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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
35/91

誤解と和解と、幕開けと

■第一章の話数が想定を越えてしまったので、今話までを第一章とすることにしました。




「ん?……と、いうわけで……。貴方たちには新たに雇用契約を」



「ちょ、ちょっとお待ちくだせえお嬢様!!事業も始まるって時に、ようやっと人手として使いもんになってきたって時に!今クビ切られたらオレたちゃどうすりゃ良いんで!?」





 本題に入ろうとしたちょうどその折に、バートの悲鳴に近い訴えによって遮られる。



5人全員での絶叫にも驚いたが、「何か新しい面倒な仕事を押し付けられるのか?」

……そういう類のものだと思った。

そのくらいの誤解は予想していたので、反応が少々大げさだな、程度に考えていたけれど。



未だかつて聞いたことのないほどの、普段冷静沈着な彼からは想像できない声量だった。

身体が硬直し、つい口が止まってしまう。

彼は他の4人よりも早く意識がこちらへ向いていたために、反応に移るのも早かったらしい。





 ……いや、でも「ちょっと待って」はこちらの方だ。

今なんだか、聞き捨てならない単語が耳を掠めた。


クビを切るって何の話?







「バートの野郎の言う通りでさ!この世に産まれて初めて、"充実して安定した暮らし"っつうもんを手に入れた、……いや、お嬢様のおかげで与えていただいた矢先に……!お願いです!なんでもいたしやすからクビだけはご勘弁を!」



「嫁と子供を食わしていけなくなっちまいます!なんも関係ねえ仕事でも構いやせん、下働きでもゴミ漁りでも、なんでもやってみせましょう!ですからどうか…………!」




 



 オリバーとラルフによる、畳み掛けてくる口撃。

額に玉の汗を浮かせる彼らの焦りよう、あまりの語気の強さや勢いから、何かとんでもない誤解をされていることはわかった。



「待って、みんな待って!話聞いて」



張り上げたつもりの声も、皆の熱量にかき消されてしまう。

どうしてこんな事態になっているのか。



私はただ、「刑期は終了」って言っただけでしょう!







 いつの間にか無意識に立ち上がったまま、いよいよ収拾がつかなくなり始める。


タイミングを見計らい割って入ろうとはするのだが、私の不用意な発言に混乱するばかりの皆に、声が届いてくれることはなく。

私はただ口をぱくぱくと動かし立ちすくむだけで、未だに一言も発することができずにいた。




 そこで暫しどこを見つめているのか、斜め下を向いたまま独り無言だった、後にして思えば放心していたジェームスが、私の戸惑う様子に気が付いてくれたらしい。


目に光が灯り、「おぉら!お前ら少し静かにせえ!お嬢様がお話しされたがってんべ!」と声を上げてくれた。





その言葉にハッとした様子で、たちまち水を打ったように静まり返る。

先程までの喧騒が嘘のようだ。


驚いて、というわけではなく、それはきっとジェームスへの信頼。

ジェームスの声にはそれだけの発言力と影響力があるのだろう。

リーダーである彼の号令に瞬時に従うことが、身体に染み着いているのもあるかもしれない。




流石は最年長。領地の兄貴分である。

……この弟分たち。普段は悪態をついているものの。

今でも内心では彼を尊敬し、慕っているんだろうな。







 やっとまともに話ができる。

「ありがとう、助かるわジェームス」と礼を言った上で、複雑に絡み合ってしまった糸をほどくべく、弁解を始めた。




「何を誤解してるのかはわからないけど、もう一回言うわよ!私は『刑期』の終わりって言ったの!義務として働かせるんじゃなくて、これからは『正規職員』として。お仕事に応じたお給料と待遇で、新しく雇用しようと思ったのよ!」



