結束の森、宵月を映す沼
若者たちと別れてから、およそ二時間後。
約束した通り屋敷前まで迎えに来てくれた五人は、私を見るなり「お嬢様! ご機嫌いかがでしょうか! お疲れではありやせんか!」と、まるで発声練習か何かのように叫んできた。
……あの短時間で、すっかりその身に恐怖が刻み込まれている。
哀れな……。軍部の新兵かよ。
そういえば使用人の皆とはちょうど歳もあまり離れていないくらいだろうし、奥さんを彷彿とさせたのだろうか。
そういえばこの五人、どこか尻に敷かれていそうな、奥さんを溺愛してそうな感じがあるもんな……。
まだ敷地内からすら出ていないのに、お疲れも何もあったものではない。
そんなに気を張る必要はないし、ごく普通の人間に対する最低限の扱いをしてくれたらそれでいい、使用人の皆の前では少しビシッとしてくれればなおよい、と告げた。
それに少し安心した表情を見せてくれた五人。
そして、「失礼しやす」と言いながら、オリバーが私の脇の下に手を差し入れ、慣れた手つきで抱きかかえてくれた。
お姫様だっこの体勢だ。
「ん? 運んでくれるの?」
と聞けば、「はい! お嬢様にご足労かけさせるわけにゃいきやせんから!」「コイツは娘二人いますから慣れたもんでさ」「乗り心地が悪けりゃ、蹴って知らせてやって構わねべした」などの声。
どうやら、なんだか早速甘やかしてくれる姿勢のようだ。
ここで変に遠慮しても何にもならないし、実際体力ゼロの私にはおおいに助かるのも事実。
また、こういう時は素直に好意を受け取っておくのが後々のためにも良いことを、このルシア・アシュリーはよく知っている。
案の定、「ありがとう」と笑顔でお礼を言うと、彼らの端正な顔立ちがデレデレ顔へと変わった。
もしかしたら仕事上の付き合いだけではなく、意外と仲良くなれるかもしれない。
今の段階ではまだわからないけれど、それが現実になればいい。
その後お姫様抱っこから普通の抱っこに変えてもらったり、位置の微調整をしながら。
やがて一行は会話がてら、挨拶回りの道中へと出発したのだった。
「ラードナーのおじいちゃん! おばあちゃん! こんにちは!」
「あんれあれまあ、ルシアお嬢様でないですか。どうも、こんにちは。今日もまあお可愛らしいこって。先日お渡しした果物は、召し上がっていただけましたかい?」
「とってもおいしかったわ! 本当にありがとう。両親も使用人の皆も喜んでいたわ」
「今日はなっかなかおいでにならんもんですから、なんかあったんでねえかと心配だったんですわ。バーキンとこの若坊主ども引き連れて、どうかなさったんですかい?」
「そうなの! 実はね、今日は領民のみんなに重大発表があってきたのよ。五人にはね、最初の協力者になってもらおうと思って。それで声をかけたの」
「重大発表? なんだかわからんけんども、こん田舎の青二才たちに、お貴族様から役割が頂けるたぁ、こげなありがてえことはねえですわ。今のまんまじゃ住みづらいとか、なんか庭づくりでもやらせんですかいね? どうぞこき使ってやってくだせえな」
「違うのよ! 五人だけにやってもらうことじゃないわ。あのね、この領地全体で、一大事業を始めようとしているの。領民のみんな、全員の協力が不可欠なことなのよ!」
「りょ、領民全員の協力ぅ? ……やー、アシュリー家の皆さま方は、使用人の若ぇ子たちも含めて良い方ばかりってもうみんなわかっておりますから、協力はしますけんどねえ。ワシらみてえな年寄りに、できることなんざあんですかいな?」
「あるのよ! むしろコンセプトリゾート実現のためには、領民の皆さんこそ、一番大事な役割があると言えるわ! 『お客様の領地』を作り上げていく、観光インフラの整備。そして唯一無二の観光資源、『領民』をそれぞれが演じ切る。領地総出のコンセプトづくりって観点でね!」
「か、観光ぉ!? こったらとこに観光客なんか来んですかいね?」
「それにそのなんたら資源……コンセプトっちゅうんは……?」
「いやあ、娘がすみません。その件に関しまして、ぜひ詳しくご説明させていただきたく。領民の皆さんを一堂に集めて、改めてお話する機会をいただけないでしょうか…………」
◇◇◇
