哀冬の雪葉
■前タイトル「老秋の朽葉」が自分でとても気に入っておりますので、「季節+葉っぱ」繋がりでカッコいいタイトルを考えてみました!
クローディア伯爵様の事実上の闘病生活。
それを知るのは国王王妃両陛下と、ドートリシュ侯爵様を始めとする、気の置けない間柄の数人のみだったらしい。
老兵はただ去るのみ。これからは気楽な隠居生活を楽しみたい。
社交界の皆々様方は、若かりし頃の一騎当千、英雄豪傑なる伯爵様の印象が根強く……あの日出仕後お倒れになったことは、奥様を亡くした直後の、一時的なご心労に過ぎなかったのであろうと。
皆そのお申し出を疑うことはなく、ただ長年の国への貢献を称え、労う声だけが聞かれたそうだ。
しかし現実は、幾日……幾月。
病状は日を追うごとに悪化していき…………。
まだ人の行き来が今よりも活発であったテナーレの本邸から、やがて静閑なエルトの森の奥深く。
ここマーシュワンプの別邸に、居を移した。
後年―――――侯爵様は形見分けにて、エルトで療養の日々を送る、この時期の伯爵様の日記をお受け取りになったそうだ。
『領民に迷惑をかけ通しだ』
『辺境領主の務めも満足に果たせず、このまま逝こうともアデルには叱られてしまうだろうな』
『今日は領地の子供たちが屋敷に遊びに来てくれた。この先も心身共に健やかなることを願わずにはいられない。……私自身がそれを叶えてやることは、きっとできないのだろう』
そんなことばかりが書き記してあったと、閣下は小さく笑う。
「つくづくあやつは、自らの苦痛など三の次。領地と領民のことしか考えておらん奴だった」
そう語る瞳には、故友への尊敬の色が確かに浮かんでいた。
互いを認め尊敬し合う、素敵な友情がそこにあったのだと窺えた。
侯爵様はこの時分、親友の身に迫る運命を見せ付け、決定付けてしまった件の剣闘――――文字通りの「決闘」の日のことを、常にお心に重く背負っていたという。
己に十字架を課したまま。
幾度か季節が巡った、とある日のこと。
友人であったアデレード様を喪い落ち込み、またお歳を召し体力に不安があった侯妃様をお連れするのもはばかられ、侯爵様は御一人で親友の元を訪れていたそうだ。
そう、現在は私達家族が住まわせていただいている別邸へと。
「貧相で無骨な翁が二人では、随分と華が無いことだ。
奴はベッドから上体を起こしたのみの姿勢だったが……かつての日々が思い返されるような、良き時間であったと記憶している」
そのように仰り冗談めかしていたが。
どう考えてもそこには華しか存在しないじゃないか、とひとつ訂正させていただきたい。
もちろん実際に口には出さないけれど。
私の脳内では……威厳と風格薫る、渋いオトナの壮年俳優二人。
共演を決めた理由と舞台の見所を探る、独占対談インタビュー。
そんな風景がイメージ映像として映し出されていた。
でもおそらく謙遜ではなく、本気でそうお思いなんだろうな……。
と、そこまで考えて。
意識が独り勝手に飛んでいたことに気付き、慌てて現実に自我を引きずり戻す。
数時間も侯爵様のお話を完全スルーしていた可能性も有り得たが、どうやら数秒の間で済んだようで。
胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
「私から持ちかけるは、専ら王宮の話題が主。やがてそこから旧友の近況にと話は及び、果ては遥か遠き学園時代にまで思いを馳せ…………。楽しきひと時を共に過ごしたと思う。
その時……不意に目を臥せたエドは、何の前触れも無しにこう言ったのだ。
『レクシー。――――シプラネを頼む』
と。藪から棒にな」
しかし、それが指し示す意味はよくわかっておった、とぽつり。
閣下は回想する。
そして私にもまた、なんとなく見当が付いていた。
