この世界、かつて望んだ願い
――曰く。
目の前の「私の担当」と名乗る、輝く羽根を持つ男性は、やはり神様であるとのこと。
ただ彼が創造主というわけでも、彼だけが神様だというわけでもない。
神々は他にもたくさんいるのだそうだ。
「私共は言うなれば、『宇宙』という企業の社員。あなた方が天国と呼ぶ場所や、この場所……転生手続きを行うここは、本社の一部。私は、本社人事総務課の、労務相談窓口職員といったところでしょうかねえ、はい。そして数多くの星は、本社からプロジェクトを受け、出向した社員が作った支社と言うべきでしょうか」
私の所属地域、文明、文化圏。
それらを解析したうえで、私に理解しやすい言葉を精査してくれていたのか。それとも神様の言葉ゆえ、自身の知識内での翻訳が自動で行われ、私の耳に届いていたのか……それは今となってはわからない。
「一人で世界を創り上げ、一人で管理をしている神もいれば、複数人で分担して大陸や国、地域を創り、その星の担当区域をそれぞれ治め、信仰されている神々もおります」
神様は飄々と語った。
「その世界をどう運営していくかは、彼らの自由にやっていただく形になりましてね、ええ。魔法があったり、人が空を飛んだり。天空から支配し管理する者、人間と同じ大地で暮らす者。自分の子供を人の世に送り出す者もおりますね。全て裁量次第でございますよ」
「じゃあ……地球のいろいろな神話や聖書に登場する神様たちも、本当に存在しているってことですか?」
「えぇ、もちろんですとも。確かに彼らも存在しております。人間からすれば遥か昔、『地球』という世界を産みだし、海や大地を創り、住まう民を造った日から。彼らは今なお地球の人々を愛し、見守り続けています」
この時の感情はよく思い出せない。
感嘆、呆然、驚愕。そのどれもであった気がする。
あらゆる思いがごちゃ混ぜのまま、ただ目の前で淡々と繰り広げられる話の内容だけが鮮明だった。
「そして、あなた方人間が各支社における労働力。あなた方が世界に生き続けるからこそ、世界と宇宙もまた、存在し続けられるのです」
私たちが食べ物を摂取して栄養を取り込み、生命を維持するのと同じように。
宇宙という管理システムにもまた、維持するためのエネルギーが必要であるのだと、神様は話す。
それも巨大なシステムであるがために、膨大かつ永続的なエネルギーが。
人間が産まれる。日々笑い、怒り、泣き、食べ、生命を維持し続ける。新たな生命がまた産まれる。いつか寿命は尽き、死の時を迎える。
宇宙全体に生きる、途方もない数の人間たち。
生命が生きようとし、やがて循環するエネルギーによって、住まう星と宇宙は形を維持していけるのだそうだ。
たくさんのエネルギーを供給し続けるためには、その数が多ければ多いほど良い。
よって神々は無数の世界を創り出す。
創造した星を整備し、人間が繫栄し暮らしやすい環境を維持する役目を担っているのだとか。
「でも……それなら寿命なんて設けず、人間が永久に生き続けられるようにした方が良いのでは」
その問いは当然かと思ったが、神様の答えは違っていた。
人間が爆発的なエネルギーを発生させるのは、「産まれた時」と「死ぬ時」。
個々の生命が永久に生き続けるよりも、生命が終焉を迎えたあと、速やかに転生手続きを行い、また世界に誕生させる。
そのサイクルをひとりひとり回し続けた方が、エネルギーの供給はより大きいのだそう。
それを聴いた時、なんとなく世界の理を悟った気がした。また自分自身の死を受け容れられたのも同時だった。
なんとなくだけれど、そう記憶している。
そのうち湧き出るように数々の疑問、質問が浮かんできた。
そんな私に対し、目の前の神様は相変わらず飄々と語った。
この異空間は、死後の世界であることは間違いないが、いわゆる「天国」ではない。
その前段階で、いわば「転生受付処理室」といった一室にあたるらしい。
数々の建築物があるのは、「いろいろな世界」で亡くなり転生受付処理室に来たばかりの人を、少しでも安心させるためだという。
故郷にそびえる馴染み深い建物は、人間の心にシンボルとして記憶され、幾分不安を和らげるのだそうだ。
辺りを見渡せば、現代日本のビルやマンション、スカイツリーなんかも視界に入った。
普段は気にも留めていなかった、しかしよく見慣れたそれらは、完全アウェイな異世界感を打ち消し、私にある程度の落ち着きを確かに感じさせてくれていた。
この宇宙の中に無数に浮かぶ世界には、地球に住まう民が「異世界」と呼ぶ場所も多々存在する。それは地球とは異なる神々が創造した世界。
