿。さらには私なんかに丁寧に敬語で話してくれるあたり、ジェームスたち5人に相通じるものがあるな……。
なんとなくそれで話の流れがわかった。
父様を交えて、派閥の今後の方針やら何やら。
政治に関わる小難しい話で盛り上がっており、どう考えても私には一切関係ない……というか、聞いてはいけない内容も含まれているような気がしたため、恭しい姿勢のまま立ち尽くし、独り好き勝手なことを考えていたのだが。
派閥の話から、話題は私達にお目をかけてくださっている侯爵様について変わり。そしてそもそも全てのきっかけである、「リアムとの出会い」に話は移り。
やがて論点は「リアムはどうしているか」に及んでいたのだろう。
それに答えられるのは、私しかいない。
「はい、リアム……殿下は楽しくお過ごしでいらっしゃいます! お会いするたびに、お互い次回の約束にと、贈り物をし合っております。こちらが本日もらっ……いただいたお品です」
今日もらった小袋をお見せする。と同時に、素で答えそうになり慌てて気を引き締める。
流石に身内以外にはリアムに呼び捨て・タメ口を貫いている事実が知れたらまずいだろう。
お二方は名門有力貴族であり、隣国の王太子リアムの身柄を厳重に預かるお立場にある。
しかし諸侯さまという天上のお方でありながら、リアムと接点を持てる大臣格ではない。
普段互いにお忙しく、同じ敷地内に住んでいるとは言え。ゆっくり座ってどころか、立ち止まって言葉を交わす機会さえ滅多にないというドートリシュ家の面々。
リアムがエレーネ王国で気兼ねなく元気に過ごせているのか、知りたくとも直接知る術がないのだ。
……そう。たまたまリアムと懇意な関係を築いており、偶然同じ派閥に所属する貴族、アシュリー男爵家の者に聴く以外には。
王女王子両殿下にもどうやら良くしていただいているようだし、楽しくエレーネで過ごしていることは私が一番知っている。
「手紙でもご交流いたしております。全て皆様方のおかげです!」とお顔を見上げ、お礼も交えつつ情報を付け足した。
しかし。初めて見上げて気付いた。
目の焦点が合わずに見開かれ、薄く弧を描いていた口を開き。
そのお顔は、見るからに呆けている様子。
……お二方の耳には、今しがたの発言は届いていなかったようだった。
「…………贈り物?」
そう異口同音に、声を揃えて。
その反応に逆に驚く。挙動不審になるばかりだ。
え? 何か変なこと言った、私?
何もエレーネの国家予算を侵食するレベルのものを贈り合っているわけではないし、そんな……そんな信じがたい事態みたいなお顔をされる筋合いはないのでは……?
縁があるとは言え、一介の男爵令嬢と気安く小物や菓子などを贈り合うくらいには、気楽にのびのびと過ごしているんですよ、というちょっとした情報提供のつもりだった。
最低限のマナーは守っているつもりだったけれど、上流階級にとっては許しがたい暗黙の了解を犯してしまっていたとか……?
お二人はなおも信じられないといった表情のまま、「……贈り物」と自らの口から紡がれる言葉の響きを、まるで夢か現か確かめるように、繰り返し呟いている。
え……? 本当に何……?
「レディ。贈り物とは……リアム殿下が、ですかな」
暫し呆然とした後、ただただ反応に困る私と父様を前に。正気に戻った様相でそのように問うてきたのは、ヴィリアンズ様。
疑問の焦点はそこなの……?
よくわからないまま、「は、はい」と答えるしかない。
何か大問題なのかもしれないが、正直に答える以外に、気の利いた対応策など思いつかなかった。
と。私の返答を受けて、怪訝な表情をしていたお二方の顔色が、目に見えてパァッと華やぐ。
次の瞬間。バッと勢い良く、父子二人は森緑の目と目を合わせた。
「父上…………!」「ああ、これは……!」
そのお声だけは、辛うじて私達の耳にも聞こえた。
「交易などは夢のまた夢。僕達の命が潰えるうちまでに、民同士の友好交流が始まれば御の字と思うておりましたが…………」
「うむ。どこまでもか細く、今にも消え入りそうな獣道であるとな」
「しかしこの現実は……赤煉瓦で舗装された馬車道さながらにございます……!」
「やがて平和の王となる、リアム殿下とこうも盤石なるパイプを日々築いてくださっていたとは……! 来たる将来、貿易交渉だけでなく、強大なヴァーノンの防衛協力をも仰げるやもしれぬ。アシュリー男爵家の為す功績、いかに果てしなき…………!」
「祖父上のお眼鏡、狂いなしということですね……!」
(…………?)
