予期せぬ来客
視線の先。
父様の額から頬へと、大粒の汗が一筋流れ落ちた。
一室には暫しの間、息遣いさえうるさく感じられるような沈黙が流れる。
やがて呼吸が整い、膝に置いた手に力を込め、ゆっくりと姿勢を正し始めるオリバー。
無言のままの私達を不思議そうに見遣りつつ、言葉を続けた。
「ドートリシュ侯爵様は、クローディア伯爵様のご親友だった方なんでさ。だから無下にはできなくて…………。元伯爵領が新事業を始めるっつう話を、きっとどこからかお聞きになったんでしょう。ここの新しい領主様がどんなお方か、何をお考えで事業を考えついたんか。お顔を合わせてみたいってなことだと思いやす」
「え……。そうだったの。言われてみればお歳が近いものね」
話の前半部分に、思わず反応してしまう。
クローディア伯爵様がご帰天召されたのは、60代後半。
今から数年前と伺っている。
「北部領主の侯爵様は、もう70も半ばに差し掛かるのにお大臣様も領主様も兼任して――――」
以前、領民の誰かがそう口にしているのを聞いた。
そこから逆算すると、伯爵様がご存命ならば確かにおよそ同い年くらい。
歳があまり変わらないのなら、学園でも一緒だったはず。
まして御在所……領地もこれだけ近いわけで、ご親友だというのも納得だ。
……しかし。問題は後半部分にある。
『ドートリシュ侯爵様とマーカス軍曹。貴殿と昨晩言葉を交わしたお二方の強いご推挙があり、今回の叙爵が決まったのです』
『かの一家に相応しからん地位を与えるべきだ――――侯爵様の発議は、満場一致で採択なされました』
『ドートリシュ侯爵様は評議会議長と宰相を兼任する、陛下よりのご信頼最も厚き方で――――――』
脳裏によみがえるのは。あの日アシュリー商会へ伝達に来てくださった、フォスター子爵のお言葉の数々…………。
また、この領地を最初に案内してくれた役人さん。
そしてリアムはこうも言っていた。
『評議会で決定され、最終的に国王陛下の承認を経て、領地譲渡が行われます。…………なぜ陛下がこの地をあなた方にお与えになったのか、僕は今ならわかる……』
『それでね、外務大臣以外の大臣や相とは滅多なことでもない限り、やっぱり接触は難しいって言うんだ。ホントならアシュリー家の叙爵全般を請け負ったトップ、宰相でもある評議会議長に会えれば良かったんだけどね。だから皆と直接関わった係役、下級役人に聞けば良いと思ったのに!結局所領大臣を間に挟まなきゃいけないって。意味ないよね、同じことでしょ!?』
…………お気楽能天気も、ここまで来れば大したものだ。
この若者たち5人から、投石事件の謝罪を受けた際。
納税免除を国の代表として伝えに来てくださった、温かいお言葉をいただけた、と。
その時初めて、ドートリシュ侯爵というお名前を聞いたとばかり考えていた。
――――どこかで聞いたような。
心に引っかかる思い。少しモヤつく既聴感を覚えながらも、疑念を無視して。
その後は……何度か北部領主様、シプラネの連中が世話になっている侯爵様、という話を聞いても。
もう気にすることはなくなっていた。
素敵なお人柄なのね、そう笑って。
いや、すでに既聴感など忘れ去っていたのかもしれない。
近郊在住の尊敬すべき貴族様。
ご立派な諸侯さま。
どこかで聞いたような気がしたのも、きっと若者たちの話を聴くずっと前。
きっと王都にまだ住んでいた時や、領民が会話していたのを聞いただけに違いない。
私達にはこれまでも、そしてこの先も何ら関わりのない上級貴族様だ。
いつの日にかお礼をしよう。ご挨拶するのはその時で良いだろう。
向こうも近くによくわからない新興男爵家が越して来たところで、何のご関心もないはずだから――――…………
三人揃って、ここまで呑気に構えていた。
聞いたことがあったのも当然だ。
あの謝罪を受けた時には、すでにフォスター子爵様からその名を聞いているのだから。
……あの時。貴族になるなどという絶望に震え、ただただ茫然自失となっていたのも災いしてか。
お名前はいつしか記憶の彼方に。
その後いかに侯爵様のお話が出ようとも、自分たちと結び付けて考えることをしなかった。
オリバーや今対応してくれている領民の皆は、評議会が領地譲渡に携わることや、私達がそもそもなぜ貴族になったのか、その経緯を知らない。
よって、私達と侯爵様は見ず知らずの間柄であり、私達家族ではなく"クローディア伯爵の後継者"に。どこかで知り得た新事業に対してご興味を持たれて来訪した、と考えただろうことは想像がつく。
…………とんでもない!