「…………へ?」





 そもそも当初の予定では、ホテルが完成するまでは領民に働いてもらうつもりはなかった。



私達は新しく赴任した領主貴族ロード・ノビリティー


受け入れてもらえるのか、どのような土地柄なのかも定かではなかった。

実際に最初の挨拶回りで、どことなく居心地悪い雰囲気を感じ取った矢先の、リゾート化計画の発足だった。




 ちょうどそのさなかで起こった投石事件。


彼らの事情を踏まえ、王都送りや投獄は避けた。

そもそも私は別に怒っても怖がってもいなかったし、幸い怪我という実害もなかった。

あの場において、決定権は私にあったと言えよう。



むしろそれまでの領民が感じてきた思いを知り、同情の念と代官たちへの憤りを強めた。


病み上がりの子供を抱え、衝動的に行動してしまった若者たち。

彼らを見捨て、放り出すことはできなかった。

かと言って無罪放免にはできず。




だからこそ、処罰でありながらも領地や家族のために働ける、「労役刑」に処すことに決めたのだ。







「いい?『労役刑』っていうのはね、賃金を支払うことすらも義務じゃないの。執行者……今回の件なら私達一家ね。罰を受けさせる側には、タダ働き・長時間拘束だって認められてるのよ。現に貴方たちには、結構な低賃金重労働で働いてもらってたでしょ?」




「いいや、んなこたあございやせん!出稼ぎに行きゃこんなもんじゃないですし、命の保証もない。生傷も骨折も日常茶飯事でさ。むしろお嬢様にあんだけのことを仕出かして、こんなぬるま湯で暮らさせてもらって良いのか、って議論したこともあったくらいで!」



「いったい何をもって低賃金だなんておっしゃるんですかい……!10代も半ばから色んな仕事をしてきやしたが、こんなに稼げて、こんなに良くしていただいたのは今が初めてでさ!」




 

 ……わりと真剣な話、顎でこき使ってきた自信がある。

だが私の問いかけを、ジェームスとヒューゴが真っ向から否定する。


つい私は地球における常識から考えてしまうけれど、この世界の観点ではそんなこともないようだ。





 今彼らに述べたように労役刑というものは、劣悪な労働条件も法律で認められている。


理由は簡単で、雇用ではなく刑罰だから。



「賃金を()()()()()()()」とも認められてはいるが、受刑者と正式な労働者との区別を明確にするため、また苦役を課すことで罪を自覚させるために、むしろ無給の場合の方が多い。





