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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
序章 〜転生と叙爵編〜
5/91

父様が天使を連れてきましたわ


 頬を撫でる風が心地好い初夏の夜だった。


「父様、遅いわね。何かあったのかしら。……もしかして、事故? 馬車に轢かれてしまったり、賊に襲われたりして動けないのかも」

「ううん、母様も心配だけど……でも、あそこに立ち入る馬車なんていないはずよ。貴族様や貿易商人、それに賊やゴロツキだって、あの周辺に用事などないと思うわ」


 その日、在庫整理に行ったまま一向に戻らない父を、母と二人で心配していた。


 アシュリー商会の在庫を保管している、王都商店会の共有倉庫。

 自宅兼職場であるこの商会からはやや距離があるが、十分徒歩で行き来が可能な場所だ。


 もうすぐ午後九時を告げる夜二の鐘が鳴る。

 それはどれほど整理に手間取っていたとしても、未だ帰宅していないのはおかしいと断言できる時間帯だった。


 普通ならばどこかで寄り道しているだとか、行き逢った知り合いと話し込んでいるといった可能性も有り得るだろう。

 しかし私達アシュリー家は、仕事や用事に伴う最低限の外出を終えたなら、迷わず直帰を選択する性質の持ち主なのだ。

 父が何らかの事故か事件に巻き込まれたとしか、もう考えられない状況だった。


「……もう遅くなってしまったわね。母様はもうしばらく待ってみるから、ルシアはもう休みなさい」


 心配と不安だけが募る中、母様は私をベッドへと促した。

 幼い私に無用な心配をかけさせまいとする母の心遣いだと、すぐ気が付く。

 釈然としきれない思いを飲み込み、大人しく寝室へ向かおうとした――まさにその矢先。


 額に玉の汗を浮かべ、肩で息をする父が無事な姿で帰って来てくれた。


「父様!」「あなた!」

 私と母様の声が見事に重なった。

「ただいま、二人とも。心配をかけたね。……すまないが、すぐに暖かい食事と湯を用意してほしい」

「その子は……!?」


 父様は両腕に、亜麻色の可愛らしい天使を抱えていた。



 絶え絶えの息を整えながら、父様は話してくれた。

 日が落ちた直後、作業に区切りを付け、第一倉庫を施錠し後にしようとした。

 その折、悲鳴のような高く細い声が断続的に聞こえたこと。風の音か動物の鳴き声かとも考えたが、子供の泣き声である可能性に思い至ったこと。

 そして第二倉庫に座り込み、独り泣いているこの子を見つけたことを。


 第一倉庫は日用雑貨や工芸品、第二倉庫には食料品が保管してある。

 隣接している倉庫ではあるが、自然空調と断熱が施された造りのため、防音効果も多少ある。

 また、雑貨屋であるアシュリー商会では、第一倉庫のみを利用している。

 だからこそずっと作業をしていても、いざ外に出るまで彼の存在に気付かずにいたのだろう。


 そもそもあの倉庫、比喩ではなく本当に滅多に人が来ないのだ。

 王都商店会共有と言えば聞こえはいいが、利用しているのは細々やっている小さなお店や副業商家、商売下手、それから利益度外視の馬鹿。

 そうした有象無象の商家の物置同然なのである。


 大商家や貿易商人さんが利用することはなく、立地自体も細い裏路地をずっと行った下町の先にある。大通りからは離れており、入る道も妙に複雑だ。

 馬車が入れないから貴族様をお見かけすることもなければ、面白味がないのでゴロツキも立ち入らない。そして住宅街でもないゆえ、商人以外の平民も特に用はない。そんな場所。


