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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
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嘆きと悲しみの森



 侯爵様のお言葉は。

御二方が領民の痛みをご自分の痛みとして感じてくださる御方だということを、歴然と証明するものだった。


何かお声をかけたいとは思うけれど――――実際に当時の光景を目の当たりにしていない私達では、励ましの言葉などは全て無価値である気がして。

息を呑み込む。


一言も声を発せずに。

ただ室内には、時計の針だけが静かに響く。


閣下の御手の上に重ねたままだった手。

手袋越しに伝わるひんやり冷たい体温は、その当時の領民と閣下の心情そのもののように感じた。



「貴殿らは他領不干渉の原則をご存知だろうか」


やがて表情をできるだけ緩ませながら、沈黙を破った侯爵様のその問いに。各人がバラバラに頷く。


平民であった時から、なんとなくは知っていたこと。

それがつい数ヶ月前、突如必要不可欠な知識となり。

使用人の皆も巻き込み必死になって学んだ、大切な心得のひとつだ。



「……言い訳にしか聞こえぬだろうが、それは私が美しいエルトの森や、のどかなテナーレの町を救ってやれなかった要因でもある…………」


私の手は、一向に払いのけられる気配はなかった。

それにかこつけてというわけではないが、私もまた手を除けるつもりはさらさらない。

……こうしていることで、少しでもそのお心に寄り添っていられる。そんな「気のせい」を信じていたかったから。

わずかに震動が伝わってくる気がする手に、ぎゅっと力を重ねた。



 そのお話は…………

誇りと務めをいつも胸に。

持てる者の義務ノブレス・オブリージュを重んじる、貴族の鑑と言える侯爵様だからこその苦悩。

本来であれば、代官たちが普通の優しい人だったならば。

味わう必要などなかったものだ。


クローディア伯爵様もきっとそうお思いのはず。

おそらく侯爵様は、それを認めようとはしないのだろうけれど――――



――――――――――――――――――



 他領不干渉の原則。


この世界、アトランディアが完成された王国統治・貴族階級制度を有し、それを安定的、永久的に維持成立させている素因のひとつである。

もし地球にもこの考えが基盤にあったならば。

ロマンと華々しさに満ちた貴族制度が、現代に至る今もなお存続し、繁栄していたのではないかと思わざるを得ない。


やはりおそらく人間が自然に考え出した仕組みではなく、地球を含めた数々の(世界)の特権的階級の崩壊、そこから得るべき教訓を見知った双子神から、かつてこの世界の民が賜った天啓なのだろう。

アトランディアの文明が永く停滞しており、他と比較して発展が著しく遅れていたために、持ち込めた概念。

遅れていたからこそ、前例に学ぶことができたのだ。



 地球においても、「内政不干渉の原則」は存在していたはず。

社会か何かで習った覚えがある。


だがそれは「国」と「国」間で適用されるものであり、貴族による統治に関わるものではない上、そもそもごく近代になってから考案されたもの。

原案ができた頃にはすでに、貴族階級や貴族領なんてものは、一部の国を除き形骸化してしまっていた。



――――自分の領土は、常に重い責任を意識して統治する。

領地・領土とは、決して領主の富の象徴などではなく、そこに暮らす民たちの大事な故郷である。

領主とは財を持つ者ではなく、命をかけてそれを護る、義務を背負った者である。

他の貴族領や国王の領地である王都の施政には、何人も口を出すべからず。自分の正義は他の領地には通用せず、優先すべき「守るべきもの」はその土地ごとに違うからだ――――


「他領不干渉の原則」を要約するとこんなところだろうか。



何を守りたいか、何を以て「豊かな暮らし」とするかは、領地ごとに全く違う。


例えばこのアシュリー男爵領……元クローディア伯爵領の心の拠り所とは、やはり蒼碧に輝くエルトの森だと思う。森を切り拓き、インフラや建物の数々を建てまくる「開発」など、誰もが決して望まないこと。

逆に、領主さまにはどんどん開発を進めてほしい。あらゆるものをたくさん造り、便利で快適な生活を良しとする土地ももちろんあるだろう。


そして、そのどちらもが正しい。

たとえ自分の領地では皆から慕われる領主であろうとも、他所でも歓迎される、通用する政治とは限らない。

誰かの正義は、他の誰かにとっては正義ではないのだ。



簡単に言えば、「だから"自分の領地"ではない場所に口を出すのは絶対にやめようね」という決まりである。

単純に他の領地だけでなく、それは「家族が治める地」にも適用される。

つまり、ご次男などの非爵位貴族(ヤンガーサン)様であっても、よほどの不祥事でもない限りお兄さんの治める領地に口出しはできないし、領主の座を子供に譲った「元領主」であっても絶対に手出しは無用。


この仕組みがあることによって、領地の特色や領民の願いを理解していない、他者から侵害されてしまう恐れはなくなる。

領主さまご自身も背負う重責をよく理解して、真に領民のためとなる統治に励むことができるのである。




 …………しかし、クローディア伯爵様亡き後――――


この原則こそが仇となってしまったのだと、閣下は語る。



「エドが私に託したのは、あくまで北部のシプラネのみ。遺されたエルトとテナーレには、所領管理庁から人員が派遣されることが既に決まっておった。他領不干渉の原則がある限り、たとえ我らの長年の友情が広く知られていようとも――――領主ではなき私に口を出す術はない」