 しかし、この若者たちの場合は事情が違う。


一番の被害者であると言えるのは私だが、私を傷付けようとする目的ではなかったことは明白。

あの行動の根底には、家族や仲間を心から思う気持ちと、やり場の無い怒りがあったのだ。




それにこれは私達家族固有の信念になるが、「見返りのない労働」を課すなど、いっぱしの商人としてとても許容できるものではない。



――――時間とお金、労働力の適切な投資。

それらが巡りめぐって、いつか利益となって返ってくる。

労働者と取引先の扱いは、その資金力によらず、全て等しくあれ。

労働者というものは、商家の資産のひとつ。

護り大切にしてこそ、商人としての矜持である。




両親がよく話し合って決めていた。

やはりいくら刑罰であるとは言え、タダ働きなどさせるわけにはいかない。

彼ら家族の生活も考え、きちんと「()()()」は支払ってあげよう、と。





 よってこの5人には、低賃金ではあるが給与は支給していた。


だがそれも、法が定める限りの「()()()()()」。

労役刑を受ける者はあくまで犯罪者なんだから、0シュクーからここまでしか支払ってはいけません、と決まっているのである。


この世界に最低賃金という概念はないが、言わば最低賃金の反対語だ。






 なぜこれほど私が労役刑について詳しいのかと言えば、いつでも受刑者を受け入れる側になる可能性が存在したから。




刑の執行者は、王都ならば管轄区域の僚人さん。貴族領ならば領主貴族ロード・ノビリティー様。



領主による執行であれば、大抵労務先は領地内。

領地や領主のために働かせることが多い。

その領地の特産品をつくる仕事に長時間従事させる、というのが一般的。




しかし王都となれば、その区域内の商家が受刑者の受入先に完全にランダムで選ばれる。

なんでも、刑罰と実践的な職業訓練を同時並行させることで、刑期を終えた後の早期社会復帰を目的としているらしい。



日本で言えば裁判員に選ばれるのに近いだろうか。



商会があった区域でもし労役刑の受刑者が発生した場合、アシュリー商会が受入先に選ばれていた可能性は十分にあったのだ。

お役人さんの都合で。





 私達の万一の事態も考えられるし、通達が来た時に仕入で長期出張に行って留守にしていることも有り得る。

だからルシア、商会の次期当主として、仕組みをよく理解していないといけないよ。


…………そう言われて、実務に関することなら教育の手間は惜しまない両親から、そのシステムと法について学んだことがある。


結果としてその時は訪れずに済んだ。

受け入れる側ではなく、貴族として執行する側になるとは想像もしていなかったけれど。









そもそも、ホテルの建築は領主の独断でやるつもりだったのだ。



なかなか理解を得られず難航するだろうけど、そこは新領主の権限を最大限に使って。

必ず領地のためになることですから、となだめすかして。

そして完成したあとで、頑張って従業員を探すところから始めよう、と。


何ヶ月も何年も、せっかく建てたホテルを放置してでも。

気長に魅力と有益性をアピールしていこう。


 


…………そんなつもりでいた中での、彼らとの出会いだった。







「さっき言ったでしょう?もし貴方たちがいなかったら、ここまでは来れてなかった……って。貴方たちは罰の範疇を越えて、期待以上に働いてくれたわ。多分、普通に求人募集をかけていたとしても、貴方たち以上の人材なんて来てくれなかったと思うの」





 刑期の終了は、いつだってできた。



最初は同情から。彼らの生活、家族のため。


そして、猫の手さえ借りたかった矢先のこと。

――――「鴨が葱を背負ってやって来た!」

領地開発の人手確保のためだった。


 



 ホテルの建設から竣工まで。加えて、他の領民への説明。


与えた業務はそれだけ。

もっと適当に。手を抜くこともできた。雑な荒い仕上げにすることもできた。

私の目の前でだけしっかりやって、あとはサボっていることだってできたはずだ。




ところが、彼らは毎日懸命に。熱意をもって働いてくれた。



この若者たちは、トップ営業マンばりの解説で領民の皆にリゾート計画の魅力を語ってくれた。

それはもう、説得ではなく希望の共有。

仕事や義務の押し付けではなく、みんなへの夢の提供だった。



貴族屋敷の建築経験を持つ工人さんも捜してくれて、王都への手続きにも行ってくれた。

そんなこと、私達は頼んではいない。自分たちでやるつもりだったことを、先回りしてこなしていてくれた。

おかげでどれだけ順調に進み、なおかつコストも削減できたことか。

「皆さまはごゆっくりなさっててくだせえ」と朗らかに笑って。






 当初の予定なら、この5人と出会っていなかったなら。

きっと今はまだ計画段階。



手続きに必要な書類を準備して、法を調べて。

領民からの信頼もまだまだ得られていないだろうから、できるだけ毎日挨拶回りにも行って。

父様の出仕もあるし、私の家庭学習もあるから、なかなか計画を進めることもできずにいて。

ホテル?まだ建設にすら入っていないだろう。

プレオープンなんて、そんなものは夢のまた夢だったはずだ。




それに比べて、現状はどうだろうか?



