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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
36/91

秋晴れの森、青天の霹靂



 暗雲立ち込める昨日からはうって変わり、天は高く蒼映で。

煌々と日輪が浮かび上がる。

紅化粧の森を遥か突き抜けて、遠い山々の向こうまで続く清爽の秋空は。

喩えるならば広大な宮殿の、なめらかな青の天井が敷き詰められているかのよう。


日を追うごとに勢いを増し、一吹き……また一陣。夏の面影を連れ去っていってしまう秋風。

吹き荒ぶ風が運んでくるひんやりとした空気が、肌に冷たく感じる錦秋の候。


突き刺す寒さを予想して、皆暖かな装いに身を包んで集合したのであるが――――



赤染めを好む秋の季節は……アシュリー(赤の領主)が統べる、この美しき領地の門出を祝ってくれているかのようで。

まるで春の陽射しのように照る太陽。秋風は凪いで、ぽかぽかとした陽気を柔らかに伝えて。


やがて皆暑い暑いと言いながら、幾重にも着込んだ上着を畳み。余計な荷物を増やすことになってしまった。



 ――――天国のクローディア伯爵様が、祝福してくださっているんじゃないだろうか。


そんな言葉が誰からともなく聞こえ出す。

また同時に、この場の誰しもが。


きっとそうに違いないと。それを確信してもいた。



 樹木の葉から差し込む日の光と、光から陰に性質を変える鈍い沼の反射をいっぱいに浴びて。

組み木がその魅力を存分に引き立てる、森にそびえる煉瓦の城。

"貴族ぐらしの宿"――――『ホテル』。


領地に住まう者の実に全員が、今この場へ集結していた。



「皆さん、お集まりいただきありがとうございます!今日は私共からの慰労を兼ねての、ほんのささやかなお礼です。どうぞごゆっくりお過ごしください。

では、これからの決意もここに表して。――――乾杯チアーズ!」

 


乾杯チアーズ!!」


この地の現領主……ヴィンス・アシュリー男爵のかけ声と共に、湧き上がる歓声。

場は一斉に華やいで、静かな森の領地は、たちまち熱気と興奮に包まれた。





 これから領地の仲間として働くことになる料理人さんたちのお披露目もあるため、雨天でも決行するつもりであったのだが。

こうして晴れやかな青空の下で、皆でこの日を迎えられて本当に良かった。


今日は10月1日。


私達は今、「貴族ぐらしの里」開幕記念式典。そして、商売繁盛祈念式典を絶賛開催中である。



――――――――――――――――――――――――



 昨日はあれから、両親立ち会いのもとで。

正規職員として新たに雇用した、ジェームスを始めとする若者たち5人に対し、最初の仕事を依頼した。



仕事の内容は、領民全員に記念集会を告知してもらうこと。



正確に伝達さえしてくれればどのような手段でも構わなかったが、彼らは「一人ひとり居住地近郊の担当エリア内に伝える」ことにしたらしい。


――――ヒューゴはアイヴィベリー地区の全域、オリバーはフォード家からダンナム家までな。じゃあオレはラズ・クラン地区と、住人の少ねえマーシュワンプ地区の2つやる。そんならラルフは…………。


