天使からの手紙
■「季節+葉っぱ」タイトルはドートリシュ侯爵様の再登場時に使用する予定です。
□これからたくさんの登場人物たちをそれぞれ象徴するタイトルを考えていきたいです!
……なでられている時間は、想像していたよりも長かった。
「はい、いつかぜひ」と笑い返す。
侯爵様は柔らかく笑んだまま。実の孫を見るように、壊れ物を慈しむように触れていた手を、そっと離した。
この一日で私達は、ずいぶん侯爵様とお心を打ち解け合えたように思う。
――――かつて「クローディア」と「ドートリシュ」とが繋がっていた絆の糸。その片側が今日、「アシュリー」に結び直された。
これはきっと、クローディア伯爵様が繋ぎ合わせてくださったご縁なのだろう。
クローディア伯爵様が遺し、領民の皆が結び留め。
そして侯爵様が、糸の先を伝って来てくださった。
…………これからもこの素敵な縁を大切にしていきたい。そう強く願った。
馬車係の皆は交代と休憩を上手く挟みながら、ホテル前でずっと待機してくれていたようだ。
馬車係だけに限った話ではないが、こうした不測の事態に直面しても自分たちで考え調整し、適切な行動を取ってくれて本当に助かる。
現在のシフト。今まさにこれから侯爵様をお乗せしようとする、私達家族に気付き会釈してくれた御者は、ジェームスの妻ヘレンさんだった。
薄く梳かれ、胸まで伸びた緑がかった濃茶色の髪を、肩の位置で一本に結わえ。意志の強い黒い瞳が鋭く光る。
ジェームスとは互いに強い信頼を置く夫婦であり、唯一無二の相棒。
腕っぷしが強く、面倒見が良い。運動神経も自慢。馬車の操縦もお手の物だ。
あらゆる面で男性顔負けのできるオンナである。
他の4人やその奥さんたち……直接の弟分と妹分のみならず、この領地の若い世代の皆が、彼女を姐御と慕っている。
ジェームスとヘレンさん二人の意見が、領地全体の意向や気運を左右すると言って良い。
実を言えば、私もヘレンさんに密かに憧れを抱いている一人だ。女から見てもカッコいい女性なのだ。宝塚の男役のような雰囲気と言うべきか。
女御者の姿が凛々しく、よく似合っている。
この先多くの女性ファンを獲得してくれそうである。
……10代後半の貴族令嬢あたりからモテそうだな…………。
夕飯の仕度を終え、ちょうど先程シフトに入ったところだったと言う。
この数時間にわたる間、馬車係の皆は、馬車の外面を都度磨き。室内も完璧に調えられていたばかりか、馬たちのメンテナンスも同時並行し、万全の態勢を整えてくれていたらしい。
今はもう、侯爵様をお乗せするだけ。いつでも出発できる状態だった。
侯爵様は「実に気が利くことだ」とヘレンさんにチップを手渡しながら、その行き先を告げている。
漏れ聞こえたのは、以前何かの授業の延長で聞き及んだ周辺の地名。ドートリシュ侯爵領の領都である街の名前だった。
どうやら領地の本邸へとお帰りになるらしかった。
……本来馬車が行き来するのは、関所を境にしたこの領地内のみ。
しかし今回は例外ということで良いだろう。
往路は騎士団の馬車を利用し、ここまでお越しくださったそう。その馬車はお降りになった際に、王都へそのまま帰したのだとか。
別れの挨拶を交わす父様と、それを邪魔せぬように声は発さず、深々と一礼する母様。
「今後何か困ったことがあれば、私を頼るが良い。アシュリー男爵家のため。なんであれ尽力いたそう」
そのように有難いお言葉をいただく。
そのうえ、言葉だけの社交辞令ではないようで。
王宮でお話ししたい場合はもちろん、王都内で何か聞きたいことが発生した場合。そして領地についての相談や、あるいは侯爵領に関して嘆願や苦情がある場合。
それら三つの状況に応じて、「ここにおいでくだされよ」とそれぞれの直通の部署か何かが書かれたメモを、父様に手渡していた。
