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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
27/91

天使が見た光


 リアムの祖国、ヴァーノン王国。

 帝国から王国へ、統制から法治へ。

 共生と分断、融和と反発、改革と失墜……めまぐるしい時流に痛めつけられるかのように。

 そのさなか、その中心に彼は生まれた。


 かつて、栄華の光と権威の全てがそこにあった。

 かつて存在したはずの光は、リアムの瞳に映ることはなかった。


 負け知らずの神軍、ヴァーノン帝国軍。威厳と風格ある帝都。それを武と知で統率するヴァーノン皇族。


 ヴァーノンはただ、孤高で在り続けた。


 双子神に思いを馳せ哲学を語り、詩を編んで平和を歌うエレーネ。それを敬慕し追随する他国とは真逆を向く、完全に道を違えた存在。

 いつかヴァーノンの皇族は――神話の記憶を歴史から抹消した。

 権力こそが正義。武力こそが統治。

 幻影の神と妄想に縋り続ける隣国とは違い、神軍の総統たる皇族のみが正しく「神」であるのだと。

 一人、また一人神話を忘れ。

 双子神を祀るエレーネ王国との交易は、いつしか自然と途絶えた。

 軍拡により領土を広め、国力は大陸随一のものと化した。


 その終焉は突如内より現れ、呆気なく国を包んだ。

 リアムのお祖父様である、ヴェアナー・スタンリー=フォン・ウント・ツー=ハイリゲス・ヴァーノリヒ様の手による改革が起こったのだ。

 ――それは言うなれば、皇帝自らが引き起こしたクーデターであった。

 かの方は幼い頃より、武力によってのみ成り立つ国の在り方に、疑問を感じ続けていたらしい。


 戴冠を終え、ある時。

 信頼に足る家臣だけを招集し、帝政を放棄。軍の大部分を切り捨てた。

 隣国にとって青天の霹靂であったその出来事は、ヴァーノンにとっても同様だったそうだ。

 リアムのお祖父様の、言わば独断で。帝国の滅亡は強行されたのだ。


 それは国民を混乱に陥れるには十分過ぎた。

 これまで信じてきたこと全てが、よりにもよって……崇め奉っていた誰より尊い方に、突如として否定されたのだから。


 武勲がもてはやされる中で、平和を志す。

 その先見の明は逸脱している、どれほどの勇気を有することだっただろうと思うのは、おそらく私が外野にしか過ぎない証左であるとも感じた。


 ヴェアナー陛下が切望したのは、ヴァーノンにはない全て。

 平和による統治を志した。

 でも漠然としたそれを理解する人間は、ご自身も含め、ヴァーノン国内についぞ現れなかった。


 ……それからのヴァーノンは、私達の知る歴史を辿る。

 先王陛下は失意のうちに冷たい床に伏せ、御隠れになった。

 リアムのお父様であるアクセル陛下へ全てを託して。

 現王となったかの方もまた、ご遺志を継いで平和な王国の姿を夢見た。

 そうして、一粒種であるリアムの留学が決まったのだという。

 先程彼が言ったように、ヴァーノンの人々が知ることのない、エレーネにしかない「何か」を見て来てもらうために。


 それは……王国を支持する国民の期待を託されると同時に、帝国回帰を望む国民の憎悪をも、幼く小さな一身に受けるということでもあった。



「ボクは……ボクはね、祖父上と父上のことがわからなかった。だって祖父上が改革を起こすまでは、他の国との仲は悪かったのかもしれないけど、ヴァーノンは強くて立派な帝国だったんでしょ? ……ヴァーノンにいた頃、何人かのお付きの貴族からそう言われたよ。確かにそこには、帝国ヴァーノンなりの『平和』があったんだ。それなのに、祖父上と父上のわがままで、それを壊しちゃった。それを『幸せ』って感じてた国民を傷付けちゃったんだよ」


