人生どう転ぶかわかりませんわ
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いつもありがとうございます!
お礼の品をもらうなど、もうおこがましいにも程がある。
なんとか遠慮する……上手く拒む方策はないものか。
思考を巡らせるあまり、ただ沈黙するしかなかった私とは違い。
いち早く我に返ったらしい父様が、先に割って入る形で口を挟んでくれたのだった。
……ここで無理に遮るでもしなければ、気が付いたらであれもこれもと渡されそうだからな…………。
「い……いえ!お待ちください!すでに私共、褒美の品をいただいているではありませんか!お品物だけでなく、莫大な額の褒賞金までもを…………!もうお礼などというものはとっくに終わっているはず。またさらにと、何かいただける筋合いなどございません!」
言われて気付く。
そうか、そうだよ。
私達はすでに叙爵とほぼ同時に、身に余る褒美の数々を受け取っている。
アシュリー家の紋章が刻印された指輪に馬車。協賛や資金集めなしに、新規事業を開拓できるだけの潤沢なお金。そして人的資産として、腕も人柄も確かな料理長のギリスを雇い入れさせてもらった。
父様の言う通り。これ以上いただけるものなど何も存在し得ない。
…………そのはずだった。
しかし。
「それは『リアム殿下救出と保護』の礼だろう。かつ、私からではなく国として。エレーネ王国からの礼にあたる。アシュリー卿の仰る通り、その件に関しては、とうに済んだことであるな。そして国が当然贈るべき最低限のものであり、貴殿らが当然受け取るべきものであった。
此度の件については、未だ済んではおらぬ私個人からの礼だ」
「う…………うぐ…………!」
……父様が見るも無惨に言い負かされてしまった。
早かった。一瞬だった。
「なおかつ」
手癖なのか。
侯爵様はお持ちの杖を、人差し指と中指で拍を打ちながら続ける。
「これは何もしてやれなかった領民たちへの、せめてもの償いとも言える。
『アシュリー家ご一同のみならず、男爵領に役立つもの』を考えていた。お受け取りいただくことは、すなわち私の贖罪の証。また領民のためであると思ってほしい」
…………贖罪。そして「領民のため」ときたか。
そう言われてしまえば、もう断りようはないのではないか…………。
諦めかかった矢先。次に鋭く舌鋒を切ったのは母様だった。
「償いなどとはとんでもございません。私共も領民の皆さんから伺っております。一年間の納税免除を告げに、侯爵様御自らが足をお運びくださったと――――……。
おかげさまで、もしもの備えにある程度の貯蓄ができたと、喜んでいる者も多く……。この領地が受けてしまった苦しみは、閣下によってもたらされたものなどでは決してありません。閣下をお恨み申し上げている者など一人もおりませんわ。
むしろ自分たちを気に掛けていてくださった。心を癒す温かいお言葉をかけていただき、それはまるで天国のクローディア伯爵様が仰っているかのようだった…………と。皆、常々心より感謝しています」
私もコクコクと首を上下させて同意する。
まさにその通りだ。そもそも侯爵様ご自身は何ら悪いことをしていない。
そして領民の皆から何度も聞いた、とある日。その時に全ては終わっているはず。
……だが、まあ。これも案の定ダメだった。
「ふむ…………アシュリー夫人よ、それもまた然りだ。当時私はあくまで、ただ国の意向を伝えにやって来ただけのこと。
私自身、あやつのため。そして領民のために発議こそしたが……この領地の犠牲、背負わされた重荷に、同情しない者は一人としていなかった。遅かれ早かれ決まっていただろう政策を告げに来た役人と変わらん。
私個人として、何かしてやれたわけではない。何ら謝罪ができておらぬのだよ。
なれば今こそ。評議会議長でもエレーネ宰相でもなく、ドートリシュ侯爵として。贖罪の機会とさせてはくださらぬか」
そのお言葉を聞いて、母様は為す術もなく押し黙ってしまった。
私達を真っ直ぐ見据え、モノクルを日輪に輝かせ。
侯爵様は優美に笑む。
「ぜひともお礼がしたい、というだけには留まらない。領民の暮らしの幇助となり、私の気を少しばかり晴らす手伝いともなると思っていただけないだろうか。
そして、また……私の友であり前領主。エドウィン・クローディア――――あやつの供養だと思って、受け取っていただきたい!」
「う…………」
と。以心伝心、ただ呻き声を上げるしかない。
顔を見ずとも、両親が今どのような顔をしているのかはありありと想像できた。
…………おそらくは、今の私と全く同じ表情。古めかしい漫画のような、額に青筋の入ったコミカルな困り顔。
尊敬すべき、クローディア伯爵様のご供養。
――――そうとまで言われ……なおも断固拒否できるような強靭なメンタルを持った猛者など、果たしてこの世に存在するのだろうか?
