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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
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天使との再会


「またお会いできて光栄です。レディ」


 また見ることができた。もう一度見たかった。

 満面の、花が咲いたような愛らしい笑顔。

 天使の微笑みであったはずのその顔が、今の私には悪戯な小悪魔にしか見えていなかった。

 白く小さな、まだ私よりも幼い手。

 重ねられた指先からは、柔らかな感触が暫し消えず。

 慈しむように、愛でるように。

 唇を離そうとはしてくれなかった。


「リアム! ちょっともう……」

 やっとの思いでそう発するものの、それ以上続いて言葉が出てこない。頭が上手く回ってくれない。


 …………長い。長いって!

 やめてほしいわけではないけれど、平民上がりの男爵令嬢如きにすることではないだろう。

 こんな淑女扱いを受けたことなどこれまでない。前世を併せても初めてだ。


 いや違う、「やめてほしくはない」っていうのは他意はなくてね?

 レディ扱いされたのが嬉しいとかではない。少しときめいてしまった、なんてことはない。

 ただ嫌ではないよってだけであって……。

 ……誰に何を説明してるんだろう、私は……。


「リアム、わかったから! 私も会えてとっても嬉しい。だからもういいでしょう。お願いだから、もうやめて……ね?」

 顔に熱が集まっているのが自分でもわかるだけに、非常にいたたまれない。声も震えているのがよくわかる。

 周囲にいる使用人の方々、そして両親にも情けない顔を現在進行形で晒しているのだ。

 流石に振りほどけるわけもないので、彼に懇願するより他に手はなかった。


「えー……うん、わかった……。ルシアちゃんの言うことだからね」

 その返答の瞬間まで、リアムはついぞ口を離さずにいた。


 やっと恥辱の拷問から解放される。そう思ったのも束の間だった。

 身を起こした彼は、添えられたままの手を動かさずに立ち上がり。そして私の指の間に、その形の良く細い指をきゅっと絡めてきたのであった。

 ゆる恋人繋ぎだ。


 ……何が「わかった」だよ!! なんにもわかってないじゃないか、この小動物王子! もう!

 こんなのさっきまでと大して変わらんわ!