と思いながら、ひたすら耳をすませていた私と父様。
結構至近距離にいるはずなのに、何一つ会話が聞き漏れてこないのだ。
仕事ができる人は、視線と口の動きだけで十も百も情報を伝え合うという。それが今目の前で行われていた。
何か大層興奮したお顔つきで、熱のこもった議論が繰り広げられている視覚情報だけはわかるのだが、肝心の内容は単語すらも聞き取れない。
口を挟むわけにもいかず、私達がそのまま放置されたのは数分に及んだ――――…………。
「いや、実に申し訳ないことをいたしました」と話が落ち着いたらしいヴィリアンズ様が謝罪してくださった時、ようやく室内の時間が動き出した。
その後も父様は話の続きをしていたのだが、お二方の顔色は先程までとは変わっていた。
……父様と会話をしながらも、なぜか私の方を期待のこもった眼差しで見つめていると言うか……。
やがて話が終わったあとは、お二方は父様に握手を求めていた。握手って、完全に対等の相手としかしないはずなんだけどな。
当然父は「ハハハ…………」と乾いた笑いを漏らしつつ、何がなんだかわからない顔で熱い握手に応じていたが…………。
そろそろ時刻も差し迫り、「では、また次の機会に」と申し出る際にも、お二方は何やら会話を交わしていた。
そしてまた、私達がそれを聞き取れることはないのだった。
「現段階で爵位の底上げが必要では? 勤勉で優秀、領民からの厚き支持。昇格の理由など、挙げても多岐にわたりまする」
「私達で勝手なことをするわけにはいかぬ。後見たる父上の許可なしにはな……
なに、"いざその時"は我が侯爵家の養女として推挙し、身元を保証して差し上げれば良い話であろう」
……ものすごく白熱した話が展開されていることしか伝わってこない。「いったいなんなの」という疑問は、先程からついぞ解決することがないまま。
貴族の仕事に関する話であれば、どうして父様ではなく、私に視線を向けて来ていらっしゃるのか……?
――――――――――――――――――
今日は本来時間になれば、改めてご挨拶をして、ご迷惑をかけぬよう早々とここを後にする予定だった。
しかし話の流れで、外廷を出るまでお見送りをしていただけることになった。
当然断るわけにはいかず、立ち話をしながら歩き、有難くご厚意を頂戴することにした。
流石に仕事相手でもない私に、握手を求めることは憚られたのか。
マシュー様が手慣れたご様子で……けれど丁寧に、城門に至るその時まで、エスコートをしてくださった。
リアム以外に、それも大人の男性にエスコートされるというのは現実味がなく、なんだか不思議な気分だ。
その傍ら、お仕事の面だけではなく、こうして"女性を虜にしてゆく"ことに突出したご才能がおありの一族なんだな、と独り納得してもいたのだった。
城門をくぐると、途端に王都の雑踏と喧騒が耳に響く。それはどことなく懐かしく、屋敷や王宮にはない故郷の匂いを感じさせた。
「本日は貴重なお時間をありがとうございました」と二人で挨拶する私達に、「いいえ、こちらこそ」と返してくださったお二方。
社交辞令に過ぎないのは承知の上だが、「またお気軽にお越しいただきたいものです。次の機会には王宮図書館の方をご案内いたしましょう。ドートリシュ家一同、アシュリー男爵家の皆様を何時もお待ちしておりますゆえ」と言っていただいた。
今回拝謁の機会をいただいた史資料図書館には、いつでも入室を許可するとまで。
――――そのお言葉を受けた瞬間。
恭順に感謝の念を伝えながらも、お二方に見えない位置で「よっしゃ!」とばかりに。震える拳をぐっと握りしめていた父の姿を、私は見逃さなかった…………。
平民時代の癖でつい気軽に頭を下げそうになるが、何度も頭を下げるのは貴族として相応しい挨拶とは言えない、とマナーの授業で教わった。
よって私達は一度道中で振り返り、紳士の礼とカーテシーをすることで最後の挨拶とした。
それにヴィリアンズ様は片手を挙げて応じ、マシュー様は同じく紳士の礼で返してくださった。
こうして……あまりに濃密すぎた、私の王宮での一日は幕を閉じたのだった。
――――――――――――――――――
父様の見積通り、待ち合わせ場所には時間を過ぎることなく到着した。
「不測の事態」と「移動時間」に余裕を持たせて設定していたのが功を奏したらしい。一時は嫌な汗をかいた私は、心底胸を撫で下ろす思いだ。
そもそもここ、通称馬車広場には、さほど時間もかけずに行ける。特に急ぎ足になることもなく、息の合う掛け合いトークを展開して、若干人目を引いていたバーンズ兄妹と無事落ち合うことができた。
今日王都へ付いてきてもらった使用人は、御者のジルと、それから侍女としてジニー。
特に私達父娘は、侍女を必要とするような用事はないのだけれど。出発の直前、御者であるジルだけを連れ、ジニーがその側にいないことに、私達は強烈な違和感を覚えた。
この二人はいつもセットでなければ、なんとなく落ち着かない。どこか不自然さを感じさせるのだ。そんな主人たちの都合により、ジニーにも一緒に随行してもらっていた。