この状況下において、最早お断りし遠慮する術など見当たろうはずもない。
白目を剥いたまぶたを閉じ、目頭を押さえ。
それでも頭をフル回転させ、最適解を求めようとする私達家族とは裏腹に、上機嫌そうにお話は続く。
その時。
「い……いいえ、閣下。お待ちくださいませ!至らない私共、お礼をいただけることよりもなお、謝罪せねばいけないことが数多くありますわ!
閣下のお気持ちを賜るにはとても値いたしません…………!」
少し嗄れた渋さが加わる、バリトンのお声を遮った母様。
母は実に幸いにも、重い話の連続で意識の彼方に消し飛んでしまっていた、実に大事なことを思い出してくれた。
そう。そうだよ!
何をどうフィルタがかかっているのか、侯爵様の中で「聖人の如し献身性と優しさを併せ持つ人格者」に仕立て上げられてしまっている私達アシュリー家。
すっかり流され聴き入ってしまっていたが、そもそもお礼を言われるべきことなんて何もない。
逆に、これまでの数々の非礼を詫びるべき。それこそ今日の目的だったじゃないか!
まず領地リゾート化計画。
もしかしたら一番のお怒り要素かと考えていた。しかし、どうやらこれは謝らなくても良さそうだ。
領地や領民のためになるという趣旨とその目的、ご親友のクローディア伯爵様もきっと喜ぶだろうこと。
それらをご理解いただけているようだし、むしろ応援してくださっているご様子。
他に謝るべきことの代表例は二つ。
お引越しの報告と、叙爵に関するお礼。
…………おそらく直接ご挨拶に上がるか、もしくは夜会などを開催してご招待すべきだったにも関わらず。
今日に至るまでのうのうと過ごしていたこと。
そして……ただの一度も社交の場に出席せず、ひたすら招待という招待を断り続け。
貴族に取り上げてくださったドートリシュ侯爵様の御名を汚し続けていることについてである。
軽く思い付くことだけでも本当にロクでもないな、私達…………。
ところが。
「謝罪すべきこと、とは…………?」
バツの悪さに顔をしかめつつ、聞こえてきたそのお声にちらりと視線を向けると。
侯爵様は目を丸く見開き、口は開けないまでも、ぽかんという効果音が聞こえてくるかのように。
…………怪訝を通り越して唖然。
鳩が豆鉄砲を喰らったような、猫のフレーメン反応のような。そんなキョトン顔をしていた。
(え……?なにその"一切の心当たりもない"みたいなお顔……?)
豆鉄砲を喰うのはこちらの方だった。
すっかり意気を削がれながら、いかにも挙動不審に父様が釈明を始める。
釈明というよりは経緯の再確認といったところか。
「え…………!?い、いや……閣下。私共、このような美しい土地を与えていただき、男爵の身分に取り上げていただき……。にも関わらず、手紙のみでご挨拶を済ませるという無礼を働いたまでか、貴族としてすべきだったでしょう、礼節の一切を果たさずに今日まで……。
ご存知のことと思われますが…………?」
語尾が疑問形になっていた。
だがそうなるのも当然と言えよう。
ここまで説明する今もなお、何が何やらわからない、といった侯爵様の表情が全く変化を見せないのだから。
申し訳なさや気まずさを通り越して、こちらも不思議な思いになってくる。
その後も両親が付け足して説明するが、まるで言葉が通じていないかのように、そのキョトン顔は崩れない。
「あとそれから…………。私達、せっかく色んな方にご招待いただいたパーティーやお茶会に、全然出席していません。こ……侯爵様のお名前に泥を塗っています……。
そのことについても謝らなければ、と…………」
私も思わず口を挟んだ。
もはや経緯の再確認にすらなっておらず、謝罪し釈明するという時点にすら辿りつけず。
自分たち自身による罪状の解説だ。
そしてこうも詳しく解説してもなお、目の前の御方は不思議そうなお顔のまま。
間違ったことどころか、人語とも受け取られていないような。
意味不明な言語を話している気分になってくる。歯切れが悪くなるのも仕方ないだろう。
私達への手紙。
その多くは男爵家と子爵家から。地方領地在住の伯爵家からもちらほらいただいていた。