〝だから……だからボクは、エレーネなんかに行きたくなかった〟


 絞り出された声。

 リアムは一分も経たず慌てて打ち消そうとしたが、私達三人は示し合わせたかのように、手だけでそれを制した。

 エレーネで生まれ育ち、エレーネ王族に仕える貴族ともなった私達に遠慮してのことだと、考えずともわかる。

 しかしこれはリアムがずっと抱えていた思いなのだ。

 私達はむしろ、彼が信頼して思いの丈をぶつけてくれていることが嬉しかった。


 リアムの思いは、エレーネに来てからも変わることはなかったという。

 彼は常に、誰にとっても大切な「殿下」であり続けたのだ。


 ヴァーノンの王国支持者にとっては、リアムは「平和を統べる君主(王太子殿下)」。政権打破を望む帝国回帰派にとっては、リアムは「名誉を取り戻す英雄(皇太子殿下)」。

 そしてエレーネ王国にとって……彼はここでも「友好と無戦の人質(殿下)」だった。


 あからさまな敵意を浴びせられていたお祖父様やお父様とは違い、どの立場に置かれた人からも丁重に扱われる。

 自分はとてもとても大切な存在。

 大切にされている、それは痛いほどにわかる。


 しかし彼らの誰もにとって、大切なのはリアム・スタンリーじゃない。ハイリゲス・ヴァーノリヒの亜麻色を見ているだけなのだと。

 いつも頭を占めていたのは傍観と諦観。


 ボクは「頂点に君臨する血筋(殿下)」。

 お人形のように座って動かないことが役目なのだ……。



 あの事件が起こったのは、そんなさなかのことだった。


「……誰か。よく知っている顔だった気がする。聞き慣れた声と言葉だった気がする。ボクはなぜだか初めて安心して、色々なことを話した気がする……」


 思い返す記憶は、それのみだという。

 気が付けば、信頼しかけたその人物などいなかった。

 真っ暗闇の中に一人きりでいた。


 当初、まともに涙も出なかったそうだ。

 自分は何者かに利用され、今まさに人質にされようとしている。

 ……そんな状況は今に始まったことではない。

 程度は随分悪くはなったけれど、誰かの目的のために利用される人形。

 いつもの自分(殿下)の扱いと全く同じものだったからだ。


 そのうえ、身体に痛みはない。いざ誘拐するならば、もっと目が覚めることのないよう徹底的に痛めつけるか、手足を拘束するくらいしてもおかしくないはず。

 それをしないということは……。目的がなんであれ、誘拐犯たちにとっても自分は「殿下」。

 大切な大切なお人形であるからなのだろう。


 ……ボクはとても便利な道具。どこにいようと、誰にとっても。貴重で大切な殿下でしかない。

 ヴァーノンからエレーネに所有者が変わったように、また別の誰かのお人形になるだけ。

 むしろキラキラした王宮なんかじゃなく、こういう色も光もなく、暗く閉ざされた場所こそボクには相応しかったのかもしれない。


 ボクの人生は、きっとずっとこのままなんだ……。


 生まれて初めて絶望が胸を覆った。

 勝手にあふれる涙を止めることができなかった。


「そんな時だった。『大丈夫かい!?』って声がして、きれいな赤い光が見えた。アシュリーさんが助けてくれた……。――みんな、ボクのことをリアムって呼んでくれたよね。アンティークの人形みたいに誰も触れてこないボクを、優しくなでてくれた。殿下のための食事じゃなくて、みんなと同じ美味しいごはんを、同じテーブルで食べさせてもらった」



「皇帝の亜麻色と金細工の金色。強者と栄光を讃える色で、暗い闇を映した黒色。その二つの色しか存在しなかった世界に、まぶしい赤色の光が現れた。きれいな赤……アシュリー家の皆が、ボクを救ってくれた。ボクに光をくれたんだよ」


 そう言って笑ったリアムの顔は、私達が再び見ることを望んだ、あの花の綻ぶような笑顔だった。


「それに、大事なことにも気付けたんだ」

 そう話す彼には、もう先程のような陰は見られない。


 あの日迎えに上がった騎士団員に連れられ、エレーネ王城への帰還を遂げたリアムを待ち受けていたのは――周囲の人々の心配。笑顔。それまで彼が嘘偽りと信じ込んできた、愛情であったそうだ。

 皆が彼を気遣い、中にはリアムの姿を目に収めた瞬間、その場で泣き喚く者さえいたのだとか。

 やがて彼は、皆が夜を徹して安否を憂い、ただその身の無事だけを祈り続けていたことを知る。


「……ただ大事な『人質(殿下)』を失ってしまっただけなら、貴族はともかく、使用人や官僚たちまでボクを心配する必要なんてない。ヴァーノンに対してだって、じょうずな言い訳のしようがあったはず。……でもみんなは、ボクがケガもなく無事に帰ってきたことを。アシュリー家で過ごしたことを嬉しく話すのを、とっても喜んでくれた」