 私への精神攻撃が止むことなど、期待してはいけなかった。私が甘かった。

 当の本人はと言えば、さもご機嫌とばかりにニコニコしており、大層ご満悦の様子。

 今日はもう、心臓が持つかわからない。覚悟を決めた方がいいかもしれない。

 いや、いいよ。私はいい。あなたがこれで楽しいのなら、別にいいけども。

 もっとこうさ。好きな女の子とか、身分相応のご令嬢とかにこういうことをするのならともかく、私なんかにジェントルな振る舞いをしたところで何ら得にはならないのに。


 右を見ても左を見ても高位の方々しか身の回りにおらず、食傷気味なのだろうか。

 高価なものばかりに触れているとありがたみを忘れるから、たまには少々質の落ちるものを味わうのもまた乙なもの……。

 そんなどこかで聞いた高貴な趣味を、リアムも実践してみたかったということだろうか……。


 指先が絡み合い、楽しげに揺らされる手をなされるがまま。抵抗しても無駄だろうと達観し、ため息をついて力を抜いた。


「…………は……」


 ん? 何この声……。

 そこで急に地の底から聞こえてくるような、地を這う蛇の恨み声のような低音が聞こえた。……というより、本当に地面から聞こえていた。

 声の主を捜そうと、頭で考えるよりも先に目が自然と下に向けられる。

 すると、私の目線の先には。


「……早い……! ……まだルシアには早すぎる……!」

「うわびっくりした……! 父様、仮にも男爵としてどうなの? その声と体勢……」

 床に両肘をついて苦悶に歪み、力なく声を絞り出す父と、それをなだめながらも、自らも床に座り込む母の姿があった。

 リアムが小悪魔王子だとすれば、さながら地獄の亡者の呻き声そのものであった。


 どうやら精神攻撃を受けていたのは私だけではなかったらしい。

 私がいいように弄ばれている間、別の意味で連続ダメージを喰らっていた人物がここにいた。

 父は今、言わば「ステータス:猛毒 体力赤ゲージ」状態である。

 実に痛ましい。私を溺愛する両親、特に父様。

 娘の狼狽する姿を目の当たりにし、心に深い傷を負ってしまったようだ。

 特に私自身は悪いことはしていないのだが、なんか申し訳ない。


 父様の体力が回復するまでは相当の時間を要した。

 やがて母に肩を借り、生まれたての仔馬の如き震える足で立ち上がった父は、その場で脱帽しリアムに向かって頭を下げようとした。


「遅くなりましたが、リアム殿…………」


 私もまた、そこで今日の目的の一つを思い出した。

 あの日の無礼を今こそ詫びるべき時だ。


 しかし異様な事態を映した金の瞳は、ぎょっとした様子を見せ、肩を跳ねさせる。

 そして恋人繋ぎ続行中の私をも引きずるように、中腰の父の右肩をガッと掴んだ。

 いきなりの方向転換に対応できず、一瞬身体が宙に浮くスピードを体感した私は、思い切りバランスを崩してしまい、とっさに父の左肩に掴まり事なきを得た。

 引きこもりは急には止まれないのだ。


 リアムは「ごめんねごめんね! ルシアちゃんケガしてない? あとでお薬塗ろうね! それとも飲むお薬にする?」と大げさに謝ってくれる。

 流石にこれくらいでケガはないから大丈夫よと伝えた。


 ……仮にケガしていたとして、飲むお薬……?


 両親視点では私が急に寝返り、二人がかりで謝罪を止めたように映ったかもしれない。

 ただこれは裏切りではなく、不可抗力だったのだとあとで言っておこう。


 本来ならば「リアム殿下、本日はご招待をいただき誠にありがとうございます。あの日のご無礼、またあの日以来謝罪に伺えていなかったことをお詫び申し上げます」……と続く予定であったのだが、五分の一も言い切る前に遮られてしまったことになる。


 ならば私から謝らねばと、隣に立つリアムの目をしっかり見据え口を開いた。

「リアム……あのね。ちゃんと謝らなくちゃいけないって思っていたの。言い訳になってしまうけど、今日までその機会がなかった。今ここで謝罪させてほしいわ。あなたに馴れ馴れしいことをたくさんしてしまった。それなのに、今日こうして招待してくれて。誕生日おめでとうのお手紙もくれて、ありがとうね。……あの日のこと、本当にごめんなさい……!」


 必死に思案しながら紡いだ言葉。

 しかしこの謝罪すらも、果たして適切なものだったのか?

 不安を映し取るように、一時の沈黙が流れた。


 恐る恐る瞼を開けると……リアムはそれをよそに目をまんまるに開けて、呆けていた。

 そしてやはりと言うべきか、徐々にその瞳には怒気がこもり出す。俯いていた私と目が合い、やがて大きな声を出した。


「や……もうっ! やめてよね! アシュリーさんもエイミーさんも、ルシアちゃんも! 謝られることなんてないんだよ! 怒ってることも嫌だったことも! ボク……あの日アシュリー商会で過ごせて、ホントに楽しかったんだよ!」


 ……しかし荒げる声は、予想だにしないものだった。

 肩を掴んだまま、体格に大きな差のある父様を実力行使で身体を引き起こそうと奮闘するリアム。

 かわいい。大きなおもちゃを動かそうとする子犬のようだ。一挙一動がかわいい。

 いや、今はそんなこと言ってる場合じゃなかった。


「リアム……私達は、あなたに許してもらえるのかしら……?」

「当たり前だよ! 怒ってることなんて最初からないんだから! 特にルシアちゃん! ルシアちゃんは今日の主役なんだからね。今度謝ったりしたらボクぜったい許してあげないから!」