明日は皆が待ちに待ったプレオープンの日だ。

これからここはどんどん魅力が広まって、大陸中の人々から愛される領地になる。その第一歩が間近に迫る。

手続きなどもうとっくに終わって承認されており、あとはこちらの都合で運営していくだけ。

ホテルは森の木漏れ日を浴びて堂々とそびえ立ち、想像以上の出来映え。どんなにご立派な貴族様のお城にも負けやしない。

領民の皆は意欲にあふれ、ホテルや関所で働く意志を示してくれている人はたくさん。

もう仮シフト表だってできている。



全部ぜんぶ、この5人が働いてくれたから。

彼らがいてくれたからこそ、手にできた成果ばかりだ。







 元々、建設が終われば打切り。

期間にしてだいたい数ヶ月程度で刑期終了とし、彼らは解放。


そういう予定だった。




ごく普通の受刑者であれば、早期の刑期終了は何より嬉しいことのはず。嫌々やっている辛い労役から解放されるのだから。


こちら側にとっても。罰を与えねばならないため、かろうじて。

苦肉の策での労役刑の提案だった。

受刑者による労働の量、質など、期待するようなものでもない。

それこそ、猫の手。刑罰を理由にして、ほんのちょっとの雑務をお手伝いしてもらうだけのこと。



双方の割り切った関係性。そこで途切れる縁のはずだったのだ。








 ……私達家族は。

もう既に何の名目で彼らと共に仕事をしているのか、その記憶が曖昧になりつつある。




私に至ってはこの間寝ぼけ眼で、そう言えばどうしてジェームスたちに働いてもらってるんだったっけ?面接とかしたんだっけ、と考えてしまっていた。


目が覚めた後に冷静になり、自分に心底びっくりした。



後に両親にこの話をしたところ、二人も近日似たようなことを考えていたことが発覚。

そうだよ、言われてみればあの5人は受刑者なんだった、とその時に再認識した始末である。





私達が能天気一家だということはもちろんあるが、全ては彼らの働きぶり。そして人柄にある。

刑罰とか、そのようなことを忘れてしまうほど。

ずっと昔から雇っていたうちの使用人たちと、もはや同等。

頼れる大切な存在になっていたのだ。





 彼らのご家族……奥さんやご両親は事情を知っているが、領民のおじいちゃんやおばあちゃんの中には「なんかようわからんけど、青二才共が領主さまの大切なお仕事に選ばれ、雇われている」と思っている人も多い。


それもそのはず。

この5人はもう、誰が見たって立派な総合開発職員。

私達アシュリー男爵家の、仕事の大事なパートナーである。




彼らの仕事に対して、現在の待遇は全くそぐわない。

もはやタダ働きも同然と言える。








 「領地開発の仕事以外にも。私の面倒を見てくれることなんか、本来なんにも関係ないことじゃない。貴方たちを見知らぬよそ様が見れば、長年お世話係を務めてきた使用人だと思うわよ」




私はいくらお気楽頭だとは言え、自分に危害を加えるような恐れのある人物に近付いたり、内心では嫌っているだろう人物を見抜けずに懐くほど抜けてはいない。



何も指示せずともパッと動き、努力をしてくれることはまだ仕事の一環と言えるかもしれないが、領主の娘のお目付け役など一切関係がない。

その上、彼らに一銭の得もありやしない。





 それなのに。

私を抱えて移動してくれたり、私の目線までしゃがんで話をしてくれたりと、ほとんど姫扱い。

自分たちの子供と同じように可愛がり、大切にしてくれる。

そこに損得勘定も、忖度もなかった。



私はそうして過ごすうちに、そんな彼らのことが大好きになっていた。


元従業員の使用人たちと同じく、兄か父が増えたような気分でいた。

両親もまた仕事の面以外でも、ひとりの人間として若者たちを信用していた。







 労役刑は、ホテルの竣工まで。

そう決めていた。だからこそ、今日ここに彼らを呼んだ。

それはお別れのためではなく、関係をリセットするためのけじめ。



当初の計画と、現状は違うことばかり。


本来だったらこれでおしまい。

彼らは晴れて自由の身となり、それからは「ただ同じ土地に住まう人」という関係になるはずだった。





――――今日の目的は。



ちゃんと新しく、正しく。


彼らを『雇用』すること!