いや、領民たちはそれで全く構わない。
とんでもないのは、つい先程まで同じように考えていた私達自身だ!
「宰相と評議会議長を兼任」。「リアムと接触が取れる大臣級の身分」。
関わりがないだなんて、よくもまあ思っていたものだ。
かの御方は、見知らぬ男爵家にただ挨拶に来たわけでも、新事業に興味を惹かれて見学に来たわけでもない。
――――アシュリー家を見出し、男爵位を授けてくださった方。
この美しい、素晴らしい領地を与えてくださったご張本人様ではないか……!
この間周囲の人々に領地を宣伝しておくと言ってくれたリアム。
外務大臣様が傍に付き添っている時か何かに、宰相であるドートリシュ侯爵様ともお話する機会があったのだろう。
情報ソースはそこしかないはず。
この領地が今やろうとしていること、プレオープンの日程をリアムとの会話の中で知り、お時間の合間を縫いお越しになったのだ。
「…………どうしよう?」
「……どうしましょうね…………」
つい意味のない問いが、口をついて出てしまう。
画期的な解決策。妙案など出るはずもないと、わかっていながら。
領民の皆は常々言っている。
伯爵様は自分らを本当の家族のように接してくれた。
なんもねえこの場所を、心から愛していた――――と。
ここは亡き親友が遺した大切な土地。
全く知らないうちに、平民上がりの知らない一家が、いつの間にかこの地の領主に据えられていたのではない。
むしろ私達の素性も、功績だなんだともてはやされるあの晩の経緯も、そして親友の亡き後、この土地の民がどのような仕打ちを受け続けてきたのかも。
――――全てをご存知の上で。
ドートリシュ侯爵様ご自身が、私達にこの領地を与えることをご決断なさったのだ。
「親友クローディア伯爵の後釜」の座を。
なぜ、どういった意図なのか。
しかし、どのみち……私達はそれを深く考えることもせずにいた。
そんな大切な領地を譲り受けておきながら、今日に至るまで挨拶の一つもなく、のうのうと暮らしていた私達一家をいったいどうお思いなのだろう……。
何らかのご期待を込めての采配だったのだとすれば、大層ご失望されているのではないだろうか…………。
寒々しさに包まれる全身が、痛ましいほどの鳥肌に覆われる。
冷や汗すら出なかった。
今日おいでになった目的は何だろうか。
繰り返しになるが……侯爵様があの晩取り調べをした、そして御自らこそが貴族の身分に取り上げた赤の商会主一家が、ここの現領主だということは知らぬはずもない。
厚顔無恥の化身、私達個人にご用事があるのか?
それとも伯爵様のお顔に泥を塗る、不甲斐ないアシュリー男爵家に物申すことがあるのだろうか。
……どちらにせよ、お怒りは避けられない気がする。
良いお話である可能性は限り無く低いだろう…………。
なんだろう、まず非常識にも領民が大変お世話になった件、そして領地譲渡という大事な件が二つもありながら、お礼すらしていなかったこと。
お引越しの挨拶にも上がらなかったことは確定で言われるとして。
まあ、案内役の役人さんにお手紙は託したが…………。
貴族になれてこうも喜ばずにいられたのは、ただ私達が奇特な人間であっただけで。
本来ならば地に頭を擦り付けて謝意を伝えても、まだ足りないくらいの幸運なのだ。
恩知らずかつ恥知らずな私達の顔が見てみたい、という目的?