それぞれの担当を時間もかけず決め、順序良く計画を立てていた。




 彼らは手早く、正確に仕事をしてくれる。


無理を通すことや相手に負担を押し付けることは決して無く、お互いの間には確かな尊敬の念(リスペクト)がある。

互いに信頼し合っているからこそ、もめることなく順調に進めてゆける。

仕事を本当に効率よくこなすためにすべきことを、知らずに会得しているのだろう。


話がまとまったようだったので、その時点で解散とした。

多分最も効率の良い分担が設定されたのだろうし、彼らのことは心から信頼している。

隙なく無駄なく突き詰めて物事を進めてゆくため、そこに他者が口を挟む余地もないのだ。


重ね重ね感謝を伝えられながら、意気揚々と森を抜ける彼らの背中を見送って。

翌日に備え英気を養うためにも、私は自室エデンへと引きこもった…………。





 都合のつかない人はどうしてもいるだろうから、多少の欠席者は見込んでいた私達一家。

良い意味で予想は裏切られることとなる。

一人の欠けも出すことなく、領民の皆が集まってくれたのだ。



…………の、はずだったのだが。


会話の流れの中で、今日ここに呼ばれた理由が。

皆に集まってほしいそもそもの目的が、領民のほとんどに全く伝わっていなかった事実が判明した。




 状況を整理していくと。領民の認識、情報量には差があり、


「『明日10時、ホテル前に集合せえ。一家総出で準備して、雁首揃えて来い』と言われて来た」という勢力。

うち、「決闘だと思った」が52%、「遠足だと思った」が48%。


第2に、「『オレ正規職員になったんだで!すげぇべ?な、すげぇべ!んでな、明日10時集合な!来れなかったら良いから、ホテル前に来てな!…………オレ、今日から正規職員なんだで!』とまくし立てられて来た」という勢力。

「よくわからないが、遊んでほしいのかと思った」が98%を占めた。


このように、認識が大きく2つに分類されることがわかってきた。



全然伝わってねーじゃねーか!!



思わず声を荒げてツッコミそうになったが、すんでのところでそれは堪えた。

……「ホテルプレオープンのお祝い」という正しい目的を理解していたのは、統計の結果、実にわずか数%。


足りない言葉や感情を読み取って、その裏の事情を推測できる彼らのご家族たち。

そして、ジェームスに伝言を伝えられた住人だけであった。





 もう話を聞いただけで、どれが誰によるものなのかがわかる。




端的に最低限の情報だけを伝え、あらぬ誤解を生んだのはバートとオリバーが担当した地区の住人だ。


二人共、クールだからなぁ……。

正規雇用された喜びを懸命に抑え留めながら、伝言の任務はしっかり果たそうとした結果、言葉足らずになってしまったのだろう。


集合時間と集合場所という必要事項は伝わっていたが、決闘だと思って来た人は警戒心と緊張感を顕わにして来ていたし、奥さんや子供に革素材のものをたくさん着せて防具にしていた。護身用と思われる武器を持たせている人も。

また遠足だと思って来た人は、テンション高く家族揃ってリュックと登山靴の完全装備で現れるという、傍から見る限りは面白い事態となっていた。


二人の地区の領民たちが口を揃えて言うのは、「ただならぬ圧を感じた」ということ。


それを何か嫌なことがあったか、自分への殺気かと読んだ人は決闘を想起し、「何か知らんけど良い事あったんだな、この仏頂面する時はコイツが喜んでる時だ」と読み取れた人は、遊びに行くという連想をしたのだな、と推定できた。



そのため10時時点において、テナーレのファンティム通り地区とエルトのラズ・クラン地区、マーシュワンプ地区の住人たちは。

暖かい服装であることに相違はないが、皆が思い思いの格好。

そしてそれぞれがバラバラのテンションでの集合となった。


……この三地区の誤解が解けるまでには、時間を要した。





「何がなんだかさっぱりようわからんが、機嫌が良いことと10時にホテル前に行けば良いことだけはわかった」と頭に疑問符を浮かべたまま来てくれたのは、ラルフとヒューゴが担当した地区の住人である。


