天使との新しい約束
今日という特別な一日、リアムからもらったお手紙、それにこの美味しいプレゼント。
幸せいっぱい。お腹だけでなく心も満たされた。
十二分に大満足だったのに、それだけには留まらなかった。
なんとリアムは、とても素敵な贈り物を用意してくれていたのだった。
「ルシアちゃん、遅くなっちゃったけど。改めてお誕生日おめでとう! この本がボクのプレゼント。ヴァーノンから持って来た、ボクのいちばんのお気に入りなんだよ。……ルシアちゃんと出会って、王宮に帰って来てから大好きになった本。だからぜひルシアちゃんに読んでもらいたいなって」
そうして、二冊の本をくれた。
一冊は装丁が美しい『海の王女さま』と題された本。
もう一冊は……この重みからすると、どうやら辞書のようだった。
それから察するに、辞書はおそらくエレーネ語とヴァーノン語の相互訳辞書。
この「海の王女さま」という本は全てヴァーノン語で書かれており、その解読のために使ってほしいということだろう。
小説? 絵本? それとも詩や随筆だろうか?
表紙から察する限りは物語、童話の類かな。ノンフィクション小説の線もあるし、伝記の可能性も捨てきれない。
なんにせよ、大切なリアムが贈ってくれた本だ。
きっととても面白いことに間違いないだろう。
「この本ね、ちょっと古い本なんだ。ルシアちゃんも気に入ってくれたらいいな。それにボクが持ってるより、ルシアちゃんが持ってる方がこの本も嬉しいと思うんだ」
リアム……。
本に込められたリアムの気持ちも、一緒に受け取った気がした。
……何しろあの未知の言語。きっと古代の石版を読み解く覚悟が必要になる。
それでもぜひ読破を目指し、いつか彼と感想を語り合いたいと思う。
この本が私にとっても宝物となる未来は、すぐそこにあると確信していた。
そんな中、本の装丁を引き立てている包みのリボンに気付く。
それは……今もなおはっきりと見覚えのある、えんじ色のリボンだった。
「リアム……これ、もしかして」
「そう。約束のしるしだよ! えへへ、こっちはレプリカなんだけどね。本物はほら。いつも必ず身につけてるんだよ。『約束のえんじ色のリボン』……これを本に結んでおけば、今度はこの本が、またルシアちゃんと会わせてくれるかなって……」
とても詩的で心ときめく考え方だと、そう思った。
きっとリアムの言う通り。
これはお互いの存在そのものであり、再会を誓う約束のしるしだった。
きっと、私達の新たな「再会の約束」となる。
えんじ色と紺色のように、真逆の遠い場所にいる私達。
でも、このリボンがまた必ず私達を繋ぎとめ、引き合わせてくれるはずだ。
「素敵な考えね。……そうだ! ねえリアム、こうしない? 私のリボン、あなたが持っていてほしいの。この紺色のリボン、屋敷に商会時代の在庫がまだあるから」
長い赤髪を結っていた紺のリボンをおもむろに解き、リアムの差し出してくれたえんじのリボンに巻きつけてゆく。
今まで私達は、相反する色のリボンを一本ずつ持っていた。私が思いついたのは……。
「ほら! 見て? えんじ色と紺色のリボン、半分ずつで結んでみたわ。色が混ざり合って綺麗だと思わない? もう願いを叶えてくれた、実績があるこのリボンはリアムが持っていて? こっちの本と一緒の贈り物のリボンは、領地に帰ったら同じように結んで、ずっと持ち歩くことにするわね。新しい『約束のしるし』よ。きっと最強のお守りになるわ!」
そう、二色を結び合わせたダブルリボンだ。
互い違いのリボンは、やはり全然違う色合いながら、何よりしっくりと調和しているようにも見える。
それはまさに、強い想いが互いに絡み合った約束そのもの。
私のもらった本が次の再会への誓いだとすれば、リアムに渡したリボンは、実証済みの縁結びのお守りだ。