ああ、あと未だに何一つのお茶会や食事会にも出席していないことに関しても有り得る。
これもきっと噂になっているんだろうな……。
貴族でありながら社交の場に伺わず、お誘いの手紙をことごとく断り続け。
何が楽しいのか、屋敷と領地に引きこもってばかりいるアシュリー家の悪評は、実は貴族社会で広く共有されていたりして。
すでに議長様の知るところであってもおかしくはない。
男爵家に対してのご来訪であれば……やはり、リアムから聞いたであろう新事業のことだろうか。
クローディア伯爵様が愛した大切な領民たちを、領主主導で「領民ごっこ」に一挙巻き込もうとしていることについて?
……十二分に考えられる。
親友が今も統べるはずであった、のどかで静かな土地。
それを変なコンセプト仕立て領地にしようとしていると思われているのかもしれない。
一応"変な"コンセプトではなく、『ここでしかできない体験』を提供するという観光資源づくり。
『ホテル』という宿を建設し、観光インフラを整備する目的がそこにある。
マッサージや美食など、貴族が享受できることは、平民にとって当然の権利ではない。
商人でもない平民には旅行は縁遠く、宿とは商人や旅人のためのもので、豪華な旅行をするのは貴族様のみ。
そして貴族が旅をする場合、宿なんかには宿泊しない。
貴族は他の貴族邸に泊まるもの…………
そういったこの世界の常識からは決して外れずにいながら、密かに「高級宿」という概念をももたらす。
それが『貴族ぐらしの里』リゾート領地化計画だ。
「見るだけ」の観光業から、「体験型」の観光業へと一石を投じる。
全く新しい概念だからこそ、まさに他にはない体験が。
アシュリー男爵領に追随する者は地球のような観光業の在り方を知らず、どうしても二番煎じにならざるを得ない。
唯一無二のリゾート領地。
身分を問わず誰でも貴族のような旅・貴族そのものの暮らしが味わえる、それがコンセプトの基本理念。
加えて、何度も訪れるうちに自然と「ご自分の領地」の魅力に気付き、ここは大陸中の人々から愛される領地に。
領民の皆は安定した職と収入が手に入り、私達家族はコンセプト崩壊を防ぐためと領地運営の多忙を建前にして、外出の必要が一切無くなる…………
そんな良い事尽くしのちゃんとした計画なのであるが。
……おそらく現時点で、侯爵様から見た私達の信用度は。
地を這う蛇と同然レベル。
説明したところで聞き入れていただけなさそうだな……。
考えれば考えるほど、私達を戒め……咎めるためにお越しになったとしか思えない。
記念すべき一人目のお客様は、領地を挙げて盛大に歓待させていただく予定だったけれど。
……領地の没収。廃嫡……爵位取り上げ…………。
ぐるぐると渦巻く嫌な予感。
虫の知らせのような可愛いものではなく、推測と分析に基づいた……。
筋金入り、一家相伝。引きこもりインドア気質のせいなのか。
乙女ゲームとか一切関係ないところで、こうも破滅フラグが立ちまくる。
ただの一人のお客様も迎えられないまま、この素敵な領地を追放されてしまうのだろうか。
…………嫌だ。
やり方こそ突飛かもしれないけれど、きっと天国のクローディア伯爵様にもご安心していただける、領民の皆が豊かに暮らせる。
新しい形の幸せを領地にもたらそうとしているところなのに。
どれだけお叱りを受けようとも構わないが、どうにか身分剥奪だけは阻止せねば。
――――とにかく、ひたすら謝り倒す!
