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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
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天使の住まう楽園 本を携えて

■作中に出てくる物語は、今後の展開においてポイントになります。物語の内容もそうですが……



 もう……この子はなんて可愛いんだろうか!


 その表情は、先程までの紳士的な態度とは対極。

歳相応のあどけなさと可愛らしさに満ちていた。

 なでる手が速度をはやめ、キュンと音を立てて胸がときめく。

私の腕の中、愛らしい亜麻色の子猫がそこにいた。



「ふふ、私も会いたかった。……さっきは急に大人びた態度を取るからびっくりしたのよ?」



 なで続ける手は片時も止めず。私の胸にすっぽり収まる、小さく愛らしい弟に語りかける。

今日一日、ずっとあの調子で来られるのか。

リアムは極めて平常運転なのかもしれないけれど、私は平常心とはいかない。覚悟を固めたところだったのだ。


 彼はよりかかった姿勢を崩さずに、金の両瞳だけを覗かせながら言う。



「せっかくだからカッコよく決めようと思ったんだけど……ルシアちゃんと二人になったら気が抜けちゃった」




 私の腕に身を任せ、上げていた顔を再び沈めてゆくリアム。

先程の態度と、一瞬見えた小悪魔的な笑み。

あれはどうやら、頑張って背伸びをしてみただけに過ぎなかったらしかった。



 なんでもリアムは今日、私に『王子による完璧なエスコート』を味わってもらいたかったと言う。

素敵な時間をプレゼントしようと、気合を入れて計画していたのだとか。


 しかし、いざ私を目の前にしたとたん、甘えたい気持ちが抑えられなくなってしまったそうだ。

「あとでまたちゃんとカッコよくなるからね!」となんとも可愛いことを言いつつ、こてんと身体をくっつけてくる彼は、まさに天使そのものだった。



 私に甘えたいというのなら、いくらでも甘えてくれば良い。

 心を真に預けられる人でなければ、そもそも甘えたいとも思わないだろう。私なんかがリアムにとって、そのような位置づけにあることは素直に嬉しい。


……それにこの子の可愛さは、本当にこの世のものとは思えないほどなんだから!

彼の発する癒し効果は凄まじい。リアムも感じてくれているだろう癒しが、こちらにも何倍にもなって返ってくるのだ。

 

 まさに天使。それはまさに、リアムセラピー効果。



(いつかこの子もお嫁に行く日が来るのかな……。

その時、私はちゃんと祝福して送り出せるんだろうか…………)


 「性別」という言葉が、ふとなぜか脳裏の片隅に浮かんだものの……私の残念な頭がその意味を理解することはなかった――――。



―――――――――――――――



 永遠に愛でていられる気分でなで回し、至福のひとときを味わっていた私。

リアムも何を言うでもなく、ただなされるがまま。

時折「ルシアちゃん」と呟くだけ。まるで"私"を堪能しているかのように、幸せそうにしてくれていた。



 途中からこの上体だけを寄せた姿勢はキツいだろう、ということに気付き、脇の下に手を差し入れて膝の上へと乗せた。

 一瞬キョトンとした表情を見せたリアムだったが、すぐにパッと顔を綻ばせて。

私の首元に手をやり、まだ幼く短めの脚を腰あたりへ伸ばし。

リアムの定位置。私の膝上で落ち着いたのだった。



 彼は引きこもりのもろく弱い身体でも、余裕なほどに軽い。クッションを乗せているのと同等である。

 やがてその体勢のまま、先程と同じように、私の胸に顔を預けてきた。

互いが正面に向かい合う形だ。だっこ型のテディベアみたいで実に可愛い。


錯覚なのはわかってはいるが、彼の周囲にハートが飛ぶ幻影すら見えていたほどだ。



 

 どれくらいの間そうしていたのか。

先程とは違うメイドの方が「スープをお持ちしました」と入室してきて、そこでようやく時間という存在に気が付く。

暫し針を止めていた、この部屋の刻が動きだした。



 実際の時の流れは、だいぶ進んでしまっていたようで。


 紅茶のあとに出すスープは、料理と料理の間よりも少し長く時間を置く。洗練されたこの宮の使用人たちが、適時を読み違えることはないだろう。

 美味しく淹れてくださっていたであろう紅茶は、もう湯気を放ってはいなかった。本来すでに、このカップが空っぽになっていて然るべき時間だということだ。




 せっかくのものを無駄にしていたことに罪悪感を覚え、誰ともなしに「すみません」と断りを入れて、冷たくなってしまった琥珀色を飲み干す。

これだけ時間を置いていたにも関わらず、それは品の良い甘渋を舌にしっかりと伝えて。


 ――――もっと美味しく飲めたはずなのに、茶葉にもメイドさんにも申し訳ないことをした。

 ……今後は気を付けよう。そう心に決めた。



 彼女は配膳と下げ物を一切の無駄なくこなすと、しずしずと退室していった。




 果たして運ばれてきたものは……だしの強さとコクを存分に主張する、濃茶色のスープだった。


「ぜーんぶルシアちゃんのためのスープだから、どんどんおかわりしてね!」

……屈託なく無邪気に笑うリアムの表情がまぶしい。


 料理やスイーツ類でお腹をふくらませてしまうより、本当に美味しいスープを飲んでもらう方が、絶対ルシアちゃんは喜んでくれる。


 何日も前からその主張をもとに、ガーベラ宮専属の料理人さんたちと検討を重ねていたらしい。

大鍋になみなみ、実質私専用だそう。 


 リアムだって公務やら勉強やら、忙しいだろうに…………。

それに私達アシュリー家のような例外は別として、高貴な身分の方はそもそも厨房などには立ち入らないんじゃなかったっけ。

本当に嬉しく、ありがたいおもてなしだった。

 