 






 いつの間にか私達は、刑期など関係なく。


これからも一緒に仕事をしてほしい。

アシュリー男爵領、そしてアシュリー家にこれまで通り仕え、共にいてほしい。


そして、彼らを正当に評価し、それに見合った待遇をしてあげたい――――

そう思うようになっていたのだ。



 これほど領地や領民にとっても、私達にとってもかけがえのない欠かせない存在になっているにも関わらず。

今のままでは最高刑務料分しか支給できないのである。







 「私達はこれからも、貴方たちに一緒に働いてほしい。これからはちゃんとお仕事に応じたお給料でね。それから、今までは受刑者の『身柄預かり』だったけれど、正規職員として身分の保証もできるようになるわ。……お仕事とか関係なく言えば…………。私達家族は、そして私は。これからもずっと貴方たちに側にいてほしいの」




知らず知らず、語気にも手にも力がこもる。

机に乱雑に散らばっていた書類が、一枚くしゃくしゃに握り締められていた。


それにも構わず言葉を続ける。



途中からは自らの感情に追い込まれてしまっていて、彼らの表情を見ることはなかった。


依然として静かな室内。

完全に誤解されていることは今ようやく理解していた。

誤解されるような言葉をかけてしまった私に対し、いったいどんな顔を向けているのか?

不安が嵐のように体を渦巻いていた。





 ……しかし、あとから聞いたところによると。

ただただポカンと。

呆然としているばかりで、無言のまま聞き入るしかできなかっただけだったそうだ。



最初に口を開いたのは、いち早く頭が冷えたのか、普段の冷静さを取り戻したバートであった。






 「……て、ことは…………。雇い止めではないと?明日からまたご一緒してもよろしいんですね?クビじゃなく、新しく雇っていただけるっつうお話で」



「当たり前じゃない!クビだなんて一言も言ってないでしょう……!何度でも言うわ、私はね、『()()()()()』。そう言ったの!そもそもどうして貴方たちみたいな貴重で優秀な人材を、みすみすクビにしなくちゃいけないのよ!」



感情が昂ぶり、バッと勢い良く顔を上げる。

その時、灰色の層模様の瞳でこちらをじっと見据える、バートと目が合った。


そのまま見つめ合うこと、おそらく数秒。



私には永遠とも思える時間だった。でも、目を逸らしてはいけない気がした。


――――彼はきっと、私の目から真意を読み取ろうとしている。

言葉で考えたわけではなかったが、そう感じたから。









 「はぁああ……………」



突然。バートは肺の空気を全て吐き出す勢いで、大きくため息をついた。

場違いにも感じられる、気の抜けたその声に少し驚く。

今の私はきょとんとした顔が隠せていない。



すると、ドサッと全体重がかかった音を響かせ、突如バートが床に崩れ落ちた。

腰が砕けたかのように見受けられた。


いったい何?どうしたの、大丈夫?


そんな言葉が思い浮かびはしたものの、上手く声帯を震わせ声として出てきてくれない。

何事が起こったのか、脳が未だ状況を把握しきれていないのだ。




私が駆け寄り、その身体に触れようとする前に。

うつむきがちになっていた首を後ろに倒したバートが、先に言葉を紡いだ。




「あーー……………良かった、どうなることかと……お嬢様、紛らわしい言い方しねえでくだせえな…………心臓止まるかってくれえ驚いたんですぜ……」



彼の表情は緩み、晴れ晴れとした笑顔であった。

一気に脱力し腰が抜けたという。

首をこてりと傾けたまま、くくくと笑っていた。




バートを見て状況を認識するや、他の4人も息を思い切り吐いたり、肩をガクッと落としたあとつられて笑いだしたりと、次々気が抜けてゆく様を見せた。


風船の空気が全部抜けた。

張り詰めていた糸がぷつりと切れた。


…………そんな様子だった。




バートはこの若者たちの頭脳役であり、司令塔。

私の意志を見抜く役目を、無意識と無言のうちに皆バートに任せていたのだろう。


ブレーンの様子から、これは安心しても良さそうだと判断したらしい。

なんだか、一室に立ち込めていた緊張感が。

春風に吹き飛ばされる暗雲のように晴れ渡ってゆく気配がしていた。









 落ち着いたあとに話をよくよく聞いてみると、やはり私の言い方が悪かったらしい。

誰が聞いてもクビとしか思えないだろうとのこと。


良い意味で区切りの日に。

今日を新たな出発点にすべく呼び出したというのに、これではかたなしだ。



「ごめんね、みんな。今度からは誤解されないような物言いを心がけるわ…………。せっかくの日に嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」と謝る。

