誤解と和解と、幕開けと
奏でる笛の音のように吹きつける風が軽やかに踊る。
冬を目前に控えた今日。
私達アシュリー家は、完成したホテルの最終視察へと訪れていた。
「ついに……竣工か。長かったような気も、非常に早かったような気もするな。ルシアの考えてくれた案が、今こうして形になったわけか」
領地の中心にそびえ立つ白亜の城は、森の葉波と陽光に輝き、威風堂々の風格を見せつけていた。
領民の皆、使用人の皆に、経験豊富な職人さんたち。微力ながら私達も。そしてきっと、天国のクローディア伯爵様も。
全員が一丸となって協力し合い、ついに竣工を迎えることができた。
いつしか現場には、一世一代の大仕事へ共に取り組む仲間としての熱い思いが芽生えていた。
父様の言葉には、口調こそいつもの穏やかさがあったが、抑えきれない感動に熱がこもっている。
母様の表情からも、普段なら見せない興奮が感じられた。
私も全く同様の思いだ。
――今日この日を、幾日待ちこがれたことか!
エスコートされながら、初めて内部を視察した。
外観も内装も、その全てが理想を上回っていた。
まさに夢描いた貴族のお城そのものだ。
ホールにつながる玄関門のなめらかなゲートと、壁面の黒い組み木が特徴のテューダー様式。
丸みを帯びた高い塔と、半円アーチの可愛い窓が特徴のロマネスク様式。
こだわり抜いた内装デザインは、上品ながらに絢爛なロココ様式。
私の知り得る限りの建築様式を自己解釈でいいとこ取りし、組み合わせたものとなっている。
絵心も論理性もない私の話を、何度も聞いて理解し、再現するのは本当に大変だったと思う。
皆の努力が見事に光っている!
ホールにパーラー、パーティーホールや応接間、食堂や画廊など、貴族邸の内部構造にもこだわった。
ただし「こだわった」というのは、あくまで各空間におけるイメージ。壁紙や家具で雰囲気を演出している。
ポイントは、その一つ一つが客室として改装されている点だ。
平民のお客様には華やかで満ち足りた気分を。そして本物の貴族邸をご存知であるお客様にとっても、普段見慣れた本来の用途とは違う部屋が、寝室として設えられている「楽しい違和感」を感じていただけるはず。
誰にとっても夢のようなワクワクを敷き詰めた空間となっている。
もしたくさんの需要が興り、さらなる要望をいただけるような嬉しい事態になれば、その時には増築するのも手だろう。
こうした方がより良い、こんな案があるのだがどうか、これはいただけない……などなど、改善に繋がるご指摘をいただければ、思い切って改築を図るのもまた一手だ。
――ホテルが埋め尽くされ、それらを真剣に考えねばならない日が、いつか本当に来ればいいな。
一通りホテルをじっくり見て回り、何一つ問題が見当たらないことを、三人で改めて確認し合った。
皆を心から信頼していたし、たびたび視察に訪れて進捗を共有してきたのだから、当然のことではあるのだけれど。
よって! これにて「完成」とすることが満場一致で決定した。
最近ようやく身につけるのに慣れてきたという、アシュリー男爵家を象徴するトネリコの紋章が刻まれた指輪で、承認書に刻印する父。
承認書があることで、この事業が領主貴族公認かつ主導、国に申請し運営する正式事業であるという証明になるのだそう。
「ついにここまで来たのね……」
ぽつりと呟く母様の顔は静かな感動と恍惚に満ちていた。
そして、母と両手を取り合って喜ぶ私。
そんな私達を静かに微笑み見守りながら、父様は力強く頷く。
「ああ。考えていた予定とは大違いだ。もちろん、最高の方向でね。ここで完成の宣言をしたいところだけど……できれば領民の皆さんにお礼を伝えたうえで共に宣言し、領地の全員で完成を祝いたいものだな」
「あっ、それいいわね! 初めの頃みたいに、皆のおうちを回ってお礼を言いに行く?」
