その可愛さは反則でしてよ!
なめらかな蒼の天に彩りを添え、赤や黄の枯葉が優雅に舞い踊る。
防寒具で固めた身体は温もりに満ち、吹きすさぶ風を受け付けない。
火照る顔だけが浴びる風。それは秋の息吹と領地の空気を冷涼に伝えて。
むしろ心地よささえ感じさせた。
「じゃあルシア、準備は良いかな?15時過ぎまで王都に滞在するからね」
「ええ!いつでもオッケーよ!父様、ロニー。今日はよろしくね」
「お任せっス!俺のドライビングテクニックが火を吹きますよ」
「は、はは……安全運転で頼むよ、ロニー…………」
「そうよ。火は吹かなくて良いから暴走だけはしないでね……。
今後"暴れん坊男爵"とか呼ばれることになるのは父様なのよ」
今注意しておかねば、本気でやりかねない気がした。
ロニーならば本当に車輪から火を吹きかねない。
暴走馬車で王宮に乗り付ける男爵家。王都の人々に強烈なインパクトを与えるには十分である。
それで事故でも起こされたら、もうたまったものではない。
まず私は将来「暴れん坊女男爵」と呼ばれるのは容易に予測できるし、その後子孫永代にわたっても「暴れん坊男爵○世」と称されること請け合いだ。
「あ……暴れん坊男爵……はは、ルシアのそのネーミングセンスはどこから来るんだい……?」
「えーウケる…………カッケくね?」
「ウケるかどうかは別としても……。カッコいいの……?」
真剣極まりない表情から、ロニーが独特な感性を持つことが判明した。
軽妙なトークを繰り広げつつ、馬車へとそれぞれ乗り込む。
軽口を叩きながらも彼の手付きは洗練されており、馬もリラックスしている様子が見て取れる。
トネリコの葉の一房を描いた紋章が、秋の日差しを柔らかに受けて色とりどりに輝く。
対面に向かい合う私が安全な位置にあることを確認すると、父様は拳の中指で馬車の天井を軽く叩く。
まだ父様専用の杖は製作していないため、平民と同じように拳を使ってノックする他ないのだ。
振動と音とが伝わったらしい。「じゃ、出しまーす」とゆるい声が聞こえ。
先程の不穏な発言とは裏腹に、静かに馬に鞭を入れたのがわかる。
ゆっくりと進む車窓には、馬車が一歩……また一歩と進むごとに、領地の風景がパノラマ写真のように切り取られ。
目に美しく流し映されていた。
そう。私達二人が今乗るのは、アシュリー男爵家の馬車。
この領地には現在、あと2台。お客様専用の馬車がある。
10台のうち、先駆けて届けられたのは2台の馬車。
それは想像を遥かに超えて……これ以上素敵な贈り物など他にないと断言できる、素晴らしい出来栄えだった。
1台目は、先日案をお見せいただいた時に真っ先に目を引かれた、赤と緑のタータンチェック柄の馬車。
表面はつるつるした鉱石材でできており、日光を浴びて反射するボディが美しい。
タータンチェックになった部分は、そういった色のペンキか何かで塗装されるのかと考えていたのだが、やはり届いてみると全く印象が違っていた。
赤色の部分、緑色の部分。
それぞれは貼り付けられた「布地」だったのだ。
遠目から見ている分には気が付かないが、実際に乗り込もうとすると、材質の違いが明らか。本当にパッチワークキルトのようなデザインである。
内部は赤と緑の割合が逆になっており、同じ布地で彩られている。
母様曰く、「雨風に晒されても大丈夫な素材よ」とのこと。実用に最適な、かつ遊び心にあふれた馬車。
「つるつる」と「ザラザラ」の手触り。
見て楽しい、乗って楽しい。そして触って楽しいの三拍子。
特に小さい子は、手や頬で「さわってあそぶ」ことを好む。
この馬車は身分を問わず、家族連れから人気が出そうである。
2台目はパステルカラーに塗られた木目の馬車だ。
原案ではクリームイエローの色をしていたが、この配色に変化があった。
私はあの時に初めて見た折から、「この領地の関所の色みたい」だと思っていた。
――――どうやらドートリシュ侯爵様もまた、そのおつもりであったらしい。
完成品の『ボディ』は「アイスブルー」。『屋根』は「ライトグリーン」。『骨組み・留め具』は「クリームイエロー」に装飾されていて。
まさに、各関所の完全再現。
この領地のイメージカラーが詰め込まれたものだった。
木目調の馬車を愛らしく飾る色彩。