例えば、人々が当たり前に魔法を使う世界。例えば、妖精やユニコーンなどが普通の生物として存在している世界。
地球はあくまで、その中の一つに過ぎないのだという。
その異世界に暮らす人間同士も、全く無縁というわけではない。
知らず知らずのうち、各世界は互いに干渉し合っている。
私が思わず想像した……宇宙人との交信などといった直接の交流ではなく、もっとごく間接的に。
今も人間の与り知れぬ水面下で、世界と世界は干渉している。
結果、他のとある世界の記憶が、そこに暮らす誰かのもとへ「降ってくる」のだとか。
アイディア、企画、インスピレーションとして。
小説や絵本、漫画、ゲーム、ドラマに映画、絵巻、劇。あるいは地球には存在しない媒体……。
そう。誰かが創作したはずの、「架空の物語」として。
「それゆえにですね、はい。吉川さまが生前好まれていた〝観照射反映体〟……吉川さまの所属地域ですと漫画、ゲームなどと呼称されるものになりますかねぇ。そうした世界もまた、当然存在しているということです、えぇ。つまり当然選択肢のうちでして、ご転生先としてお選びいただけますので。来世につきまして、ご希望の限りですね、是非ともご遠慮なく聞かせていただければと……」
「え!? 漫画の世界とかって選べるんですか!? いや、選べる云々より先に……じゃあ、私がこれまでに読んだり見たりしてきた作品に登場する世界、登場人物たちなんかは、皆この宇宙のどこかに実在しているってことですか? いかにも架空な世界であっても……?」
時折空中に映し出したホログラムの映像説明を交えながら、少し冗長なほどに丁寧な神様の話を思わず遮ってしまった。こういう喋り方の先生いたな。
いや、それより。
地球と言語や文化こそ違えど、似たような文明を辿っている世界なんかはまだわからなくもない。
でも能力やら魔法やらで戦ったりするような、いかにも架空! どう考えてもファンタジー! と言える世界観、人々が現実のひとつであると言われても……にわかには信じがたかった。
それを受けて、神様は先程の無礼を歯牙にもかけない様子で、独特の調子の説明を再開した。
「もちろんでございますとも。大変失礼かとは思いますけれども、あえて説明いたしますと。そうした世界の方にとっては、これを逆手にですね。吉川さまの暮らしこそ『いかにも架空』と言えるわけでございますよ」
「え? どういう……私の生活なんて、それこそごく普通の……」
口をついた呟きは当然のもののはずだった。
「『水地が陸地より遥か広く、鉄の馬が地を駆け、鉄の鳥が空を飛ぶ異質な世界。その一角、女性がひとり。彼女は水と光に満ちた銀の箱、遠隔会話ができる糸を操って、特権階級のほか許されないはずの娯楽旅行へと市民を誘う、奇々怪々な職に従事する』……と、吉川さまのことでございますね。異文明の住人の方には、こう感じ取ることが可能なわけです」
……しかしこう続いた説明に、その疑義もたちまち搔き消えた。
なるほど。私にとっての異質な世界の人々からは、確かに私こそが異質、かつ架空と言えるんだ。
実際にそちらの世界では、今の説明のように、地球の暮らしが何らかの物語として反映されているらしい。
それからの説明には、もはや口を挟むこともなかった。世界の仕組みをおよそ捉えられた気がしたし、もう何を聞いても「そういうものだ」と受け止め、納得せざるを得なかった。
「うーん……。なんとなく理解できました。人間の転生は、宇宙を維持するために必要なこと。だからこそ色んな世界……色んな可能性、色んな選択肢が用意してあって。生まれ変わりを渋られないためにも、さっさと転生させるためにも、人間皆の来世の希望を極力叶えてあげる方が効率が良いってことですね」
「呑み込みが早い方で助かります。よって吉川さまのご希望も、私の方で承りますよ。抽象的な理想であっても構いません。私共で適切な世界と人物像を抽出いたしまして、ご対応させていただきますので。はい」
神様は満足げに、大きく二度三度頷く。それを待たずして、一瞬の間もなく即答した。
「来世は、通学通勤する必要のない身分で! あと、赤髪赤目でお願いします! ほぼ外出せず、のんびりインドア生活ができる家と家族のもとに産まれたいです!」
「あっ、はい。かしこまりました。その他、何かご希望は?」
私担当の神様は、こちらには目を向けず、問診票のような書類を書きつつ質問を続ける。
「ありません。以上で! これらが叶うなら、本当になんでもいいですので!」
他に希望などあるはずもない!