 つまり誰かに気付いてもらえる可能性は非常に低い。

 加えて風通しの良い造りでもあるので、気温が低い時には外気よりも冷え込む。

 風邪で済めばまだいいが、最悪の事態も考えられる。


 私よりも幼く見える男の子。

 たった一人、あの倉庫で震えていたのね……。



 偶然だったとはいえ、父が気付けたのは幸運だった。私達家族三人、以心伝心に口を揃えた。

 父からそっと受け渡され、母の腕に抱かれ。蜂蜜色の瞳いっぱいに涙を浮かべる少年は、寒さにか恐怖にか、小刻みに震えていた。

 さぞ寒く、怖かったことだろう。


 保護者とはぐれて迷子になったのか、一人で遊んでいて迷い込んでしまったのか。あるいは友達との喧嘩や悪戯の末、置いて行かれてしまったのか……。


 哀情に顔を引きつらせながら話し合っていた両親だったが、見ず知らずの第三者がそれを探っていたところで、答えなど出ない。自然とその話題は立ち消えていた。


 しばらくして呼吸が落ち着いた父は、改めて私達にお願いしていた。

 しばらくうちでこの子を預かりたいことと、入浴と食事の提供についての指示。

 強く頷いた私達に、ようやく安堵の息を吐く。


 父は迷子を保護している状況を届け出るため、これから王城へと向かうらしい。

 続いて交流のある商家や貴族家を回り、情報と協力を仰ぐという。

 顔見知りの子供であれば良かったけれど、この辺りでは見かけない子だ。

 直接親元に送り届けることができない以上、最適な行動だと思われた。


 やがて母の胸に抱かれるこの子を託して、父は再び王都の闇の中へと駆け出して行った。


 不安げに父の背中を見守る少年をぎゅっと抱き留め、母様は柔らかに笑う。

「もう大丈夫よ。怖かったでしょうね……私達家族が貴方を守るから、安心してね」

 母の言葉と態度に安心してくれたらしく、彼は暴れることもなく、静かに身を委ねていた。

 お店の毛布を引っ張ってきた私に、ぐるぐるもふもふに巻かれながらも。


 肩より少し短い亜麻色の髪、蜂蜜色の丸い瞳。

 男の子に対する表現として相応しくないかもしれないが、花が綻ぶような、生まれたての小動物のような、思わず守ってあげたくなる極上の愛らしさだった。

 キラキラでふわふわ。なんてかわいい子なんだろう……!

 その可愛さ、まさに神級!



 父を見送り、ひとまず家族用居間パーラーへ来た私達。


 抱っこしていた少年を暖炉前のソファへ優しく降ろした母は、その場を私に任せお湯を沸かしに向かった。

 この世界では、浴槽、あるいは湯浴み用の桶が備え付けられた家庭が多く、入浴事情は先進的だ。

 もっともお湯は別途沸かし、都度浴室に持ち込む必要があるが……。

 アシュリー商会にはそれなりの湯量が一度に沸かせる、そこそこ質の良い湯沸かし器がある。

 大人用ならともかく、この子一人分のお湯ならばそれほど時間はかからないだろう。

 お話ししている間に準備ができるはずだ。


「ねえ、あなたのお名前はなんていうの? 私はルシア。ルシア・アシュリーよ。好きに呼んでね」

 そういえば、まだ名前すらも聞いていなかった。笑顔で右手を差し出す。


「……ルシア、ちゃん……ボクは、リアム。……リアム・スタンリー」

 長い前髪をかき分け、上目遣いでおずおずと自己紹介を返してくれた。


 毛布をマントみたいに羽織り、頬を赤くして。手は伸ばしたまま、握っていいものか躊躇っている。

 かわいいな、ホント。リアムっていうのか。というかそれより、ルシアちゃんって呼んでくれた!

 テンションの上がった私は、ぎゅっとその手を握りしめ、上下にぶんぶんと振る。

 少し驚いたように目を見開いているが、気にしない。


「よろしくの握手。私たち、これからはお友達で姉弟よ。よろしくね、リアム!」

「! ……うん!」


 そっとその顔を覗き込んだ私と目が合った瞬間、ぱっと明るい満面の笑顔を見せてくれた。

 さすが私の弟。ウルトラかわいい。

 もうこの子……リアムは誰が何と言おうと私の弟だ。

 親が見つかるまでと言わず、ずっとうちに住んでくれたらいいのに。幸いお金に余裕はあるし。

 無事におうちに帰れた後も、たびたび遊びに来てくれるといいなあ。

 きっと父様も母様も喜ぶ。二人が息子認定するのも時間の問題だろう。



 リアムを膝の上に乗せ、しばらくお話ししていると母様がやって来た。どうやらお湯が沸いたらしい。

 私達の様子に微笑み、私に少年の名前を問うた。

 彼の名を呼びかけつつ交互に髪を撫でると、リアムの脇に手を差し入れ抱き上げた。

 ……持って行かれた。


「さぁリアム、お風呂が沸いたわよ。ゆっくり暖まってからお食事にしましょうね。ルシア、悪いけれどキッチンにあるものを温めておいてくれるかしら? すぐ戻るからね」

「え? ……え?」

「わかったわ」


 持って行かれたものは仕方ない。

 というより、お腹を満たし暖を取らせることが最優先事項だった。

 あまりの可愛さにうっかり失念していた。


 え? というのはリアムの声である。

 今わりと有無を言わさぬ感じで連れて行ったからな……。

 だが、子を持つ母は強し。

 娘と同じ年頃の男の子に、母様はわずかな躊躇もなかった。

 綺麗に洗ってあげて、抱きかかえてでも肩まで湯に浸からせなければ。おそらくその一心のみ。

 リアムの戸惑いなどなんのその、これから彼は身ぐるみの一切を剥ぎ取られ、全身を洗い尽くされるであろう。合掌。



 さあ、私はその間、食事の準備だ!