…………何から何まで至れり尽くせり。私達一家は最後まで平身低頭、恐縮しきりの一日となった。
「――――では」
おそらくその先には、「名残惜しい限りですが――――」と続いたのだろう。
そこまでしか言い切らぬうち。父は侯爵様の動向に気付き、口を止めた。
もう馬車に乗り込もうとしているのかと考えていたが、今はお荷物を置いただけであったらしい。
仕立ての良い鞄から何らかの紙を取り出すと、――――なぜか私の方へと歩いて来られた。
父様に渡すべき、重要な書類のようなものだとばかり。
完全に自分は関係ない体でいた。気を抜いて突っ立っていたので、思わずビクリとしてしまう。
「今日は終日ご迷惑をおかけした。これで私のつまらぬ所用は最後だ。受け取ってくれるかね、ルシア嬢」
……つまらない用、ご迷惑などそんな……そう謙遜するにしても。
どこからさかのぼって恐れ多いお言葉の数々を否定し始めて良いやら、もはやわからない。
そのため一切の御託はなしにして、ただありがとうございますと。なんとか思い出したカーテシーで礼をしつつ、恭しく受け取る。
それは一枚の紙ではなく、おそらく手紙のようなものだった。
高位の方から賜ったものを、もらった傍からまじまじと眺めだすのは無礼な行為だ。流石にこればかりは上手く転び、良く解釈してくれようがないと思う。
そのため受け取ったあと、すぐに姿勢を正し、両手は前で重ね合わせている。手の方に視線を遣ってはいない。
手の感触から推測するしかなかった。
わずかに厚みのある紙束。私に手渡すべき書類があるとも思えないので、多分手紙で合っているだろう。
今は素敵な出会いの名残に、ただ浸っていたい。
あとでゆっくり見返すことにした。
「ではな。また必ずやお会いしよう。次には……より栄え賑わう美しき領地のきらめきを、ぜひ拝見したいものだ。
いつでも『ドートリシュ』を頼ってくれて構わない」
「はい。本日は大変お世話になりました。今後ともアシュリー男爵領をよろしくお願い申し上げます…………」
父様の言葉に合わせ、私と母様は頭を下げる。
習いはしたもののこれまで使う機会がなかった、貴族女性としてのマナー。
私達二人は馬車の音が聞こえなくなるまで、このまま顔を上げないつもりだ。
普通に忘れそうになるが、そう言えば私達は一応貴族の端くれなのである。
顔を臥せる間際、細工の込んだ杖で馬車の天井を2回ノックする侯爵様のお姿が、視界の端に映った。
馬車の出発を御者に命令する合図だ。
それを視認した上で、父様もまた頭を下げたのが気配でわかった。
車輪の軽やかに跳ねる音が耳を揺らす――――――――
徐々に遠ざかる、土を弾く音色。
領地が奏でる自然の曲は。
濃密で尊い、今日の一期一会の時間の終わり。
――――それを涼やかに告げてくれていた。
お別れは案外あっさりとしていた。
だがそれも当然。私達は、これからいつだって再会が叶う。
お心はずっと、このアシュリー男爵領に。共に在るのだから。
―――――――――――――――――――
お見送りが終わった頃には、紺色の闇が辺りを包む。
ねぐらへ急いで帰路を遂げる鳥や動物たちは、すっかりその影を潜めており。代わりに夜行性の動物たちが、夜の目覚めを猛々しく叫び出している。
このホテルが堂々とそびえるテナーレのカンファー地区。
ここから私達一家の住まうエルトのマーシュワンプ地区へと帰宅するのには、すでに危険が伴う時間帯だった。
それに今侯爵様が使っておられるものこそ、現在この領地に存在するただ一つの馬車。
ヘレンさんが戻って来るのがいつになるかもわからないのだ。
よって無理に帰宅しようとするのは取りやめ、今日はこのままホテルに泊まることにした。
引きこもりとは、自分の部屋のみが居城ではない。
他者からの干渉を受けない自由な閉鎖空間さえあれば、それで良いのである!