再会の機会を自然と、何度となく創出してくれる、私達二人の絆のあかし。
「新しい約束と、結び合った約束か……。うん、いいねいいね! おはなしの中に出てくる約束みたい! このリボン、ボクこれからもずっとずっと大切にするよ。そうすれば絶対ぜったい、また会えるもんね!」
伝えた考えは稚拙なものだったが、彼は満面の笑みで強くそれを肯定してくれた。
そして二色の新しい約束を、そっと、ぎゅっと受け取ってくれた。
――楽しい時間が経つのは早く、もう日が暮れる間際だ。
一応言っておくと、残り時間がずっと私のスープターンで終わったわけではない。
お膝の上のリアムにタルトを食べさせたり、領地でのできごとや近況を語り合ったりと、とても充実した時間を過ごしていた。
「もうこんな時間かぁ……。ルシアちゃん、今日はありがとう! アシュリーさんもエイミーさんも。お家でゆっくりしたいところを来てくれて、本当にありがとう」
リアムは一瞬だけ俯いて表情を暗くしたが、すぐに明るい笑顔になり、ぱっと気持ちと表情とを切り替えていた。
お互い後ろ髪を引かれることのないよう、精一杯振る舞ってくれているのだろう。
やはり年齢に見合わないほど思いやりと気遣いのある子だ。
「リアム、今日は楽しい時間をありがとう。お礼を言うのはこちらの方よ」
「本当にお世話になったね。娘のためにここまでのことをしてくれてありがとう。私達夫婦もとても楽しい時間を過ごせたよ。そうだ。月に一度の出仕の際、良かったら今度からはルシアも連れて来ようと思うんだが、どうだろう? ぜひまた遊んでやってほしい」
微笑む両親の表情は、実の息子を見る目そのものであった。
父の提案に、「わあ、さすがアシュリーさん! お願いします! ね、ルシアちゃん! いいよね?」と飛び跳ねて喜ぶリアム。
(やっぱりあのリボンのおかげかしら?)
これで効果は二度実証されたことになる。
こうして早速、次の再会への約束ができたのだった。
私達は、今日この一日で――本当の家族になれた気がする。
「じゃあリアム、名残惜しいけれど……」
「うん。寒くなるから、エイミーさんも身体に気をつけてね。絶対また来てね!」
母様の言葉を皮切りに、ゆっくり城門の方角へと足を向けた。
……そこでやっぱり名残惜しくて……私一人踵を返し、リアムのそばまで駆け戻る。
たくさんの話を楽しんだ今、目を丸くしているリアムに対し、新たな話題はない。
しかしそれでも、あとわずかでいい。もう少しだけ彼との時間がほしかった。あとほんの少し、ただなんでもない会話がしたかった。
両親はその思いを汲み取ってくれたらしく、歩みを止め振り返り、何も言わず待ってくれていることが気配で伝わってきた。
「リアム……ねえ、領地には。アシュリー男爵領には来てもらえないのかしら……?」
何度となく繰り返した話だった。先程までは残念には思いながらも、納得していたこと。
『領地で今度リゾート観光業を始めるの! もうそろそろオープンなのよ。リアムもぜひ来られないかしら? 最高のおもてなしを約束するわよ』
「……うん。ごめんね、ルシアちゃんのお願いなのに……」
そう、返答はわかりきっていた。
自分でも忘れてしまったわけでも、押し通せると思ったわけでもない。ただ何か、なんにもならない会話がしたかっただけ。
……しかし、それを聞いたらなぜか落ち着いてしまった。私は本当にあと何かの一言が聞きたかっただけらしい。
「そっか……そうよね、ごめんなさい。わかってたのに」
リアムはこの宮を離れることはできないという。
厳重な警護は、事件の後さらに強まった。一歩出歩くのにも許可が必要な中、王宮どころか王都をも出て、辺境領地へ踏み入れる許可などもらえるはずもない。
また、彼を大切に思う家臣や使用人の方々のためにも、無用な心配はさせたくないのだと。