およそ数時間。
あれからエルトからテナーレまで、領地を一回りした。
時間が経つのは早く、もう夕方だ。
今は互いに労い合い、心地よい倦怠感を感じながら、屋敷の外で紅茶を一服しているところ。
領地を回り尽くしただけあって……いや、若者たち五人のおかげで、ほぼ領民の全員と話をすることができた。
会えなかった人も数人いたのだが、若者たちと両親によれば、それでも各世帯一人ずつとは話ができたようだ。
見つからない人も途中何人かいたが、さすがは地元民。
道とは思えない道をスイスイ抜けた先や、存在を今まで知らなかった小屋など。彼らに身を委ねているだけで、そのほとんどの人のところに連れて行ってくれた。
乗り心地も文句なしによく、綺麗な景色が見られる道をわざわざ通ってくれたりと、私が退屈しない工夫までしてくれた。
一日、ずっと安心して身を任せていられた。
今一息ついて思い返せば……今日一日、誰に会ってもだいたい皆同じ反応だった。
ただ、初日とはまるで逆の方向で。
誰かと出会う度にまず私がまくし立て、父が一見たしなめるように見せかけて説明会への出席の確約を取り、続いてすかさず母が日時を取り決め、時折五人が一言付け加えるというナイスチームワークによって、今日の挨拶回りが終了したのだった。
勢いに押されたのもあるだろうが、多くの人々は「まあ、アシュリー家の皆さま方の言うことなら……」と言い、拍子抜けするほどあっさり同意してくれた。
初日に比べれば、扱いが天と地の差だ。
オリバーが言うには、「皆さま方はすでに、領民からの評判がすこぶる良いんでさ。ほんずねえのはオレたちだけだったくらいで。気さくでお優しい方々で、使用人も働き者だ。お貴族様になったのも納得だ、王都の連中もたまにはいい仕事をするもんだ、ってな具合で」とのこと。
「ちゅうより、これ、オレたちがいた意味あったんですかね?」とのラルフの問いに、
「大アリよ! あなたたちがそばにいてくれたことで、『ああ、領民にとって不利益はない話なんだな』って、一気に信用度が増すじゃない!」と即答する。
そう。今日はあくまで領民に、何らかの計画が存在するのだという認識を持ってもらうことが目的。
警戒心や不安感を与えないためにも、領地の仲間である彼らの存在は、安心アピールの点で重大な意義を持っていた。
今日のところは解散とはせず、わざわざ迎えに来てもらい合流したのには、それだけあなたたちの存在を重要視していたためである。
それを母から説明された五人は、安心したような、どこか誇らしげな笑顔を浮かべた。
「たとえ同じ説明をされたところで、私達単独とあなた達同伴じゃ説得力が違うわ。まだまだ私達は、よそ者なことに変わりはないしね。スムーズに話が進んだのはあなた達のおかげよ」
との私の発言に、両親は頷くものの、なぜだか五人の歯切れは悪い。
彼らは口を揃えた。
「それはない」「今やここにアシュリー家の方々を信用しねえヤツはいない」と。
「えっ? そうなの?」と母様が思わず聞き返したが、「噂が広がるのも早い田舎です。あなた方が毎日それは熱心に領民に声をかけて回ってたのを、もうチビでも知っておりやす。会うヤツ誰もが、やれ男爵様がご立派だ、お嬢様がかわいいだと話していっから間違いありやせん」とバートがそれに答えた。
「それだけ、すでに強固な人脈を築きなさったっつうことでさあ。正直もうこうして毎日出歩いて回る必要もねえと思いやすがね。極端な話、メモ紙玄関に突っ込んで、この日時来いって命令しただけでも、全員喜んで集まるんでねえかと」
そう答えるジェームスの言葉に、他の四人はまるで示し合わせたかのように、同時に頷いてみせた。
「……っそれは本当かい!? や、やった……!」
父様がつんのめる勢いで反応し、歓喜の声を上げた。私と母様もまた、片手をハイタッチしてそれに同調する。
決して大げさな反応ではない。
これは私達にとって願ってもない話だ。
――やった! っていうことは! もう極力外出する必要はないんだ!
明日からはもうでかけなくとも良い。その分計画を詰めていこう。なるべくソファかベッドの上で。
しっかりした計画を準備することこそ、これからできる信用構築だ!