 「本当にありがとうね」と、お礼の声が浮つくのを隠しきれない。

ワクワクした顔つきでこちらを見つめるリアムを前に、ひとくち目を口に運ぶ。


――――! お、美味しい…………!


 「これは牛だしスープね。メイン具材が牛すじ、アクセントにパセリ…………。なんて豪華ながら繊細な味わいなの……!

あと……この具は。…………もしかして桃かしら?」


「すごい!さすがルシアちゃんだね。全問正解!」



 目の前の天使が、輝く天使の笑みで褒めてくれる。 


 そう。濃厚で深い旨み、具なしでも鍋を空けられると断言できる、この凝縮されたコクは間違いなく牛だしである。

肉の中でも牛すじを使ってくるとは、キラリと光るセンスを感じる唸りどころだ。

確かな噛みごたえと、だしと自身を互いに引き立て合う味。口の中でとろりとほどけてゆく食感がたまらない。


 パセリはこの国には自生しておらず、芽も育ちにくいのだそうだ。

貿易商会のお嬢様育ちである母から聞いて、それは知っていた。他国からの輸入に頼るべき品目であり、かつ必須といえる食材でもないため、エレーネ王国においてはかなり珍しい高級品。



 そして。問題なのは、この「桃」。


 食材のチョイスが悪いわけではない。

牛すじと全く違った舌ざわり。甘いはずの実は、スープを吸い込んで煮詰まり、メインの座を奪わんとしているように味わい深い。  

 それに貴族家によっては、野菜よりも果物を具材に使いがちな家もあるという。 

フルーツスープはいつか食してみたかった。


 私の中で不定期に更新される『スープランキング』第1位が、たった今塗り替わったところだ。




 何が問題かと言えば、私が桃を見たのは実に()()()()

領民の皆はおろか、使用人も両親も。その存在さえ知らないのではないか。

この間エレーネ国文法の先生が持って来てくださった、新しい本に書いてあった。


 桃って確か、東のメレディス公国から地中海を挟んで、東へ。

大陸随一の国土面積を誇る北の大国、ノーマンド王国からもさらに東。

エレーネ王国とは国交もない、遥かはるか東の極地。

……「星雲海の国」。リェンジェ王朝国家でしか見られない、幻の植物なんじゃなかったっけ…………?



 それを悟ると同時に、サーッと血の気が引く。

前世の感覚のまま、普通に「美味しい!」とパクパク口に入れていた自分が空恐ろしくなった。

 も……もっと味わって大事に食べなくては…………!


(ていうかまさか、これを私のためだけに輸入したわけじゃないよね?)


 リアムなら有り得る気がする。

違うよね、エレーネ王族の皆様方のために仕入れたものの余りか何かだよね……?


 どうかそうでありますように。

それを問うのはやめた。なんだか余計なことを知ってしまいそうだから。

私の飲むスープのために、エレーネやヴァーノンの国家予算が使われていませんように…………。

 




 それから10分と経たずに、大きめのカップの中身を飲み干した。美味しいにもほどがあるのだ。

当然おかわりを欲していたが、使用人さんをそんな程度のことのために何度も呼びつけるのは、あまりにも迷惑すぎる。


 前世では一般庶民。今世でも平民歴の方が長い私は、もうセルフサービスのスープバー的感覚になり、厨房へ向かい歩き出そうとしていた。

 だが、それを慌てて呼び止めるリアム。大事なお客さまにそんなことさせられないよ、と。


 協議の結果、「じゃあ、大鍋ごとこの部屋に持って来てもらおうよ」とリアムが良い提案をしてくれ、それで落着した。

 この子は私に甘い。

本来『王太子と貴族令嬢』の間に取られうる対応策ではないのだが。

……あまり深く考えないことにした。




「ルシアちゃん、『桃』のことを知ってたなんて。やっぱり色々なことを知ってるんだね、すごいな。

……ホントはボクが……『この具材、なんだかわかる?じゃあヒント!野菜じゃなくて果物だよ』みたいな感じで、褒めてもらえる大チャンスだと思ったのになぁ」



 少しくぐもった声でうつむくリアムは、口元だけが笑っていて。

心底しょんぼりした様子で、残念そうにそう呟いた。 


 子犬?叱られた子犬なの?


 そのあまりのいじらしさに、ぎゅっと身体ごと抱き寄せる。

私の視界からは見えなくなるほど密接した、ふわふわの亜麻色をわしわしなでた。


 可愛いな、もう!