"あえて"その塗装にはアラがぽつぽつ見受けられる。
それはとある背景を想像させる。
そう、まるでこれは『領民が領主さまのために頑張って作りあげた』ものに見えるのだ。
領地のコンセプトとも合致している。
この馬車に乗るお客様は、「かつて馬車を贈られた時」の「領民との思い出」が。昨日の出来事かのように、ありありと蘇ってくることだろう。
私のお世話係兼、最近は父様の側近にもなりつつあるあの5人に経緯を説明したところ、とても喜んでくれた。
ひとまず届いた2台を預け、雇用拡大について徐々に話を進めていく算段をつけたのが一昨日だ。
時に真剣な眼差しで、時に目を輝かせて馬車を見つめていた5人は、やがてなぜか悪戯を企むように頬を緩ませ始めた。
どうしたのか聞けば、「最大限活用するための良い策を思い付いた」と言う。
教えてほしいと頼んではみたが、あえなくやんわりと却下された。
領主である父様に提出し、次の日にでも実行できるまでのビジネスプランをしたためたあとに教えてくれるのだとか。
まあ、誰より領地を愛する彼らの案だ。
任せておいて間違いはないだろう。完成案が持ち込まれる時まで、楽しみにして待つことにした。
そんなわけで本日ご予約の入りはないが、たとえ当日宿泊のお客様がいらっしゃろうとも、余裕を持って運行が可能。
私達が所有する馬車を、こうして気兼ねなく利用できるというわけだ。
全ては侯爵様のご厚意によるもの。
本当に嬉しく、有難い。心からの感謝を決して忘れることはないだろう。
――――――――――――――――――――
馬車はやがて森を抜け。
野を越え、丘を越えて。王都への道すじを軽やかに辿ってゆく。
出発直前はどうなることかと思ったけれど、ロニーのいつものノリに過ぎなかったらしい。
振動もあまり感じない、ゴールド免許保有者のごとし安全運転だった。
そして快適な旅路を終え、馬車は無事に王都へと到着したのだった。
「俺はいくらでも時間潰してられますんでごゆっくり〜」と手を振るロニーとは馬車が数多く停泊する広場で別れ、私と父様は王宮へ向かう。
てっきりリアムの宮まで一緒に行くとばかり思っていたのだが、城門前で分散しようという話になった。
「今回招待を受けたのはルシアだけなんだから、招かれてもいない私がみすみす出向くわけにはいかないよ」とのこと。
確かにそれもそうだ。
近所の友達の家に遊びに行くのとは訳が違う。招待の宛名は私ただ一人だった。
招待を受けていない者が、気軽に顔を出して良い場所ではないのだ。
残念ではあるが、両親の分まで楽しもうと心に決めた。
娘を『ガーベラ宮』へ案内してほしいと、父様は城門付近にいた下級兵士さんたちに声をかける。
考える間すらなく、兵士さんたちは快く了承してくれた。
一安心した様子で「それじゃあ、リアムによろしく」と私に告げると、父様は"外廷"の方角へ向かっていった。
領主貴族の仕事は、主に外廷で行うことが多いのだとか。
二人の兵士さんは、一人は私の前方を。もう一人は後方を歩いて。
万全を期して護衛し、広大な敷地の奥へ。リアムの住まう『ガーベラ宮』まで案内してくださった。
……そこまでしなくとも、誰も普通顔の田舎男爵令嬢を襲う人なんていないと思うけどな…………。
お礼を述べて頭を下げると、敬礼でそれに応えてくれる。
持ち場へ戻る彼らを見送って。ドアノッカーに手をかけた矢先のこと。
世にも珍しい、宮の上で仲睦まじげにしていたハトとカラスが。
声を合わせ高らかに鳴く。
――――それはまるで、私という客人を歓迎する歌のように感じた…………。
―――――――――――――――――
少し久しぶりに来たリアムの宮は、これから訪れる冬に備えてか、水色と銀色を基調とした家具に模様替えされていた。
「ようこそおいでくださいました」と優しく出迎えてくださったのは、以前にも見かけたおばあちゃんメイド。やはりこの方がメイド長なのだろう。
若いメイドさんが「ルシア令嬢がいらっしゃいましたよ」と言い終わるを待たず、もう『いらっしゃ』とほぼ同時に。
とたたた、と子猫が駆け抜けるような軽快な音が聞こえだす。
…………そこで私は、腹筋に力を込める!!
この後私のお腹をめがけ、全体重をかけたダイレクトタックルが炸裂することは目に見えている!
二度目を学習しない私ではないのだ!