子供の頃からの夢だった、綺麗な地毛の赤髪。どこかに通わなくてもいい生活。
悠々自適、インドア引きこもりライフが確約で手に入るのだから!
瞳が輝き、口元は緩み、胸が躍る。
「え、よろしいのですか? いやまぁ、はい、承りますがね。…………『赤髪赤目』で、『通勤通学』はしなくて良い人物。『ほぼ』インドア生活ができるのであれば、『なんでも良い』、と」
ん? 今何か言った? なんか最後の方、ぼそっとつぶやかれて聞こえなかった。
「次は、えー……世界、あるいは身分等についてですね。何か特段のご希望はございますかね?」
「いえ、それらに関してもなんでも大丈夫です。さっきの希望を叶えていただけるんなら! 平安貴族みたいな生活をするのがずっと夢だったんですよ。夢の引きこもりライフ、叶えていただけるんですよね!?」
「平安貴族、平安貴族……あぁ、はいはいこちらの。文明は約千年前……『地球 日本』における執政階級の人間ですね。このような暮らしぶりが吉川さまの理想だったと」
おそらく実際の過去映像なのか、今度は平安貴族たちの姿がホログラムで映し出された。画像ではなく動画だ。
高貴な雰囲気の人物を囲み、行事か式典の準備を行っている光景だった。
「そうですそうです! 身分も財産も出世も、なんにもいりません。こういう静かで穏やかな感じののんびりライフが希望です!」
「えぇええ。なるほどですね。承ります、はい。では次に移行いたします。――吉川さまは…………」
聞き取り調査はしばし続いた。その後は神様たちが転生先の決定や準備にあたっている間、私は天国で過ごすように指示を受けた。
お言葉に甘え、この上なくゆっくり過ごしたことを今でも克明に覚えている。
やがて、私の転生担当の神様が訪れた。体感からするとだいぶ早かった。
私の出した希望通りの世界が会議の末に決定したと伝えられ、転生直前の準備が滞りなく進められていった。
「……よってですね、ごく稀に、前世の記憶や転生処理における記憶が残存してしまう可能性がございますので、そこはご了承ください」
「はい、大丈夫です!」
「それでは吉川祈里さま、お疲れさまでございました。新たな人生がより良いものであらんことを、私共もお祈り申し上げます。――いってらっしゃいませ」
◇◇◇
そして生まれ落ちたこの世界には、私の望んだ全てがあった。
「父様とおんなじ、ふわふわの赤い髪。母様みたいな、くりくりの赤い目。わたしとっても大好きよ。アシュリー商会とお店のみんなも、全部ぜんぶだいすき」
物心がついた時からの、ルシアの口癖。
はねグセの強い赤髪が特徴的な父・ヴィンス。生まれつき赤毛を持つ者は珍しい。
商会を両親から継ぎ、取引や仕入に出向くようになってからは「から紅のアシュリー」と呼ばれ、一発で顔と名前を覚えてもらえ、便利な髪だ――と朗らかに笑うが、幼い頃は奇異の目で見られることも多く、ずっとコンプレックスを感じていたらしい。
祖父母はごくありふれた濃い茶色の髪と瞳だったそうなので、尚更だろう。
銀色に光る髪に、夫の赤毛をそのまま映し取ったかのような赤い瞳を持つ、母・エイミー。
あまりに薄い、薄すぎる色素。おそらく母様はアルビノなのだと思う。
頭の回転が早く、優しい母様は、年齢と比例せず「愛らしい」という言葉が似合う。柔らかい笑顔に私と父様、お店の従業員は癒され心が暖まるが、透き通る雪白の肌に、凛と輝く紅の目。
もしかすると、人によってはキツく冷ややかな、気位の高い女性に見えるのかもしれない。
「王都アシュリー商会」の当代店主夫妻である両親には、齢四十を数えてなお、後継者の産まれる気配がなかった。
……体力が衰え、引退を考える日がいつか訪れる。店を畳むことになっても、家で過ごすのが好きな自分たちは、田舎でのんびり隠遁生活を送れればそれで構わない。だが、従業員たちを路頭に迷わせてしまう……。
嗚呼、女神エレーネよ。建国の王神、ロイよ。どうか我等に、愛しき子を授けたまえ――。
真摯に朝晩祈りを捧げた甲斐あってか、やがてお腹に宿った新たな命。
産まれてくるその日を、従業員も含めた商会の皆で心待ちにしていたのだという。
本当は皆、半ば諦めかけていた矢先のことだったそうだ。