伝えるべきことは伝えてくれたようではあるのだが。

とにかく終始嬉しそうにしており、大はしゃぎしていたそうだ。


「アイツらがまだチビだった頃を思い出した」と、おじいちゃんとおばあちゃんたちはほのぼのしていた。

彼らと歳が程近いが、グループが違うらしい若いご家族なんかは、「で、何して遊ぶよ?」と遊ぶ準備万全で来ていた。



完全に遊んでほしいだけだと思われている、この二人……。

…………完全に子供扱いされてるじゃないの……。

「遊んでほしくて声掛けて回るわきゃねーべ!」とキレていたが、そういう解釈をされても文句は言えないだろう。


それに可愛いからね、この二人は。

ヒューゴは成人男性ながら、幼女の私から見てもどことなく可愛らしい雰囲気があるし。

ラルフは感情と連動して、犬耳にしか見えない髪がぴこぴこ動く。高速ぴこぴこ。

あまりにも可愛いので、ジェームスに持ち上げてもらいながら頭をなでさせてもらったこともある。私には怒らないし。



そうして、エルトのアイヴィベリー地区とテナーレのポンド・ウィスト地区の住人は、老若男女を問わずとりあえず遊ぶ気満々。

やる気と熱気に満ちて集結したのである。

なんだこの状況。


まあ今回は勘違いなわけだけれど、これから様々なイベントを企画していく過程で、皆のその気概、その若い心は必ず役に立つ。大切にしていきたい。

子供たちは遊ぶ準備万端で連れて来られていたので、やがて大人しくしていられなくなったのか。

小難しい話を始める周囲の大人にはお構いなしに、鬼ごっこなどをして遊び始めていた。




 「今日は男爵様方のお心遣いで、プレオープンのお祝いの会を開いてくださるんですってな。ほんに有難いこってす」


そう言いながら、テナーレのカンファー地区の住人たちが続々と集まって来た時には、逆に驚いてしまった。

意図した通りのことをちゃんと認識してくれている!と。

ジェームスの担当地区、彼のご近所さんたちだ。


流石リーダー。唯一の伝言ゲームの成功例だった。


そこからお客様と従業員の領民で参加者を募り、大型伝言ゲーム大会をするのも楽しそうだな、と思い至る。

いつか実現させても良いかもしれない。






 そんなこんなで、すでになんだか収拾のつかない状況。

非常にカオスな雰囲気での開幕となった。



「皆さん、よくいらしてくださいましたわね。お忙しい中、ご都合を付けるのも大変でしたでしょう?」と母様が問うたが、皆が言うには。

「よくわからねえまま来たけども、あんの悪友共5人が呼んで回るってことは、そもそもがアシュリー男爵家のお望みだっつうことにまず間違いはねぇから。たとえ目的がなんであれ、皆様方のためなら当然全員集まります」


――――そのように、嬉しい返事をもらえた。


辺りに温かい空気が流れるのを感じた。でもそれは、決して気分や感覚によるものだけではなかったようで。


小春日和の暖かな風。祝福の風が、皆を一斉に包み込む――――。




全領民に状況を説明し、改めて今日の目的を伝え。

もう11時に差し掛かる頃だったか、ようやく全員が事情を理解した。


そのあとは私達家族や使用人、領民皆で和気あいあいと。

今日までの苦労や、ホテルが完成した時の言いようのない感動、また恐縮する一方だったが……アシュリー家に対する感謝の思いなどを聞かせてもらったりしながら、楽しい会話が続いた。

いや待てよ、お喋りするために皆を集めたわけじゃない、と父様が気付いてくれたのは、だいぶしばらく経ってからのことであった。



あふれるグダグダ感が否めない中、話は冒頭の父様の挨拶へと戻る。





 軽食をつまみながら歓談し、お酒が入り始めてきた頃。



領民からちらほら訊かれ始めた。

「ところであの5人が『正規職員』になったっつうのはどういうこと?」と。

最初に質問をもらうまで考えてもいなかったのだが、当然の疑問だった。

ご年配の領民たちは、ジェームスを始めとする5人が私にこき使われ…………いや、私達アシュリー家に見込まれ、働き始めるようになった経緯を知らない。

皆にとってはとっくに彼らは「正規職員」であるという認識だったはずなのだ。


ふと視線を感じた方角へ目を遣ると、ヘレンさんやサラさんたち、彼らの奥さんたちが申し訳なさそうな表情でこちらを見つめ、頭を下げているのが視界に映る。

なんとなく事情を知っている他の若い世代の人たちは、どこか居心地悪そうに苦笑していた。



今では真に信頼している彼らの傷口を抉るかのように、「実はあの5人は以前私達に石を投げてきて…………」と別に気にしてもいない過去の話をバカ正直に説明するのも気が引ける。


そのため、「今までは試用期間だったんです!試用期間を満了して、これからも領地の最前線で働いてほしいと思ったから、もっともっと良い待遇とお給料で本採用することにしたって話よ!」と真実に10%くらいの嘘を織り混ぜた、良い感じのことを言っておいた。