何も仕事を与えずに連れてくるのも迷惑かとも思い、二人には王都各役所から求められていた、書類や紋章印の提出をお願いしていた。
用事も全て終わり、お喋りで時間を潰していたらしい兄妹。
私達と合流するや否や、いつでも出発できる状態で調えてくれていた馬車に乗り込み。
私達一同は馬がゆっくりと駆ける音に合わせ、王都を後にしたのだった。
私とジニーが隣り合う形。対面に父様が一人という席順になった。
褒美の品としてもらった馬車なだけあって、こうして向かい合っていても窮屈には感じない広さがある。仮に自分たちで購入していれば、必要最低限しかお金をかけず、このような快適さはなかったであろう。ありがたみを改めて今実感していた。
父様は久々の外出で疲れ切っているのか、うつらうつらと舟を漕いでいる。
色々なことがありすぎた私も疲労度合いは同等だが、そんな主人一家を思いやり口を閉じている、隣に座るジニーを見て。
「これはちょうどいい機会じゃない!」と不意に思い立った。
バッグから取り出したのは、先週もらったリアムからの手紙。
招待状が不要になったとは言え、事情を知らないお城の使用人さんや兵士さんに不審に思われ、招かれたことが一切証明できずにあえなく御用……なんてことになっても困る。
そのため、リアムの署名入り。かつヴァーノン王家の紋章で蝋封された手紙を、身分証明書として一応持ち歩いていたのだ。
今こそ、ここ最近における最大の謎を解明できる時!
ジル&ジニーは非常に社交的で友人が多い。
元々王都で生まれ育った彼らは、私が把握しているだけでも実にたくさんの交友関係を持つ。領地でも老若男女を問わず打ち解け、今や全員がこの兄妹の友人と言える。
また、とても筆まめでもある。商会時代から友人の方と手紙のやり取りを多くしていたのを知っている。
……手紙はこの世界において、唯一の文字コミュニケーションツール。二人がもし地球にいたならば。手紙をよく書くというよりも、「LINEやSNSを即座に返してくる」タイプなのだろうな、と私は昔からよく考えていたりした。
そんなジニーが今、隣にいるのだ。
きっと知らないはずがない。もう聞くしかなかった。
この「×××」の意味を!
「ねえジニー、ちょっといいかしら」
なるべく父様の微睡みを邪魔しないように、またジニーを不要に驚かせないように。手を引いたりすることをせず、静かに小声で問いかける。
場の空気をよく読める彼女は、「ん? なんですか〜」とささやき声で返してくれた。
「リアムからの手紙なんだけど、見てもらえる? これの意味、ジニーがもしわかるなら教えてほしいなって」
指で指し示すが、横目で見ていてもわかりにくいかと思い、そのまま便箋ごと手渡す。
私に示された箇所に視線を落としたジニーは、……急に口元を綻ばせてみせる。と言うか、なぜかニヤけていたといった方が正しいか。
「あらら…………リアムくんってば、おませさんですね〜」
とニヨニヨ微笑んでいたが、突如ハッとした顔で「あっ違う! 殿下だ、リアム殿下!」と自らの発言を修正していた。
あの日、リアムが当然の如く平民の子供だと信じて疑わなかった私達アシュリー商会。弟や息子のように可愛がっていた私達家族に決して劣らず、彼女たち女性従業員もぬいぐるみのように愛でまくっていた。その名残が出てしまったのだろう。
でも実際のところ、それは大して問題ではない。彼も殿下と呼ばれるくらいなら、そう呼ばれる方が嬉しいはずである。「リアムくんでいいと思うわよ」と付け加えておく。「いえ! けじめですから!」とやんわり拒否されたけれど。
いや、そんなことより。
「おませさんですね」ってどういうこと?
やはりジニーには意味がわかっているみたいだ。さすがアシュリー家きっての筆まめ兄妹は違うな! 良い機会が巡ってきて良かった!
……まあ、いつでも聞ける機会はあったのだけども。実のところ、暇さえあればすぐお昼寝に時間を費やす私に原因はあった。
「ジニーにはやっぱりわかるのね! これっていったいどういう意味なの? リアムから送られてくる手紙の末尾は、絶対この『×××』で締められてるのよ」
「えー! 毎回ですか!? いやぁ、積極的だな〜! …………まあリアムくんだったら、大事な大事なお嬢様を託しても問題ないか……」
もはや私に聞かせるつもりなく呟かれたであろう、最後の方の言葉は聞き取れなかった。
少し悪戯そうに微笑んだあと、「ふふ、可愛いな」と独りごちながら、該当の箇所を指し示し。
続きを紡ぐオレンジ色の唇から放たれた言葉は、私に衝撃を与えるには十分すぎるものだった。
「お嬢様、手紙の末尾の『×××』はですね。相当親しい人相手にしか書かないものです。
この意味。――――『chu,chu,chu』の擬音です。
キスマークの意味ですよ!」
「………………………へ?」
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