 ほら、これ見て! と言って懐から取り出されたのは、大事にファイリングされた数枚の紙。

 紙質は粗悪ではないが……装丁はなく、便箋や封書、書類とも言い難い、まさにただの「紙」というべきものだった。

 彼からもらった招待状のように、彼の周囲にいるような高位の人々がリアムに手渡したりするための、身分相応なものには見えない。


 少し目を通すだけでも、一枚の紙全体にびっしり文字が書き連ねられているのがわかる。

 良い紙を手に取る時間すら惜しいとばかりに、その辺りにあった紙を引っ掴み、スペースひとつなく書き殴り。それでも尚足りずに何枚にも及んだ。そんな形跡が見て取れた。


「何かしら? 重要な書類か何か……。ううん、誰かからのお手紙?」

 遠目から見ているだけでは、何が書かれているのかわからない。字が細かすぎて単語の一つも読み取れない。

 近付けば読めるかな、と考え彼の側へ歩み寄り、その手の先に視線を落として。


 ……そこで自分の盛大な勘違いに気が付いたのだった。

 文字が小さいとか細かいとかではなかった。これ全然知らない言語じゃん!

 流石は国交断絶されて久しいヴァーノン。

 話し言葉が違おうとも、筆記にはエレーネ文字を使用する国が多いと以前聞いたことがある。そんな数々の他国とも一線を画し、全く独自の文字を使用しているらしい。


「これは……ヴァーノン語なの? 初めて見たわ。エレーネとは使われている文字の形も違うのね」

「ふふ。そう! これはね、父上があのあと送ってくれた手紙だよ!」

「え、お父様から……! 国王陛下からのお手紙だったのね。やっぱりリアムが心配で送って来てくださったの?」

「えへへ……ホントにそうなんだ。父上はエレーネからの勅使を受けてすぐに、この手紙をヴァーノンの勅使隊に預けて届けてくれたの。これはね、ボクが父上からもらった、初めてのプレゼント。ボクの宝物なんだよ」



 リアムの身を案じたのはエレーネ王宮だけではなかったらしい。

 クラウス国王陛下は、逐一早馬を出し、ヴァーノンに報告を送っていたのだそうだ。それだけ責任を痛感なされていたということだろう。

 そしてリアムの無事を確認した直後には、正式な勅使隊を結成。事の次第を全て報告すると共に、深い謝罪の念、いかなる抗議、処罰も受け入れる旨を面々に託した。

 ヴァーノン国王アクセル陛下からは、エレーネに対する厳格な処遇が託された使者が戻って来る……はずだった。


 やがて現れたのは、大陸横断の行幸かと思えるほど壮大な、貴族も多く含まれるヴァーノンの勅使隊。

 ヴァーノンからの返答とは、「何をおっしゃるか。リアムが無事であったのならそれで構わない。偉大なるエレーネ国王陛下をはじめ、稀有なるエレーネの人々の御心と献身、両国の頑健なる絆に深く感謝申し上げる」というものだった。


 そこには、かねてよりリアムを気掛かりにしていた大臣や側近、リアムに付き添うことが叶わなかった歳の近い下級使用人たち。両国の関係修復を願う急進左派の宮廷貴族に、帝国回帰派として、またエレーネ文化を毛嫌いしていることで有名な、そもそも留学に断固反対だった歴史学者や枢機卿たちの顔も……。

 国政や身分、思想に一切関わらず、ただただ「リアム」を大切に想う人々の姿がそこにあった。


 どうしたのみんな! と驚く彼を見て、ヴァーノンの人間もまた、一様に安堵の笑みを浮かべた。

 もうそれは、「もっともらしい理由を付けてリアム殿下に会いに行きたい者集まれ部隊」だったそうな。


 その中で身分の高い方々により、ヴァーノンのこの度の意向がエレーネ王宮内に伝えられたのち、リアムは陛下からのお手紙を預かったのだという。



「……それでね。もしあの日、アシュリーさんに見つけてもらえなくて、商会でルシアちゃんに出会えることもなくて……。そんな何かがちょっとだけ違った世界だったとしたら。……そんな怖い世界でも、きっと父上はこれと全く同じ手紙をくれたと思う。でも『そのボク』は、きっと迷いもせず破り捨ててた。ヴァーノンの皆だって、見向きもせずに追い返していただろうね」