おじいちゃんたちは、「なんだ、そうだったんかい!がったな、おめぇら!」とそれで納得してくれた様子で。

若者たちの肩を抱き、自分のことのように嬉しそうに彼らを祝福していた。


その後も特に深く聞かれなかったので、嫌な話を蒸し返すことなく、無事この件は円満な形で収束した。






 越冬のための餌集めに駆け回る森の動物や鳥たちが活発になり始め、沼を彩る睡蓮が眠りから覚めて花開く時分。


うちの料理長シェフ、ギリス主催。

ホテル勤務になる料理人さんたちの発表と自己紹介が行われた。



まずは、副料理長スー・シェフがお二人。


ギリスと同じく、前菜から肉料理まで総合的に作れ、監督能力もある人たちだ。

一人は、ある料理店で副料理長スー・シェフになりかけていた人を直前で発見。よりハイグレードの条件を掲げて引き抜いたらしい。

もう一人は、実力は十分であるのに出世の機会に恵まれずにいたところを見抜き、抜擢したそうだ。


彼ら三人のうち、毎日誰か一人が必ずシフトに入ってくれる。

これなら全従業員完全週休二日制も維持できて、彼ら労働者側も無理や負担なく働ける。

また実力ある責任者が常駐するので、いつも変わらず高品質の食事が楽しめる。



続いて、ソテー担当(ソーシエ)さんが一人。


目を輝かせて将来性があるとギリスが語っていた、女性コックさんだ。

彼女にももちろん週休二日制は徹底する。

シフトに入らない時は、後述の肉料理担当ロティシエさんがその代替を務めるようである。



肉料理担当ロティシエさんは全部で三人。


そのうち、女性ソーシエさんの代わりを務めることも有り得るロティ部門長が一人。

残る二人のうち一人は、肉の調理(ロティシエ)直火焼き(グリラーダン)を兼任。

もう一人は、同じく肉の調理(ロティシエ)と、揚げ物料理(フリティリエ)を兼任してもらう。



前菜料理担当アントルメティエさん、野菜担当レギュミエさん、スープ担当(ポタジエ)さんはそれぞれ一人ずつ。

この三つの分野は同じ部門に属するため、これらの料理人さんは各専門を極めるために、どれも必ず修行するようで。

よって、この三つのうちなら専門料理以外でも作ることができ、シフトも上手く回していけるそうだ。



魚料理担当ポワソニエさんたちと、お菓子担当(パティシエ)さんたちは二人ずつだ。

お菓子担当(パティシエ)さんは一人が男性、もう一人が女性。

彼らには3勤1休、交代交代でシフトに入ってもらう。





 この充実した、完璧なる布陣。

アシュリー男爵領のグルメ列伝が、今幕を開ける!



紅二点で実に華やかだ。

アトランディアでは双子神のもと、尊き二柱の下に属する人間は全て平等という意識が根付いており、男女の待遇に差はない。

男性職人にも負けないその素晴らしい才能と実力を活かし、ぜひとも活躍していってほしいものである。


ひっそりと穏やかな、若い人口の少ない領地。

新たに加わる仲間を、領民の皆は優しい笑顔と盛大な拍手で迎えていた。

少し懸念していたが、この様子では打ち解けられる日も早そうだ。



――――この領地は、きっとこれからどんどん豊かに。

住む人も……そして訪れる人も。

皆が毎日笑って過ごせる土地になっていくだろう。

独り、そう確信していた。





 盆と正月が一緒に来た。そんな表現が相応しい盛り上がり。

お酒のペースが早く、もはや昼間から完全に出来上がっている人もちらほら。


やがて時計が頂上を回った頃、本日のメインイベント。

料理人さんたちによって、舌も喉もとろけてしまうような美食の数々が振る舞われる。


極秘で計画を進めていたかいがあり、突然のサプライズは成功。

皆とても驚き、喜んでくれた。


しかし、料理人さんたちの方が一枚上手で。

アシュリー家には別に料理を用意していてくれたり、予定にない珍しい一皿が揃えたりもしてくれており、私達を完全に出し抜くサプライズを仕掛けていた。

主宰者側である、私達の面目はまるでなかったと言える。



もう、何を口にしても美味しいの一言。

フォークを運ぶ手が一秒たりとも止まらない。

ほっぺたが落ちるとはまさにこのこと。ほっぺたがいくつあっても足りやしない。


次から次へと新しいお皿が運ばれてきて、舌鼓を打つ音は暫し止むことはなかった。

いつかそのうち、誰かが時間を確認して。皆で仰天した。

気付けば2時を過ぎており、私達は2時間あまりずっと食べ続けていたことになる。



美しい自然、貴族気分の優雅なひととき。

そこに名門貴族家さながら、贅沢至高のこの料理!