申し訳なさが頭を占める。自然と声も落ち込んでしまう。




 それを見た彼らは慌てて私を慰めて、「いえいえ、勝手に早とちりしたオレらが悪いんでさ」「お嬢様は謝ることなんてございやせんから!」と逆に謝ってもくれた。



…………さも当然のように私を抱き上げ、横から頭をなでながら。



空中で身動きは取れないから、ただなされるがまま。

なで回されていることしかできないんだよな…………。







 円満な空気で和解したあとで、まだ話には続きがあるのと切り出すが。


一人は私の脇の下に手を入れ、一人は後ろから空中で支え固定し、また一人はひたすら頭をなで……。

という意味のわからない状態でそのまま傾聴しようとしてきたので、頼み込み降ろしてもらった。



いや、流石にこの体勢に違和感感じてくれよ……。








 「まず、さっきも言った通りこれからは身分の保証ができるわ。貴方たちには"アシュリー男爵家付"の雇用従業員になってもらうから、実質使用人と同格よ。つまり、王都や他の土地に行った時、特におつかいじゃなくても『アシュリー男爵家の使いの者』って名乗る権利。『アシュリー家の紋章』を使ったり、見せたりする権利があるわ」



「おお!それは助かりやす。……もうこれで、あんな緊急事態があったって邪険にされたりする心配もねえわけだ…………!」





 そう、身分の保証。


私達が彼らにしてあげたかったことの最優先事項だ。


前任の代官による横領事件が発覚した折、苦しむ子供たちを置いてはるばる王都まで駆け込み、役所で取り次ぎを求めた領民たち。

初動の対応が遅く、とにかく反応が鈍い。

事務的かつ形式的な態度で、焦燥に身をこがされる思いだったと語っていた。




まあお役人さんたちの立場にしてみれば、民の訴えによって今まさに元クローディア伯爵領の代官の不正が暴かれようとしている時であり、それどころではなく後回しにせざるを得なかった……という事情はもちろんあるだろう。





 しかし、どこの馬の骨ともわからない民が、すぐさまよそ様からの信用を勝ち得ることが難しいのもまた事実。


「この人の話を聞く価値がありそうだ」「この人と接しても危険はなさそうだ」と判断して初めて、人間は他人を受け入れ話を聞く準備ができるのである。



ジルやジニーたち。

屋敷うちで働く執事やメイドたちは、「屋敷の維持管理」「生活の世話」を仕事とする使用人だが、この5人には「領地経営の補助」を生業にする使用人になってもらいたい。


執事やメイド、従者だけが使用人と呼ばれる業種ではない。

『貴族が使用する人間』だから、使用人である。

彼らには私達という「事業者」を補佐する使用人の位を与えたい。




彼らにも今言ったように、そうすれば今後はアシュリー男爵家の名を自由に使えるようになる。


貴族というのは、決して「贅沢放題が許される」という意味ではなく、「身分・地位・人間性・血筋・教育が保証される」という意味で『特権階級』と呼ばれる家系なのだ。


貴族の名のもとにやって来る人間に適当な対応をする人など、この世界にはいない。

平民上がりだからこそよくわかるが、貴族様の使いというのは、平民にとって何よりの身分保証と言える。

彼らはもう、にべもなく突き放されることはなくなるのだ。








 「それから、重要なのはお給料の話ね!今後の基本給がこの額。あと今後は私の目付け役として、特別手当も付けるわ」



そんなんお気遣いなく、と断りを入れられたが、そこは退くわけにいかない。

甘やかしてくれるので私も好きに甘えていたが、その実、商人魂は痛んでいた。

これまでは、全く労働と対価が釣り合っていなかったのだから。



ルシアがあの5人に懐いて楽しそうにしているのを見ると、微笑ましく可愛く思うのと同時に、キリキリと胃が痛くなる。

亡くなった親に痛みで商人根性を教え込まれ、怒られているような気がする………と両親はこぼしていた。




はい、と見積額が記載されている紙を手渡す。

私はあくまでなんのことなしに。軽い気持ちでいた。

耳をつんざく絶叫に再び驚くこととなったのは、その数秒後のことだった。



「こったらにいただけません!!」と。


5人揃って目を剥いていた。

今まで生きてきて見たこともねえ額だ、流石に月収でなく年収でしょう?とまくし立てられる。




「いいえ。それが月々の基本給。特別手当を付けたのが、ほら。こっちに書いてある額ね。週休は完全二日制。その他残業が発生したり、やむなく休日に呼び出すことがあれば、その都度手当は支給するわ」