 息継ぎさえも許さぬ勢いで、不安を形にした問いをすぐさま肯定される。

 ……どうやら本当に、彼の尊厳を害してしまったわけではないらしい。


「みんな、応接間に行こう! 座ってお話ししようよ」


  ◇◇◇


 応接間のソファに腰を落ち着けた一同であったが、その質の良さ、調度品の品の良さに驚く。

 この場において真に「腰を落ち着け」ているのは、リアムただ一人だけだった。


 そんなリアムは頬をぷくっと膨らませ、ぽこぽこと可愛らしくご立腹していた。

「あのね、三人とも普通に話してね! 敬語と殿下呼びはぜーったい禁止だよ!」


「い……いいの……?」

 そうとしか言いようがなかった。一言だけの問いでさえ不安を感じる。

 両親は緊張からか一様に押し黙るばかりで、必然的に口を開くのは私だけになる。

 だがリアムは、そんな私達の態度こそむしろ不思議と言わんばかりだった。


「うん。もちろんだよ。今日はルシアちゃんのお祝いが一番だけど、ボクからもありがとうが言いたかったんだ。ボク……あの日、『殿下』じゃなくてリアムとして。街の子たちとおんなじようにしてくれたこと、すっごく嬉しかったんだ」


 ……嬉しかったとはどういうことだろう?

 無礼をそう捉えていなかったばかりか、それが嬉しいというのは……?


 少々酔狂な発言のようにも感じられる。

 しかし少し考えてもみれば、貴族になったことや多くの招待状をいただくことを全く嬉しく感じていない酔狂の極み家族がここにいるのだ。人のことを言えた立場ではないと気付き、それを口に出すのはやめた。


「リアム……それはどういうこと?」

 数分が経った頃。そう問い掛けたのは母様だった。


 リアムは絨毯に視線を遣ったまま、ぽつぽつと静かに言葉を紡ぎ始めた。


「……みんなはボクの話、どれくらい聞いたのかな」

 返答することは口を挟むことになるかと思い、続きを待った。

 しかしその続きが語られることはなく、彼からの質問であったことに気付く。


 やがてそれに答えたのは父様だった。

 父様はフォスター子爵様からお伺いしたお話の概要や、王宮で聞いたお話など、私達一家が共通して認識している事柄を、言葉を選んで話している。

 彼はどこか納得したように頷いたあと、わずか一瞬眉をひそめたように見えた。


「そっか。フォスターって言ったら、外交官のじいやだね。アシュリー商会に行ったんだったら、ボクも一緒に連れてってくれたらよかったのにな」

 冗談めかした様子で笑ってみせたリアムだったが、それは苦笑であり、困り顔のままでしかない。


「リアム……もしかして何か失礼なことを言ってしまったのかしら……」

 肯定も否定もなく、彼には似つかわしくない困り顔だけを見せるリアムに、新たな不安が生じた。

 フォスター子爵様のおっしゃったことを、私達が認識違いしている可能性も考えられるからだ。

 それなら双方に失礼であるし、何しろリアムの身分と尊厳にも関わること。そう質問したのは自然といえる。

 しかしそれには即座に否定が飛んだ。


「ううん、ぜんぶ正しいよ。……ボクは王太子としてエレーネに来た……。国民向けなのかな? 表向きは友好留学ってことにして。それでフォスターじいやが言ってたように、本当は信頼のあかしとして。危険なヴァーノンから避難して、安全なエレーネで守ってもらうために」


 ……呟くように吐き出したことで、きっと意を決したのだと思う。

 彼は少しずつ、ゆっくりと言葉を紡いでくれた。


「でもね、それも実は表向きなんだよ。エレーネ王宮向けっていうのかな……。本当は……祖父上の遺した言葉と、父上の意向だったんだ。『ヴァーノンにはないものを学んで来てほしい』って……」


 なんと表現するのが、なんと反応を返すのが、どんな表情を向けるのが適切なのか、この時の私にはわからなかった。

 衝撃的……そう言い表すことしか、今でもできない。


 リアムはとつとつと語ってくれた。

 エレーネの人間が知る由もない内情を。そして、小さな胸の内にのみ秘め、独り耐え続けてきた思いを……。

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