そうして両親の特徴を見事に併せ持ち、商会の皆に強く望まれ。
咲き誇る紅花の如き、ワインレッドの髪と瞳。
愛情を一身に受けて、ルシア・アシュリーは今世に生を受けた。
今世の私の生家、王都アシュリー商会。
エレーネ王国の王都にこじんまりとした店舗を構える、先祖代々続く雑貨店である。
小売の傍ら、注文があれば貴族家への出入り卸も行っている。
取り扱う品々は、生活必需の日用品からオシャレ工芸品など、幅広い。
ここ、内陸国であるエレーネ王国は、他国からの資源や食物を積極的に仕入れる必要がある。
小国とはいえ貿易に栄え、東西南北に位置する大国から日々届けられる、技術や物珍しさに優れた様々な物資であふれる王都。
街の人々は、見栄えする品も特にない地元の日用雑貨店にさほどの需要を感じていないのも実情である。
しかしアシュリー商会にとって、それはさしたる問題ではなかった。
贅沢や浪費を是とせず、静かで落ち着いた生活を好むアシュリー家。
利益は従業員への給与、そして生活費と余暇にあて、細々楽しく暮らしてきた。
堅実で従業員思いの経営に、働いてくれる者からの信頼は厚い。
その嗜好するところは、読書や裁縫、編み物、芸術鑑賞。そして睡眠。
つまり、先祖代々のインドア趣味家族。
受け継がれし引きこもり一家なのである。
そんな商会の日常は、老獪のベテラン従業員は初孫、若い従業員からは末の愛妹のように。お嬢様こと私を溺愛する日々だ。
一人一日につき五回は可愛いと言われ、愛でられまくっている。
父様は読書家。
家には書斎が設えてあり、休日と余暇はほぼこもりきりだ。
代々読書家の多いアシュリー家が長い年月の末に構築した、自慢の書斎。
まさに引きこもり垂涎の地と言えるこの一室には、ありとあらゆる書物がひしめく。
別に父様専用というわけではなく、よく私を招き入れてはいろいろな本を読み聞かせてくれる。
本の世界は広い。座りながら、寝転がりながら、自分とは違う人生を追体験できる。
優しく頭をなでられながら、膝の上に座らせてもらい。父様と一緒に物語の世界を「冒険」するひとときが、私は大好きだ。
母様は刺繍がとても上手。
もともと病弱だったらしい母様は、父の元に嫁ぐ前から室内生活を極めていた。
一日の店番が終わり会計を締めた後は、家族用居間にまっしぐら。暖炉の前のカーペット全体が母様の領土だ。
刺繍に編み物、染織物。現代地球で言えばハンクラ嫁な母様は、白く細長い手でなんでも作り上げてしまう。
ロッキングチェアをふかふかに仕上げるクッションも、私の部屋のぬいぐるみたちも全て母様のお手製である。
私にも教えてくれようとするが、手先が不器用な私にはまだ難しい。母様の魔法のような手の動きをぼんやり眺めている方が楽しかった。
店じまいのあとは、暖炉で爆ぜる橙の温かな炎の如し、ゆったりとした母娘の時間が流れている。
――二歳か三歳の頃、「転生時の記憶」に気が付いた私。
「前世の記憶」もあるにはあるが、覚えているものと、靄がかかったようにかすんで思い出せないものがある。
その覚えている記憶とやらも大したものではない。
家族構成、生きていた国。自分がどういう人間だったのか。その実、今と全く変わらない思考の持ち主だったこと。死の直近、ハマっていた小説やゲーム、漫画の薄ぼんやりとした内容。そして死した後、転生時に何を願ったのか。それくらいである。
逆に転生時のこと、天国でのことをやけにはっきり記憶しているのは、最初から覚えていたのではない。思い出したからだ。
物心ついて自我を認識できるようになった時、「夢じゃなかった! 本当に叶えてもらえたんだ!」……と、無意識に強く感じた。
大商家には遠く及ばぬ中流商家の一人娘。
利益よりも余暇、遊びよりも休息。
「ゆっくりするために頑張る」がモットーの、筋金入りのインドア一家。
通勤とも通学とも無縁、休日は家族で引きこもり生活!
神様ありがとう! 思う存分、一生のんびり暮らします!
――あの日までは、そう思っていた。
一生揺るがないささやかな暮らしが確かに続いてゆくはずだった。
しかし運命の歯車は、すでにこの時廻り始めていたのだ……。