ベッドが恋人、布団が友。
「もうだいぶガボガボお茶もお菓子も摂ったし、お腹空いてないからお構いなしで良いわよ」と両親と共に、従業員たちに指示は出したのだが。
「そうは参りません!」……示し合わせたかのようにハモられ、従業員全員から即座に却下されてしまった。
途中からご提供をストップしていた、侯爵様にお出ししたコース料理や、まかない用の食材の余りがあるという。
もう上がる直前だった料理人の皆はそれを使い、「簡単なもので申し訳ありませんが」と言いつつ、突貫有り合わせとはとても思えない豪勢な料理を作ってくれたのだった。
食べ終え、片付けを終え。
一息をついたあと、お腹が満たされると同時に、のしかかる強烈な眠気と一日の無自覚の疲れを感じた。
ここへ訪れる前、着替えと一緒に軽く入浴を済ませていたのが功を奏したな。
簡単な身だしなみをざっと整え、あとはベッドに入るだけ。
紙質の良い、美麗な装丁の手紙。やはり先程いただいたのは、どなたからかのお手紙で間違いはなかった。
今読んだところでロクに内容を読み取れる自信はない。
寝ぼけて捨ててしまったり、読んでいる途中で寝落ちしてくしゃくしゃにしてしまう可能性も否定できない。
挨拶を交わし廊下で解散した両親が、目星をつけた適当な部屋に入室するのを見届けたあとは、私も一番近くの適当な部屋へ。
ホテルの設計(※拙いイメージをおまかせでぶん投げただけ)をしたのは私なのだ。各部屋の間取りは完璧に頭に入っている。
仕込み引き出しになっている、隠しチェストに手紙をしまい込んだ。
――――明日、ゆっくり読もう。
そう心に決めて。
吸い込まれるようにベッドへと倒れ込む。
まぶたが勝手に閉じてゆく。
意識を手放すまでには時間はかからなかった――――…………。
―――――――――――――――
朝の訪れ。何をするより先に、まずはチェストに手をかける。
……そこで私は、自分自身に仰天する羽目になった。
なぜ昨夜眺めた際に気が付かなかったのか?
いや……目で認識していても、もはや脳がその情報を処理できる余裕がなかったのかもしれない。
手紙に落とされた蝋封。
エレーネ王国では決して使用が赦されていない。
その見慣れぬ、しかしよく見知った。
グリフィンとクジャクが描かれた紋章。
封筒の中には、意外や意外。
絶対にないと思い込んでいた、私宛ての書類。
王宮からの正式文書も封入されていた。
しかし、今この際それはどうでも良かった。
書類はそっちのけで、趣味が良い便箋に目を落とす。
そこにはあどけなさが残る字で、こう記されていた。
――――"親愛なるルシアちゃんへ"
そう。それはヴァーノン王家の紋章。
ドートリシュ侯爵様が仲介してくださった最後の贈り物は。
…………可愛い私の天使。
リアムからの手紙だった。
『親愛なるルシアちゃんへ
久しぶりだね!
この日をずっと心待ちにしていたよ。
騎士団と宮廷貴族を通して、
アシュリーさんの登城予定の知らせが
ボクのもとにも届きました。
来週にはお城に来てくれるんだね!
そうだ、この前プレゼントした本は読んでくれた?
感想をぜひ聞かせてね。
ルシアちゃんが気に入ってくれていると嬉しいな。
キミに会えるのを
今からとってもとっても楽しみにしています。
この前とは違う、
美味しいスープを用意して待ってるからね!
森の紅薔薇に愛を込めて!
リアム・スタンリー』