ついこの間リアムに会いに行く前に練習しまくった、あらゆる謝罪テクニックを今こそ活かす時。
なんとかお許しを乞い、今この際においては最悪の事態だけの回避を目指せば良いのでは。
いずれ利益率やお客様の入り具合、領民が楽しく働き、幸せに暮らす姿などを見てもらおう。
そして本当に領地のためになることをしているのだ、適当なふざけたことをやっているのではなく、領主としてきちんと務めを果たしているのだ、と最終的にご理解をいただけば良い。
まずは誠意を見せるべきだ。
直接お会いして、これまでの非礼を詫びよう。
今私達にできることは、心から謝り、心からのお礼を伝えること。
それしかあるまい。
母様と視線が交差する。
互いに言葉を発さず、強く頷き合った。
父様の立つ方をもちらりと見るが……
父はオリバーを焦点の定まらない目で見据え、口を開こうとしているところだった。
「……オリバー、少し良いかな?…………そのドートリシュ侯爵様……。どのようなご容貌の方なのか、教えてくれないかい?」
ドートリシュ侯爵様と直接相見えたのは、父様しかいない。
あの日取り調べをなさった貴族様と、その北部領主であるという近接の侯爵様。
判別できるのは父だけで……
そこまで考え、とある希望が頭をよぎる。
……そうだ!そうだよ、まだ同一人物だとは限らない。
お歳が近く同名であるだけの、全くの別人という可能性も……!
「へい!侯爵様はですね、顎くれえまである長さの髪型で……アシンメトリー……?って嫁が言ってやしたが。右側の髪を左側に流して撫でつけてらして、風になびくロマンスグレー。いかにもお貴族様って感じで、これが優美なんで!」
「……………………」
父様の顔色がサアっと鮮やかな青に染まる。
……ダメだな、これはもうダメなやつだ。
「あと、モノクル……っつうんでしたかい?細工の込んだ、あの片眼だけのメガネを着けてらっしゃいやす。んで、整ったお顔立ちに小皺がいくつかあるんですが……それがまた男の渋さ!良いお歳の取り方をした、いぶし銀っつうんですかね?お若い頃も色男だったんでしょうが、壮年の男のカッコ良さみてえなもんが全身から漂う御方でさ!」
「ははは。はははは。はは…………は……そうか、そうなんだね。ありがとう、オリバー…………」
乾いた笑い声、開き切った瞳孔。
……それはまるで、心を持たない人形が人間のフリをして笑っているかのようで。
後にも先にも初めて聞いた、あまりにも不気味な笑い声だった。
人間からこんな機械じかけみたいな声出る?
自分の父でありながら、自然と身を震わせ飛び退いてしまった。
……確定だな。どう考えても同一人物だ。
私達の身元も、あの晩の出来事も。ここに越して来てからの動向も。
何もかもをご存知でおいでになった、北部領主の侯爵様であり、リアム誘拐事件の総責任者の評議会議長様で間違いはない。
咎められる以外に、考えられ得る動機は何も見当たらなかった。
放心して現実逃避したいのはやまやまだが、そのような暇は残されていない。
今この状況説明の合間だけで、すでにかなりの時間をお待たせしてしまっているのだから。
「……オリバー、何度も走らせて申し訳無いんだが、もう一度ホテルに戻ってもらえるかな。フロントから客室にお通しして差し上げてほしいんだ。ホテルご利用のお客様と同じように接待しよう。ギリスたち、料理人にもお食事の用意を指示してくれ」
いち早く自分を奮い立たせ、正気に戻った父様はオリバーに適切な命令を下していた。
威勢よく返事をするや否や、足早にこの場を駆け出そうとした彼の後ろ姿に、母様が慌てて指示を付け足す。
「すぐにアシュリー家が参ります、そうお伝えして。……私達は、一番よそ行きのまともな服に着替えて……お茶請けが揃ったであろう頃に伺うわ…………。フロント係の皆には、客室係に応対を交代するようにも伝えてちょうだいね」
かしこまりました!という声も、最初の方までしか聞き取れずに。
体力ゼロの私達アシュリー家一同には、とても考えられないスピードで。