「素晴らしい考えだと思うわ。何かお祝いの品を持っていくのはどう? ウィンストン産の高級葡萄酒なんて喜ばれそうではないかしら」
父の発案は大賛成だった。
皆の協力あってこそここまで来られたのだ。
皆で一緒にこの喜びを分かち合い、労いたいものだ。
しばらくその場で話し合いをしたが、現時点でまとまることはなかった。
「今すぐ決めるべきことではないし、一旦持ち帰ろう。より良い案を考えようじゃないか」という父様自身の提言により、行き場をやや失った高揚と達成感を胸に、とりあえずの帰宅の運びとなった。
◇◇◇
夜もとっぷり更け、森の夜陰が窓枠を彩る頃。
執務室において、未だ会議は混迷を極めていた。
使用人の皆は寝静まっているため、本当ならば声が屋敷全域に通りやすい執務室ではなく、厨房など奥まった場所で話し合いたいものだ。
しかし、そういった本来主人一家が立ち寄ることが有り得ないらしい場所にいるのを、うっかり起き出して来た誰かに見咎められれば、確実に怒られる。
そのため仕方なくこの執務室で、ささやきに近い声のひそめぶりで。一見極秘っぽい会議を執り行っているのである。
ホテルの完成は、これからのアシュリー男爵領にとって大切な節目となる。
言わば私達は、まだスタートラインに到達したに過ぎない。
オープン、そして実際の営業に向けて、大きく気持ちを切り替えたいところだ。
気持ちを新たに、今度は走り出す覚悟を決めなければならない。
だからこそ、皆の尽力を盛大に労いたい。
何か良い方策はないものだろうか……?
「おや。―こんばんは《ボンソワール》、皆様方。大変失礼いたしました」
急に聞こえた他の誰かの声に、三人揃って飛び上がるほど肩を跳ねさせた。
ウィンストンなまりの耳心地良いその声は、我が家の誇る料理長ギリスのものだった。
どうやら執務室に立てかけてある、出勤札をめくる目的だったらしい。
こんな時間に、こんなところに主人一家がいる方がおかしいので、心底驚いたのは彼の方だったのかもしれない。
「ギリス、おかえり。すまなかったね、驚かせてしまって……。私達のことは気にせず、お湯をもらって休むといい。明日もきっと早いんだろう?」
父様の言う通りだ。長旅を終えての帰還で疲れていることだろう。
明日もまた、朝食を作ってくれた後はすぐ出立するはず。
一日の終わりに変な心労をかけて申し訳ない。
一刻も早く休んでほしい。
「お気遣いに感謝いたします。……ですが、そのご懸念は無用と言っておきましょう! 私の旅路は、本日をもって終焉を迎えたのです。本来明朝にと考えていましたが……これは双子神の思し召しだったのでしょう。ぜひ皆様方に紹介させていただきたい者たちがおります!」
ふと外を見遣れば、玄関の扉はわずかに開いていた。
ということは、ギリスは完全に帰邸したつもりではなかった?
そう考えた矢先。扉の向こうには乗り付けられた馬車と、複数人の気配が見えた。
ギリスが私達に紹介したい人とは……旅が終わったとは、まさか……!
「ギリス……そうか。そうか! おめでとう。そしてありがとう! 一日にこれほどの節目を迎えられることになるとは!」
両親もまた、私と同様のことに思い至ったらしい。再び私達は歓喜に湧いた。
ギリスだけは事態に付いていけず、珍しく表情を変えていたが。
「この会議にも意味があったな。帰って来たギリスに会えるようにとの思し召しだったんだ」
「ええ。皆さんも交えて、盛大にお祝いの会をすべきということね。……それから節目と言えば、あの方たちのこともそうだわ」
確かにそうだった。
母様が言うように、彼らもまた潮目にいる。
三つの節目が同時に訪れたのだ。
「……決まりね!」
これはもう決定事項だろう。
――盛大な落成式の開催が!