元はクローディア伯爵領だったシプラネ地区。
エルト地区のアイヴィベリーの小道を抜けて、ラズ・クランの深い森を進んで。その先……北へ、ずっと奥へ。
同じ領地内でありながら、昔は「領都」と呼ばれていたテナーレ地区とは、森を隔て分断されてしまっている。
このことは、伯爵様と侯爵様が領主の地位を受け継ぐ遥か以前から続く、クローディア領における懸念だったそうだ。
領都へ食料品を買い出しに行く。
それだけのことで深く暗い森を抜けなければならず、大人でも危険が伴う行動だったという。
私自身も暮らしていてよくわかるが……エルトとテナーレ間の移動でさえ、結構億劫である。
それがシプラネからとなれば、どれほど険しく大変な道のりであるのかは、想像に難くなかった。
そして……テナーレの学校へ通学しようとする11歳未満の子供たちであれば、それはなおさらのこと。
シプラネの子供たちは学友と遊ぶ暇もなく、放課後になればすぐさま帰宅する必要があった。
少し油断すればもう、子供たちだけで夕暮れの森を歩くしかなくなってしまう。
それがどれほど危険極まりないことか。日によっては霧が出始めることもある。
怪我や事故だけでなく、霧やキノコの光に惑わされ……永遠に森を彷徨い続ける可能性すらあるのだ。
子供たちをほぼ毎日通わせるだけで心配だ。
シプラネの子たちだけは、エルトやテナーレ、バレトノの友達と違い、昼までしか遊べない。
こんな危険な道を通わせてまで、学校なんかに行かせる必要はあるのか?家や仕事の手伝いをたまにさせて、日中は遊ばせてあげていた方がずっと良いのではないか。
そのような意見が多数を占めるのも当然と言えた。
よってシプラネの就学率は、大昔から常に全国平均・各国平均を大きく下回っていたのだとか。
テナーレに行くよりも、隣接するドートリシュ侯爵領の領都へ向かう方が、よほど利便性があった。
近く安全で合理的。
領主のみならず。平民も皆、その事実には気が付いていたはずだった。
それでも千年にわたり、反乱や運動どころか、ひとつの陳情すらなく伯爵領に統治され続けていたのは。
――――不便さなど二の次、三の次。領民を愛する領主様を、同じように領民も愛し続けていたから。
『クローディア』の名の下で暮らすことを愛し、誇りとしていたからこそであろう。
…………侯爵様のその推測は。
きっと真実だと思った。
だからこそ。クローディア伯爵様ご自身も、それをわかっていたはずで。
シプラネをドートリシュに託す。
何より合理的なはずのその申し出は、あまりに唐突なことだった。
「奴の真剣な眼差しは、穏やかな口調とは裏腹に……。意識せずのことだったろうが、有無を言わせぬ気迫に満ちていてな。
あれこれ問いたい思いこそあれど、何かを覚悟したかの如きエドの前には……ただ『任せろ』と頷く他、私に出来得ることはなかった」
カップに揺れる紅茶を何となしに見つめる閣下。
「あやつは満足気に頷き返し、そして…………。
その後いかなる会話を交わしたのか、どのようにして別れ帰路についたのか。全く覚えてはおらぬのだ。肩の重荷が降りたような、憑き物が全て落ちたかのような――――それまで見たことのない、あやつの顔がとかく印象的でな…………」
赤茶色のその液体は……自らの高級さを伝えるように、芳香を引き立てるべく波打つ。
それは高貴なる方の葛藤……揺れる思い。そして覚悟といった、当時の侯爵様と伯爵様の優美な心象を再現しているかのようで。
「いつか統治委任となろうともおかしくはなかった話。しかし当代で、我が身に起ころうとは。
そう思い至った背景は窺い知れぬものの、領民を憂い……深慮の末の決断だというはわかり切ったこと。そしておそらく、この私を信用してのこと。
――――身が引き締まり、私にも強き情念が湧いたものだ。