目と目で語り合う、一家三人であった。
毎日インドア生活の時間と気力を削り、少しずつ着実に良好な関係を構築してきた甲斐があったというものである。
説明会の日時は、二週間後に決まった。
都合のつかない人がいれば他の手段や日時も考えたが、満場一致、各自即決だった。
「君たちに一番やってもらいたいのは広報活動なんだ。領地の総結集、総動力がひとまずの目標でね。皆からの了承と協力を得て、具体的な計画の進行……ホテルの建設などを始めていきたい」
「ルシアから聞いた内容を、できるだけ熱心に皆さんに広めてほしいの。わからないことや疑問に思うことがあれば、都度聴きに来てちょうだいね。それからもし良ければ、これから二週間、たまに報告に来ていただいてもよろしいかしら?」
「はいっ! 了解しやした! お任せくだせえ!」
◇◇◇
「「ところでなんですけど」」
「ん? なあに? ジル&ジニー」
次の日の夜。
掃除の仕事を母様と私から流れるように奪い取り、屋敷中をピカピカに磨き終えたジルとジニー兄妹が、どうにも腑に落ちないといった表情で話しかけてきた。
「お嬢様はそもそもどうして、ここで産業を根づかせようとか考えたんスか?」
「そうですよー。だってそれこそ、貴族は特権階級で、ずっと引きこもってお屋敷にいたところで、別に文句を付けてくる方なんていませんよ? 何もわざわざ新しく仕事を始める必要はなかったんじゃないかな〜って」
「ああ……それね。実は私には……いえ、私達一家にとって、絶対に譲れない理由があるのよ」
やはりついに来たか。誰かからは確実に訊かれるだろうと踏んでいた。
絶対に譲れない理由、それはただ一つ。
「「それは…………?」」
「あのね。貴族になってしまった以上、極力普段はパーティーやらに行かないとしても、どうしても貴族のお客様をうちに招かないといけない事態がこれからきっと出てくるじゃない?」
「え? まあ、それはそうスね。旦那様のお仕事相手も然りだし、何よりお嬢様が社交界デビューする年頃になったら、ここで社交の場を開催するっつー機会もたびたびあるでしょうしね」
「でしょ? それだけじゃなくて、遣いの方がいらしたりとか、商会時代の知り合いとか。別に知り合いじゃなくても『新しく叙爵された男爵ご一家に挨拶したい』とか言ってくる貴族様もいるかもしれないわ」
「あー……有り得ますね。でもそれと観光業を始めることに、何のご関係が?」
「――その歓待を。ホテルの従業員……つまり使用人の皆に丸投げ……いえ、担当してもらうのよ!」
「「あ! なるほど!!」」
「そして、なぜ私が『貴族ぐらし』っていうコンセプトを考え抜いたのかというと。私達アシュリー家は、今この土地の領主。紛れもない貴族家よ。未だに信じられないけど、それが客観的に見た事実」
うんうん、とシンクロしながら頷く二人。
「でもそれを知ってる方はごく少ないわ。それこそ私達の叙爵式に出席した一部の貴族様くらいじゃないかしら。存在は知っていても顔は知らない、どこを領地に割り当てられたのかまではわからない方もいるでしょうしね。ましてや平民の人々は知る由もない話。だからこそ、『前領主を亡くしてから、領主貴族が不在だった土地』『そしてあなたが、そこを治めることになった貴族!』っていう設定が誰に対しても通用するわけよ。そこにコンセプトを持ち込める余地があったわけ」
実際に若者たち五人の話から、それが事実だと証明された。
私が見出したその余地は、すでに多数の方々の共通認識だった。前提の設定として活用していけるということだ。
「つまり! そしてむしろ!」
「「つまり…………?」」
「ここに来てくれたお客様は、みんな自分こそが領主と思って歓待を受ける。本来私達に挨拶しに来ようと考えていた方でも、それを忘れてしまうほどのおもてなしをね。そうなると……そこで本物の領主一家が『どうも〜! この地の領主、アシュリー男爵家でーす!』って登場なんかしたら、興ざめ! 私達は決して表に出るべきじゃない、邪魔な存在なわけよ!」
「「あーー! 納得!! つまりコンセプトすらも、全部引きこもりライフの布石ってことですね!?」」
なおかつ、「貴族の接待は貴族がするもの」。
そんなこの世界の常識を覆すひとつの足がかりになる可能性もある。
何も私達家族だけではなく、社交が面倒極まりないと思っている方は意外といるのではないだろうか?
「そう、その通りよ……私達は、本当は歓待したくてたまらないのに、泣く泣く引きこもらざるを得ないの……。コンセプトを、この領地の観光資源を。自らぶち壊しにしないためにもね…………」
「お嬢様すげえ! 超納得しました! ヤベぇ、そこまで考えてらっしゃったんスね!」
「あたし達、皆様のインドア生活をサポートするために、使用人の道を選んだ身! そうと聞けば俄然やる気が出てきました! ぜひご協力させてください!」
「助かるわ……物分かりの良いみんながいてくれて……。うっかり私達という本物の領主がいることが世間に知られてはいけないから、このことは内密にね……」
「「はい!!」」
アシュリー男爵領の月夜は、穏やかに更けてゆく――……。