そして。理由はもうひとつあった。
――リアムは「人質」であることを、自ら選択したのだ。
悩んで絶望して、知って、気付いた。
「ただのリアム」でありたかった。「殿下」というはじめから付けられた、外すことのできないネームタグが大嫌いだった。
でも――周囲の人間は、ちゃんと自分をリアムとして大切に思ってくれていた。
平和の存続、栄光の渇望、信頼の友情。
その数多の希望を背負えるのは、「リアム王太子殿下」にしかできない。ただのリアム・スタンリーには決してできないこと。
皆は便利な道具としてその名を呼んでいたのではない。
これは希望の称号。
全ての人にとっての希望を、この身に託してくれていたのだ……。
あどけなさが残る口調で、しかしはっきりと。自身の新たな希望の道を、決意を聞かせてくれた。
『だから。その希望に応えたいんだ。なにができるのかは全然わからない。わかんないけど、考えてみたの。……「隣国の殿下」として、おとなしく王宮で過ごしている。それが今のボクがエレーネと、ヴァーノンの王国派と、帝国派と……いろいろな人にしてあげられる、唯一できることだって』
……確かにそれを聞いておきながら、私は何をやっているのか……!
「ごめん。ごめんね、リアム。違う、こんなことが言いたかったわけじゃなくて……」
リアムは周囲への期待に、希望に応えようとしている。その幼い身には確かな覚悟が灯っている。
……私は何が言いたい? 私はそんなリアムに、どう応えられるだろう?
「……リアム。私、頑張るわ。領民の皆の幸せのために。皆からもらった幸せを返したい。……今までにない新しい事業を始めるんだもの。失敗もあるかもしれない。でも……私にしかできないことだから。あなたがそばにいなくても、頑張ってみせるわ」
「う……うん! だいじょうぶ、ルシアちゃんならできるよ! ボクも応援してるからね」
少し面食らった様子。突拍子もない言葉にも、優しいリアムは応援で返してくれた。
「ありがとう。あのね、リアム。あなたもよ。リアムならできる。私達ぜーんぶ一緒なのよ? 誰かのために、わからないことを頑張ろうとしてるのも。きっと自分にしかできないことだっていうのも」
「あ……!」
「あと、普段は領地から出なくたって、私達がいつも繋がっていることは変わらないわ。会いたいって思う気持ちも、絶対に何度でも再会できるってこともね。……ひとつ違うのは、本当は飛び出したいのにおとなしくしているか、本当に出たくなくてそこにいるかってことだけかしら?」
「ふふ。……あはは、そうだね! ボクとルシアちゃん……一緒なんだよね……」
「ね? だからあなたも大丈夫! 私はリアムの応援をもらったから。私にしかできない、領地の運営を頑張る! だってリアムも王子様として、違う国で頑張っていることを知ってるから。……リアム、頑張って! 離れたところにいても、私達はずっと一緒よ」
伝えたいことを、やっと伝えられた気がした。
……自分の言葉に納得する。そうだ。立場が違っても、私達は全部が一緒。いつも一緒なんだ。
「ルシアちゃん……。うん、そうだよね! ありがとう。ボクも頑張る。だっていつもルシアちゃんと一緒だもんね。頑張るよ! 『王太子殿下』を頑張る。ルシアちゃんも領地の運営、頑張ってね! ずっとずっと、ここから応援してるから!」
これはまた次に会うための、一時だけのお別れ。
空はまだ青々と澄み渡り、橙を軽やかに散らす木枯らしの涼しさが心地好い。
しかし雲ひとつない青空は、やがて夕刻の訪れることを、人々に静かに告げるかのように。端の方から少し、また少しと。薄紅だった細雲をたなびかせ始めている。
その時リアムが見せてくれた表情は……一番素敵で、頼もしくて。とても愛らしい笑顔だった。
懐かしき王都の風が、約束のリボンを柔らかに揺らした。