 スープとパイを温めながら、先程の父様の言葉を回想する。

 しかしそれは言われるまでもないことだった。少しの期間だけだとはいえ、安心してうちで過ごしてもらえるようにすることこそが、私に課せられた義務だろう。


 キッチンにあったのは、スティルトンチーズスープとコーニッシュパスティ。

 どちらも母様の得意料理であり、まごうことなき絶品。きっとリアムも喜んでくれるはずだ。


 パイは竈の中に、スープ鍋は竈上部にそれぞれ火をかけ、丁寧に熱を加えてゆく。

 少しでも美味しく食べてもらえたらと、新たにチーズとクリームを溶かしつつ。

(そうだ。クラッカーと具材が一緒にあったほうがいいわね)

 チーズスープはそのまま食べても美味しいけれど、色んな具材を浸して食べた方がより美味しい。

 ブルストとじゃがいもを軽くボイルし、バゲット、にんじんにパプリカ、ブロッコリーを一口大に切り分ける。

 軽く焼き上げたクラッカーをフォンデュポットに並べ、準備完了だ。


 まだ幼い私ではあるが、母によって基本的な家事は教え込まれている。

 とは言え、前世で一人暮らしに必要な程度の家事経験がある私にとって、覚えるべきことはかまどの使い方くらいであった。

 逆に言えば、それさえ覚えてしまえば包丁さばきなどに問題はなく、母が期待していた以上の動きをしては、両親や従業員に過剰に絶賛される日々を送っている。

 商家や役人あたりを狙っていくのなら、将来嫁の貰い手に困ることもないはずである。

 ……多分。……きっと。


 そんなこんなで、フォンデュポットに火をつけ、丹念に鍋を温めてゆくうち、再び毛布にくるまれて戻ってきたリアムを無事お膝の上に奪還した。


 それまで少し微睡んでいた彼だが、チーズがとろける様に興味を惹かれたのか、瞳をキラキラさせて眺めている。

 そっと差し出した木製のスプーンを受け取ると、待ちきれない様子で食事を始めた。


「これ、初めて見た! このスープもとっても美味しいし、こっちのパイも美味しいよ!」

 一口、一口を楽しそうに、とても美味しそうに口へ運んでいく。


 ……しかし……スープもパイも珍しい食材なんて一切使っていないし、そもそもこの国ではどこでも食べられるような、ごく一般的な家庭料理なんだけどなあ。


 物珍しげに食事を進めるリアムの様子からは、どれも初見であるように見受けられる。

 もしかして他国から来た子? それとも結構なお金持ちの子だろうか。

 よくよく見れば着ている服は上等な織物仕立てだし、振舞いや食事の仕方にも品がある。それで庶民の食生活を知らないのかな。


 などと考えているうちに、リアムはぺろりと完食していた。

 やはり大層お腹を空かせていたのだろう。


「片付けは任せて、あなたたちはもう寝なさい」との母の言葉に時計を見遣れば、すでに時刻は二十二時半を回っていた。

 時間を意識した途端に眠気が襲ってくる。

 リアムは満腹感と疲労感も相まってか、うつらうつらと舟を漕いでいた。


 明日にもまだ遊ぶ時間はある。それに父様からは、きっといい報告が聞けるはずだ。

 無理に起きている必要はない。お言葉に甘え、もう休むことにした。


「そうね。母様、おやすみなさい。もし父様が帰って来たらおやすみって伝えてね。じゃあリアム、ベッドはこっちよ。行きましょう」

「うん……え? 一緒に寝るの?」

「そうよ。リアムはもう私の可愛い弟なんだもの。大丈夫よ、私のベッドは広いから」


 リアムの手を引き、半ば強制的に子供部屋に連れ込むが、意外にも彼は抵抗の素振りを見せるどころか、私にぴたりと身体を寄せてくれていた。

 マントのようにくるんでいた毛布を、身体の上を覆うように掛け直す。

 肩まで布団が掛かっていることを確認し、私もベッドに身を埋めると、リアムはもう寝息を立て始めていた。

 責任持って寝かし付けるつもりだったが、その必要はなさそうだ。

 彼は握りしめた私の手を放さず、深い眠りへと落ちていた。

 耳元で聴こえる規則的な呼吸に誘われるように、抗えぬ強烈な睡魔に身を任せる。


「おやすみ……リアム」


 今日の怖かったことは全部忘れて、楽しい夢を見ていてほしい。

 呟く声と共に、静かに意識を手放した。


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