ギリスに料理関連の全てを一任して良かった。


…………いける。私達は、観光業のみならずグルメ界でも覇権を握る日がきっと来る!




そして……。

私ごときが売れる予感を察知している時に、生まれついての商人である両親が何も感じていないわけはなく。


手と口の動きは止めずとも。

鈍く光を放ち、商魂がギラリと燃え上がる。

血に飢えた獣の如き瞳をしていた――――。



予測と分析に優れる二人が睨んだのであれば、私の期待にも間違いはないだろう。

接客やコンセプト面だけではなく、料理も武器の一つにしていける。


皆は謙遜してか……よく「なんもない土地」と言うけれど、とんでもない。

この領地には、希望と「売り」しか存在しないではないか。


他の観光地からも一線を画する、唯一無二の理想郷。

リゾート領地が本当に実現できる日も、そう遠くないかもしれない。






 宴もたけなわ。

満を持して――――今日の目玉、ホテルの名前の発表に移る。



別にそんな指示はしていなかったが、使用人の皆は私が立つためだけのステージを用意してくれていた。

普段仕事がないから仕方がないかもしれないけれど、無駄に手がこんでいた。

登りやすく、平衡で立ちやすい。華々しい装飾がステージ上の人物を引き立てる。

どこに労力をかけているのか。

きっと喜々として作ったんだろうな……。



ベロンベロンになっているおじさん方を始めとした、領民の男性陣から「お嬢様ー!」とかけ声が飛ぶ。

それに片手を挙げて気障に応えながら。

自分ではわりと上手に書けた部類の、カリグラフィーが書き記された巻紙を勢い良く広げ、皆に聞こえるよう声を張り上げて。

得意満面に告げる。


「これから領地の顔になり、シンボルになっていくこのホテル。その名前は!

――――『輝く森緑の宮殿ブリッツェン・ヴァルト・パレスト』!」



おお、とざわめく声が徐々に聞こえ出す。

一拍置いて。ワッと広がる歓声と拍手が場を湧かせた。


若者たち5人は先に知っていた優越感からか、どこか得意気な表情をしている。

ちなみに両親や使用人たちには、今初めて聞かせた。

父様は顎に指を当てて、感心したような顔。母様は領民の女性たちと一緒に、優しく微笑み私に拍手を贈っていた。



ステージから降りた直後に、「何語なんですかいな?」とやはり訊かれる。

ヴァーノン語よ、と答えれば「流石お嬢様は博識でらっしゃる」と過剰に褒め称えられた。

……苦笑いでなんとかごまかしたが、ついここ何日かで身につけた付け焼き刃の知識なんです、とはついぞ言えなかった。

今後いつ何をツッコまれても良いように、もっとあの辞典を読み込んでおこう…………。



感想は上々で。

子供たちは慣れない発音が面白いのか、言葉遊びのように反芻してはしゃいでいる。

"ホテル"ってただ呼ぶよりも愛着が湧いて良いですね、とか。

素敵な響き!お客様にも覚えてもらえます!とか。

他領や元伯爵領の連中に説明したり、宣伝する時に使える。しかもカッコいいから、自慢にもなる……など。



 みんな、どうやら気に入ってくれた様子。


感想の中にもあったように、愛着の形成に役立つのは重要だ。

何かに対する共通の愛着を皆で持てること。

それは働く意欲にも繋がり、土地そのものへのより深い愛情にも変わる。


良い名前を思い付けて良かった。

全てリアムのおかげである。

喜んでもらえて、私が誰より一番嬉しい。




 やがて誰かが、「『お客様……つまり"領主さま"が考えた、自分のお屋敷の名前』ってな設定にするのはどうか?」と発案する。

それ良い!と即座に採択させてもらった。


「これは『輝く森緑の宮殿ブリッツェン・ヴァルト・パレスト』という名前の、当領地独自の『ホテル』という宿です」と説明すれば、確かに事実はそうなのだが、なんだか味気ない上に「そのお客様の領地であり、屋敷」というコンセプトが揺らいでしまう。