あとはごく稀に、王都在住の諸侯貴族伯爵家や侯爵家からも届いていたか。
そのどれもが「招待状」であり、「召喚状」ではなかったため、全身全霊をかけて懇切丁寧な返信を書くことで一律お断りしていた。
何が楽しくて外出などしなければならないのか……。
しかしここで問題となってくるのは、おそらくその中には『ドートリシュ侯爵様のご推挙で叙爵された』事実を知る方も含まれていただろうということ。
推測するに、他には『叙爵式には出席したが、そもそもなぜ貴族に取り上げられたのかの経緯は知らない』方が50%ほど。
『地方在住で叙爵のことも一切知らなかったが、新しい紳士録を見てアシュリー男爵家の存在を知った』方々が30%くらいだろうか。
リアム誘拐事件の際に奔走したご本人である爵位を有する方よりも、そのご家族……特にご夫人からのご招待が多かった。
そのため、経緯を知らない方が多数のはず。この分析はおおかた間違ってはいないだろう。
たとえ下級貴族であっても、ドートリシュ侯爵家と遠戚関係にある方だっているだろうし、顕著な功績を挙げて短期間に昇格を遂げた上級貴族家よりも長い長い歴史を持つ、出世を望まないだけの名家もある。
もうどれほどの数をお断りし、そして図々しくもこの領地のPRを返信し続けてきたのかわからない。
今までは良かった。
何も考えていなかったから。私達の評判が著しく下がるだけであって、誰にもご迷惑をかけることはないだろうから。
そうすれば、二度とお誘いくださることもなくなるかもしれない。むしろ一石二鳥だ!
相変わらずのお気楽精神でそう構えていた。
しかし、現実は事情が違う。
おそらくこれまで私達一家は、自分たちの評判を下げると同時に、侯爵様のご評価までも汚し続けてきた。
あまりの無礼な態度に憤り、アシュリー男爵家を誹るだけには留まらず、「ドートリシュの目は節穴か」など、侯爵様までを貶める陰口が叩かれている可能性も否めない。
よほど腹に据えかねていることは間違いないだろう…………。
そんな想像をしていたのにも関わらず。
それでも時間にして、およそ十秒ほど。
ハッとお気付きになった様子の閣下がようやく表情を変えてくれた。
どうしてなのか。
その表情に――――全く予想だにしていない、喜色を浮かべて。
「そのことであったか!いや、私もそれに関しては改めて口にせねばと思っていた」
そのお言葉だけを聞けば、ああ良かった、やっと話が通じた、と喜び勇んで謝罪へと移行できよう。
……でも。
「言わずとも良い、私の耳にもしかと入っておるぞ。貴殿らアシュリー家は、今日に至るまで一切の社交の場に顔を出していないということ。相手方の家格や爵位、内容を問わずしてな。
最近の王宮で聞く話……特に下級領主貴族たちの話題は専らそれだ!」
このお言葉を仮に文字に起こしたとするならば、厳しく私達を問い詰めているように見えるかもしれない。
…………でも、そのお顔。
まるで咎められているとは思えない、輝かんばかりの笑顔はいったい何?
全くお心が読めない。……いや、ホント…………ホントに何?怖い。
喜んで謝罪できるというのも最早おかしい話だけれど…………。
続く言葉に耳を疑うまで、あと数秒。
「実に素晴らしいことだ!皆口々に褒め称えているではないか。
ただ発議したのみの私にまで称賛の言葉がかかる日々。この地に縁ある者として、また近郊の領主として。実に鼻が高い思いでいる。そなたたちを評価しておらぬ者などいないだろう。
私はいたく感心しているのだよ!」
いやいや、……え?
……………………はい!?
唖然。口を開けて呆ける他ない。
頭が完全に付いていかず、全く言葉の意味が飲み込めない。
この顎が外れるような無言の空気を、侯爵様は何をどう好意的な反応として解釈したのか。
ただただフリーズする私達に、さも上機嫌に提案を投げかける。
私達に渦巻く思いは、何と指すべき感情なのか?
もう「恐れ多い」とかいうような、人間の持ち得る語彙ではとても表現できなかった。
「私が贈りたきものとは」
呆けている間に、侯爵様は何かの書類を手にしていた。
おそらく譲渡書のようなものか。
ずばり、――――『馬車』だ!」