 手紙をきゅっと握りしめ、彼は愛おしそうに呟く。

 何かがちょっとだけ違う、私達が出会わなかった世界。

 それを聞いた瞬間、どきりと心臓が音を立てた。


 ――そんな世界の可能性は、確かにあったのだ。


 たとえば。「私」に引きこもり生活を夢見た前世の記憶なんてなくて。甘やかされるがまま、貿易商人の道を親に選ばせ、際限なしの贅沢を送る。その境遇は「彼女」にとり、ごく当然のもので。

 ルシア・エル=アシュリー。

 ……そんな少女がいたはずの世界を、私は知っている。


 私が「吉川祈里よしかわいのり」としての意識など持ち合わせていない世界。

 そんな「正史」の世界の中で、起こっていたはずの歴史に身を震わせた。


 あの日父様が彼を見つけたのは、ごく一部の商人しか使わない物資倉庫。人通りも少なく、知っている者もあまりいない。そして貿易商人は、あの倉庫を使わない。

「正史」の世界で暮らすアシュリー家は、その日どうしていた? 今まさに誘拐事件が起こっていながら、それを知らずに悠々と暮らしていた。父様は倉庫になど行かなかった。


 ――あの日私達は、交わることはなかった。


 ならばリアムはどうなっていた?

 ……考えるまでもない。みすみす誘拐が成功している――!

 いや、もしも誘拐が未然に終わっていたとしても。

 衰弱が激しく最悪の末路を迎えていた可能性、違う犯罪に巻き込まれていた可能性……。心が壊されてしまっていた可能性だってある。

 あるいは、彼を見つけてくれた私達ではない誰かが、善人ではなかった可能性も…………。


 そのような世界で「救出」されたリアムがいたとして。


 同じく向けられたはずの笑顔と涙、祖国の陛下から贈られる手紙。

 きっと、彼が言った通りのことが起こると思う。

 そのリアムは、それを受け取ることなどない。迷いひとつも、心動くこともなく、破り捨ててしまうだろう。

 その光景になんの光も、価値も映さずに……。


 恐ろしい想像でありながら、それは実際に起こり得たはずの、私達が偶然通らなかっただけの分岐だ。

 有り得た恐怖を、実際に目の当たりにしたかのように身がすくむ。冷や汗が一筋、顔を滑り落ちる。


 リアムは物語の舞台裏で、どのような恐怖と苦痛の中に身を置いて、生き続けていたのだろう……?


 誘拐を未然に防いだ功績、国への忠義そのもの。

 色々な人にそう褒め称えられたけれど、今ひとつ現実味がなくて。今日まで頭が追いついていなかった。

 しかし、私が「私」であったから。

「前世の記憶」を持った、〝間違った世界〟の住人であったからこそ。

 私達は、貿易商人のアシュリー家ではなかった。街の雑貨屋の、寂れた物資倉庫を使うアシュリー商会だった。


 あの日、リアムを助けてあげられた。あの日出逢うことができたのだ。

 私達はリアムの命を、この愛らしい一人の少年の心を……ちゃんと救えていたんだな。

 今やっと、アシュリー家の功績とやらを。

 心から認めて、称賛してあげられる気がした。



 隣にくっつくようにして座り、明るい光に満ちた金色の瞳で私を見上げて、彼は笑った。


「この手紙は父上からもらったものだけど……ルシアちゃんからもらった宝物でもあるって思ってるんだよ。アシュリー商会のみんなと出会えて、大事なことに気付けたから、価値のあるものになった。……祖父上と父上がどうしても見たかった『何か』が、その時、なんとなくわかった気がする」


 そこで言葉を区切り、私達全員を交互に見渡す。

「だからね、今日はちゃんとお礼が言いたかったの。……ボクはエレーネに来られてよかった。エレーネに来なかったら、みんなと会えなかった……。みんな、ボクを助けてくれてありがとう。一緒に過ごしてくれてありがとう! 見つけてくれたのが、アシュリーさんでよかった」

「リアム……!」


 私達にはかけるべき言葉が思い浮かばなかった。

 誰からともなく彼を抱きしめ、温かい涙が頬を伝うのにも構わず、その温もりを腕の中に留め続けていた。

 謝る必要など、最初からなかったのだ。


 彼は「殿下」などではなく、私達の家族。

 可愛い大切なリアムなのだから。

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