そんなチャンスなんて狙わずとも、何も褒めることがなかろうとも。いつでも全力で褒めてあげるというのに!



 メイドさん3人が大鍋を運んで来てくれるまで、しばらくその状態は続いていた。

その後、なぜか私達の状況を見てギョッとされた。


? なんだろう、何かおかしかったかな。


 すぐに顔を引き締め、互いに目配せし合い。

足早に退室していってしまった彼女たちの後姿に、それを問う術はなかった――――…………。


 


 なにはともあれ、これで誰の手もわずらわせることなく、好きなだけ飲み放題となった。

ウキウキでよそいまくり、ペースよく飲みまくる私を、嬉しそうにニコニコ見つめるリアム。


「ルシアちゃん、美味しい?」「ふふ、よかった」と。

私よりも幸せそうに笑う彼を見て、私もより幸せな気分になれた。




 穏やかな時間が続き、やがて私は大鍋を半分ほど空けた。

宮に差し込める陽の光が、お昼を柔らかに告げる頃。


 リアムを安全な位置に避難させていた私は、ひと心地がつき、彼を再び膝上に呼び戻す。 

 「こぼしたスープを隣国王太子の頭上にかける罪」が、いったいどの程度の罰で償いきれるのかわからない。

市中引き廻しとかになっても文句は言えない気がしたのだ。



 ……王宮の一角に来ておきながら、出されたものを貪り食ってひと心地とか。

招待された貴族令嬢どころか、飼育されてるモンスターみたいだな…………。



 そんなモンスターの膝の上で、抱きついては頬擦りしていたリアム。

しばらくして、何かを思い付いたようにパッと顔を上げた。



「そうだ、ルシアちゃん。この前の本は読んでくれた?

もし良かったら一緒にお話ししたいな」


――――そうだった!

それが今日の第一目的。

私自身、ぜひとも感想を語り合いたいと思ってやって来たのだ。




「ええ! リアムが薦めてくれただけあって、本当に面白いわね。やっぱり言った通り、私にとっても『お気に入りの一冊』になったわ。

…………ただ恥ずかしいけど、まだこれだけしか読めてないの」



 栞の位置までページをめくる。

今読めているのは、せいぜい厚い本の5分の1程度。

一緒にもらったヴァーノン語辞典と照らし合わせながらのため、どうしても時間がかかってしまう。


喩えるならば、年度初めにもらった英語の教科書。それを一切の授業なしに、自分の予習だけで読み進めているのに近い。



 けれど可愛い目の前の弟は、それすらも全肯定してくれた。


「すごいよ! これ、ちょっと古い本だから。今は使われていない言い回しとかも多いんだよ。

……えへへ、でも良かった! ルシアちゃんの感想が聴けるの楽しみにしてたんだ! 読んだところまでで色々お話ししよう?」



 キラキラとまばゆい笑顔。

催促されるまでもなく、語り明かしたい気持ちに胸がふくらみ。

今まさに口を開こうとしていたところである。



――――――――――――



 『海の王女さま 《Regina Maris》』



 ――――――輝く黄金よりも美しい金色の髪と、雄大な深海よりも澄んだ青色の瞳を持つ王女さまが、とある小さな国におられました。

彼女は、小さな国が有する宝石のような存在。


 青い瞳。そして、民を愛する心から。

内陸の海がないその国において、お姫さまは"この国の海"とされ、とても大切にされていたのです。


 その国では、誰もがたくさんの愛を込め、彼女をこう呼んでいました。

『海の王女さま 《Regina Maris》』と。――――――




 そのようにヴァーノンの古い本なのにも関わらず、なぜか()()()()()()()で題された物語。 


時間を忘れて読みふけってしまうほどに惹きつけられる、本当に傑作と言える作品だ。

読解しながら少しずつしか読めない自分がもどかしく、またリアムにプレゼントされなければ、これを知らぬまま生きていたのかと思えば口惜しい。



 『海の王女さま』は、小さな国で「素敵なもの」と「綺麗なもの」だけに囲まれて育った。

お姫さまの周りにあるもの。新しくもらったもの。初めて行った場所も、全てが素敵で綺麗なものばかり。



 ある日海の王女さまのもとに、隣国からの使者がやって来る。

それは強く凛々しく、あこがれていた王太子からの結婚の申し込みだった。


届けられた贈り物は、彼女の美しさを讃える手紙と、見たことのない珍しいドレス。


「なんて素敵で綺麗なことなのかしら!」




 心配する国王さまや王妃さま、従者たちの反対を振り切って、すぐに結婚を受けることを決める。


海の王女さまは、あこがれの王太子さまからのお申し出が何より嬉しかった。


それまで彼女の周りには、「素敵なもの」と「綺麗なもの」だけがあったために――――

お隣の大国でも、今まで知らなかったそれにたくさん囲まれて暮らせるのだと、信じていたのだった。

 


 そして夢と期待と、幸せに包まれて。


海の王女さまがお隣の国――――『ヴァーノン()()』に嫁ぐところから物語は始まってゆく。

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