このまま勢いに飲まれかねない気がするので、こちらも負けじと勢いを付ける。

そこに反論を挟む余地を与えない。反論などあってはいけないのだ。

だってこれが、彼らが今までも本来得るべきであった、"正当な対価"なのだから。




「ちなみにコレ、私の勝手な判断じゃないわよ。うちの経理担当アンリが算出して、父様が承認したもの。貴方たちに支払うべき"正当な額"よ。よって、反論は一切認めません!」







 その後。来る質問来る反論、全て頑として突っぱねた。


懸命に働いて貢献してくれる人を、正当に評価して何が悪い。

そのスタンスを貫き続けた。



結果まだ動揺は残るものの、最終的にはなんとか全員首を縦に降ってくれた。

 




 これはおそらく。

突然降って湧いた有り得ないレベルの高待遇、貴族でもあるまいし、こんな働き方が許されるわけがない……といった考えから来る混乱だ。

視界がホワイトアウトするほどの、超絶ホワイト職場。

そんな認識なのだろう。



この世界の現段階での常識で考えるならば、まあそうおかしくもないかもしれない。


だがこれは、地球ではほとんどの国の企業がすでに実現し、公私ともに充実した暮らしを送るための、基本的な概念。

私が死んでしまった頃、日本も浸透を目指すべく国を挙げて努力していた矢先だった。





このリゾート領地だって、「貴族だからあれもこれも手に入る」――――「平民だから、なくても我慢するしかない」。

それを許したくない。

ゆっくり過ごす素晴らしさを、ゆっくり過ごすための方策を知っているのなら。

誰もがそれを味わえるよう力を尽くしたい。


そんな思いが発端だ。



だからこそ私は、「この世界では長時間労働も当たり前、貴族は働かせるだけだけど」「この世界に見合った労働条件や待遇で十分」…………そうはしたくないのだ。


だって一人の時間が欲しいのも、家族と過ごしていたいのも。

もちろんお金が欲しいのだって、貴族も平民も全く同じなのだから。





 そのため、彼らの待遇も地球基準を導入した。



今はまだ、この領地だけのお話。

言わば小さな花の種をまいただけ。

でもいずれは。誰もが楽しく充実して暮らせる働き方が。

少しずつ、アトランディアに根付いていくと良いな。


――――かつて文明という芽吹きが、大陸全土に花開いたように。








 やがて混乱も落ち着き、和やかな雰囲気になった頃。

私は5人との握手を求めた。



それに対し今の穏やかさはどこへやら、もう何度目になるのかわからない仰天ぶりを見せる5人。

気持ちはわからなくもない。

私は自分でも常々忘れそうになるが、一応貴族である。




この世界での握手の文化は、地球とは少し違う。


地球では目上の者が目下の者へ謝意や敬意を伝えるために行われることがあるが、アトランディアではそれは有り得ない。


握手が行われるのは、主に平民同士。

もしくは、よほど気の知れた同等格の貴族同士でしかしないこと。

全くの対等な間柄でのみ行われる挨拶なのだ。



貴族のするカーテシーや紳士礼は、相手も貴族の場合にだけ行われ、平民にすることはないのだそう。

平民の側から礼をして、祝福の言葉を述べる。

貴族は直立不動で平民の礼を受け止め、無視せず声をかけてあげる……というのが貴族・平民間でなされる挨拶になる。





 そのため、彼らからはもちろんのこと、私から握手を求めてくるのは本当ならば考えられもしないはず。

私でもそれはわかっていた。



でも、昨日までの受刑者と執行者の関係を帳消しにして。


「今日からは、完全に対等なビジネスパートナーになりたいの」

そう真剣に伝えると、まず恐る恐るといった様子でジェームスの手が伸びてきた。

それをがっしり引き寄せ、両手で握る。


彼が代表して、というわけではなく。