「ギリス。お願いがあります。あなたの連れて来てくださった方々……正式なご紹介の場は、後日別に設けさせてくださる?」
「え……ええ。もちろんです!」
母様の言葉を引き継ぐ形で、私が高らかに宣言した。
「そうね……その日は十日後! 新しい仲間もご一緒に、皆で領地の門出をお祝いしましょう!」
新生領地の記念日となる落成式。
計画をしっかり練ってから、皆に改めて通告しよう。
満月と星々が、夜空と沼を同時に輝かせる時間。
全員まだ醒めやらぬ高揚感のままに、静かに声と心を揃えた。
落成式のその日が、今から楽しみだ!
◇◇◇
それから、二日後。
昨日までの晴天は、残念ながら今日は見られない。
もくもくとした秋の雲が領地全体を覆い尽くし、陽の光がないまま風だけが吹く、突き刺す肌寒さの中。
私のお世話係……もとい領地総合開発職員、さらにもとい労役受刑者たる五人が、続々と屋敷に訪れていた。
昨日は午前のうちから外出し、彼らの奥さんたちに言伝を頼んだのだ。
さっきまで全然関係のない話をしていたはずなのに突如として嫁自慢が始まる夫ズとは違い、非常にスムーズに会話と事が運んだ。さすがとしか言いようがない。
五人全員が揃ったタイミングで、なるべく厳かな雰囲気を醸し出しながら口を開く。
「みんな、今日は呼び付けてしまってごめんなさい。来てくれてありがとう。――今日来てもらったのは他でもないわ。ついに出発の時が来たわね! アシュリー男爵領の一大事業、『貴族ぐらしの里』。いよいよよ。観光リゾート業の幕開けになる、ホテルオープンの日が!」
私の言葉を受け、堰を切ったように意気込みと興奮に溢れた声が飛び出す。
この五人は最初期から各種開発に尽力してくれていたのだ。
その喜びは、きっとひとしおだろう。
「はい! ついにここまで来やしたね! お嬢様とご一緒させていただいて、ゼロから動いて造って、やっと……!」
「……元はと言や、オレたちのとんだご無体から始まったご縁でしたが……領地の連中への説明といい、ここの一番の目玉、ホテルの建設といい。田舎者の大根にお目をかけてくだすって、色々なことに携わらせていただきやして。……まだなんも始まってもねえのに、もう充実感でいっぱいでさ」
「明日からは本番開始ってなわけですね。オレたちも、他の領民も! 全力でお客様のために、領地のために。そして何より、アシュリー男爵家のために! 頑張っていきやす!」
感慨深げに息を詰まらせるラルフの発言に、オリバーが呟くように言葉を継ぐ。ヒューゴの声色は興奮が隠し切れていない。
「このなーんもねぇ、でもオレたちが……そして伯爵様が愛した土地が。アシュリー家の皆様のおかげで、日の目を見る時が今来るんだ……感謝してもしきれやせん!」
ジェームスはそう言い切るや否や、勢い良く頭を下げてきた。彼の後に、他の四人も続く。
予想以上の反応だったので焦ってしまった。
貴族扱いはおろか、産まれた時からそばにいた現在の使用人以外人に頭を下げられたり敬語を使われることすら、未だに慣れていないのだ。
少し慌てて頭を上げさせ、話を続ける。
「ううん、感謝するのは私の方よ。みんながいてくれなかったら、あの日出会ったのがみんなじゃなかったなら。ここまで来れることもなかったかもしれないわ」
思わず頬が緩み微笑みかけるが、威厳を意識して顔の筋肉を引き締め直す。
「今日まで、本当にありがとう。仕事の面だけじゃなく、あなたたちにはとってもお世話になったわ。途中からはもう私のお目付け役みたいになって。領地にも何の利益もないのに、私のわがままを聞いてくれたり、抱えたまま移動してくれたりしたわよね。あなたたちに代わる代わる抱っこされたり肩車されたりして、一日全く歩かなかった日もあった」
一瞬、バートがどこか違和感を覚えたような顔をした。
端正な眉根がピクリと形を変えたのがわかった。
(ん? 何? 私、何かおかしなこと言ったかしら……)
しかし、一応領主一族である私を立てるためか、話に口を挟むことなく黙って聞いている。
不思議に思いはしたものの、聡い彼のことだ。
私が何か文法的に変な言葉遣いをしたか、ここら辺では聞き慣れない単語なんかを使ってしまい、疑問を抱いたのだろう。