言い終わるが早いか。

侯爵様は目を瞑ったまま、一息に残りの紅茶を飲み干す。



「原則をご存知ならば知ってのことと思うが、これを破るは貴族の威信に関わる重罪。他領への侵略行為と見做され、領地の一部没収や跡継ぎの継承権剥奪などの、罪に相応の重罰が下されることも有り得る。


――――奴から託されたシプラネの地を守るためにも。私は代官を信じ任せるより他、手段はなかった」


この判断が文字通りシプラネを守ることに繋がり、エルトとテナーレを見捨てることにもなった。

他人事ならば皮肉を笑うこともできようが、私は未だにどうすれば良かったのかを考え続けている…………閣下は静かに、そう独りごちる。






 シプラネを守ること。そして、エルトを守れなかったこと。

その根源は、この領地の大切なシンボル。

「エルトの森」に直結していたのだという。


「私が何もかもを聞き及んだのは、全てが終わってしまってより後のこと。当時は何も知らなんだが……一番目にここへ赴任した代官は、女子供を見下した態度で陰で蔑み、その心を深く傷付けたと聞く。おそらくこの時点で、領民たちは国への深き絶望を抱いていたことだろう。

そして――――私は何も知らぬまま、二番目の代官はやって来ていた」



二番目の代官。

「金銭感覚の吹っ飛んだ野郎だった」と、私の側近の若者たちは言っていた。

領民たちが頑張って稼いだ地方税を自分の小遣いか何かだと勘違いしており、そのお金を勝手にテナーレの集会所を建設するのに使ったことはまだしもとして。

……………これをまだしもと言える時点でアレだが……。


それだけに留まらず、「このド田舎を開発してやる」というはた迷惑な信念で森の木々の多くを切り倒し、エルトの森は今なお再生の半ば。

後入りの私達にはわからないが、昔の伯爵様が統治していた頃と比較すると……その美しさは大幅に欠け、失われてしまっているのだとか。

気付いてなんとか思い留まらせ、途中で食い止められたのがまだ幸い。

もっと早く企んでいる時に察知できていれば、と皆は今も嘆き悔やんでいる。


侯爵様もまた、同じように後悔に顔を歪ませる。



「エルトのアイヴィベリー地区の木々は、昔と比べ随分とその数を減らしてしまった。その先に続くラズ・クラン地区の森。そこへ手をかける前に領民が気付けてくれていたのには、我が領地の存在が起因する。

……そう、シプラネ地区だ。


貴族教育を受けておらぬ平民階層の代官と言えど、他領不干渉の原則程度は所領管理庁に勤める者として、流石に知っておったようでな」



そこまで聞いて、両親にはその指し示す意味がわかったようだった。

さっぱり理解していない様子が見て取れたのか、父様は小声で私に耳打ちし教えてくれた。


「エルトとシプラネは、一応『巨大三本モミの木を境』と住民同士には認識されてはいるけれど……明確に定まってはいないだろう?」


あ、なるほど。

二度三度頷いて理解を表現する。父様はそれを確認し安心したようで、再び侯爵様に向き直り姿勢を正した。



代官にとって、エルトは好き勝手して良い自分の領地。シプラネは見ず知らずの大貴族様の領地。そんな認識だっただろう。

そして領民の皆は、何をされるかわかったものではない代官たちに、住民の間の取り決めや境界をわざわざ説明などしてあげなかったはずだ。

つまり代官には、下手にシプラネに繋がるラズ・クラン地区に手を出してしまえば、うっかりドートリシュ侯爵領を侵攻してしまう可能性があった。


そうとなれば、重罰に処される。それも知っていたはず。

貴族様なら先程侯爵様が仰ったような罰で済むかもしれないが、平民である彼ならば問答無用で処刑だろう。

次の日には絞首台に上がっていても何らおかしくはない。


ちなみに私達の住むマーシュワンプ地区は、同じエルトのアイヴィベリーやラズ・クランともほぼ断絶された、道なき道の奥にある。

田舎嫌いの代官には、立ち入る気も開発する気も起きない場所だったために手が及ばず、結果的に見逃してもらえたと思われる。




「後年になり悟った。あやつは――――エドは死した後、このような事態が起こり得る可能性を既に予見していたのだ。

後任となった何者かが、何もかもを奪い去り壊してゆく可能性を。

…………たとえそれが親友を厚顔無恥にも称する、無能な貴族であろうとも…………民の嘆きに全く気付かずにいようとも。

私に領地の一部を預けることで、被害はごく最小限に食い止められる。事実それは実現され――――そこまで見越しての采配であった。『相手の二手先を読む』。全く、実にあやつらしいことよ」



侯爵様の瞳には、さわさわと風に吹かれる秋の森が映し出されていた。


それは。

クローディア伯爵様が死してなお、我が身を賭して守り抜いた大切な風景――――。



「あやつが私に託したであろう期待。希望を……私は叶えてやれるどころか、汲み取ってやることもできなかった。


その全てを叶えてくださったのが、――――そなたたち。

アシュリー男爵家ご一同だ」

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