自分の住む屋敷であるはずなのに、自分の知らない名前が付けられているのだから。


だが、たとえば「このお屋敷……輝く森緑の宮殿ブリッツェン・ヴァルト・パレスト。領主さまが数年前名付けられましたよね」といった風に演技をすれば。

"ホテル=領主であるお客様の屋敷"というコンセプトも決して崩さず、素敵な名前を暗に説明し、PRすることで、お客様にもホテルに対する愛着を持ってもらえる可能性が高まる。

再訪にも繋げていけるかもしれない。


やはり、私達だけで引きこもり首をひねって考えているよりも、皆と話をすることで思ってもみない意見を引き出せる。

今後はアシュリー家だけで議論しそれを広報するだけではなく、こうして時折領民と意見を交える場を設けることにしよう。

積極的により良いアイディアを取り入れて、この領地そのものもまた、より良い場所にしていきたい。






 「では皆さん、今日までお疲れさまでした!明日からはまた決意を新たに、気を引き締めて一緒に頑張っていきましょう!」



父様の挨拶と共に、皆で一斉に最後の盃を高らかに掲げる。


現在は夕闇の誘いが間近に迫る、4時を迎える直前。

これ以上テナーレのこの場に留まっていてしまっては、エルトの住民は帰宅に危険が伴うことになる。

暗闇の森は足を取られ、思わぬ事故が起こりかねない。

今日は全領民が集まってくれたので、小さな子供もいる。

無理は禁物だった。


皆それをわかっているので、少しの名残惜しさを滲ませながら。

…………でも、今日は終わりの日などではなく。

期待と発展の始まりの日であることも、ちゃんとわかっているから。


父様が宣言する乾杯の合図が静かな森に響く頃には、皆が満面の笑顔を見せてくれていた。



「皆さん、明日からも我々アシュリー家にどうぞお付き合いください。ご苦労をかける分、私達はあなた方を全力で守り抜くことをお約束します。では…………明日からも、よろしくお願いします!

――――乾杯チアーズ!」


乾杯チアーズ!!」



クローディア伯爵様から受け継いだ、この美しき森の領地。

アシュリー男爵領。


晴れの門出の祝祭は、大歓声と大盛況のうちに幕を閉じて。

また……きっと大陸中から愛され、後世にも大陸一のリゾート地と名を遺すことになる伝説は。

この瞬間――――華々しく幕を開けた。




―――――――――――――――



「シャノン子爵家ご一同様、14日ご来訪。ユール男爵家ご夫妻様、16日ご予約。シャノン子爵家は確約。ユール男爵家は前々からご予約を入れてくださってたわ。楽しみにしていた甲斐があった、って思ってもらえるようなお出迎えをしましょう!」


「中旬から一気に忙しくなりそうね。15日時点で空室3部屋。……当日チェックインをお断りせざるを得ない日も出てくるわ……。あとでこのリストをバートに渡しておきましょうか。10月中での予約状況は、あと…………」





 プレオープンから早5日が経った。

予約は順調である!


10月と11月分、すでにかなりの件数の予約をいただいている。

しかしまだ実際の来客は一人としておらず、私達は予約整理とお客様カルテのフォルダ作りに勤しむ一方。

領民の皆は馬車の運転を練習し直したり、交代制でロールプレイングの接客練習をしたりなどしているようだ。




 現時点でご予約をいただいているのは、子爵家や男爵家の下級貴族が中心。あとは、失礼ながら家名を存じ上げない伯爵家からもぽつぽつと。

平民階層からの予約はまだ1件もない。


まあ、それは当然のことなのだ。

最初のうちは貴族しか訪れないだろうことも含めて、全て予測済み。

地球で観光業を始めるのとは違い、致し方ない部分でもある。



これが地球であるならば、オープンと同時に各自治体の観光協会に登録したり、街のホームページに掲載してもらったり、あとはWEBデザイナーに依頼して素敵なサイトを作ってもらったり。