そう自分の中で納得し、あまり間を空けずに話を続ける。
「もうすぐこの領地にとって、大事な節目の日が来るわ。だからこそあなたたちを呼んだの。あなたたちにはこれまで罰として、労役刑の名目で日々働いてもらっていたけれど……今日この日をもって、刑期の満了を言い渡すわ!」
「え?」
そう漏れた呟きは、もはや誰のものだったのか。
「あなたたちはもう十分すぎるほどにお勤めを果たしました。あの投石事件のことは、これで一切不問とします。刑罰は今日でおしまい。領地開発のお仕事は、もう義務ではなくなったってことよ」
「……は? ………はい!?」
「今日までお勤めご苦労さま。そして、本当にありがとう。処罰者と受刑者であった私達の関係は、これで解消よ。今ここに、全ての罰の終了を宣言します!」
「「「「「………え? えぇえええ!!?」」」」」
「ん? ……と、いうわけで……。あなたたちには新たに――」
「ちょ、ちょっとお待ちくだせえお嬢様! 事業も始まるって時に、ようやっと人手として使いもんになってきたって時に! 今クビ切られたらオレたちゃどうすりゃいいんで!?」
本題に入ろうとしたちょうどその折に、バートの悲鳴に近い訴えによって遮られる。
彼は他の四人よりも早く意識がこちらへ向いていたために、反応に移るのも早かったらしい。
いや、それより。
五人全員での絶叫にも驚いたが、「ちょっと待って」はこちらの台詞だ。
今なんだか、聞き捨てならない単語が耳を掠めた。
クビを切るって何の話?
「バートの野郎の言う通りでさ! 充実して安定した暮らしっつうもんを、お嬢様のおかげで与えていただいた矢先に……! お願いです! なんでもいたしやすからクビだけはご勘弁を!」
「嫁と子供を食わしていけなくなっちまいます! なんも関係ねえ仕事でも構いやせん、下働きでもゴミ漁りでも、なんでもやってみせましょう! ですからどうか……!」
考える間もなく畳み掛けてくる、オリバーとラルフによる怒涛の口撃。
額に玉の汗を浮かせる彼らの焦りよう、あまりの語気の強さや勢いから、何かとんでもない誤解をされていることはようやくわかった。
「待って、みんな待って! 話聞いて」
張り上げたつもりの声も、皆の熱量の前には無音に等しく、かき消されてしまう。
どうしてこんな事態になっているのか。
私はただ、「刑期は終了」って言っただけでしょう!
いつの間にか無意識に立ち上がったまま、いよいよ収拾がつかなくなり始める。
タイミングを見計らい割って入ろうとはするのだが、私の不用意な発言に混乱するばかりの皆に、声が届いてくれることはなく。私はただ口をぱくぱくと動かし立ちすくむだけで、未だに一言も発することができずにいた。
そこで暫しどこを見つめているのか、斜め下を向いたまま独り無言だった、後にして思えば放心していたジェームスが、私の戸惑う様子に気が付いてくれたらしい。
目に光が灯り、「おぉら! お前ら静かにせえ! お嬢様がお話しされたがってんべ!」と一喝してくれた。
その言葉にハッとした様子で、たちまち水を打ったように静まり返る。
先程までの喧騒が嘘のようだ。
驚いて、というわけではなく、それはきっとジェームスへの信頼。
ジェームスの声にはそれだけの発言力と影響力があるのだろう。
リーダーである彼の号令に瞬時に従うことが、身体に染み着いているのもあるかもしれない。
さすがはリーダー、最年長。領地の若い世代皆から慕われる兄貴分である。
やっとまともに話ができる。
「ありがとう、助かるわジェームス」と礼を言った上で、複雑に絡み合ってしまった糸をほどくべく、弁解を始めた。
「何を誤解してるのかはわからないけど、もう一回言うわよ! 私は『刑期』の終わりって言ったの! 義務として働かせるんじゃなくて、これからは『正規職員』として。お仕事に応じたお給料と待遇で、新しく雇用しようと思ったのよ!」
「…………へ?」
◇◇◇
労役というものは、劣悪な労働条件も法律で認められている。
理由は簡単で、雇用ではなく刑罰だから。
「賃金を支払ってもよい」とも認められてはいるが、受刑者と正式な労働者との区別を明確にするため、また苦役を課すことで罪を自覚させるために、むしろ無給の場合の方が多い。