続いて隣にいたラルフの手を取り、上下にぶんぶんと降った。

次々、全員と握手を交わしてゆく。




「今日から、改めてよろしくね!」

全員を見渡して張った声に、皆は威勢良く返事を返してくれた。





私達は。

きっと今、今日初めて。

――――本当の意味で仲良くなれたのだと思う。










 今日の目的はあともうひとつ。



明日のプレオープンでは、大々的な開幕式を予定している。

新たな門出を祝う意味の他にも、献身的に協力してくれた領民への感謝と労いの意を込めて。


……しかし、それはアシュリー男爵家の面々しか知らないこと。


皆に余計な気を遣わせることのないよう、なんの気兼ねもなく楽しんでもらうためにも、今日まで極秘で計画していたのだ。






 目玉はホテルの正式名称の発表だ!



ホテルはこれから、領地のシンボルとなってゆく。

名前を付けてこそ、愛着や意欲、誇りもきっとより一層感じてくることだろう。

町のゆるキャラや公共施設の名前を決めることに等しい。


侃侃諤諤の議論を交わし続け、あと一歩の案は数点出ていたのであるが。




…………正直なところ、昨日まで決定打に至らなかった。



領地開発の計画も、ホテルという興味深い宿屋を考え出したのもルシアなんだから、お前が一番良いと思ったものにすると良いよ。


そう言われてはいたのだが、そのあとひと押しを見出だせず。

これに関しては機密事項なわけではなく、本気の本気マジで決まらなかったのだ。






 「正規職員として、最初のお仕事を依頼したいの。領民の全員に、明日10時にホテルの前に集合してって伝えてほしいわ。皆で盛大にお祝いしましょう。うちの料理長シェフのギリスが見つけてくれた、料理人のみなさんのお披露目もするわよ。早速美味しい料理をたくさん作ってもらう予定だから、楽しみにしててね!」



前半部分は頼もしい眼差しで力強く頷いてくれていたが、後半部分になると途端に目を輝かせ始めた。

実に現金で良いことだ。





「それから…………。ホテルの正式名称も合わせて大発表よ!領民の皆が自慢できるような名前を考え抜いたわ!来られない人は無理して来なくても大丈夫だから、とも伝えておいて。ふふ、明日が楽しみね」




「名前なんてあったんですね。お嬢様の案ならきっと誰だって気にいると思いやす。ジジババ共は特に。誰にもまだ言いませんから、オレらだけにでも教えちゃくれませんかね?」




確かに、この5人には言っておいても構わないかもしれない。


まだ両親や使用人にも話しておらず、誰かと共有したい気持ちもあった。






「そうね、貴方たちになら教えても大丈夫よね。……じゃあ聞いてね、発表するわよ!

ホテルの名前は――――…………」





「『輝く森緑の宮殿ブリッツェン・ヴァルト・パレスト』よ!」






「ぶ、ぶりっ……つぇん……………?」


「『輝く森緑の宮殿ブリッツェン・ヴァルト・パレスト!』」



大事なことなので二回言った。







「…………何語ですかい?」



「ヴァーノン語よ!」


渾身のドヤ顔が見事炸裂する。

ああ、なんて素敵な響き………!






 リアムよ、本当にありがとう。


あなたのおかげで実に素晴らしい名前が決定した。

今度遊びに行く前にお礼の手紙を書いておこう。

おまけの体でもらったヴァーノン語辞典。すっかり面白くなって、着実に語学力が身に付きつつあるのだ。






男爵令嬢ルシア・アシュリーの領地リゾート化計画!


明日ついに、本格始動だ!



輝く森緑の宮殿ブリッツェン・ヴァルト・パレスト』。

いよいよ、開幕の刻!

□いよいよアシュリー男爵領、人材も観光資源も揃って本格始動です!

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