口コミサイトやSNSに公式アカウントを開設したり、はたまた取材申込をして雑誌に自ら取り上げてもらったりと、経営側がやるべきこと、できることは山ほどある。


だがこの双子神が創造したのどかな大陸、アトランディアでは。


訪れてくれた人に精一杯のサービスを行って気に入ってもらい、口コミでじわじわと評判が広まってくれるのを待つしかないのだ。

広告という概念もない以上、口伝していく以外に広報のしようもない。



今ご予約の入っている貴族家は、以前アシュリー家にお茶会などの招待状をくださった方々だ。

招待状をいただくたびに、オブラートに何重にも包み、優雅にやんわりとお誘いを断りつつ。

「貴族"気分"、高級"気分"の宿という、身分に関わらずお楽しみいただける新しい観光事業を始めますので、もしよろしければ…………」と厚かましくも宣伝を盛り込み返信していた。


そのうち、「あ、コイツら誘っても絶対来ないんだな」と徐々にご理解いただけたらしく、招待状が来なくなる代わりに。

こうして一通、また一通と宿泊予約をくださるようになっていた。

来ないくせに何を図々しい、と憤慨されても仕方がないくらいだが、今のところそういったお叱りの声はまだない。

実に興味深い、妻と伺うのを楽しみにしておりますよ、と人格のできたお手紙ばかりをいただいている。


何かなければ極力引きこもって生きていたい私達アシュリー家ができる宣伝は、手紙を出す。その程度。

平民の人々には知らせる余地がないのだ。


それにここは新興貴族領であり、新興事業地。

この領地がどのような土地柄なのか、まだまだ信頼性がないと言って良い。

安価を謳っていても帰る直前にぼったくられたり、身分や身なりで品定めしてくる宿かもしれない。お客様の視点に立ってみれば、嫌な危険性は否めないのだから。

領民の皆が知り合いに広めてくれたり、今ご来訪予定の下級貴族の皆様方……つまり彼らにとっての領主さまが、ご自分の土地の領民たちにとても良いところだったよ、誰でも安心して泊まれる宿だと太鼓判を押してくださることで、いずれ平民のお客様からもご予約をいただけるのを期待している。