しかし、この若者たちの場合は事情が違う。
一番の被害者であると言えるのは私だが、私自身は気にしていない。私を傷付けようとする目的ではなかったことも明白。
あの行動の根底には、家族や仲間を心から思う気持ちと、やり場のない怒りがあったのだ。
それに、これは私達家族固有の信念になるが、「見返りのない労働」を課すなど、いっぱしの商人としてとても許容できるものではない。
――時間とお金、労働力の適切な投資。それらが巡りめぐって、いつか利益となって返ってくる。労働者と取引先の扱いは、その資金力によらず、全て等しくあれ。労働者というものは、商家の資産のひとつ。護り大切にしてこそ、商人としての矜持である――
アシュリー家に伝わる家訓らしい。
それをもとに、両親がよく話し合って決めていた。
やはりいくら刑罰であるとは言え、タダ働きなどさせるわけにはいかない。彼ら家族の生活も考え、きちんと「刑務料」は支払ってあげよう、と。
よってこの五人には、低賃金ではあるが給与は支給していた。
だがそれも、法が定める限りの「最高刑務料」。
労役刑を受ける者はあくまで犯罪者。0シュクーからここまでしか支払ってはいけません、と決まっているのである。
この世界に最低賃金という概念はないが、最低賃金の反対語とも言える。
なぜこれほど私が労役刑について詳しいのかと言えば、いつでも受刑者を受け入れる側になる可能性が存在したからだ。
刑の執行者は、王都ならば管轄区域の僚人さん。貴族領ならば領主貴族様。
領主による執行であれば、大抵労務先は領地内。領地や領主のために働かせることが多い。その領地の特産品をつくる仕事に長時間従事させるというのが一般的だ。
しかし王都となれば、その区域内の商家が受刑者の受入先に完全にランダムで選ばれる。
なんでも、刑罰と実践的な職業訓練を同時並行させることで、刑期を終えた後の早期社会復帰を目的としているらしい。
商会があった区域でもし労役受刑者が発生した場合、アシュリー商会が受入先に選ばれていた可能性は十分にあったのだ。お役人さんの都合で。
「私達の万一の事態も考えられるし、通達が来た時に仕入で長期出張に行って、留守にしていることも有り得る。だからルシア、商会の次期当主として、仕組みをよく理解していないといけないよ」
そう言われて、実務に関することなら教育の手間は惜しまない両親から、そのシステムと法について学んだことがあったのだ。
結果としてその時は訪れずに済んだ。
受け入れる側ではなく、貴族として執行する側になるとは想像もしていなかったけれど。
そんな義務で縛られた「必要最低限」の関係などではなく、私が今望むのは――……。
◇◇◇
「さっき言ったでしょう? もしあなたたちがいなかったら、ここまでは来れてなかった……って。あなたたちは罰の範疇を越えて、期待以上に働いてくれたわ。多分、普通に求人募集をかけていたとしても、あなたたち以上の人材なんて来てくれなかったと思うの」
刑期の終了は、いつだってできた。
最初は同情から。彼らの生活、家族のため。
そして、猫の手さえ借りたかった矢先のこと。まさに鴨が葱を背負ってやって来たも同然だった。
もっと適当に手を抜くこともできた。雑で荒い仕上げにすることもできた。私の目の前でだけしっかりやって、あとはサボっていることだってできたはずだ。
ところが、この若者たちは毎日懸命に、熱意をもって働いてくれた。
私達が頼んではいないこと、自分たちでやるつもりだったことを、先回りしてこなしていてくれた。
おかげでどれだけ計画が順調に進んだことか、彼らの功績は計り知れない。
当初の予定なら、この五人と出会っていなかったなら……。
きっと今はまだ計画段階だ。
必要な書類の準備。法律の下調べ。
領民からの信頼もまだまだ危ういと信じていただろうから、できるだけ毎日挨拶回りにも行って。
父様の出仕もあるし、私の家庭学習もあるから、なかなか計画自体を進めることもできずにいる。
ホテルだなんてまだ着工にすら入っていないだろう。
オープンなんて、そんなものは夢のまた夢だったはずだ。
それに比べて、現状はどうだろうか?