私はあやつのかけがえのない財産を。親友の宝を預けられたのだとな。
真意こそ読めない。だがそれで構わぬと考えた。次に会ったその時には具体的な話を進め、そして私の覚悟をも告げようと。これからも共に、領民の幸福を創り出してゆけるのだと。信じて疑わなかった」
しかしこのお話は、あくまで序章にしか過ぎず――――
この領地へと後に訪れた本章……悲惨な第一章から第三章までを知る身には。
まるで。このとき既に巻き起ころうとしていた、悪意の渦。
赤濁の沼の波打ちにも見えていた―――――…………
「この日が奴と相見えた最期となった。
次に会う時とは、すなわち臨終の刻。
あの言葉は、未来を共に語らんとする希望ではなく――――今際の際の遺言。
私に託したのは、固き遺志であったのだ。
あの時分、あやつは既に自らの死期を悟っておったのだな」
「王都へ報せを受け、駆け付けた際には時既に遅し。あやつはもう、泣き崩れる使用人、最期に言葉をもらったらしい、笑顔で見送らんとする領民。花の冠を亡骸に飾る領民の子供たちに囲まれ、……夫人の元へ会いに行っていた。私なぞに死際を見せまいとしたのは意地なのか。
実に幸せそうな死に顔をしておった。領民に見届けられ、さぞ幸せな最期だったことだろう。遺された者をさておいてな…………」
死に目には会うこと叶わず。
この地の領民と協力しながら、墓を建立し、日々供養に生き…………
私が落ち込みでもしたら、領主を突然喪った領民の悲しさを余計に助長してしまうことになる。
感傷に浸り、墓前にて酒を酌み交わしたい気持ちはやまやまであったが、そんなわずかな暇さえ存在しなかった。
仕事に忙殺され、元クローディア伯爵領どころか、自らの領地に時折顔を出すのが精一杯。
「…………とは今申したが」
「それは単なる言い訳に過ぎぬこと。ただの一度も顔を出さず、自分の領地となったシプラネ以外を気にかけんで済む、免罪符の建前だ。
前述の建前にかまけて、やがて奴と永別して数年の月日が経ち……ようやく親友の宝に会える機会が巡ってきた」
紅茶の色が、ほんのわずか時を止めて。
あるはずがないのに、赤茶の波は真っ黒なコーヒーのように変色した。
驚いて目をこすり、まばたきを意識的に終えて再度見ると、その面影はなくなっていた。
髪の反射。闇に立ち込めた、赤の「光」によって。
「今でもはっきりと思い出せる。私は自分が情けなくて仕方がなかった。そして、天国から向けられているだろうエドからの失望はいかほどのものか……。
不甲斐なさに自身さえ失望し、それは絶望へと変わっていった…………」
閣下はふと、窓の外よりわずかに聞こえた、領民の子供が遊ぶ声に窓へ視線を向けられた。
しかし表情が優しく穏やかに緩んだのは、たかが数秒に過ぎなかった。
「かつて輝いていた瞳は、一様に曇り切っておった。領民の笑顔がひとつもなく、皆苦難の連続に疲れ切り、ある種達観している様子。
かつてたとえ経済的に恵まれずとも、心豊かな暮らしをしていたはずの彼等は――――
あの日。よく見知ったはずの私に対しても、警戒に焦点の合わぬ瞳を滲ませ。怯えてか、目を合わせることもしてくれなんだ。
そう。私が次にここへとようやく訪れたのは、あの日。
納税免除を言い渡しに、業務命令として。この地の三番目の領主代行官が投獄された日のことであった。
幾度と知れぬ裏切りに、領地全体が疲弊し。何もかもが酷く痛め付けられた後のこと。
既に手遅れであった、あの日のことだった――――…………」
■はじめは「哀別の冬葉」というタイトルを思い付いたのですが、なんか調べてみたら「冬葉」って「鮭とば」の「とば」のことなのだそうです。
もうそうなってくると鮭とばのことしか思い浮かびませんので、表題の通りとなりました。