地元民の為せる業なのか……ここマーシュワンプの獣道、悪路をものともせず、みるみる駆け抜けて行った。
仕事が早くて本当に助かる。
私達がホテルに到着する頃には、もう客室係の皆がご対応し、フレーバーティーとお茶菓子に手が付けられ。
一方厨房では前菜が作られ始めている、理想的なタイミングだろう。
重い足を引きずる、そんな猶予すらもない。
両頬を叩いて気合を入れ、自分自身に喝を入れて。
準備を整え終わり屋敷から踏み出したのは、十数分後のことであった――――…………
――――――――――――――――――――――
ホテルに到着したのは、フロント係と客室係の皆が、もうすでにそれぞれの配置に付いている時だった。
馬車係も関所から呼び戻したらしく、いつでも侯爵様を乗せられるよう玄関前に待機してくれていた。
何度も実演練習を繰り返してきた甲斐あってか、もうホテル内部は厳かな落ち着きを取り戻していた。
あれこれ考え込みながら来たが、何も心配することはなかったようだ。
本当ならば正式に関所で当日受付をした方か、もしくはご来訪予定のシャノン子爵家様が最初の接客になる予定であったが……
領主一家がロクに人付き合いができないせいで、突然の接客応対をさせてしまって申し訳ない。
あとでしっかり労いの言葉を掛けたい。
しかし今はそのような時間もないため、小声で礼を述べるだけに留め。
――――侯爵様をお待たせしている一室。
他の部屋とは内装の違う、スイートルームへと。
父を先頭にして足を踏み入れた。
「…………ようこそおいでくださいました、ドートリシュ侯爵様。僭越ながら、アシュリー男爵家一同。参上しましてございます」
父様の声が震えを防ぐべく、必要以上に張っているのがわかった。
両手を腹の位置で重ね合わせ、そのまま頭を下げようとして。
私よりも先に、父は紳士の礼、母はカーテシーで礼をしたのが視界の端に映る。
……まずい!
私もマナーの授業のたびに、毎度毎回……死ぬほどご教授いただいた、カーテシーの姿勢に慌てて切り替える。
叙爵式の時は「貴族に取り上げてもらった、『平民』が感謝の意を示すため」。
また、まだその時点では貴族となっていなかったために、平民の礼を取る選択をした。
だが現在はこれでも一応貴族の端くれなのだ。
私達が対等で平等だと思っている領民の皆にならばまだしも、高貴な方に対し、身分に適した挨拶をしないのは無礼にあたってしまう。
相当ぎこちない不格好なカーテシーになったと思う。
視線を落とし、できるならば目を閉じて礼をするのが好ましいと教わった。
気を抜くのも失礼極まりないので、講義に忠実に。
淑やかさを意識して床を見つめ、暫くの間瞼をつむっていたが…………
……それは、視界が完全に閉ざされてしまうということ。
目の間にいらっしゃる侯爵様は、いったいどのような目で私達を見ておられるのか……?
想像するのは……顔を上げた時に真っ先に降り掛かるであろう、火矢の如く厳しく、――――鋭い目付き。
先程オリバーが言っていた。
「侯爵様は無駄なことがお嫌えな方ですから。アシュリー家の皆様方が同じくお好きでないような、ダンスだとか世間話だとか。そういったことに付き合わせるおつもりではねえはずです」と。
…………ただ粛々と叱られ、淡々と身分剥奪を宣告されるのだろうか?
恐ろしさに身がすくむ思いだった。
何時間も経過したように感じられたが、おそらく数秒の後。
やがてゆっくりと上体を起こし、恐る恐る目を開く。
すると、そこには。
「ご足労いただきすまない。壮健のようで何よりだ、アシュリー殿。いや、もうその呼び名は失敬に値するな。
――――久しいな、アシュリー卿よ」
目を合わせた瞬間、拍子抜けした。
エルトのさらに北へ。
深い森の奥、木漏れ日あふれるシプラネ地区と同じ色。
悠然と揺れる木々のように輝く、森緑の色を穏やかに湛える。
目を細め、口元は緩やかに弧を描き。
柔らかに笑んで、こちらを見つめる。
お優しそうな老紳士の姿がそこにあった。