私達に(外出はせずに)今できることは、来てくださる方一人ひとりに真心を尽くしたおもてなしを徹底すること。

それに尽きるだろう。



あとは予約待ちだけでなく、当日にフラッと宿泊してくれる方が増えると良いなぁ……。





 ゆったりソファデスクに腰かけながら、近い未来の展望に思いを馳せていると。



ドアノッカーがけたたましく鳴る音が、ピアノ線を伝い屋敷中に響き渡る。

風や動物によるものではないことは明らかで。来客、それもよほど緊急性を告げることを意味していた。


使用人の皆は出払っており、屋敷にいるのは私達家族三人のみ。

パーラーにいた私と母様が立ち上がり、数歩を踏み出したのとほぼ同時に。

破裂音を轟かせることを警戒していたドアは、想定に反し静かに蝶番を半回転させた。


理性がこの屋敷の住人と、以前の立派な主(クローディア伯爵)を思い起こさせ、勢いのままに開け放つつもりであった手を直前で緩めた。

……そんなところだろうか。

そして、その予想は当たっていたようで。



扉の向こうにいた人物は、錆付いた歯車の回るように開かれる音には……あまりに似つかわしくない状態で、そこにいた。


そこには両手を膝に当て、肩で息をするオリバーの姿があった。



 「オリバー!どうしたの、何かあったの?誰かがケガをしたとか……?」


駆け寄り声をかけるが、彼は枯葉が舞うような喘息めいた音を不規則に繰り返しており、息を整えるのにやっとの様子。

やがて書斎にいた父様も玄関へとやって来て、オリバーの姿を見るや慌てて背中をさすっている。

まだ荒い呼吸の中、彼は必死に声を絞り出して告げた。


「……っ今、ホテルにお、お客様がいらしてまして…………はあっ、ラルフたちフロント係の連中が、た……対応していやす!」


「まあ!初めてのお客様ね!ご予約の方より先に当日チェックインが入るとは思わなかったわ。一番日当たりの良いお部屋をご案内してあげて」



てっきり吉報を伝えに急いで来てくれたのかと、喜び浮かれて業務指示を出す私。

しかし、事態はそのような呑気なものとは相対していたらしい。

切れ切れの息では咄嗟に声を出すのも難しいらしく、片手を制止するように挙げて、遅れて首を何度か横に振り。否定の意を懸命に返すオリバー。



「……違ぇんです!………あ、アシュリー家の皆様方に、っご……ご挨拶をぜひしたいと!んで、許可を得るために……フロントの連中が今場を繋ぎ止めてて」


「ああ、そういうことだったんだね。でも以前、実際の領主である私達への面会要望は全部お断りすると伝えたはずだよ。私達が接客の表舞台へ出てしまえば、領主気分を味わうコンセプトが台無しになってしまう」



そう。オリバーを始め、晴れて正規職員となった若者たち5人には前々からその旨を伝え、共有していたはずだった。

……まあ実際には、それは私達が屋敷から出ずとも済むための上手い建前に過ぎないのであるが。


『この地の領主貴族家にお会いしたい』と、素性は知らないがとにかく"貴族"に挨拶をし、人脈作りをしたい方。

『アシュリー男爵家にご挨拶がしたい』と、私達の身分や存在を知っている方。

そのどちらも、「何を仰るんですか!この土地の領主はあなた様でしょう。アシュリー男爵なんて、そのような方はいませんよ」といった対応をしてやり過ごす。


対応接客マニュアルも渡しており、そもそも他の領民たちにその対応如何を知らせてくれたのも彼ら5人だ。

理解が早く役目に忠実な彼らがそれを一切忘れて、私達に取り次ごうと駆け込んで来るだなんて考えられないのに。




 母様が私の思いと似たようなことを問いかける。

呼吸音が段々と規則的なリズムを刻み、少しばかりの落ち着きを取り戻したオリバーは、いつになく真剣な青ざめた表情を向けた。


「いや、誰か他のお客様であれば呼びには来やせんでした。でも今は話が別なんでさ!お願いしやす、今回だけはお会いになっていただけやせんか!」


彼の身を掻き立てるような焦燥は、上擦る早まわりの口調からこちらにも伝わってくる。

命令違反だとわかっていて。ここまで息せき切らしてまで、呼びに来るべき相手とはいったい?



「オリバー、一回落ち着いて。今いったいどなたがいらっしゃってるの?」


「はい!……北部領主、ドートリシュ侯爵様がお見えです!」




――――ドートリシュ侯爵様。


エルトの森の北側、かつて同じクローディア伯爵領だったシプラネ地区を併合した、広大な地を治める老齢の貴族。

領主貴族ロード・ノビリティーではなく、大臣として国政に携わる諸侯貴族ロード・フューダー様である。


生命を賭して稼いだ血税を代官に詐取され、幼い子供たちの生命の灯火を失いかけたこの領地。

国の代表として、ドートリシュ侯爵様が御自ら領民へお言葉をかけ。丸一年の納税免除を言い渡された。

心が溶かされ、癒されていく思いだった――――


そのように領民たちから伺っている。



伯爵様を突如として亡くし、ことごとく裏切りの痛みだけを味わわされてきた皆にとって、きっと心の第二の領主であり、父のような存在でもあるのだろう。

家族や友人の暮らす土地の、実際の領主さまでもあるのだから尚更だ。

呼びに来るのも納得がゆく。


以前に話を聞いただけの私達でさえ、心から感服し尊敬しているほど。

貴族の鑑のような。真に素晴らしい人格者なのだろう、と。

いつかお顔を拝見して、領民に代わって改めてお礼をしたいと話し合ったこともある。



…………だが。

今その機会を目前にして、私にはとある疑問が頭をもたげていた。


父様をちらりと見ると。

どこか顔色が悪い。……おそらくは、私と全く同じことを考えているのではないか。

今の今まで、私達はいったい何をしていたのか――――

そんな表情だ。


私が口を開くよりも、母様が疑念を発する方が早かった。


「…………ねえ、あなた」





「ドートリシュ侯爵様って。――――リアムを保護して預かっていた、あの晩。あなたの取り調べをなさったって言う、……あの――――?」



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