一週間後は待ちに待った落成式の日だ。
これからここはどんどん魅力が広まって、大陸中の人々から愛される領地になる。その第一歩が間近に迫っている。
あとはもう皆で力を合わせて運営していくだけ。
力を合わせる、領地のためと思って。そんな言葉ももう今さらで、陳腐なものかもしれない。
ホテルは森の木漏れ日を浴びて堂々とそびえ立ち、想像以上の出来映え。
どんなにご立派な貴族様のお城にも負けやしない。
全部彼らがいてくれたからこその成果ばかりだ。
この五人はもう、誰が見たって立派な領地の幹部。
アシュリー男爵家の、大事なパートナーである。
彼らの仕事に対して、現在の待遇は全くそぐわない。もはやタダ働きも同然と言える。
私をまるで自分たちの子供と同じように可愛がり、大切にしてくれてもいる。
あの子たちと友達になれたのだって、元を辿れば父親である五人との縁あってこそだ。
今やあの子たちは、自ら「おじょうさませんぞく」を名乗る右腕たちであり、もっとも近しい領民であり、私の親友でもある。
私はそうして過ごすうちに、そんな彼らのことが大好きになっていた。
使用人たちと同じく、兄か父が増えたような気分でいる。
両親もまた仕事の面以外でも、今やひとりの人間として若者たちを信用している。
――今日の目的は。ちゃんと新しく、正しく。彼らを雇用すること!
これほどかけがえのない存在にもかかわらず、今のままでは最高刑務料分しか支給できないのである。
そんな最低限の関係は今日で終わりにしようではないか。
「私達はこれからも、貴方たちに一緒に働いてほしい。これからはちゃんとお仕事に応じたお給料でね。それから、今までは『身柄預かり』だったけれど、正規職員として身分の保証もできるようになるわ。……お仕事とか関係なく言えば……。私はこれからもずっと、貴方たちに側にいてほしいの」
知らず知らず、語気にも手にも力がこもる。
机に散らばっていた書類がくしゃくしゃに握り締められていた。それにも構わず言葉を続ける。
途中からは自らの感情に追い込まれてしまっていて、彼らの表情を見ることはなかった。
依然として静かな室内。
最初に口を開いたのは、いち早く頭が冷えたのか、普段の冷静さを取り戻したバートであった。
「……て、ことは……。雇い止めではないと? 明日からまたご一緒してもよろしいんですね? クビでねくて、新しく雇っていただけるっつうお話で」
「当たり前じゃない! クビだなんて一言も言ってないでしょう……! 何度でも言うわ、私はね、『刑期は終了』。そう言ったの! そもそもどうして貴方たちみたいな貴重で優秀な人材を、みすみすクビにしなくちゃいけないのよ!」
感情が昂ぶり、バッと勢い良く顔を上げる。舞う髪が今だけは鬱陶しかった。
その時、灰色の層模様の瞳でこちらをじっと見据える、バートと目が合った。
そのまま見つめ合うこと、おそらく数秒。
私には永遠とも思える時間だった。でも、目を逸らしてはいけない気がした。
彼はきっと、私の目から真意を読み取ろうとしている。言葉で考えたわけではなかったが、そう感じたから。
「はぁああ……………」
突然、バートは肺の空気を全て吐き出す勢いで、大きくため息をついた。
場違いにも感じられる、気の抜けたその声に少し驚く。
今の私はきょとんとした顔が隠せていない。
すると、ドサッと全体重がかかった音を響かせ、突如バートが床に崩れ落ちた。腰が砕けたかのように見受けられた。
何事が起こったのか、未だ状況を把握しきれていない。
私が駆け寄り、その身体に触れようとする前に。うつむきがちになっていた首を後ろに倒したバートが、先に言葉を紡いだ。