と、気合を入れたのも束の間のことだった。
「ルシアちゃん!! いらっしゃい、待ってたよ!」
ただでさえ美しい髪をふわふわと揺らし、キラキラ可愛らしい満面の笑顔で。
息つかず歓迎の言葉を叫ぶと、私が反応を返すよりも先に、瞳を輝かせこちらに駆け寄って来た。
しかし、程よい距離まで来ると途端にその勢いを殺し、私の直前でブレーキをかけ立ち止まった。
この数秒で起こった出来事に、頭の情報処理が全く追いついていない。目を白黒させる私を、なんだかとても愛おしいものを見るような眼差しで見つめるリアム。
事態を認識しつつある目が状況を捉え始め、……そこでようやく目と目が合ったのに気付いたのだろう。
改めて天使の微笑みを浮かべ、私を愛らしく見上げる彼は。
幼いながら完璧な動作で、紳士の礼をとってみせた。
「ようこそ、レディ」
胸元に折った腕を差し出したかと思えば、私の手を下からそっと取り。
…………そしてあろうことか、そのまま私の指先に軽くキスを落としたではないか!
(いや、待って待って…………照れる、さすがにこれは照れる)
頬が紅潮してゆくのが自分でもわかった。
この子はホントに…………!素で"王子様"なんだな。
そう言えば前も同じ思いをしたんだっけ。体当たり対策こそ考えてはきたが、この「相手を勘違いさせる社交辞令」に対してはなんの策も練ってはこなかった。
くっ……!いっぱしの商人として、一つの事例対応で満足し……他に予測される傾向と分析を忘れるとは一生の不覚…………!
この子は今は王女王子両殿下と、私くらいしか同年代と接する機会がないから良いだろうけれども……。
今後成長して関わることになる、他の女の子たちにもこういった対応をしていくんだろうし、心配だ。
絶対勘違いされる。私でさえちょっと照れるくらいだ。
近いうちに『紳士的な対応をすべき女性』、つまり恋心ある女性と、そうでない女性について。
みっちり教えておいた方がリアムの身のためかもしれない……。
ただただ硬直する私を前に、何を思ったのかリアムはとても満足げで。
「……あ、ありがとうリアム…………。今日はお招きありがとうね」
ここで押し黙っていたところで、完全に勘違いされたことを悟り気まずくなるか、気味悪がられるだけだろう。
なんとかそう返した私だったが、彼は一向に重ね合わされた手を離そうとはしてくれなかった。
「ううん、ボクの方がありがとうだよ! ルシアちゃん、来てくれてありがとう! ゆっくりしていってね」
そして手のことなどお構いなしに、何事もないかのように。
普通に話は進められてゆく。
「じゃあルシアちゃん、今日はボクの私室に行こう!」
「……え?」
疑問を抱いたのは、その発言の内容に対してではなかった。
私の手は、いつの間にかリアムの腕に静かに乗せられていて。
「ではお連れします。……レディ、ボクにおつかまりください」
邪気のない純粋な天使の微笑み。
――――それが一瞬だけ、蠱惑の小悪魔な笑みに変わった気がした。
―――――――――――――――
リアムの私室とは、この前両親と共に過ごさせてもらった「応接間」から一つ奥に行った部屋であった。
「寝室」や「執務室」はまた別にあるらしく、ここは日中用のプライベート空間のようなものなのだろう。
綺麗に整頓されており、居心地の良い素敵な一室だ。
よくわからないこと極まりないが、優しくエスコートされながら。成すすべもなく歩き、成すすべもなくソファに連れて行かれる私。
ゆっくり座らせられると、どうやら入室を見計らっていたようで。
「今日はこの部屋を使用する」と予め命を受けていたらしいメイドさんが、ちょうど腰かけたタイミングでお茶と茶請けを出しに来てくださった。
お礼を述べたのは、だいたい二人とも同時。
彼女を下がらせたリアムは、やがてその足音が遠ざかり、風の音しか聞こえなくなる頃。
…………私の肩に、おでこをくっつけてもたれかかってきた。
一瞬具合でも悪いのかと慌てたけれど、そういうことではないようで。
そのまま白く小さいリアムの額は、私の胸へ下がってきた。
そこで私もなんとなく状況を理解した。ああ、こういうことね。
お日さまの色を反射した淡い亜麻色。その頭を優しくなでる。
彼は両腕をきゅっと回してきた。私も片手でそれを受け、もう片方の手で可愛い天使をなで続ける。
どれくらいそれが続いただろうか。暫し無言の安らぎがあった空間に、リアムの高く透き通った声が響く。
「…………えへへ。ルシアちゃん、会いたかったよ」
胸に頬を擦り寄せて。
ふにゃりと甘い顔で彼は笑った。