「あーー………良かった、どうなることかと……お嬢様、紛らわしい言い方しねえでくだせえな……心臓止まるかってくれえ驚いたんですぜ……」
彼の表情は緩み、晴れ晴れとした笑顔であった。
一気に脱力し、腰が抜けたという。首をこてりと傾けたまま、くくくと笑っていた。
バートを見て状況を認識するや、他の四人も息を思い切り吐いたり、肩をガクッと落としたあとつられて笑いだしたりと、次々気が抜けてゆく様を見せた。
風船の空気が全部抜けた。張り詰めていた糸がぷつりと切れた。そんな様子だった。
バートはこの若者たちの頭脳であり司令塔だ。
私の意志を見抜く役目を、みんな無意識と無言のうちに、バートに任せていたのだろう。
そんな司令塔の様子から、これは安心しても良さそうだと判断したらしい。
立ち込めていた緊張感が、風に吹き飛ばされる暗雲のように晴れ渡ってゆく感覚がしていた。
落ち着いたあとに話をよくよく聞いてみると、やはり私の言い方が悪かったらしい。
誰が聞いてもクビとしか思えないだろうとのこと。
新たな出発点にすべく呼び出した、この大事な節目の一つにこれではかたなしだ。
「ごめんね、みんな。今度からは誤解されないような物言いを心がけるわ……。せっかくの日に嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
申し訳なさが頭を占め、自然と声も落ち込んでしまう。
それを見た彼らは慌てて私を慰めて、「いえいえ、勝手に早とちりしたオレらが悪いんでさ」「お嬢様は謝ることなんてございやせんから!」と逆に謝ってもくれた。
本当に彼らは私に甘い。
「今日から改めてよろしくね!」
気を取り直し、全員を見渡して張った声。
背伸びして交わした握手に、皆は威勢良く応えてくれた。
私達はきっと今、本当の意味で仲良くなれたのだと思う。
なんでも言いつけてくだせえ、この正規職員に! と誇らしげに言う彼らの言葉に、早速甘えることにした。
実は今日の目的はあともう一つあるのだ。
「じゃあホントに早速なんだけど、正規職員として最初のお仕事を依頼したいの。――実はね、一週間後にアシュリー男爵家主催のホテル落成式を開くのよ! 領民の皆のお疲れさま会ってところね。だから皆に伝言を伝えてほしいわ。『七日後の十時にホテルの前に集合して』って。ああ、あと都合が悪ければ無理しないでっていうのも。大事な発表もあるのよ。楽しみにしててね!」
五人それぞれが力強く返事をしてくれた。実に頼もしい。
これからも彼らと共に仕事がしていける幸運を感謝しなければなるまい。
正確に伝達さえしてくれればなんでも構わなかったが、話し合いの末、彼らは自分の居住区域を担当とすることにしたらしい。
ちなみにジェームスはテナーレのカンファー区域、ラルフはファンティム区域。オリバーはポンドウィスト区域で、ヒューゴはエルトのアイヴィベリー区域。バートはこのアシュリー男爵家と同じ、人口最少のマーシュワンプ区域に住んでいる。
必然的に分担に偏りが出るため、バートは残るエルトのラズクラン区域も担当することに決まったようだ。
端から見ても、時間もかけず順序良く、かつ効率的な計画を立てている。
もともと彼らのことは信頼しているし、これなら任せ切っても大丈夫そうだと安心できたため、そこで今日のところは解散とした。
重ね重ね感謝と熱意を伝えられ、私もまた重ね重ね期待と喜びを伝え。
意気揚々と深い森を駆け抜けてゆく彼らの背中を、やがて柔風と変わった秋風と共に見送ったのだった。




